■ この本を読んだのは1981年のこと。当時の文庫本が手元にあるが、小さな活字がびっしり、それに本のとじ目がバラバラになってしまいそうで再読を諦めていた。
書店の新刊の文庫のコーナーにこの本が平積みされていた。名作復刊! 迷うことなく購入した。帯には人生で二度読む本とある。この本の復刊を待ち望んでいた人も少なくないだろう。
この本は秋の夜中に読むのがいい。『日本の景観』を読み終えたらじっくり読もう。
今回復刊されたのは福永武彦の『忘却の河』。
■ 透明 タペストリーは壁飾りですから、透明で見えないタペストリーでは意味がありません。世の中にそんな意味の無いものは存在しないだろうと思ってブログタイトルにしました。唯一無二のタイトルにしたかったからです。
■ 透明 既に繰り返し書きましたが、ミースという建築家を祖とする白派の建築はその抽象性が特徴。これは藤森さんの指摘ですが、透明性もその特徴として挙げてもよいと思います。
ガラスを多用した透明な建築、金沢21世紀美術館も外壁が透明です(写真)。最近ではエレベーターのようにいままで不透明だったところまで透明になったりもします。高層ビルが一瞬にして全て透明になったら・・・、これはアルコールなオジサンの夢想。
■ 透明 建築設計コンペでも、「透明」に審査が行われることが増えてきたように思います。「せんだいメディアテーク」の審査も公開で行なわれ、審査の様子はテレビ中継によって審査会場の外でも見ることができるように配慮されたと記憶しています。私は審査委員長を務めた磯崎さんの提案によるのではないかと推察しています。
■ 透明 先ごろ、芥川賞が「アサッテの人」に決まりました。選考委員の選評は「文藝春秋」に掲載されていますから、どのような評価であったのか知ることができます。でも選考の過程でどのような議論がなされたのかは知ることができません。テレビ中継までは望みませんが、誌上に掲載してもらえないものだろうか、と前から思っています。
別に政治の世界に求められる透明性を文学賞の選考にも求めているわけではありません。ただ単に興味がある、というのが理由です。
小川洋子がどんな発言をし、それに村上龍や石原慎太郎がどんな反論をし、それに対して川上弘美がどう返したか・・・、興味は尽きません。山田詠美は、宮本輝は・・・。
■『日本の景観 ふるさとの原型』樋口忠彦/ちくま学芸文庫。
この本は以前とり上げたことがあります。これから再読しようと思います。単行本の刊行が1981年ですから、もう26年も前のことです。名著だと思いますが、文庫化されて現在でも入手できるのはうれしいことです。
とりあえず内容の紹介文を載せておきます。
**(前略)風景が内包する精神的また空間的な特性を、文学作品や絵画を引用しつつ細かく考察する。さらに日本の景観とヨーロッパの景観を比較検討するとともに、日々変化し続ける現代の都市に生き生きとした棲息地景観を作っていくための道を探る、景観工学の代表作。** 解説 芦原義信
今回は以上!
■『思春期をめぐる冒険』には「心理療法と村上春樹の世界」というサブタイトルがついている。心理療法のありようが実はその人の物語の生成にあると、この本の著者、岩宮恵子さんは指摘している。
**「向こう側」にかかわる多層的な現実のなかに自分を位置づけていくプロセスこそが、自分自身の物語を発見し、生きていくことである。そしてそれが日常生活に根ざしたものになってこそ、本当の自分の物語を生きていると言えるのではないだろうか。**
7月31日付けの信濃毎日新聞の朝刊の文化欄に柳田邦男さんの講演要旨が掲載されていた(写真右)。須坂市で開かれた第9回信州岩波講座での講演だが、その中で柳田さんは河合隼雄さんのことば「人間の心は物語らないと分からない」を引用している。言い換えれば「人間は「物語」を生きている」ということだが、これは先の岩宮さんの指摘と同様の内容だ。
村上春樹は『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』の「自己治療と小説」で次のように書いている。
**なぜ小説を書きはじめたかというと、なぜだかぼくもよくわからないのですが、ある日突然書きたくなったのです。いま思えば、それはやはりある種の自己治療のステップだったと思うのです。**
心理療法のありようと村上が描く物語との共通性・・・。
「向こう側」にかかわる多層的な現実のなかに自分を位置づけていくプロセスって村上春樹の小説そのものではないか・・・。
■「週刊ブックレビュー」
日曜日の朝、この番組を観てBモードに切り替えています。読書な日曜日にしようと思うわけです。「読書な日曜日」って変な表現ですが、マ、いいでしょう。本のタイトルの「もっとコロッケな日本語を」、コロッケな日本語ってどんな日本語なのか、どんな意味なのかわかりませんが、それに比べたらまとも。川上弘美さんには「なんとなくな日々」というエッセイ集もあります。
話を元に戻して「週刊ブックレビュー」。
この一時間番組は前半が三人の書評ゲストがそれぞれ三冊の本を紹介して、そのうちの一冊、計三冊について合評するコーナー。後半がゲストに話題作などについて話を聞くという構成です。
今回合評された本のうち、私の注目は関川夏央さん紹介の宮脇俊三さんの『時刻表ひとり旅』。宮脇さんといえば中央公論社入社後、中央公論編集長、編集局長、最後は常務で退社した方だそうですが(手元の宮脇さんの著書の奥付けを参照しました)、私は北杜夫の隣りの住人(宮脇さんがまだ若かりし頃の北杜夫に自分の隣りの土地を紹介したんです)ということで知っていた方です。確か北杜夫の初期の作品の担当者でもあった方だったと思います。仲のよい隣人どうしだったんですね。
その宮脇さんの名著『時刻表ひとり旅』が何故か講談社現代新書に収録されたそうです。時刻表を細かく読み解きその裏側のドラマに思いを馳せる・・・。私のように別に鉄っちゃん、鉄道マニアでなくても楽しいだろうなと想像がつきます。宮脇さんの本は好きで何冊か読みました。この本も書棚にあったはずなんですが見つかりませんでした。あるいは未読なのかも知れません。
**スジやさんが引いたアナログなグラフをデジタル化したものが時刻表**だと関川さんは番組で説明していましたが、そうか、なるほどと思いました。
さて、番組の後半。今朝のゲストは芥川賞を受賞した諏訪哲史さんでした。
失踪した叔父が残した日記。そこに書かれていた意味不明な「言葉」ポンパ、タポンテュー・・・、叔父の思い出を小説にしようとする私。「アサッテの人」はその過程をそのまま小説にした作品です。
諏訪さん自身、昔吃音があって話し言葉でなくて書き言葉で勝負しよう、自由になろうとして8年前に書いた最初の小説だそうです。「言葉そのもの」を書いた作品です。
諏訪さんの次の発言が今回の芥川賞の選評に対する感想・評価にもなっていると思いました。発言のままではありませんが書き留めておきます。
**中高年の男性に支持されると予想していたが女性読者の方が好意的に読んでいる。感性の違い、女性の方が受け入れる器を持っている。男の方が定型的な日常に嵌まっている。**
文学とはこうでなくてはならない・・・、その定型からの逸脱、そういう意図で書かれた小説なんですね。改めてこの小説の選評を読んでみると、川上弘美さんがこの意図を読み取っています、さすがです。
「書き言葉を使って生きていく」という諏訪さんの決意の表明、「アサッテの人」ってそういう小説なんだと、分かりました。そのことを読み取ることができなかった私は型に嵌まっているのです、きっと。
■ ドーダとは、自己愛に源を発するすべての表現行為である。
鹿島茂さんは東海林さだおさんがとり上げた「ドーダ、おれってスゴイだろ」をこのように定義した。さらに陽ドーダ、陰ドーダ、内ドーダ、外ドーダとドーダを細かく規定している。
**西郷隆盛の生涯をドーダの観点から追っていく場合、その最大の謎はやはり、江戸城開城を境にして起きた、「陽ドーダ」から「陰ドーダ」への転換である。この転換はいかにして起こったのか、しばらくはこの謎に迫りたい。** と、こんな調子で書き進んではいるが内容は真面目な論考。水戸学や西郷隆盛、中江兆民などの近代思想をドーダ理論によって解き明かす。
私にはこの本でとり上げられている「近代思想史」なるものに関する知識が全く無い。
陽ドーダ、内ドーダなどドーダ包丁を使い分けて近代思想史という食材を上手くいや美味く料理してもらっても、それが美味いのかどうなのか充分味わうことができなかった。これは料理人の問題では決してない。私のプアーな食生活に起因する問題。
東海林さんはお遊び、というか軽い「のり」でドーダをとり上げたことは『もっとコロッケな日本語を』という意味不明なタイトルの本(文春文庫)を読めば分かる。
『ドーダの近代史』朝日新聞社『もっとコロッケな日本語を』文春文庫
ドーダってこのマンガのように自慢する態度、ただそれだけのことだと思うのだが、惚れこんでしまうと過大に評価してしまう傾向がどうしてもあって、鹿島さんはドーダによって近代史を論じてしまった。
*****
この本は西郷ドンのファンや中江兆民がルソーから受けた影響といったことについて基礎知識がある方にはお薦めです。鹿島シェフの高級料理を味わってみて下さい。私は「コロッケ」、庶民の味で充分満足です。
弘化二(1845)年
寛政七(1795)年
■ 昨晩は酔族会だった。その席で安曇野の魅力は何だろう、ということがちょっと話題になった。
安曇野の魅力・・・、日本の原風景には特別な何かがあるわけではない。北アルプスを背景に広がる田園風景そのものだと思う。点在する屋敷林そして道祖神。そう、安曇野と聞いて路傍の道祖神を思い浮かべる人も多いのではあるまいか。
道祖神は村の守り神、村の入口で悪霊や疫病の侵入を防いだと聞く。村人の願いを聞いてくれる神様。
私の住む村にも道祖神が何体かある。手元の資料によるとその数、31体。写真はそのうちの2体。男女が肩を抱き握手をしている。抱肩握手像。
この辺の道祖神は高遠の石工の手になるものが多いらしい。道祖神巡り、ちょっと年寄り臭いかな。
しばらく前に友人から、「繰り返しの美学はもう書かないの?」と訊かれた。「楽しみにしていたのに・・・」 そう、以前は頻繁に書いたがこのところ全く書いていない。そのうち復活させよう。路上観察も。
■ 学生の「必読書」といわれる本は何冊かあると思う。それは時代と共に変わるのかもしれないが。
私が学生だったころ、この『代謝建築論 か・かた・かたち』彰国社は何冊かある必読書の一冊だった。たとえ読んでいなくても書棚に並べないと落ち着かない本だった。「か・かた・かたち」という意味のよく分からない言葉を口にする機会も当時はときどきあったように思う。
「INAX REPORT」という季刊誌に「著書の解題」というシリーズがある。 このシリーズはある本をとり上げて著者に当時の時代背景とか、その本を書くに至った経緯などを訊くという企画。今回(2007/7)この本がとり上げられていた。
この本の著者は建築家菊竹清訓さん。菊竹さんは1928年生まれ、79歳。まだ現役で仕事をしておられる。
手元にあるこの本を繰ると、ところどころにサイドラインが引いてあったり、書き込みがしてあったりするから、昔確かに読んだのだろう。内容は覚えていないが設計の方法論について書いた本という括りでいいと思う。
「か・かた・かたち」というキーワードの意味は抽象的なイメージが次第に具体化していくプロセスの主要なステップを象徴的に表現したもの、と解釈しているがそれが正しいのかどうか・・・。
ところで伊東豊雄さんは菊竹さんの事務所のOB、菊竹さんの設計方法などについてこの季刊誌に「再読『代謝建築論』」を寄稿している。
**建築を設計することの真の面白さを教えてくれたのは菊竹清訓である。**と伊東さんは文章を始めて**菊竹の日本は研ぎすまされた理性から生ずるのではなく、もっと身体の総体から生じている。意識的というより無意識的であり、視覚的というより嗅覚的、触覚的である。(中略)自然と直結した日本人の生活がつくり出した身体感覚が、そのまま空間に置き換えられたかのように感じられる。(中略)そしてこのように身体全体に訴えかける空間の具体性こそが、モダニズムの先に我々が探し求めるものなのである。**と書いている。
「空間の具体性」。建築構成要素を極力少なくして、線の細さや面の薄さを徹底して物質性(つまり物としての具体性)を排除して「空間の抽象性」を求めていた伊東さんの転向。ここにもそれが書かれている。
先日「森高羊低」なアジア人、と書いた。抽象性より具体性を求める、好むアジア人、日本人。だからアジア、日本で建築設計をする場合にはその方が上手くいくのではないか。そう、「白」即ち抽象性より「赤」具体性なのだ。
伊東さんの事務所のOG妹島さんが、抽象性が好まれるヨーロッパで活躍しはじめたということも頷ける。彼女は「白」の建築を志向しているようだから。
『代謝建築論』再読、いまのところその予定はない。
『モスラの精神史』小野俊太郎/講談社現代新書
随分幅広の帯がかけられている。いっそのことカバーデザインを変えてしまえばいいのに、と思ってしまう。
今回はアルコールしながら書こう。
新書はタイトルが勝負だと以前も書いた。この本はタイトルで買った。「モスラの精神史」、こんなタイトルを付けられたら、買うっきゃない×、買うしかない〇。
1961年の夏に公開された映画「モスラ」について、この本で初めて知ったことがある。この作品の原作者が、中村真一郎!、堀田善衛!、そして福永武彦!!だったということだ。知らなかった。この三人が分担して映画の原作「発光妖精とモスラ」を書いたという。もちろん一回限りの共作だ。
こう書くと「え、知らなかったの? リアルタイムでこの映画はもちろん観ていないけれど、原作者は知っていた」と誰かさんに言われてしまいそうだが、知らなかったのだから、正直に書いておく。
この映画をいつ観たのかは覚えていないが、ザ・ピーナッツが双子の小人として登場して歌った「モスラヤ モスラ・・・」は記憶に残っている。尤も記憶にあるのはこの部分だけで、この後の歌詞は記憶に無い(この本によるとインドネシア語の歌詞だということだから、意味が分からず記憶に全く残らなかったのも当然だ)。
モスラのモスは英語のmoth(蛾)ということもこの本で知った。mother 母、日本神話の母性にも通ずるのだそうだ。
モスラは南洋(って具体的にどこなのかということについてもこの本では考察している)のインファント島から悪徳な興行師に誘拐されて東京に連れてこられた小人のザ・ピーナッツを助けるためにはるばる海を渡ってやって来る(ストーリーは全く覚えていないので本に拠っている)。
モスラは東京タワーをへし折ってそこで巨大な繭になる。原作では東京タワーではなく、原作者たちの政治的な意図を反映して国会議事堂だったとのことだ。それが映画で東京タワーに変更になったのは東京を象徴する「塔」ということもあるだろうが、台頭してきた「テレビ」への「映画」の対抗意識の表れだとも書いている。
なるほどいろんな「解釈」が出来るものだ。こういう「解釈」は大好きだ。できればこのブログでも、「ンナばかな!」と言われてしまいそうな「解釈」を開チン、おっとこれは犯罪×、開陳 そう、こっちが〇、したいものだ。
さて、ストーリーでは悪徳な興行師がロシリカ(ロシア+アメリカ=架空の国)に逃げ帰ったのを追いかけてモスラはニューヨーク、じゃなかったニュー・ワゴン・シティを襲撃する。 これは日本本土からアメリカ本土を攻撃するという夢想・・・。
昭和の怪獣映画には時代の社会性や制作者達の思想が色濃く反映されている。
「モスラ」は後年形を変えて宮崎駿作品に引き継がれて行く、と著者は指摘しているが、宮崎作品に詳しくないのでこの見解がどうなのか分からない。そうなのか、と思うしかない。
**円谷英二は現実の風景を模型にしたが、内藤*は現実の風景を作るために模型を作ったのだな、と妙に感心した。**
あとがきのこのくだりは「なるほど!」だった。
*内藤多仲:東京タワーの構造設計者
■「ディタッチメント」 対象から意図的に距離をとること、関わらないことなどと説明されるこの言葉は村上春樹の小説を読み解くキーワードのひとつのようだ。先日読んだ『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』新潮文庫にこの言葉が出てくる。
またこの言葉は研究者に必要な態度だとして茂木健一郎の著書にも出てくる。認知的距離、自説をあたかも別の研究者が提示した説であるかのように客観的に捉え評価する態度。
対象を客観的に捉えるというこの場合の視点は、何故か対象を俯瞰する上方に据えられる。そう、所謂「神の視点」。
ところで、いま松本ではサイトウ・キネン・フェスティバルが開催されている。一昨年のフェスティバルで、まつもと市民芸術館で行なわれた「グレの歌」を鑑賞する機会に恵まれた。このホールはオペラ座と同じ形式が採られ、バルコニー席が4層設けられているが、私の席は2階、バルコニー席だった。
そのとき感じたのは臨場感が希薄、ということだった。小澤さんが下方で指揮をしている・・・。
この上方にある視点は「ディタッチメントな視点」なのだ。当事者として関わっているという意識が希薄な位置にある視点。
空間を共有しているという意識、舞台との一体感が生じる条件は、水平方向の視線の正面に舞台があることではないか、今日ある方とサイトウ・キネン・フェスティバルについて雑談をしていてそう思った。
■ 朝5時の外気温は19度だった。半袖では肌寒いくらい。窓を開けて冷気を室内に取り込む。
「アサッテの人」を涼しい室内で読了。
芥川賞の選考委員に今回から小川洋子さんと川上弘美さん、ふたりの人気作家が加わった。だから、どんな作品が選出されるのか興味があった。
「文藝春秋」を買い求めたのは、川上弘美さんの写真が載っていたからではない。各選考委員の選評も読みたいと思っていたから、というのがその理由。
選評は(たぶん編集室に)到着順に掲載されている。一番目が小川さん、二番目が川上さん。予想通り、ふたりは「アサッテの人」を推薦している。
**彼はやすやすと小説の枠を越え、ただひたすら叔父さんの発する声の響きのみに耳を澄ませた。**
**『アサッテの人』は、異常なことを描いているようにみえて、実は多くの人がかかえる、「生きて言葉を使って人と関係を持たねばならぬということ」の覚束なさを、ていねいに表現している。**
ふたりはこのように評しているが、私には到底ついていけない作品だった。
作家は言葉で勝負しなくては。
■■■! これはいただけない(写真左)。美しくない。文字を強調することはあるだろう、でもこれはなしだ。最後に平面図が添付されているが(写真右)、これもいただけない。
石原慎太郎氏の選評に共感した。**ある選者はこの作品を言葉への挑戦と評していたが、通常言語への否定としての挑戦としても、文中に出てくる『声の暴発』なるものを活字の四倍大の黒い四角で示すとか、最後に『読者への便宜を図るため』として『叔父の肉筆によるオリジナルな平面図』なるものを付記しているのは、作者の持つ言葉の限界を逆に露呈しているとしかいいようない。**
小川さん、川上さんが選考委員でなかったら、この作品が受賞することはなかっただろう。作者の諏訪哲史さんは、ラッキーだった。
また前回の受賞作『ひとり日和』青山七恵/河出書房新社を石原、村上両氏が絶賛したそうだが、このとき小川さんと川上さんが選考委員だったら、この作品はまず受賞出来なかった、と私は思う。
**自分が苦労?して書いた作品を表象する題名も付けられぬ者にどんな文章が書けるものかと思わざるをえない。曰くに『グレート生活アドベンチャー』、『アウラ アウラ』、『わたくし率イン歯ー、または世界』、『オブ・ザ・ベースボール』、『アサッテの人』。いいかげんにしてもらいたい。**
石原評。
これが新しい文学の流れの予兆?
来週の「週刊ブックレビュー」に諏訪哲史さんが出演する。注目、注目。
夏のフォトアルバム 5かな?
グラデーション(070818 04:48)
■「夜明け前」を見たいと思うことがある。刻々と変わるピンクから紫のグラデーションを見るのが好きだ。時の流れをビジュアルに表現してみせる自然。
平日はとても無理だから休日の朝、早起きをして出かける。その都度表情は違う。一日として同じ表情を見せない。墨絵のような空・・・。
■ 酒田市にある土門拳記念館を訪ねたのはもう随分昔のことだ。この記念館は谷口吉生さんの設計。谷口さんの建築はとにかく端正で美しい。ひたすら建築に「美」を追求する谷口さん、槇さんと作風が似ているが谷口さんのデザインの方がシャープ。
長野市にある東山魁夷館、この美術館も谷口さんの作品だが、やはり美しい。余分なものを創らない、引き算の美。
谷口さんは風景と建築との間に美しい関係を創る。
これは豊田市美術館の外観だがこのように前景に「水庭」を配することも。先のふたつの記念館にも「水庭」がある。
香川県の猪熊弦一郎美術館も谷口さんの設計。この建築は市街地というロケーションをハンディともしないでうまくデザインしている。この頃の建築のように街との関係を断ち切って自閉させることもなく街と呼応させている。残念ながらこの美術館は観ていない。
安藤忠雄さん設計の司馬遼太郎記念館、宮本忠長さん設計の森鴎外記念館、松本清張記念館。遠藤周作記念館は長崎だったかな。 行ってみたいと思う記念館は皆遠い。
ところで、今回記念館のことを書いたのは先日コメントしていただいたじゅんさんのブログを見たから。↓
http://june2007.cocolog-nifty.com/blog/
ここはどこだろう・・・。誰だろう・・・。
斎藤茂吉記念館(山形県)。
この記念館を訪ねたことはないが、なんとなく茂吉像ではないかと思った。なんとなく。ただ茂吉はもっと痩せていたような気がしないでもないが・・・。
山形県といえば数年後には藤沢周平の記念館ができると聞いた。誰がどんな設計をするんだろう・・・。
■ 画家が生涯最後に描いた作品、これが「絶筆」の定義だと思うが、どうやらそんなに単純なものではないらしい。最後の展覧会出品作だとか、画家の死後「絶筆」だと敢えて決めた作品、アトリエで複数の未完作品が見つかったりすることもある。説明文を読んでなるほどと納得。
「絶筆」の多様性を浮き上がらせるのがねらいだという展覧会を観た。日本の近代画家百余名の「絶筆」。
過日ブリヂストン美術館で観た「海の幸」、青木繁の絶筆「朝日」 松本俊介の「建物(茶)」 秋野不矩の「アフリカの民家」 猪熊弦一郎の「ダボとカガシ」・・・。
人生最後の作品。
病魔に襲われ覚悟した自身の終止符、「その日」まで絵筆を持ちつづけた画家の「絶筆」、突然の終止符によって「絶筆」となった未完の作品・・・。
「絶筆」が最高傑作と評される画家。明るい雰囲気を漂わせた「絶筆」。それぞれの終止符、それぞれの絶筆。
最後の1枚の絵に凝縮された画家の人生。なるほどこういう切り口の企画があったのか・・・。
松本市美術館では本日(18日)が最終日。
『ドーダの近代史』鹿島茂/朝日新聞社 を読み始めました。切れ味するどい「ドーダ理論」、ユーモアがブレンドされた文章。 これは緑陰のベンチで冷たい飲物でも飲みながらゆっくり読みたい本です。
読み進むとこんな記述がありました。**そのドーダ人間にとって、一番欲しいのは「良き聞き手」である。ふむふむと真剣に聞いてくれるばかりか、的確な質問で、その先を誘導してくれる。おかげで、日ごろ考えている以上の思想が口をついて出る。(後略)**
『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』新潮文庫 はふたりの対談集です。河合さんはまさに「良き聞き手」、読んでいてそう思いました。対談では村上さんの小説についても語り合っていますから、「春樹旅行」が終るまでは読まないでおこう、と思っていました。読む前にタネ明かしされてはつまらないですから。
ふたりが心理療法的な観点から村上春樹作品を論じていたり、興味深い内容でした。村上春樹の村上龍評がチラッと出てきたりと思いがけない収穫もありました。
春樹旅行を終えて次はどこへ行こう・・・。