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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ブックレビュー 2021.05

2021-05-30 | g ブックレビュー〇

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 5月の読了本は5冊。

『徳川家康の江戸プロジェクト』門井慶喜(祥伝社新書2018年)
 
**利根川という大河川を曲げたうえに、湿地帯を埋め立てて土地を造成し、町をつくりました。飲み水は遠方から江戸まで堀を建設し、上水を引いて調達しました。食糧は日本海側の諸国や西日本、上方から船で運び込みました。そうすることで、一〇〇万人もの人が住めるようになったのです。**(134頁)

著者は江戸が人工的な町であったということをこのように分かりやすく説いている。利根川東遷についても分かりやすい図が見開きで載っている。総じて文章は読みやすく、掲載されている図も分かりやすい。一般読者向き。


『新幹線100系物語』福原俊一(ちくま新書2021年)

「関係者への綿密な取材に基づく記録」 帯にこのように記されている通り、関係会社、関係者への取材によって100系の開発から運行の裏側が明らかにされている。後世に残すべき貴重な資料に成り得るレポート。


『楡家の人びと上下』北 杜夫(新潮文庫1971年)

初読は1979年4月。久しぶりの再読。楡家の人びとの日々の暮らしの中に大正から昭和、太平洋戦争後に至る時代の大きな流れが描かれる。時代は違うが藤村の『夜明け前』にも通じるか。

楡家の人びとは時代の流れに抗うことなく、それを受け入れてそれぞれの生を過ごす。楡病院を継いだ徹吉(北 杜夫の父、歌人斎藤茂吉がモデル)は楡病院再建という困難な現実からの逃避的な作業として大著を執筆する。今回は徹吉の心情に共感。


『たけくらべ』樋口一葉(岩波文庫1927年第1刷)

名作は読み継がれる、読み継がれる作品こそ名作。物語は最後の1頁でそれまでの動から静へ転換する。そこが特に印象的。




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「人新生の「資本論」」

2021-05-27 | g 読書日記

 朝のスタバで『人新生の「資本論」』斎藤幸平(集英社新書2020年)を読む。



著者は環境保全のために打ち出される方策に対してことごとく否定的な見解を示す。資本主義が前提の方策は、どうやらダメということのようだ。普段本を読むとき付箋を付けることはするが、傍線を引くことはほとんどしない。だが、この本はなるほど、と思うところに傍線を引きながら読んでいる。傍線を引いたのは例えば次のような箇所だ。穏やかな表現ではないところもあるが引用しておく。

**資本主義による収奪の対象は周辺部の労働力だけでなく、地球環境全体なのだ。(中略)人間を資本蓄積のための道具として扱う資本主義は、自然もまた単なる掠奪(りゃくだつ)の対象とみなす。**(31,2頁)
**経済成長に依存しない経済システム、脱成長が有力な選択肢となるのだ。**(116頁)
**資本主義が地球の表面を徹底的に変えてしまい、人類が生きられない環境になってしまう。それが「人新生」という時代の終着である。**(117,8頁)
**環境危機に立ち向かい、経済成長を抑制する唯一の方法は、私たちの手で資本主義を止めて、脱成長型のポスト資本主義に向けて大転換することなのである。**(119頁)
**MEGA(*1)によって可能になるのが、一般のイメージとはまったく異なる、新しい『資本論』解釈である。悪筆のマルクスが遺した手書きのノートを丹念に読み解くことで、『資本論』に新しい光を当てることができるようになる。それが現代の気候危機に立ち向かうための新しい武器になるのだ。**(149頁)
**世界に目を向けると、近年、マルクスの思想が再び大きな注目を浴びるようになっている。資本主義の矛盾が深まるにつれて、「資本主義以外の選択肢は存在しない」という「常識」にヒビが入り始めているのである。**(140頁)

『資本論』といえばマルクス。マルクス主義が今頃顔を出すのか・・・、と思う。

毎年のように世界各地を襲う自然災害は地球環境に大きなダメージを与え続けてきたことの結果だろう。でも、この先土砂崩落で線路が宙に浮いていると分かっていても、資本主義という列車から降りるなんてことはしないんだろうな・・・。


*1 MEGA:新しい『マルクス・エンゲルス全集』 最終的には100巻を超えることになる全集の刊行が進んでいるとのこと。

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岐阜県輪之内町のマンホール蓋

2021-05-24 | g 地面の蓋っておもしろい〇




岐阜県安八郡輪之内町 撮影日2021.05.22


親子蓋 親蓋にはテトラポットのようなパターンが施されている。

 マンホール蓋の写真を撮るときは火の見櫓を背景にするという条件を付けている。22日(土曜日)に岐阜県輪之内町まで道路またぎを見に出かけたが、その時マンホール蓋の写真も撮った。背景はもちろん道路またぎ。

輪之内町のマンホール蓋には町の木・ウメ、町の鳥・ヒバリ、町の花・タンポポが具象的に描かれている。このように町村で決めている木や花を蓋にデザインすることはよくある。この蓋のデザインからは特に特徴は見いだせない。


 

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火の見櫓雑感

2021-05-24 | g 火の見櫓考〇

 

360

 この火の見櫓のようにきちんとメンテナンスされている火の見櫓もあるが、その一方で現役であるのにもかかわらず錆びて無残な姿を晒しているものもある。この違いは一体何に因るのだろう・・・。

どの火の見櫓にも誕生の物語があり、地域を見守り続けてきた長い歴史がある。その歴史をひも解けば、やはりいろいろな物語が明らかになるだろう。

この火の見櫓がピカピカなのは、今なお地元地域の人たちがこの火の見櫓に関心を寄せていること、言い方を変えれば火の見櫓と地域の人たちとの関係が保持されているということに因る。火の見櫓と地域の人たちの物語が作り続けられていると言うこともできるだろう。

10年以上も火の見櫓巡りを続けてきて、今思うことは表層的な見方しかしてこなかったということだ。それぞれの火の見櫓には物語があるというのに、その物語を読み解こうとはしなかった・・・。

言い訳するわけではないが、僕が惹かれるのは火の見櫓の姿形の多様性だ。だからずっと火の見櫓をものとして捉えてその魅力を見てきたのだし、それが楽しかったと言える。その背後にある物語、たぶん豊饒であろう物語には関心が及ばなかったのは当然といえば当然だ。ものごとへの関心の置きどころは人それぞれ違う。

火の見櫓の誕生物語を知ることは今となっては不可能ではないにせよかなり難しいということは確かだ。多くの火の見櫓は昭和30年代に建設されている。建設に係った人たちの当時の年齢を30代と若く仮定しても、90歳を超える。だから今現在存命の方はごく少数だろう。

火の見櫓残れど当事者残らずという状況で可能なのは建設記録などの資料を探し出してそれを調べること、当時の事情を聞き知る人に取材することだろう。その後の歴史、火の見櫓と人々とで紡ぎ出されてきた物語を知る人は少なくないだろうから取材できるだろうし、資料も見つかるだろう。今現在の両者の物語の取材はその気さえあれば容易だ。

NHKにファミリーヒストリーという番組があるが、あの番組のように個々の火の見櫓の歴史がひも解かれ、明らかにされたらすばらしいと思うし、感動に涙するかもしれない。

でも・・・、それは僕の仕事ではないなぁ。


 

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1288 南箕輪村久保の火の見櫓

2021-05-23 | g 火の見櫓観察記

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1288 上伊那郡南箕輪村久保 4無44型 撮影日2021.05.22

 昨日(22日)は久しぶりに遠出をした(*1)。岐阜県輪之内町の道路またぎを見ることが目的だった。現地で小一時間見て、そのまま帰るつもりだった。だが、時間的に早かったこともあり途中で中央道を降り、伊那方面の火の見櫓を見ながら帰ってきた。11基見たが既に載せていたもの、あまりの惨状に載せるのを躊躇ったもの合わせて3基はパスした。で、掲載は8基、これが最後の1基。


「南箕輪村久保防災拠点施設」



見張り台まわりの様子 なんともものものしい。見方を変えればまだ現役で頑張っているということの証、ともいえる。





脚部は正面だけブレースを設置していない。梯子を外付けするのなら、ブレースを設置しても支障ない。ではなぜ? 「正面性の表現」などと書いて分かったつもりになってはいけない。

干した消火ホースを風でばたつかせないためだろうか、脚元から見張り台まで付けられたフレームが火の見櫓の見た目を阻害しているのは残念。


*1 不要不急の外出は控えなければならないが、人と会うわけでもなく、だた車で火の見櫓を見に行くだけだからいいだろう、と判断した。高速道路のSAではコンビニでコーヒーを買い求め、昼食もしたが・・・。

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1287 伊那市西春近の火の見櫓

2021-05-23 | g 火の見櫓観察記


1287 伊那市西春近小屋敷 3無66型 撮影日2021.05.22

 この風景から分かるが、ここは伊那市の市街地から小黒川沿いに上った、もうそれ程人家も無いところ。カーナビの案内を無視して進んできてこの火の見櫓と出会った。火の見櫓はこのような辻に立っていることが多い。火災の発生をできるだけ早く伝えるために消防団員が駆け付けやすいこと、という立地条件を満たすから。




必要なものとはいえ、消火ホースを引き上げて干すために後付けされたパーツ(呼び方が分からない)がうっとうしい。避雷針にはほとんど例外なく蔓のような飾りが付いている。なぜ、このような飾りをつけるのだろう・・・。




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1286 宮田村北割の火の見櫓

2021-05-23 | g 火の見櫓観察記


1286 上伊那郡宮田村北割 北割集落センター 4脚44型 撮影日2021.05.22

 中央道は宮田村辺りでは西側の山際をトレースするように南北に伸びている。そのすぐ近くをパノラマロードと名付けられた道路が通っている。この火の見櫓はパノラマロードに向かって下ってくる坂道の脇に立っている。少し高いところに立っていて、遠くからよく見えていたので、勘を頼りに適当に車を走らせた。

背の高い火の見櫓で形も整っている。立地条件からして、この火の見櫓の見張り台からは遠くまで見渡すことができるだろう。



大きく隅切りした見張り台。手すりには櫓部分のブレースと同じ形が用いられている。きちんと丁寧につくられている。後付けの腕木が見た目には邪魔だが、必要なものだから仕方ない。



踊り場にも半鐘を吊り下げて切妻の小屋根を付けてある。このような事例は少なくない。消防信号板も取り付けてあるから、いつもこの半鐘を叩いていたのかもしれない。建設当初には無かったと思うが。地元の人に様子を聞いてみればいいのだが、なかなか叶わない。

外付け梯子の上端から手すりを付けてあるが、もう少し上、踊り場の手すりのところまで伸ばして欲しかった。



脚部の様子。同じことを繰り返し何回も書くが、柱のなだらかなカーブがそのまま脚元まで続いている。これが美脚に欠かせない条件だ。




 

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1285 宮田村の火の見櫓

2021-05-23 | g 火の見櫓観察記


1285 上伊那郡宮田村北割 3無66型 撮影日2021.05.22

 火の見櫓は見張り台から対象地域全域を見渡すことができること、半鐘の音が対象地域全域に伝わること、このふたつの条件を満たさなくてはならない。このように小さい火の見櫓はカバーする地域が広くない、ということが考えられる。隣の地域への伝達用ということも考えられる。このような推測が合っているかどうか・・・。


 

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宮田村南割の火の見櫓(再)

2021-05-23 | g 火の見櫓観察記


(再 863)上伊那郡宮田村南割 4脚44型 撮影日2021.05.22

 この火の見櫓は2017年の7月に見ている(下の全形写真)。昨日(22日)再訪するとシャッターが建て替えられていた。





シャターにはかわいいイラストが!


 

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1284 飯島町七久保の火の見櫓

2021-05-23 | g 火の見櫓観察記


1284 上伊那郡飯島町七久保柏木 4脚44型 撮影日2021.05.22

 岐阜県輪之内町から帰る途中、時間的にまだ早かったので一般道で帰ることにして中央道を松川ICで降りた(午後2時過ぎ)。飯島町ではまだ火の見櫓をあまり見ていない。集落内の生活道路を走っていてこの火の見櫓と出会った。なかなか姿形の良い火の見櫓だ。すーっと下に向かって末広がり、脚がしっかり支えている。屋根と見張り台のバランスも良い。スピーカーやサイレンが付いていないのも好ましい。



別方向から全形を見る。外付け梯子、踊り場の半鐘の様子がこの方向からだと分かる。

屋根のカーブが絶妙。4隅に平鋼の蕨手が付いている。このくらいの巻き方が好い。



見張り台に吊り下げてある半鐘は表面がつるりんちょだが、踊り場の半鐘には乳や帯が付いている。こちらの方が古いと思われる。手すりの飾りのパターンがよく分からない。



脚部。消防信号板があるが、はじめからこのような状態ではなかったはず。後方の建物には「柏木地区高齢者ふれあい拠点施設」という館名板が掲げられていた。


 

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1283 岐阜県輪之内町の火の見櫓

2021-05-23 | g 火の見櫓観察記


1283 岐阜県安八郡輪之内町楡俣 3無33型 撮影日2021.05.22



 輪之内町大藪の道路またぎを見て、岐阜羽島ICに戻る途中でこの火の見櫓に遭遇した。やはり火の見櫓の美しさの条件に「櫓の末広がり」があることが分かる。消火ホースを引き上げる滑車を付けた大きな腕木が目立つ。見張り台の高さは9m弱暗いと思われるが、外付けの梯子を昇り降りするのは怖いと思う。



くるくる巻いた蕨手、それと同じ飾りが避雷針にもついている。見張り台は隅切りした3角形で、手すり子の下を外側にぷくっと半円形に曲げている。


 

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1282 岐阜県輪之内町の道路またぎ

2021-05-22 | g 火の見櫓観察記


1282 岐阜県安八郡輪之内町大藪 4無44型 撮影日2021.05.22

 岐阜県の輪之内町にも道路またぎがある、ということを2019年の10月に知った。今日(5月22日)意を決して出かけてきた。朝7時30分に自宅を出発、名神高速を岐阜羽島ICで降りて、この火の見櫓の立つ輪之内町大藪に10時45分に到着した。走行距離は223.5kmだった。

カーナビの案内に素直に従って進むと遠くに火の見櫓が見えた。下地らべをしていたので、「あ、あれだ!」と思わず声が出た。



かなり背の高い火の見櫓が道路沿いに立っていた。



柱スパン約5.3m、梁下端の高さ約4.6m。梯子桟の数とそのピッチにより、見張り台の高さは約13.3m、従って総高約16m。これは背の高い火の見櫓。







かつてこの火の見櫓の後ろに消防車庫が建っていたようだ。道路側についている「輪之内町消防団 第一分団車庫」という切文字がそのことを示している。消防自動車はこの火の見櫓をくぐって出動していたのだ。今から10年以上前に、車庫が移転してこのような状況になったというわけ。道路ではないが敷地内通路と見なしてよいのではないか。停車していた車が櫓の下を抜けていった。



トラスの門型フレームを補強して火の見櫓をガッチリ支えている。後方の外壁が白い建物が現在の消防倉庫。


現在の消防倉庫側から火の見櫓を望む。



扁平した方形(ほうぎょう)の屋根、くるりんちょな蕨手、避雷針に付けられた矢羽形の風向計。





道路(公道、私道、敷地内通路)をまたいで立っている火の見櫓は私の知る限りこの1基を加えて10基(過去ログ)。その全てを見たことになる。他にもあることが分かったら是非見に行きたい(*1)。


*1 ご存知の方、お知らせ願います。

輪之内町からそれ程遠くないところに従妹がいるが、コロナ禍の状況下、会わずに帰ってきた。

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「人新生の「資本論」」

2021-05-21 | g 読書日記

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『人新生の「資本論」』斎藤幸平(集英社新書2020年)を読み始める。カバーに「2021新書大賞第1位」とあるから、多くの人がこの本を読んでいるのだろう。この本が簡潔で明解な文章で綴られていて展開される論考が論理的で分かりやすいことがその理由として挙げられるのかもしれない。しばらく前の信濃毎日新聞のコラム「斜面」もこの本から引用していた。

書名の人新生(ひとしんせい)は聞きなれない、地質学的なイメージのことばだが「人類の経済活動の痕跡が地球の表面を覆いつくした年代」という意味だという。プラスチックごみが海面を覆い、道路やビル、農地が地表面を覆っている。更に地球を覆っている大気に二酸化炭素が排出され続けている。地球環境を犠牲にしながら経済活動を続けてきたことによりもたらされた結果だ。著者は大量生産、大量消費という経済システムからの脱却、「脱成長コミュニズム」を説く。

かつては数十年に一度と言われたような災害が、世界各地で毎年発生している。日本でも毎年災害(特に水害が多い)が発生し、甚大な被害を被るようになった。今日(21日)もかなりの降雨量に達して河川の氾濫の恐れのある地域が出ている。地球環境の危機的な状況のあらわれ、であることは間違いないだろう。

だが・・・、**資本主義の歴史を振り返れば、国家や大企業が十分な規模の気候変動対策を打ち出す見込みは薄い。解決策の代わりに資本主義が提供してきたのは、収穫と負荷の外部化・転嫁ばかりなのだ。矛盾をどこか遠い所へと転嫁し、問題解決の先送りを繰り返してきたのである。**(42頁)と著者は厳しい指摘をする。

論考をどのように展開しているのか、先が気になる・・・。


 

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「たけくらべ」

2021-05-18 | g 読書日記


以前読んだ新潮文庫の『たけくらべ』

 樋口一葉といえば『たけくらべ』。この短編は日本の文学史年表に必ず載る。この作品をまた読みたいと思い、自室の書棚を探したがなかった。どうやら昨年(2020年)の5月に処分した多くの文庫本の中に含まれていたようだ。それで改めて買い求めた。



岩波文庫のカバー画は鈴木清方の「たけくらべの美登利」という作品とのことだが、僕が小説を読んでイメージしている美登利よりずいぶん大人、という印象だ。

この淡い初恋ものがたり(美登利と真如は今で言えば中学3年生か高校1年生くらい)はラストが好い。擬古文は苦手だが、リズミカルな文章に慣れて読み進めたい。

樋口一葉についてはブログを始めて間もなくこんな記事を書いている(過去ログ)。


 

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「楡家の人びと」読了

2021-05-16 | g 読書日記



 北 杜夫の長編小説『楡家の人びと』の再読を終えた。小説では大正初期から昭和、終戦直後までの時代の大きな流れの中で楡家三代に亘る人びとが織りなす物語が描かれている。今回特に印象に残ったのは楡脳病院を創立した楡基一郎の長女と結婚、婿養子となった徹吉(徹吉は北 杜夫の父親、斎藤茂吉がモデル)。徹吉は基一郎亡き後、病院長を引き継ぐも、焼失した病院の再建や診療などの業務に忙殺される。その現実から、そして家族からも逃避するように「精神医学史」の執筆に多くの時間を割く。

こんな件がある。**(前略)徹吉は病院での診療についての自信喪失と同様、自分は家庭人としても根本的に不向きなのではないか、片寄った、偏頗(へんぱ)な、個人としても父親としても不適格な性格なのではあるまいか、という疑念が抗いがたく頭をもたげてくるのを感じた。
そうして、そのような寂寥、もの足りなさ、索漠とした感情を抱いて徹吉が自分の部屋に戻るとき、わずかばかりの焼け残りの書物のある自室の机の前に座るとき、彼ははじめていくらかほっとした、自分自身の時間をとり戻せるような気がした。(中略)自分ひとりの時間、深夜の、ほんの幾何かの、しかしかけがえのない、しんと年甲斐もなく涙の滲むような時間。**(上巻334頁)

物語の終盤。太平洋戦争の末期、戦禍を逃れて生まれ故郷の山形に疎開した徹吉。戦争が終わって間もなく、彼は自分の来し方を回想、総括する。**愚かであった、と徹吉は思った。自分は、――自分の一生は一言でいえば愚かにもむなしいものではなかったか。あれだけあくせくと無駄な勉強をし、そのくせわずかの批判精神もなく、馬車馬のようにこの短からぬ歳月を送ってきたにすぎないのではないか。(後略)**(下巻439頁)

続けて徹吉は次のようにも思う。**とにもかくにも、自分は自分なりに励んできた、働いてきた。それをも愚かなことといって悔いねばならぬのか。たとえ調子のよい養父の基一郎でもいい。ここに出てきて、ひとことこう言ってくれぬものか――「徹吉、お前はよくやった。もう一つ金時計をくれてやろう」**(440頁)

上掲した件を読んでいて涙がでた。我が人生に悔いはない、と総括することができたら、最高に幸せだろうなぁ。

北 杜夫が残したこの小説は白眉。もう一度読まねばならぬ。


**で引用範囲を示す。

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