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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

年越し本「生命を捉えなおす」

2010-12-24 | g 読書日記




 川端康成の『古都』読了後、年越し本を書店で探し求めた。できれば小説、と思っていたがなかなか見つからず、結局中公新書からこの本を選んだ。なかなか難しいテーマ、内容だ。

**生命は秩序を自己形成する能力である**と考えている著者。**細胞から、組織、器官、個体、社会、生態系に至る様々な系に固有の生きている状態が存在するという観点に立って、生きている状態の統一的な理解を考えてみようという立場をとります。**

このように本書で著者は各ヒエラルキーの生命体に共通する、生きているという状態の統一的な理解を示そうという興味深い試みについて書いている。これは数日で読了というわけにはいかない。年越し本に相応しい名著と見た。

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「古都」川端康成

2010-12-23 | g 読書日記

 昨日(22日)、NHKの「ラジオビタミン」を少し聴いた。番組で「映画評論家」と「映画エッセイスト」ってどう違うのですか?  という問いにゲストが評論家は映画を観て泣きません、エッセイストは泣きます、と答えていた。これはなかなかの答えだ。

「風景」と「光景」の違いは? 「特有」と「固有」の違いは? 前から気になっているのだが、明解に説明できないでいる。先のような上手い説明ができないものだろうか・・・。




 『古都』川端康成/新潮文庫を読み終えた。

川端康成の作品を再読したことも今年の読書の成果。『山の音』 『千羽鶴』 『みずうみ』 『日も月も』 『伊豆の踊子』そして『古都』。以前『雪国』と『眠れる美女』も再読したから、川端作品はもういいか。来年もひとりの作家の作品を集中的に読んでみようかな・・・。

さて『古都』。

主人公の千重子は庭のもみじの古木の幹に咲く二株のすみれを見て、**「上のすみれと下のすみれとは、会うことがあるのかしら。おたがいに知っているのかしら。」と、思ってみたりする。** 少し離れて咲くすみれの花は、違う環境で別々に育ったふたごの姉妹・千重子と苗子との出会い、心の交流を描くこの物語を暗示するもの。

川端康成は小説に日本の美しい自然を織り込んだが、この作品も同様で、京都の美しい自然や名所が織り込まれている。この小説は雪降る静かな夜に読むのがいい。北山杉の美林に雪が降る光景を思い浮かべながら・・・。

 

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今年の3冊 2010

2010-12-19 | g 読書日記

 今年も残すところあと10日ほどになった。今年の読み納め本は何になるのかまだ分からないが、今年印象に残った3冊を挙げる。




『日本辺境論』内田樹/新潮新書

「辺境性」という観点から日本文化の特殊性を説く。和辻哲郎の『風土』に通じると見た。
一方通行的にこの国に流れ込んできた外来文化の受容とこの国なりの変容。日本の文化の歴史は辺境という地理的な条件からの必然か・・・。


『進化の設計』佐貫亦男/講談社学術文庫

神(造物主)をデザイナーに見立てて、神の様々な生物デザインを評価する。神のデザインは常に完璧、というわけではもちろんなかった・・・。

このことを指摘する関連本2冊。


『おそめ 伝説の銀座マダム』石井妙子/新潮文庫

起伏の多い人生を「さだめ」と受け止めて生きぬいたおそめさんの生涯。多くの文人や政財界人を魅了し続けたおそめさんの魅力とは・・・。

書棚にはこんな本も。



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123 完成度の高いフォルム

2010-12-18 | g 火の見櫓観察記


123




安曇野市豊科田沢の火の見櫓


「完成度の高いフォルム」 この火の見櫓をひと言で評すると、こうなるだろう。

屋根と見張り台の大きさや離れのバランス。上方に絞り込まれている櫓の緩やかなカーブ。脚部のシンプルなアーチ。これらのどれもが美しい。そして細部の端正なデザイン。櫓の中間の踊り場は最初から設けられていたのだろうか、その手すりの横材が櫓のアクセントになっている。

火の見櫓と周囲の家屋や樹木との高さのバランスが良い。集落によく馴染み、そしてまたランドマークにもなっている。地元の鉄工所の作だろうが、洗練されたデザインに職人の優れたセンスが窺える。

建築のデザインのありようをも示唆しているかのようだ・・・。

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「古都」再読

2010-12-18 | g 読書日記


■ 『おそめ』を読んだことが、『古都』を再読するきっかけになった。

川端康成は京都の下鴨泉川町に居を移して1年ほど暮らし、長編小説『古都』と『美しさと哀しみと』を同時に執筆した。昭和35、6年のことだ。先日読んだ『おそめ』にこのことが書かれていた。おそめさんは、川端康成や大佛次郎ら、京都を描く作家の取材を助けたという。

『古都』を書棚に捜したが見つからなかった。仕方なく先日買い求めた。新潮文庫「九十七刷改版」、長年読み継がれてきていることがわかる。活字が大きくて読みやすいのは助かるが、薄茶色に変色した用紙の細かな活字を読むのとは明らかに気分が違う。再読しているという気持ちにならない。

今年話題になった「電子書籍」を読むときもおそらくそうだろう。電子書籍で再読する時、「ああ、この小説は30年前に読んだな~」、などと感慨を抱くことはないのではないか。電子書籍は時の流れとは関係なく、いつでも新しい。

今朝は何を書きたいのだろう・・・。この辺でやめて、読了後にまた書こう。

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122 火の見櫓は美しい

2010-12-14 | g 火の見櫓のある風景を撮る〇


122 冬のフォトアルバム   101214

イルミネーションに飾られた火の見櫓 松本市波田にて


 

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「ことばと思考」

2010-12-13 | g 読書日記


『ことばと思考』今井むつみ/岩波新書


「サピア・ウォーフの仮説」については以前も取り上げた。これは言語が世界の見え方を規定する、認識の仕方を規定するという仮説だが、本の帯の「異なる言語の話し手は世界の見え方が違う?!」 から分かるように、著者はこの仮説に認知心理学の立場から回答しようという興味深い試みについて書いている。

**ことばを持たないと、実在するモノの実態を知覚できなくなるのではなく、ことばがあると、モノの認識をことばのカテゴリーのほうに引っ張る、あるいは歪ませてしまうということがこの実験からわかったのである。66頁**

**言語は私たちにとってなくてはならないもので、言語をわざわざ使えなくするような人工的な状況でなければ、脳は無意識に、そして自動的に、なんらかの形で言語を使ってしまうのである。これを考えれば、言語を介さない思考というのは、言語を習得した人間には存在しない、という極論も、あながち誤っていないかもしれない。202頁**

言葉を覚える前の赤ちゃんや、異なる言語を使う人たちを被験者にした実験などを通じて、本書のテーマに迫る論述を興味深く読んだ。日本人が虹を赤橙黄緑青藍紫の7色だと認識するのはなぜか、本書を読めば理解できるだろう。


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「おそめ 伝説の銀座マダム」

2010-12-12 | g 読書日記
 一世を風靡した銀座マダムの波乱の生涯を描いた『おそめ 伝説の銀座マダム』新潮文庫を読み始める。とりあえずカバー裏面の紹介文を載せておく。

**かつて銀座に川端康成、白洲次郎、小津安二郎らが集まる伝説のバーがあった。その名は「おそめ」。マダムは元祇園芸妓。小説のモデルとなり、並はずれた美貌と天真爛漫な人柄で、またたく間に頂点へと駆け上がるが―。私生活ではひとりの男を愛し続けた一途な女。ライバルとの葛藤など、さまざまな困難に巻き込まれながらも美しく生きた半生を描く。隠れた昭和史としても読める一冊。**

巻末に参考文献一覧が載っているが、その数がすごい。著者はこのノンフィクションの執筆に約5年を費やしたという。

読了後にまた書こう。

注)**内は引用文。



 『おそめ 伝説の銀座マダム』 石井妙子/新潮文庫を読み終えた(1212)。

大正12年、上羽秀(うえば ひで)は京都木屋町、高瀬川のほとりの裕福な石炭問屋に生まれた。家庭内にあってはならない不幸な出来事で母親は秀と掬子、ふたりの娘と共に婚家を出る。妹の掬子は養女に出されて・・・。 やがて秀は祇園芸妓になる。 そして運命の人、俊藤浩滋との出会い・・・。秀の人生をトレースしようとすればかなり行数を要す。

ここでは起伏の多い人生を「さだめ」と受けとめて生きぬいたひとりの女性、その生涯を綿密な取材に基づいて綴ったノンフィクション と括っておく。

巻末の参考文献一覧は2段組で18頁に及ぶ。取材協力者は100名近くになるという。これはもう凄いという他ない。著者・石井妙子さんの執念と評すべきだろう。

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「見える」ということ

2010-12-11 | g あれこれ考える〇


『車窓の山旅 中央線から見える山』山村正光/実業之日本社

 1985年だから、25年前に読んだこの本のことをふと思い出した。

カバー折り返しに載っているプロフィールによると、著者の山村さんは昭和2年生まれ。国鉄で40年間、主に中央線の車掌として新宿―松本間をおよそ4000回乗務したという。

旧制甲府中学で山岳部だったという山村さんは、中央線から見える山々を車窓から観察し続けた。観察した山々について本書にまとめた。紹介されている山は100座を越える。見開き2頁に1座、塩尻松本間では鉢盛山、鉢伏山、鍋冠山、燕岳、仙丈岳、王ヶ鼻、常念岳、大滝山、有明山、そして最後に乗鞍岳が取り上げられている。

有明山の頁では山の名前の由来について、『日本名勝地誌』の有明山の項の「霖雨ある毎に河水汎濫上流より巨石を押流し来たりて雨後は必ず沿岸の景色一変す」という記述を紹介し、有は荒の転化、明は『古代地名語源辞典』から崖、湿地ではないかとし、中房川の氾濫で生じた「荒れはてた湿地」あるいは花崗岩の風化による「荒れた崖」の源頭の山という意味ではないか、と記している。さらにこの説を補強する文献が紹介されているが、引用は省略する。「荒れた崖」は有明山の特徴をよく示しており説得力がある。

このように、山村さんは取り上げたそれぞれの山を内容濃く紹介している。山に関する興味、知識がなければ中央線の車窓から、この本に紹介されている山々は見えないだろう。脳は伝えられる情報を既得の情報に照らし合わせて認識するのだから。

知らないことは見えない、認識できない。昔、撮りためた民家の写真をまとめたときも、これと同じことを書いた(下)。考え方は変わらないものだ。

ところで、山梨県にはあお向けに寝た裸の女性を思わせる山があって、勝沼駅あたりから見えるという(新宿に向かって右側)。こんど電車で東京に出かけるときに観察してみよう・・・。

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― 火の見櫓解体

2010-12-07 | g 火の見櫓考〇



 「市民タイムス」(タブロイド版のローカル紙)に火の見櫓解体の記事が載っていることをFさんから電話で教えていただいた。

松本市波田で、不用になった5カ所の火の見櫓を解体する事業を始める、と記事にある。その第一弾として6、7日で2区の火の見櫓を解体するという・・・。

*****



今朝(7日)、撤去が報じられた火の見櫓を見に行った。既に時遅し。火の見櫓は撤去され、自然石往復積の擁壁に梯子が残されているのみだった。

昭和30年代に全国で盛んに建てられた火の見櫓が次第に撤去されていることは承知している。でもそれはどこか遠くの市町村の出来事のような気がしていた。地元の鉄工所が住民の期待に応えて誠意を尽くしてつくった火の見櫓が解体されて消えてしまう。そんなことがこの松本平でも起こるなんて・・・。
 

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121 上越市の火の見櫓

2010-12-06 | g 火の見櫓観察記



 先日 上越市板倉区(旧板倉町)にある「ゑしんの里記念館」の見学会があった。この記念館は親鸞の妻・恵信尼ゆかりの資料や関連書物などの展示のために、恵信尼が晩年を過ごしたとされる板倉区に計画された。設計は池原義郎氏。繊細な意匠が施された建築だ。是非見学したかったが残念ながら私は参加できなかった。

参加した同僚が撮った写真(上)、遠くに火の見櫓が写っている!  この火の見櫓にTさんは気がついた(拍手)。で、写真を撮ってきていた(下)。もっと近づいて撮って欲しかったが、仕方がない。


121

この屋根は6角形だろうか、見張り台と比べると小さい。それに松本平の火の見櫓とは形が少し違う。

松本から、ここまでは車で2時間だと聞いた。いつか出かけなくては・・・。

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120 続 初冬の休日に

2010-12-05 | g 火の見櫓観察記


120 塩尻市洗馬にて

あれ、こんなところに火の見櫓がある。
この火の見櫓の前を時々車で通っているが、いままで気がつかなかった。
周りは桜の木。
他にも桜の木に囲まれるように立っている火の見櫓が何基かある。
満開の桜に囲まれる火の見櫓・・・。
来春が楽しみ。

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118 119 初冬の休日に

2010-12-05 | g 火の見櫓観察記


118  松本市島立で見かけた火の見櫓

 
119 松本市寿で見かけた火の見櫓

この週末に所用で訪ねた親戚の近くで見かけた火の見櫓2基。
共に防災無線のスピーカーが設置されているから、撤去されることはないだろう。


 

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ブックレビュー 2010.11

2010-12-03 | g ブックレビュー〇



 師走、今年もあと1ヶ月。「光陰矢の如し」を実感する。

川端康成の小説は中高生のときに読んだ、という人が多いかもしれない。私もそうだった。文庫本の用紙が薄茶色に変色していて時の流れを感じる。文庫本が自室の書棚に並んでいて、常に目に入ることが再読のきっかけになった。電子書籍ではこうはいかないだろう。

川端康成の小説には自然の美が織り込まれ、物語は季節のうつろいと共に進む。川端がこの国の美しい自然、文化を愛でていたことは、ノーベル文学賞受賞記念の講演のタイトルが「美しい日本の私」だったことからも窺える。

11月はこの作家の4作品を再読しが、『千羽鶴』の続編の「波千鳥」が最も印象的だった。数年前、『雪国』、『眠れる美女』(共に新潮文庫)も再読したから、あとは『古都』か・・・。 

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本の魅力

2010-12-01 | g 読書日記



■ 今年、2010年は電子書籍元年と言われる。 紙の本と電子書籍をめぐる議論が盛んだ。『本は、これから』岩波新書も電子書籍の時代を迎えて紙の本がどのように変貌するのかを論じた一冊。37人の論考が収録されている。「本好き」の私には必読書だろうと先日買い求めた。

本書に収録されている内田樹(たつる)氏の「活字中毒患者は電子書籍で本を読むか?」と題する論考を興味深く読んだ。

**自分が全体のどの部分を読んでいるかを鳥瞰的に絶えず点検することは読書する場合に必須の作業**と内田氏は指摘している。確かに本を読むときは、時々本の小口を見て半分くらい読み進んだとか残りは4分の1だな、というように確認する。このような把握がしにくい電子書籍は紙の本に劣るということだ。この点はアナログ時計とデジタル時計の違いにも通じるか。

氏は更に**「読み始めてから読み終わるまでの全行程を上空から鳥瞰している仮想的視座」からスキャンする力がなければ、そもそも読書を享受するということは不可能**とまで書いている(43頁)。

**紙の本では頁をめくるごとに、「読みつつある私」と「読み終えた私」の距離が縮まり、(中略)最後の一頁の最後の一行を読み終えた瞬間に、ちょうど山の両側からトンネルを掘り進んだ工夫たちが暗黒の一点で出会って、そこに一気に新鮮な空気が流れ込むように、「読みつつある私」は「読み終えた私」と出会う。読書と言うのは、そのような力動的なプロセスなのである。**と指摘し、**電子書籍ではこの小刻みな接近感を読者にもたらすことができない。**と続けている(45頁)。氏の視点によれば紙の本が圧倒的に優位なのだ。

数日前、『子どもの絵は何を語るか』について「先日、書店で本をさがしているとき、この本が私を呼んでいるような気がした。即、手にとって、レジへ直行した。時々このようなことがある。このようにして入手した本はなぜか面白い。」と書いたが、氏も同様のことに触れ、本の送り手が敬意と愛情を込めている本には固有のオーラがある、と書いている。本とは「宿命的な出会い」が必要だが、電子書籍ではそれができないとも。

内田氏の説得力のある論考はこの本の中ではピカ一だった。

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