透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ブックレビュー 1612

2016-12-30 | A ブックレビュー

 早、明日は大晦日、古い表現だと大つごもり。同名の小説が樋口一葉にある。来年あたり一葉の作品を読み直すのもいいかもしれない。

信濃毎日新聞の今月27日付朝刊に「雑誌不振 街の書店を直撃する」という見出しの社説が
掲載された。その中に**文化庁の調査では、日本人の半数は1カ月間に1冊も本を読まない。これでは出版文化、出版事業の衰退は止められない。**という記述があった。

日本人の半数とは、日本の総人口の半数、つまり本をまだ読めない未就学児も含めてのことなのかどうか不明だが、この字義を普通にというか常識的に解釈すれば総人口の半数ということになるだろう。などという理屈っぽいことはともかく、要は日本人は大人も子どもあまり本を読んでいないということだ。

今でこそ火の見櫓だ、マンホール蓋だ、狛犬だと趣味を挙げているが、何年か前までは読書くらいしか趣味がなかった。読書のような生活の基本的な営みが趣味といえるのかどうか、分からないが・・・。


学生が本を読まないのはいかがなものか、とも思うが、他人(ひと)の読書についてとやかく言うつもりはない。私は最も手ごろな趣味として読書を続けているだけだ。本を読むのが好き、ただそれだけのこと。

つまらぬ前置きはこのくらいにして、本題。今年最後のブックレビュー、12月の読了本は5冊だった。


 
『サンマの丸かじり』東海林さだお/文春文庫 

食について一般人が気にもしないようなささいなことが東海林さんは気になってしかたがないようで、丸かじりシリーズにはそのようなことが取りあげられている。東海林さんの「食のなぜ?」に関する考察がおもしろく、興味深い。食の文化論ともいえる論考、と書けば大げさか。

「禁ゴクゴク飲みの時代」では食事のときに音をたててはいけない、という基本的なマナーについて考察している。

和食が世界的なブームとなった今、蕎麦のズルズルはいいのか、いけないのか。西欧の人は音をたてないで食べる。この風潮が日本に逆輸入され、やがて日本人も音をたてないで食べるのが主流になっていく、と東海林さん。煙草がそうだったように、次第にズルズル派が片隅に追いやられていく、と東海林さんは予測する。

蕎麦ズルズルかどうか、店員に訊かれ、そうだと答えると「蕎麦ズル」と書かれたフダが置かれたテーブルに案内される、と東海林さんは考える。この辺りのユーモアが実におもしろい。なるほどなぁ、と思いつつ読む。

更に東海林さんのこの論考はビールのゴクゴク飲みにも及ぶ。「当店ではビールのゴクゴク飲みは禁止とさせていただいております」



『三日月が円くなるまで』宇江佐真理/角川文庫

我が子のように作中の主人公の成長する姿をを優しく見守る宇江佐さん。代表作となった髪結い伊三次捕物余話シリーズ然り。



『昨日みた夢』宇江佐真理/角川文庫

この文庫本の帯に**闘病のさなかに書き継がれた渾身作!**とある。宇江佐さんは2015年11月に亡くなった。66歳だった。「口入れ屋おふく」もシリーズ化しようという目論見だったと思う。残念だ。

**「贅沢はほんのちょっぴり味わうだけでいいな。毎度だとありがたみが薄れちまう」**(60頁)

**「倖せって、その時は気づかないものですね。後で、あの時は倖せだったと思うのね」**(「三日月が円くなるまで」198頁)

宇江佐さんが登場人物に語らせる生活観には共感することが多い。来年も宇江佐さんの作品を読む。



『夏目漱石』十川信介/岩波新書

乳離れとともに養子に出された漱石。仲間と楽しく語っているときでも、ふと「孤独」が漱石の心を占める。当然、作品には漱石の心模様が投影されている。この本の指摘ではなかったが、あの「猫」にさえ孤独が見え隠れしているという。今回はこのことを意識して「猫」を読む。



『住み継ぐ家の物語』川上恵一/オフィスエム

時間・歴史と風景・風土。川上さんが重視するコンセプトがこの本に掲載されている作品に表現されている。時間を蓄積できない新建材の住宅には無い趣き、昔からそこに在ったかのように風景によく馴染む姿、その衒いのないデザインに大いに共感する。


来年はどんな本に出合うことができるだろう、楽しみ。


髪結い伊三次捕物余話シリーズ

2016-12-29 | A 読書日記

■ 宇江佐真理さんの髪結い伊三次捕物余話シリーズで文春文庫になっているのは13巻(16年3月末現在)だが、その全てを読み終えた。13巻目の「名もなき日々を」の単行本の刊行が13年11月、文庫化されたのが16年1月。単行本であと3巻(下の写真)あるが、それらの文庫化はいつ頃になるだろう・・・。上の例から2年後くらいだろうか。いや、もっと早いかもしれない。

  

今年の4月にこのように書いた。

先日読んだ東海林さだおの文庫本『サンマの丸かじり』に挿まれていたチラシ、文春文庫の12月の新刊にこのシリーズの『昨日のまこと、今日のうそ』が載っていた。そう、髪結い伊三次捕物余話シリーズのラスト3巻の内の1巻が文庫化されたのだ。


朝カフェで「猫」

今朝(29日)買い求めた。年越し本の『吾輩は猫である』を読み終えたら『昨日のまこと、今日のうそ』を読もう。このシリーズをまた読めるのは嬉しい。


 


「明日へのことば 講演会」

2016-12-27 | A あれこれ

「人と人との関わり以外にこの世を生きてゆく術(すべ)はありません」 

 NHKのラジオ深夜便に「明日へのことば」という早朝4時台のコーナーがある。今朝(27日)、このコーナーで北海道在住の作家・小檜山 博さんの「明日へのことば 講演会」を聴いた。深夜便の集いが全国各地で開催されていて、会場に集うリスナーに番組担当のアンカーふたりのトークと講演会がセットで行われているが、その時の様子が放送されたのだった。

講演の中では次のようなことが語られた。

貧しい家庭だったそうで、クラスで映画「ああ無常」を観に行くことになった時、映画代が無くて仮病を使って行かなかったこと。
中学の担任が親を3回も説得してくれてようやく高校に進学することができたこと。その後、母親から学校をやめてくれと懇願されたこと。学費など未納で自分だけ卒業式の時、卒業証書をもらえなかったこと。その後、父親が未納金を支払うまで寄宿舎に居残っていた時には自分の食事は用意されていなかったが、後輩たちが自分たちのごはんを分け、鍋の底に残った味噌汁をもらって部屋まで運んでくれたこと。

作家になった後、東京の出版社から長編を書かないかと電話で打診があったが、打合せのために上京する費用がなかった。その時、同級生に10万円借りた。この同級生は任侠心が強く、同級生の喧嘩の助太刀をするなどのトラブルで11回も退学処分を受けそうになったが、その都度、担任が助けてくれたそうだ。「彼を退学させるなら私も教師を辞める」と職員会議で土下座したこともあったという。

東京の出版社から仕事を得て、工面して借りたお金を返そうとその同級生を飲み屋に呼び出したところ、奥さん同伴で来た彼はお金を返してもらうつもりはなかったと言い、その場で奥さんに3万円渡し、自分も3万円受け取り、残り4万円を受け取らなかったそうだ。その時の「困ったときはお互い様」という言葉を小檜山さんは座右の銘にしているそうだ。31歳の時に建設会社を興して成功したという彼は、退職した担任夫婦を海外旅行に招待していたという。

他にも高校の時、遠い親戚先に寄宿していたが、遠慮していて食事を満足に食べなかったことがあり、17キロの道を歩いて実家に食事をしに夜中に帰ったところ、母親にこっぴどく叱られたことなども語っていた。

小檜山さんは以上のような経験をして、冒頭のことを実感したのだろう。要するに世の中、独りでは生きてゆくことができないということなのだが、ラジオでこの講演を聴いていて、確かにそうだなぁと、しみじみ思った。


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2016年はこの3冊

2016-12-25 | A ブックレビュー

  

■ 今年読んだ本を「ブックレビュー」で確認すると、今月の5冊を含めて58冊だった。以前はもっと多かったが、ここ何年か、減っている。それでも宇江佐真理の作品を集中的に読んだ結果この冊数になった。その中から印象に残った今年の3冊を選んだ。

『海辺の光景』安岡章太郎/新潮文庫

初読は1976年の10月。実に40年ぶりの再読。海辺の病院に入院中の母を見舞う信太郎。看病しながら病室で過ごした9日間。美しい光景を見ながら、来し方を回想する。

日本文学の本質は作者の孤独感が投影されているところにあるのかもしれない。いや、これは極論か。ならば、僕はそのような作品に惹かれると改めておく。

『利己的な遺伝子』リチャード・ドーキンス/紀伊國屋書店

本書は全13章から成る分厚い科学書。本書のことを知ったのは学生の頃だった。なぜそのころ読まなかったのか今となっては分からないが、その後ずっといつか読みたいと思っていた。今年ようやくその願いを果たすことができた。 

生物の諸々の振舞いを遺伝子の生き残りという観点から読み解いたもの。生物ではなく、遺伝子を主人公というか、主体に据えて生物の進化を捉えてみようという試み。読んだというだけで満足。

『火星の人』アンディ・ウィアー/ハヤカワ文庫SF 

予期せぬアクシデントでひとり火星に取り残されてしまった、主人公。彼は常にポジティブシンキング、実用的な科学知識を活かして火星で生き延びる。そして地球に生還するというシンプルストーリー。久々に読んだ海外の作品。

今年は宇江佐真理の作品を髪結い伊三次捕物余話シリーズ他、何作も読んだ。このことも記しておきたい。


 今年も残すところあと1週間、年越し本の『吾輩は猫である』を読み始めた。来年はどんな本との出合いがあるだろう。
 


Merry Christmas

2016-12-25 | A あれこれ



■ いつもいつもありがとう みんなも私も感謝しています(後略)  

今年も届いたクリスマスカード   

郊外の大型店の駐車場で偶然会ったのはどのくらい前のことだったでしょう。あの時私に声をかけてもらっていなければ、33会は無かったでしょう。みんなと旧交を温め、今も楽しく交流できるのは、あなたのおかげです。

ありがとう。


 


年越し本「吾輩は猫である」

2016-12-24 | A 読書日記

■ 過日明治村で漱石が暮らしていた住宅(旧所在地は文京区千駄木)を見て(過去ログ)、今年の年越し本は『吾輩は猫である』にしようと思っていた(過去ログ)。



自室の書棚を探すも、文庫本が見つからない。以前は整然としていた書棚が今はカオス故、仕方がない。今日、書店で新たに買い求めた。新潮文庫の「猫」のカバーデザインが好みではないので、渋いデサインの角川文庫にした。



漱石が建築家を志していたことはよく知られている。買い求めた文庫本の巻末に**どうか医者でなくて何か好い仕事がありそうなものと考えて日を送って居るうちに、ふと建築のことに思い当たった。建築ならば衣食住の一つで世の中になくて叶わぬのみか、同時に立派な美術である。趣味があると共に必要なものである。で、私はいよいよそれにしようと決めた。**(557,8頁)という漱石の文章が載っている。



今までに3、4回「猫」を読んだと思うが、その際、猫が暮らす家の様子の描写にはあまり注意していなかった。今回はそのあたりにも注意して読みたい。建築にも関心があった漱石だから、上にある平面プランが分かるような描写が出てくるだろう。

「吾輩は猫である」は苦沙弥先生の住宅というかサロンで交わされる社会批評、文明談義を名もない猫が傍聴するというスタイルの小説で、この住宅が主要な舞台だから、注意深く読んでいけば住宅のプランが分かるかもしれない。



 


33会の忘年会

2016-12-24 | A あれこれ

■ 昨晩(23日)中学の同級生の忘年会があった。

同級生の中でも普段から付きあいのある仲良しおじちゃん、おばちゃんの忘年会で、参加者は7人だった。飲み会の時に利用する店は決まっていていつも同じ。

33会の飲み会は私がO君に電話で予約をお願いする。O君が店に電話して予約完了。あとは私とSさんがそれぞれの地区の参加人数を数日前までに確認して、再度O君に連絡して終わり。

飲み会の前に1月の大阪旅行の費用を集め、その場で旅行社のTさんに渡した。Tさんには前回の奈良旅行やその前の東京旅行でもお世話になっている(2013年の東京2015年の奈良)。感謝。旅行には10人が参加する。県外からも2人参加するがその費用は私とO君が立て替えた。

Tさんから受け取った領収書の宛名は33会だった。2年、3年と同じクラスで3組だったので33会と名付けたが、この名前を使うことはほとんどなく、今のところこのような時だけ。

受け取った電車のきっぷを配布した。往復の乗車券と特急券、新幹線特急券の6枚。隣の席が誰になるかは当日のお楽しみ。

旅行の計画で決まっているのは14日が住吉大社と天満天神繁昌亭(落語)。夜は道頓堀で懇親会、会場は予約済み。翌15日は通天閣、四天王寺、あべのハルカスのみ。道頓堀の宴会の後の2次会は法善寺横丁かな・・・。

*****

昨晩は集まった7人で、よくしゃべり、よく飲んだ。それにしても好い同級生に恵まれたものだ。楽しく過ごし、2時間があっという間に過ぎた。

宴会の支払いも細かなことは誰も言わない。昨晩の場合、おばさんたちが3,000円、おじさんたちが6,000円とさっくり計算して払った。いつもこんな感じ。帰りは今回もSさんに家まで送ってもらった。大阪でお礼をしなくては。

今朝、忘年会に参加できなかったT君に電車のきっぷを渡してきた。このようなことや旅行保険加入用の名簿を作ったりするのは、幹事役の私の仕事。

あとは、旅行を楽しみに待つのみ。



 


「住み継ぐ家の物語 Ⅱ」

2016-12-23 | A 読書日記



 かわかみ建築設計室(*1)の川上恵一さんがこのたび『住み継ぐ家の物語 Ⅱ』/オフィスエム を上梓され、私にも送ってくださった。感謝。

2008年に上梓された『住み継ぐ家の物語 』の続編だ。本書には40年にも及ぶ設計活動の中から生まれたいくつかの作品が美しい写真と文章で紹介されている。

**家とともに家族の歴史が積み重なってゆく豊かさ 建築には時間という価値もある 記憶をつなぐ家づくり**
**建築は風土である 家は土に建ち、新しい風にふれて生きてゆく**

歴史と風土、よく取り上げられるこのふたつの言葉。川上さんは時間・歴史と風景・風土を常に意識して建築の設計に取り組んでおられることが本書に示されたキーワードから分かる。タイトルは「時」を意識したものになっているし、カバーの写真からも「時」を感じる(写真)。

時間がぎっしり詰まった民家の再生、風景の一部のような建築、本書に掲載された作品からも前述したことがよく分かる。

川上さんは本書の中で**建築は3次元の立体空間を設計するものだと思われるが、そこに歴史という時間軸が加わった4次元をデザインする行為である。**(68頁)と、はっきり書いている。




安曇野市三郷(旧三郷村)にあったこの繭蔵は神奈川県相模原市に移築され、デイサービスセンターとして使われている。この仕事のことも本書に紹介されている。移築のことは聞いていた。どんな姿になるのか、知りたかったから、掲載されている写真を興味深く見た。


*1 かわかみ建築設計室 松本市大手5-1-3(旧松岡医院)

電車で松本を訪れる観光客の多くは松本駅から徒歩で松本城に向かうだろう。途中、女鳥羽川に架かる千歳橋を渡ることになるが、その橋の袂から川に沿って縄手通りが四柱神社の鳥居の先まで続いている。休日にはこの通りは多くの観光客で賑わう。この商店街は川上さんの設計、2001年に国土交通省手づくり郷土賞を受賞。



 


「サンマの丸かじり」

2016-12-23 | A 読書日記



■ 久しぶりの朝カフェ読書。昨日(21日)、出勤前に松本市内のスタバで『サンマの丸かじり』東海林さだお/文春文庫を読む。

「チクワの穴をよく見れば」、「コンニャクと日本人」、「許されざる太巻き」、「卵かけご飯の次は醤油かけご飯だッ」等々ユニークなタイトルのエッセイが収録されている。一般人が気にもしない些細なことが東海林さんは気になるらしい。

「なぜだろう」。東海林さんは食べ物に関する素朴な疑問を取り上げて、考察する。その考察ぶりがおもしろい。微妙なニュアンスを実にうまくというか、的確に表現する。表現力がすばらしい。で、私は「なるほど!」と納得する。各エッセイの長さは6ページ、隙間時間読書に最適だ。





「君の名は。」

2016-12-22 | E 週末には映画を観よう

 「君の名は。」を観た。 ピュアな恋愛をファンタジックに描いた作品、と括っておく。

飛騨の田舎の女子高生・三葉と東京の男子高生・瀧の身体、いや心か、が入れ替わるという設定で、人と人とが知り合い、心を通わせ合うことの喜びを伝えている。

リアルな背景描写が話題だが、アングルが実に好い。特に空を見上げるようなアッパー気味のアングルが好い。

関心のあることには気がつく。田舎町に立つ防災行政無線が出てくる。東京の街のマンホール蓋が出てくる。田舎町に火の見櫓が立っていたら嬉しかっただろうが、風景の中に見つけることができなかった。

映画で描かれる高校生の生活ぶりや、先に書いたピュアな恋愛は、おじ(い)さん、おば(あ)さんでも、遠い記憶を探って同じような経験を思い起こすことになれば、懐かしく、嬉しく思うに違いない。この映画は観ても心が若くないと物語に同調しにくいだろうし、感動も薄いだろう。そう、心の劣化度を知る映画と言える。どうやら私の心はそれなりに劣化しているようだ。

ということで、話題の映画を観たというだけで満足することに。


 


「昨日みた夢」

2016-12-21 | A 読書日記



■ 今月13、14日に東京方面に出かけたことは既に書いた通り。その際、電車内で『昨日みた夢』宇江佐真理/角川文庫を読んだ。

**市井人情小説の名手が渾身の筆で描ききった江戸のお仕事小説**とカバー裏面にある。

主人公のおふくの父親は馬喰町で口入れ屋(周旋業)を双子の兄と営んでいる。おふくは言わばつなぎ役であちこちに派遣される。派遣先でおふくが目にする様々な人間模様が連作短篇で綴られている。「江戸版 家政婦は見た!」

印象に残る作品は表題作「昨日みた夢」。津軽から江戸に出稼ぎに出る兄についてきたかよは武家のお屋敷に女中奉公することに。それはかよの不幸な人生の始まりだった・・・。

このお屋敷に派遣されたおふくがかよの人生の軌道修正の手助けをする物語。



 


「若冲と蕪村」

2016-12-18 | A あれこれ


岡田美術館・特別展のリーフレット(一部)

■ 今年の春、東京都美術館で開催された「若冲展」は会期1ヶ月間の入館者が44万人を超えたそうだ。私もこの展覧会が観たくて上京したが、3時間待ちと分かり、あきらめた(過去ログ)。そのために若冲のどのような作品が展示されたのか知らないが、岡田美術館のリーフレットに載っているこの「孔雀鳳凰図」が話題の作品だったようだ。

この作品は岡田美術館(2013年10月に箱根・小涌谷に開館した美術館)のコレクションで、同館の特別展「若冲と蕪村」で観ることができることを知り、出かけた。

今年は若冲と蕪村の生誕300年に当たる年(ふたりは共に1716年生まれ)ということで企画された特別展で、会期は12月18日(日)まで。となると、平日に出かけるしかない。それで13日に上京し、14日に朝から出かけた次第。

美術館は全5階からなる展示室で構成されている。まず1階の展示室で目に入ったのが、子どもの身長くらいある埴輪。埴輪や銅鐸は日本史の教科書などで馴染み。埴輪は卓上の飾りくらいの大きさだと思っていたから、その大きさにびっくり。展示品には修復の痕も見当たらない。

そうか、こんな完全品が世の中にあるんだ! この美術館のコレクションはすごい。


3階の絵画の展示室には、狩野探幽・俵屋宗達・尾形光琳・喜多川歌麿・葛飾北斎・横山大観・菱田春草・・・、私でも名前を知っている作家の作品が並ぶ。

4階が企画展の会場。伊藤若冲の「孔雀鳳凰図」絹本著色の存在感が際立っている。作品の前に立ち、じっくり鑑賞する。東京都美術館の「若冲展」では人垣の後方から観る、という状況だったのではないか。

豊かな色彩、精緻な表現。とにかく美しい。この2福は1933年(昭和8年)に行方が分からなくなり、2015年(平成27年)に83年ぶりに発見されたという。

「笠に鶏図」、「月に叭々鳥(ははちょう)図」墨画は奔放にも見える表現が魅力。絹本著色と墨画の関係は純文学とエッセイの関係に喩えればよいか。若冲は自在に筆を使い、自在に造形し、自在に彩色していて、両方の表現に極めて長けていたことが分かる。

美術館を訪ねた12月14日に偶々館長のギャラリートークがあり、若冲と蕪村の作品解説を聴くことができた。

贅沢な時間を過ごすことができた。