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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「誰だってズルしたい!」東海林さだお

2008-06-30 | g 読書日記


Yonda CLUB トートバッグ

 東海林さだおの作品は文春文庫に何冊も納められています。その冊数はざっと数えて50冊。全部揃えて書棚に並べたら壮観だろうな、と思います。残念ながら数冊しか手元にはありません。先週末「誰だってズルしたい!」を読みました。

巻末に特別付録として「棚から哲学」というコラムを週刊文春に書いている土屋賢二さんとの対談が収録されています。土屋さんの「こう書けば、笑ってもらえるという方法論みたいなものありますか」という質問に東海林さんは「擬人化」「誇張」「駄洒落」「言葉の短縮化」「比喩」などを使うと答えています。

この先はアルコールな夜のブログです。

比喩・・・、東海林さんは本書の中でいろんなズルを取り上げたあと、SEXもズルだと指摘しています。読者は全員大人だと思うので続けます。

性行為の本来の目的は生殖行為でそれは神聖で崇高な行為だと東海林さんは書いています。そうですよね、異論はありません。続けて**常に気高く、厳かに遂行されなければならない。**と書いています。もっともな指摘です。

あとは比喩で次のように続けています。**そのための様々な機器、器具、備品が人体のあの一帯に埋設されているのだ。**(中略)**現在、人類はそうしたあの一帯の施設をそういう目的に使用しているだろうか。**と疑問を呈し、**娯楽施設に流用しているのではないか**と鋭く指摘しています。流用も転用もズルだと東海林さんは考えているようです。

**神聖なほうの施設が、何の改良を加えることなく、そっくりそのまま娯楽施設として使用できるように設計した神様にも問題があるような気がする。** 

建築では転用が盛んに行われています。駅や工場を転用した美術館もその一例でしょう。そういえば、前稿で紹介した雑誌には関東大震災後に生まれた復興小学校の代表、「四谷第五小学校」が「吉本興業の東京本部社屋」に転用されたことが紹介されていました。


神聖な施設の娯楽の大元締めの社屋への転用・・・、結構なことじゃないですか。


 

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ブックレビュー 2008.06

2008-06-29 | g ブックレビュー〇



■「少年老い易く 学成り難し」月日の経つのは早いもの、今年も半分終る。6月の読了本を再掲する。

『磯崎新の「都庁」』文藝春秋 戦後最大といわれた都庁舎の指名コンペ。超高層ビルの設計経験者という資格条件が外されて磯崎さんが指名された。ツリーではなくてリゾーム。磯崎さんはかつて都庁内での書類の流れなどの調査をした経験から都庁はツリー(階層構造の象徴)ではなくてリゾーム(錯綜体)だという認識を得ていた。「敢えて」低層案を提出したのもこの認識故だった・・・。



著者の平松 剛さんには『光りの教会 安藤忠雄の現場』建築資料研究社という著書もある。出版社は違うが共に和田誠が装丁を担当していてデザインがよく似ている。

これからも同様の企画で興味深い本が出版されることを望む。

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路上観察 妻籠宿

2008-06-28 | g 民家・町屋の観察〇







■ 今回の路上観察は江戸時代の宿場の姿を色濃く残す妻籠宿。この宿場は全国の街並み保存運動の先駆けとなった所として有名。

さて注目は軒先周り、木製の軒樋。半割の木をくりぬいて樋にして垂木から持ち出した腕木で受けている。板2枚でL型に加工した樋も見かけた。

③の写真で分かるように板で四角い筒をつくって縦樋にしている。昔は柿(こけら)板葺きの石置き屋根だったが、維持管理が大変なのだろう、今ではカラー鉄板葺きが多いと思うが路上からは観察できなかった。

機会があれば夕方、明かりが灯る頃歩いてみたい。風情のある光景だろうと思う。

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吉村昭の「わたしの普段着」を読んだ

2008-06-25 | g 読書日記
 プロ野球の天覧試合。昭和34年の今日、6月25日は巨人対阪神戦で長嶋が村山からサヨナラホームランを打った日だそうだ。今朝ラジオで聞いた。



「わたしの普段着」吉村昭/新潮文庫
http://www.shinchosha.co.jp/books/html/111749.html ←立ち読み

**年齢を重ねると、若さのもつ感受性を失う傾きがあると同時に、逆に得るものもある。若い頃読んだ「暗夜行路」が、五十歳近い年齢になって、別の姿をみせ、私の心を捉えたのである。** 確かにこのようなことがある。

**三十年ほど前のことである。
どうもいけない。思い出話となると、三十年前、四十年前などとなる。自分ではつい先頃のことと思うのだが、やはりかなり年齢(とし)をとったのだな、と胸の中でつぶやく。** 確かにこのようなことがある。

「大黒屋光太夫」など代表作執筆にまつわるエピソードなどを収録したエッセイ集。私はこの作家のエッセイよりも小説、それも長編小説が好きだ。黒い背表紙の新潮文庫で何冊も読んだ。

このところどうも小説を読もうという気にならない。先週末書店で平積みされていた本書を購入、読了。今回はあっさりこの辺で。
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霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」

2008-06-21 | g 読書日記


 **国際金融には「国際金融のトリレンマ」という基本的な原理があるわけ。
ジレンマは日本語に対応するぴったりした言葉がないが、二つとも選択することはできないで、どちらか一方をあきらめざるをえないことです。トリレンマは、三つのものを全部うまく満たすことはできない、せいぜい三つのうち二つしか達成できないという話です。(中略)「固定相場制」「独立した金融政策」「自由な資本移動」という三つがあって、この三つというのはみんな望むんです。(中略)この中で普通の国が選んでいるのは何かというと、「金融政策は国内の景気に応じて自由にしたい」(「独立した金融政策」)ということと、「資本移動を制限して外資の参入を阻止しちゃダメだ」(「自由な資本移動」)ということの二つ。「トリレンマ」で、結果的に「固定相場制」がうまくできないから、変動相場制になっちゃうわけ。**

―日本経済の成長を阻んでいる犯人は・・・?
**それは日銀と財務省でしょう。日本銀行は世界中に「バカだ」と言われても、一人だけデフレで平気な顔をしているんだからね。日本の物価の上昇率が世界と違いすぎるというのは、いろんな意味で迷惑なんだよ。円高圧力もあるし、名目成長率が低いから税収が上がらない。**

ようやく読み終えた、というか字面を追い終えた。経済学を理解する能力が皆無であることを実感した。少しも内容が分からなかった。

長々と引用したが、このようにインタビュー形式で書かれている。小泉政権の経済政策の裏側なども書かれていて、経済が分かる人には面白いのではないかと思う。

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「健康という幻想」

2008-06-21 | g 読書日記

 前稿には健康にこだわらないというなんだか投げやりな雰囲気が漂っている。健康診断結果通知票の*の数を競えばいい、などと書いたが、あまり健康ということに神経質になることもないだろうというのが本意だ。標準範囲に納まって*の数が少ない方がいいに決まっているのだが・・・。



 前稿をアップしたあと、『健康という幻想』というタイトルの本があったことを思い出した。著者のルネ・デュボスは1901年フランス生まれの世界的な医学者、生物学者だ。

著者は**病気や苦闘から完全にのがれでることは、生命のプロセスからみて、ほとんど不可能である。**(第一章 エデンの園より引用)という指摘をしている。**生命のプロセスは、個体と環境との絶え間ないやりとりだから、その苦闘から傷害や病気がおこることもまれではない。個体が創造的になればなるほど、心身を害する力に反応する素材でみたされてくるため、危険をさける可能性が減ってくる。したがって、病気から永久にのがれられるなどとは、人類の福祉のためにつくられたエデンの園の空想から生じた夢にすぎないのだ。**(同前)

ここに人間の生命体としての「宿命」が明快に書かれている。



同じ著者による『内なる神 人間・風土・文化』。タイトルからして興味深い。風土・文化は人間の本性と人間をとりまく外的世界との相互作用を通じて創造されてきたのだという思想。当然のことのようにも思われるがキリスト教的な世界観ではなくて内なるという捉え方がミソなのであろう。

『健康という幻想』紀伊國屋書店、『内なる神 人間・風土・文化』蒼樹書房、共に古い本で初読から既に30年以上経っている。内容は覚えていない。

昔の本は活字が細かくて、老化した目には辛いが再読したいと思う。

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路上観察 看板建築

2008-06-18 | g 建築を観察する 建築を学ぶ 建築を考える〇



■「看板建築」、今から30年くらい前に建築史家・藤森照信さんよって命名された。その定義は必ずしも明確ではないように思うが、手元の資料「看板建築考 様式を越えて」横手義洋(10+1 NO.44 特集藤森照信/INAX出版に収録されている論考)には木造商店の表側をついたてのようにつくりそこに面白い装飾をつけた住居併用商店建築と説明されている。

私は①の写真(060408銀座にて撮影)のような銅板一文字(亀甲張りや菱張りなどもその仲間)張り又は②のようなモルタル装飾仕上げのフラットなファサードの木造商店建築だと勝手に解釈している。但し狭義には銅板仕上げに限定したい。そして所在地は東京に限定。






先に挙げた資料で横手さんは**一般に観察される看板建築は藤森の観察眼をはるかに越えてC級以下のものにまで展開し、その発見される地域も銀座や日本橋をとりまくドーナツ状地帯のさらに外縁、さらに、地方都市にも広がってゆく。(中略)名称の認知度が上がるにしたがい拡大解釈され、命名者藤森の手から巣立ってゆく。**と指摘している。

③は松本市内で昨日(080617)撮った写真。手前の白い建築は「白鳥写真館」、この建築が修復・再生されることを報じた地元の新聞(タウン情報071222)には**「看板建築」と呼ばれる内部は木造、外壁はコンクリートという造り。**などと意味不明な説明がなされている。

私が狭義に捉えている外壁が銅板張りの看板建築は今や絶滅危惧建築だ。保護する手立てはないものだろうか・・・。

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オマージュ

2008-06-15 | g 建築を観察する 建築を学ぶ 建築を考える〇


『磯崎新の「都庁」』より以下同じ

 『磯崎新の「都庁」』平松剛/文藝春秋にはこんな話が出てきます。

横浜港国際客船ターミナル(横浜大桟橋)国際コンペの審査員の磯崎さんは同じく審査員としてオランダからやってきたレム・コールハースと東京駅で落ち合い車で一緒に横浜に向かったそうです(1995年のことでした)。余談ですが横浜大桟橋は私も見学に出かけたことがありました。

コールハースは途中で工事中のある建築を目にして磯崎さんに言ったそうです。「おい、磯崎、あそこに君の都庁が建ってるじゃないか。コンペには負けたんじゃなかったのかい?」磯崎さんは「え?・・・・ああ・・・・・いや、違うんだ。あれは丹下さんの仕事なんだよ(笑)」(会話の部分は本書より引用しました)

上の断面図は磯崎さんの新都庁舎案ですが、立体フレームに球体が載っています。球体の材質はチタンだと本文に出てきます。これとよく似たビルで丹下さんの設計といえば・・・。そうお台場にあるフジテレビ本社ビルですね。建築に詳しくない方でもピンときたでしょう。テレビにも時々登場しますから。

コールハースは丹下さんの設計であることをちゃんと知っていて磯崎さんをからかったのかも知れないと平松さんは書いています。

ところで磯崎さんが丹下研に入った当初、旧都庁第一庁舎がちょうど建設工事中だったそうです。磯崎さんは旧都庁第一庁舎は日本の1950年代の建築の代表作だと思っているそうですが、磯崎さんの新庁舎低層案のプロポーションはこの旧都庁第一舎によく似ています。


丹下さんの旧庁舎


磯崎さんの新庁舎立面図

磯崎さんの新都庁舎案は丹下さんの旧都庁舎へのオマージュだった・・・。そしてそのことに気が付いた丹下さんがフジテレビ本社ビルで磯崎さんに応えた・・・。

こんなふうに想像して眉唾な説をもっともらしく語るって楽しいです。 


 

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路上観察 土蔵造りの長屋門

2008-06-14 | g 蔵観察・蔵考〇




■ 土蔵造りの長屋門に遭遇、車を停めて路上観察(旧四賀村にて080613)。

細長い土蔵の中央に大きな開口を設けて屋敷への出入口としている、そうまさにこれは長屋門の形式だ。両側は収蔵庫でどっしりとした引き戸がついている。開口の上部に木柄の大きな材料を使った床組みが見える。桁の上に窓がついている。この開口廻り、なかなか渋い意匠だ。

手前に柱が2本立っているが、ここに両開きの扉が付いていたのかもしれない。家の方にお願いして内部も見学させていただこうかとも思ったが、路上観察で済ませた。

こんな空間構成や開口廻りの意匠を住宅の設計に採り入れたら面白いな、観察していてそう思った。開口部分の床は木製のデッキ、どちらかの引き戸を玄関にして、正面にはアイストップとして樹形のいい花木を植える。2階は階高を抑えた小屋組み表しのザックリとした空間、シンプルな垂木構造を見せる。南側半分は吹き抜けの空間にしてもいい。外壁は塗り壁、一部板張り。難しいのは窓か・・・。

 

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環境が人を育てる

2008-06-13 | g 建築を観察する 建築を学ぶ 建築を考える〇

 昨日6月12日はアンネ・フランクの誕生日でした(1929年)。そして「アンネの日記」を書き始めた日(1942年)でもありました。誕生日から書き出そうとアンネは決めていたのかもしれません。それからアンネは約2年間日記を書き続けたのでした。おそらく世界で一番読まれている日記でしょう。

■ 今回は東京都中央区立泰明小学校。

下の写真の後方に写っているのは帝国ホテルだと思います。大都会の真ん中にこんなに古い小学校があるなんて驚きです。北村透谷や島崎藤村もこの小学校の出身だと知りました。





歴史を感じさせる外観です。3階には半円形の窓がリズミカルに並んでいます。どうしても繰り返しに目がいきますが、いわゆる表現主義の特徴がこの窓などのデザインから読み取れる、のだそうです。

この姿を毎日目にする児童たちはおそらく、気持ちが落ち着くでしょう。「環境が人を育てる」という言葉がリアルに伝わってきます。

「時を経た建築には記憶力がある」と既に書きました。建築に染み込んでいる知識が児童たちに語りかけてくるなどという表現を敢えてしますが、ガラスや金属パネルなど「記憶力の無い材料」から成る学校では到底得ることの出来ない知的で濃密な環境ですね。

泰明小学校 
東京都中央区銀座5丁目 明治11年創立 現在の校舎の完成は昭和4年

教育環境の充実ということが目的で学校を新築する、そのことで長年の時の流れによって培われた大切なものを失ってしまう・・・。いかにも残念です。歴史を継承する解決方法って個々に異なるでしょうがきっと見つかると思います。


 

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霞が関埋蔵金男の本? 読んでみるか。

2008-06-03 | g 読書日記


 知人が先週家族で沖縄旅行をしたそうで、私に土産があるとメールで知らせが届いた。夕方、書店で待ち合わせをした。待ち合わせの場所には書店がいい、と以前何かで読んだことがある。確かに本を探していれば待ち時間も気にならない。

友人を待つ間に新書コーナーで写真の2冊を手にした。「政治・経済」には特に疎いが「霞が関埋蔵金」という言葉は知っていた。埋蔵金を探し当てた元財務官僚が書いた新日本経済入門『霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」』高橋洋一/文春新書

5月の新刊だが帯の幅がやけに広い。新書はカバーデザインが皆同じだから、タイトル勝負だと以前書いたが、それと同時に帯のコピーも重要なポイントだ。「高校1年生~財務官僚・日銀マン向き」を目にして、高校生にも理解できる内容ならOKだろうと思って購入した(左)。

もう1冊、『ポスト消費社会のゆくえ』文春新書。上野千鶴子と辻井喬の対談。ふたりの組み合わせに興味を覚えたので購入した。

どうも今は「小説モード」ではないらしい。『行きずりの街』志水辰夫/新潮文庫がなかなか読了できない。

この週末東京することにしているがこの3冊を車内読書に充てるつもり。
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空間の心地良さを考える の巻

2008-06-02 | g 建築を観察する 建築を学ぶ 建築を考える〇

  

 設計条件が例えば面積が25㎡、天井高2.7mというように単純な数量で提示されれば、設計にはそれ程困難は伴わないでしょう。でも「居心地が良くって落ち着くリビングが欲しいんです~」などと抽象的で曖昧な条件が提示された場合にはその実現にはいろいろな困難が伴なうでしょう。

最終的にはどんなレベルの要求にも設計者は「もの」のありようを具体的に規定することで応えなければならず、それが設計行為だとも言えるのでしょうが、そこに至るプロセスは決して単純なものでないことを理解するのは容易でしょう。それだからこそ設計って楽しいんだ、と設計者は言うでしょうが。

昨日の夕方、カフェ・シュトラッセでしばし読書、そして考えました。心地良い空間は「何」で決まるのかを。

それは・・・、空間を規定する全ての要素が統合された状態、それを脳が歓迎するかどうかで決まるって、これは当然というかあたりまえなことで答えにはなっていません。

空間のヴォリューム、明るさの分布状態、各部のプロポーション、仕上げ材の色や質感、セッティングされた家具、雑貨や緑などの小物たち、静かに流れるクラシック、ほのかに漂うコーヒーの香り、そして細長い窓によってトリミングされた田園風景・・・。このカフェの心地良さを分析的に捉えようとしてもなかなか難しいです。

そもそも空間の心地良さを分析的に捉えることなど出来ないのかも知れません。空間という「総体」を分解してしまっては空間がどこかに消えてしまう・・・。近代科学のオーソドックスなアプローチ手法がぶつかったこのジレンマ。ではどうすれば・・・。「それが分かれば苦労はしないよ」という「プロ」の設計者の声が聞えてきそうです。

そう、これは回答不能な問いなのかもしれませんわたしのどこがいいの?」などという問いに答えることなど、たぶんできないのと同様に。

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ブックレビュー 2008.05

2008-06-01 | g ブックレビュー〇



■ 5月の本たち。

『西鶴という鬼才』名前しか知らなかった井原西鶴が多才な才能の持ち主であることをこの本で知りました。
『こぶしの上のダルマ』南木佳士は同じことを繰り返していますが、私にとってこの作家の作品は「常備薬」のようなもの、これからも文庫に納められればとにかく読みます。
『「おじさん」的思考』「人類の滅亡」という悪夢の効用、教育とエロス、「私」は私の多重人格のひとつにすぎない、・・・ 論理の展開がユニークで面白く、思考訓練になりました。

  *****

「週間ブックレビュー」が4月から土曜日の朝の放送になってしまい、毎週きちんと見ることができなくなって残念です。昨日は録画で見ました。番組後半の特集コーナーのゲストは楡周平でした。アメリカの企業に在職中の1996年に書いた『Cの福音』がベストセラーになって作家として独立したということです。この作家の書くスケールの大きなサスペンスが好きで宝島社文庫に納められた作品を全て読みました。

文庫のカバーの折り返しに載っている楡周平の写真はサングラスをかけた謎めいた風貌ですが、番組では印象が全く違って真面目な中年おじさんでした。



番組で取り上げられた「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・東京」を読んでみたいと思います。

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