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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ブックレビュー 2023.12

2023-12-29 | g ブックレビュー〇

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 今日は29日。今年、2023年も残すところあと2日。11月末に12月は不要な外出を控え、本を読もうと決めていた。で、読んだのは15冊。ほぼ二日に一冊というハイペースで読んだ。月に15冊も読んだのは初めて。写真に写っているのは図書館本1冊を除く14冊。それにしてもよく読んだ。

原田マハさんのアート小説3冊とエッセイ1冊、建築本3冊、大塚ひかりさんの源氏解説本2冊、その他6冊という内訳。それぞれの作品のレビューは省略する。原田マハさんの作品では後『風神雷神』を読んで一区切りとしたい。

※ 今日読み終えた『眩』朝井まかて(新潮文庫2018年)について、前稿に追記した。


 

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「眩」読了 どうする年越し本(追記)

2023-12-29 | g 読書日記

 NHKのEテレの番組 木村多江の、いまさらですが・・・ で11月27日に放送された「浮世絵~北斎親娘とジャポニズム」を見た。12月25日の再放送も見た。番組で紹介された作品の中では北斎の娘・葛飾応為の「吉原格子先之図」が特に印象に残った。葛飾応為を取り上げた小説(小説だけだったのかどうか・・・)もまとめてワンカット映像で紹介され、その中に朝井まかての『眩(くらら)』があった。表紙のカバーに「吉原格子先之図」が使われている(写真)。


この夜の光景、陰影のグラデーションがすごい! 番組では応為が光と影の魔術師レンブラントに例えられることも紹介された。江戸のレンブラント、応為。

『眩』か・・・、読みたいなぁ。番組を見ていてそう思った。幸いにもよく行く塩尻の中島書店にあったので、買い求めた。朝井まかての作品では直木賞を受賞した『恋歌』と『ぬけまいる』(共に講談社文庫)を2017年の5月に読んでいる。過去ログ

『眩(くらら)』は約450頁、全十二章から成る小説。今日(29日)読み終えた。朝井さんは直木賞はじめいくつも賞を受賞している実力者だ。文章の生きがいい。年越し本はこの『眩』で決まりと思っていたが、どうするか・・・。


以下追記

年越し本のつもりで読み始めた『眩(くらら)』朝井まかて(新潮文庫)を読み終えてしまった。葛飾北斎の娘、絵師のお栄さん(葛飾応為)の行く先見据えた骨太の生き様。

絵師と結婚するもさっさと別れてしまったお栄さん。素行が悪く厄介者の甥っ子に手を焼くお栄さん。父親の世話をし、画業を手伝いながらも自分自身のオリジナルな絵をずっと追求し続けたお栄さん。

最終第十二章で「吉原格子之図」が取り上げられる。作者がこの肉筆画をどのように捉えているのか、観ているのか知りたいと思う。本のカバーに採用されているこの絵について、朝井さんはキッチリ書いている。他の絵についても。すばらしい。

長くなるが引用したい。

**お栄は下絵も描かずに、いきなり筆を持った。(中略)紺暖簾の下には、ちょうど茶屋から戻った花魁が通っている。先導の禿(かむろ)は影だけで描き、花魁の襠(うちかけ)の文様は後ろに従う男衆の提灯が照らしている。岩紅と岩紺、岩黄の絵具しか量が足りそうにないので、墨の他にはいっそこの三つだけで彩色しようと決める。
色数を矢鱈と使わずとも、濃淡を作ればいくらでも華麗さは出せる。むしろ怖いのは色を使いすぎることだ。不用意に一色足すだけで、すべてが駄目になることさえある。
入口の左手に、格子を縦に何本も引いていく。店の奥行の線と通りに並んだ格子の影の線、この角度をきっちりと揃えた。
うん、これでいい。この平行に並んだ線があの場の、弾むような賑わいを呼び起こしてくれる。画面の上方には軒先の影しか描くつもりはないが、二階から太鼓や三味線の音、笑い声が降ってくる。**(437頁)

「吉原格子之図」を描いた葛飾応為の美的感性、描画力、すばらしい。 

年の瀬に好い小説を読むことができた。


 

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火の見櫓 新聞掲載記録

2023-12-27 | g 火の見櫓考〇

 12月24日付 中日新聞に火の見櫓に関する記事がかなり紙面を割いて掲載された。何日か前、記者の取材を受けていた。新聞掲載の記録をリストにしたが、火の見櫓に関する記事は11回目。他にマンホールや仕事についても取材を受けて記事になっているが、それらは省略している。

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取材を受けると、私の発言を記者がどう捉え、それをどう記事に書くのか、またどんな見出しにするのかなど興味がわく。今回の記事の見出しはリストに示した通り。

記事は**平林さんは「火の見櫓はその地域の歴史の生き証人。文化財として代表的なものだけでも保存することを考えて欲しい」と願っているよ。**と結ばれている。

防災行政無線が整備された現在、火の見櫓は見出しの通り役目を終えている。見出しは無用の長物の後に?を付けている(写真)。本当に無用の長物なんだろうかと思う私の気持ちを汲んでいただいたとも思うし、おそらくそう思っているであろう一般読者の関心を惹くための?でもあると思う。記事の結びは私の気持ちをストレートに表現していただいている。取材していただいた記者に感謝したい。

① 2012年  9月18日 タウン情報(現MGプレス):魅せられた2人の建築士が紹介  火の見やぐら
② 2014年  4月18日 信濃毎日新聞:われら「火の見ヤグラー」
③ 2019年  5月26日 中日新聞:奥深い魅力のとりこに 県内外の火の見やぐら巡り ブログで紹介
④ 2019年10月21日 MGプレス:「火の見ヤグラー」魅力まとめて本に
⑤ 2019年11月 * 旬 Syun! :魅せられた“火の見ヤグラー” の本刊行      (* 月1回発行)
⑥ 2019年11月16日 市民タイムス :火の見櫓の魅力1冊に
⑦ 2020年  8月13日 市民タイムス:スケッチ「火の見櫓のある風景」(市民の広場 私の作品)
⑧ 2020年  8月23日 中日新聞:合理性追求 構造美しく 
⑨ 2022年  4月21日 日本経済新聞:火の見櫓  孤高の姿撮る(文化面)
⑩ 2022年  8月10日 たつの新聞:地域の「火の見」の魅力学ぶ
⑪ 2023年12月24日 中日新聞:しなのQ&A 火の見櫓 役目終え無用の長物? 地域史の生き証人 保存、活用の事例も


 

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「はぐれんぼう」を読む

2023-12-27 | g 読書日記

■  図書館で北 杜夫の『巴里茫々』と一緒に借りてきていた青山七恵の『はぐれんぼう』を読んだ。青山七恵の小説を読むのは芥川賞受賞作の『ひとり日和』(河出書房新社)を2007年3月に読んで以来16年ぶりだ(過去ログ)。『ひとり日和』は芥川賞の選考会で石原慎太郎と村上 龍がそろって褒めたという(『芥川賞の謎を解く』鵜飼哲夫(文春新書))。

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『はぐれんぼう』青山七恵(講談社2022年)

『はぐれんぼう』というひらがな表記の書名、それから見返しに貼られている帯の**誰もが生き難さを抱えたこの世界の片隅にまるで光が溢れでるように紡がれた言葉たち。不可思議で切なく瑞々しい救済と癒しの物語。**という紹介文から心温まるハートフルな物語なのかな、と思って借りた。そうならばこの時季に読むのにふさわしい作品だ。だが、違っていた。これはホラーといってもいい作品だった。そう、ちょっとSF的な雰囲気のホラー。

主人公はクリーニング店でパートで働く優子。書名の「はぐれんぼう」とは持ち主が受け取りに来ない預かりものの衣類のこと。一か月以上経っても持ち主が現れない「はぐれんぼう」は箱詰めにされて倉庫に送られる。優子はクリーニング工場も倉庫もどこにあるのか、はっきりした所在地は知らない。

ある日、優子は箱詰めのはぐれんぼちゃんを自宅に持ち帰る。翌朝、優子が目覚めると持ち帰ったはぐれちゃんのブラウスやジャケット、スラックス、スカート、マフラー、ネクタイを身に着けていた・・・。 何これ、カフカ?

この日勤めを休んだ優子はそのままの格好で外に出て歩き始める。見慣れない住宅街を歩いて行くと、「諸」という表札の家の前に出た。クリーニング店で目にしたことがある一文字「諸」。優子は考える。**このネクタイが家に帰ろうとして、クリーニング屋の体を使ってここまで歩いて来たのではないか。**(39頁)そこはやはりネクタイの持ち主の家だったが、受け取りを拒否される。スカート、マフラー。他の家でも同様の対応だった。心温まるハートフルな物語ではなかった・・・。

この小説は「出発」と「倉庫」の二つの章でできているが、「出発」では優子と同じチェーン店のクリーニング店で働いていて、同じような経験をした人が一緒に「倉庫」を探し求めて歩いていき、「倉庫」に着くまでが描かれる。

「倉庫」に着いた優子たちが大きな倉庫の内に入っていくと、そこはスーパー銭湯のようなところだった。天国かと思わせるようなところで、何人かの人たちが自分に合った仕事をしながら自分のペースで暮らしていた。

読み進むと状況が一変する。天国から地獄へ。そして物語はホラーな展開に。

**(前略)床下からゴオオオと低い音が鳴り響く。わたしは反射的にアンヌさんを抱きしめてその場にしゃがみこんだ。次の瞬間、床ぜんたいが奥に向かってゆっくり傾斜しはじめて、わたしたちは床に散らばる服と共に、ずるずる下の方に滑りはじめた。**(313頁)

ここでは運び込まれた「はぐれんぼう」を大きな焼却炉で燃やして風呂の熱源や電源にしていて、はぐれんぼうを置いた部屋の床を傾斜させて焼却炉に落とし込んでいたのだ。落とし込んでいたのは衣類だけではなかった・・・。ひぇ~、ホラー。

ラストを書いてしまっていいのかどうか、「倉庫」から外に出てきた人たちは**煙突は先の方からひび割れていき、根本まで達した次の瞬間、屋根もろとも轟音を立てて爆発した。**(342頁)ところを見る。この先は省略する。

このシュールな作品で作者は一体何を描きたかったんだろう・・・。「はぐれんぼう」は何かのメタファーなのか? そうだとすればそれは何? 読み終えてあれこれ考える。忘れてしまいたい、でも完全には忘れたくないこと? そうだとすればそれを焼かれてしまうことってどうなんだろう。完全なる記憶喪失・・・。このことってどんな意味を持つ? ん~、分からない。

この作家の作品を何作か読めば、それらに共通するメッセージが分かるかもしれない。もう1作くらい読んでみてもいいがその機会があるかどうか。


 

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「巴里茫々」北 杜夫 

2023-12-26 | g 読書日記

 
『巴里茫々』北 杜夫(新潮社2011年)

 同じことを何回も書くが、2020年に自室の書棚のカオスな状態を解決しようと約1,700冊の本を古書店に引き取ってもらった。文庫本が最も多く、約1,100冊だった。この時、残した文庫本は約250冊。北 杜夫、安部公房、夏目漱石は残した。この3人の作品は再読することがあるだろうと思ったので。川端康成、三島由紀夫、大江健三郎、司馬遼太郎、藤沢周平、吉村 昭、松本清張、南木佳士、ロビン・クック、マイケル・クライトン・・・。他の作家の作品を読みたくなったらまた買い求めればよい、と割り切った。絶版ならあきらめようと。過去ログ

北 杜夫の作品を高校生の頃から読み続けてきたが、『巴里茫々』は未読だった。先日図書館で偶々この本を目にしたので借りて読んだ。大好きな作家北 杜夫は2011年10月24日に逝去した。この本は同年12月20日に発行された。借りてきた本は帯が外され見返しに貼られているが、そこには大きく 追悼 北 杜夫 と記されている。

本書には2編の小説(読んでみて小説でもエッセイでもないと思ったが帯に小説とあるのでそれに依った。)が収録されている。帯に本書について簡潔に紹介されているので引用し、読書記録としたい。

**著者が謳歌した人生が、走馬灯のように現れては消える。刊行が待たれていた詩情溢れる最後の小説集。 『どくとるマンボウ航海記』時代のパリを舞台に、濃霧の中に漂う記憶の幻影を描く「巴里茫々」。山岳小説の傑作『白きたおやかな峰』で描かれた地を再訪し、当時の優しい案内人を探し当てる旅のドラマ「カラコルムふたたび」。哀感に満ちた二つの小説(単行本未収録)を収める。**

*****


北 杜夫の作品の多くは絶版になってしまったようだが(確か北 杜夫がこのことについてどこかに書いていた)、この本の巻末には新潮文庫に収められている7作品が載っている。これらは代表作といって良いだろう。書棚から取り出して掲載順に右から並べて写真を撮った(*1)。『楡家の人びと』は三島由紀夫に激賞された作品。『木精(こだま)』は最も好きな作品。


*1 手元にある『どくとるマンボウ昆虫記』は角川文庫、『どくとるマンボウ青春記』は中公文庫。

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「常設展示室」を読む

2023-12-23 | g 読書日記

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『常設展示室』原田マハ(新潮文庫2021年11月1日発行、2023年5月30日8刷)を読んだ。1年半で8刷。『常設展示室』には6編の短編が納められている。「群青」ではメトロポリタン美術館に展示されているピカソの青の時代の作品、「デルフトの眺望」ではマウリッツハイスに展示されているフェルメールのデルフトの眺望。それぞれ物語で美術館に常設展示されている絵画が重要な意味をもって出てくる。

**確かにピカソの作品は、時代時代で変化していく大らかな色彩が特徴だ。悲しみをたたえた青の時代、恋に燃え上がったバラ色の時代、キュビズムの時代は茶色やグレー、シュルレアリスムの時代は黒と白。生涯を通してユニークなかたちと色を追い続けた人である。彼にしか描き得ない、かたちと色を。**(36頁)「群青」ではこのようにピカソの作風の変遷を簡潔に紹介している。原田さんのキュレーターとしての確かな眼。

収録されている6作品の中では「薔薇色の人生」が印象に残った。原田さん、こういう小説も書くんだ・・・。

主人公はバツイチの女性・柏原多恵子、45歳。パスポート窓口の受付業務担当。で、相手はパスポートの申請に来た男・御手洗由智(よしのり)、64歳。

受付カウンターの背後の壁に飾られた色紙にフランス語で書かれた言葉、意味は「薔薇色の人生」。この色紙を見た御手洗が「どなたの色紙ですか」(119頁)と多恵子に声をかける。**この十年くらいで初めてといっていいほど、ひとりの男性に好奇心の針がぴくりと動いたのだった。**(125頁) 恋の始まり。

多恵子が仕事を終えてバス乗り場に向かうと停留所に御手洗が立っていた。電話中の御手洗に多恵子が近づくと、流暢なフランス語で話をしていた。待っていたバスが来た。同時に反対側からハイヤーが近づいてくると、御手洗は「乗ってください」と多恵子に声をかける。促されるままに後部座席に乗り込むと、続いて御手洗も乗り込む。運転手がドアを閉める。どうしよう、まさか新手の拉致?乗ってしまってから動揺する多恵子。ストーリーをトレースしていくときりがない。

タクシーの中で御手洗は語る。祖母はフランス人、女流画家で藤田嗣治といっとき恋仲だった。父も画家を志していた。祖父が遺し、父が手放さなかった一枚の絵。それはゴッホの絵だった・・・。**「いまも、その、お・・・・・・ひとり、なんですか?」思い切って訊くと、「はい。ひとりです」**(137頁) 恋。

七日後の夕方、パスポートの受け取りに来た御手洗。その夜、多恵子は御手洗に抱かれた。翌朝、目を覚ました多恵子。御手洗はいなかった。テーブルの上の長財布、お札がなくなっていた。代わりに入っていたのはゴッホ展のチケットだった。その後の展開、省略。なるほど、最後はこうなるのか・・・。

これって何? ロマンス窃盗? いや、春の一週間の恋。


 

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まあ、こんなこともあるだろう・・・

2023-12-21 | g 読書日記

360
 図書館から借りてきた本を昨日(21日)の午後から読み始め、今日の午前中に読み終えた。敢えて書名も作家名も書かない。この作家の名前は以前から知っていたが作品を読むのは初めてだった。

そもそもこの小説のテーマが何なのか、それさえよく分からなかった。**(前略)結局のところ我々が抱え持つ絶対的な孤独は、どんな相手、どんな出来事、どんな救いによっても決して癒されることはないのだろうという気もするのだった。**(175頁)こんな件を引くまでもなく、「孤独」がテーマだと書けば、違うという指摘はたぶん受けないだろう。読了後のもやっと感はこの本のカバーのようだ(私の撮った写真がピンボケなのではない)。

主人公はじめ登場人物の境遇、ドロドロとした男と女の関係、彼らがすること、この小説が描く全く馴染めない世界に戸惑った。このことに関して本文中に要領よくまとめられている箇所があるので少し長くなるが引用する。

**三十八年前に小学二年生の少女がここで車に撥ねられたことも、その少女が成長し、南の海で死んでしまっただことも、少女を撥ねた車の持ち主が徳本産業の創業者だったことも、その妻が、夫の死後、ここを訪れて少女やその兄の面倒を見るようになったことも、さらにはその兄がその未亡人と関係を結び、挙句、妹に怪我を負わせた男と未亡人との間に生まれた一人娘と結婚したことも、その一人娘が不実を働き、実母の愛人だった夫を奈落の底に突き落としたことも、(後略)**(204頁)

主人公が結婚した相手の実母と婚前深い関係だったというだけで、なんだかなぁって思う。結婚後に今度は奥さんの不倫が明らかになる。で、妊娠、出産という驚きの設定、他にもあるが省略する。物語の展開に戸惑いながらも最後まで読んだ。

「源氏物語」だって同じでしょ、という声もありそうだが、平安の貴族社会と現代社会とでは規範が違うし、「源氏物語」には1,000年という厚い時のフィルターがかかっているから読む者の構えが違う。

物語のラストもなんだかよく分からなかった。結局、恋愛物語なのかなと終盤で思ったが、どうやら違うようだ。物語の流れからして、社員500人という規模の会社社長の座から退いた主人公は、物語のはじめに登場した若い女性と一緒になって自分の母親が営んでいた食堂を復活させ、切り盛りするのかもしれない。そうなれば恋愛小説、としてもよいのかも。

原田マハの『風神雷神』を借りようかとも思ったが、読了後に手元に残しておきたいので文庫本を買い求めて読むことにして、別の作家の作品を探した。川上弘美の作品は何年か前までかなり読んだが、現在東北の街に暮らすYさんにあげてしまった。久しぶりに読んでみようかと思って、書架から読んでいない小説を2,3冊取り出してパラパラページを捲ったがやめた。



で、読んだのはあれこれ迷って借りた長編小説だった。まあ、こんなこともあるだろう・・・。

*****

さて、今夜は33会の忘年会。集まるのは正月明けに旅行に行くメンバーだ。気の置けない仲間と飲んで語るのは楽しい。


※ 小説との相性は人それぞれでしょう。この小説をおもしろいと思う読者も決して少なくないと思います。言うまでもないことですが上記の感想はあくまでも個人的なものです。

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「ジヴェルニーの食卓」を読む

2023-12-20 | g 読書日記

 原田マハさんの『ジヴェルニーの食卓』(集英社文庫)を読み終えた。

マティス、ドガ、セザンヌ、モネというほぼ同時代を生きた画家たち(*1)の暮らしぶり、創作の様子が活き活きと描かれている。読み手である私は彼らの間近でその様子を見ている目撃者という気持ちになる。演劇を客席からではなく、演者と同じ舞台上で見ているような感じ、とでも言えばいいのか。やはり原田マハさんは表現力に優れている。

本書には短編が4編収録されているが「うつくしい墓」はマティスの生活を家政婦として支えた経験のある老いた女性が若い女性新聞記者のインタビューで語るというスタイルでストーリーが展開していく。

マティスの作品は好きだ。晩年の切り絵による創作の様子などを前述したように間近で見ている感じがしてワクワクした。ヴァンスのロザリオ礼拝堂のステンドグラス「生命の木」はマティスの代表作とも評される作品だそうだが(小説に出てくる知らない作品はネットで調べ、画象を見ながら読み進んだ)、この礼拝堂の内部空間に感動して修道女になろうと決心したことをこの女性が語る件に涙。

ゴッホに「タンギー爺さん」という画題の有名な作品があるけれど、それと同じ題名の短編はタンギー爺さんの娘がセザンヌに宛てて手紙を書くというスタイルでストーリーが進む。セザンヌの作品も好きだ。タンギー親父と呼び、親しくしていた画家たちのひとりゴッホ。**父に「親父さんの肖像画を描かせてくれ」と言い出したのです。父は大変驚いて、「そりゃありがたいけど・・・・・・わしにはそれを買い取る金がないよ」と答えたそうです。それで、ゴッホに笑われたと。画家のほうは、溜まりに溜まった絵の具代の代わりに、肖像画を描いて帳消しにしようと思ったというわけで。**(165頁)

セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、スーラ・・・。他にも何人もの画家が同じようにしていたとのこと。タンギー爺さんが亡くなって、残されていた借金の返済に彼らの絵を充てようと競売会を開くも、後年有名になる画家たちもまだ評価されていなかったということで・・・。

改めてネットでゴッホの描いたタンギー爺さんを見て、優しい表情をしていることに気がついた。タンギー爺さんっていい人だったんだなぁ。

「エトワール」ではドガが描いた踊り子がどんな少女だったのか、ドガが踊り子のことをどう思っていたのか、また表題作「ジヴェルニーの食卓」ではモネの暮らし、創作の様子がそれぞれ身近にいた女性の目線で描かれる。知らなかった、そうだったのか・・・。

人生いろいろ、画家たちの人生もいろいろ。感慨。

**目覚めて、呼吸をして、いま、生きている世界。この世界をあまねく満たす光と影。そのすべてを、カンヴァスの上に写し取るんだ。**(217,8頁)モネの決意。

**印象主義なんぞもう古いんです、(中略)見たものを見たように描いてちゃだめなんだ、画家の感性をいかにして作品に昇華させるかが重要なんだ、(後略)**(163頁)

小説には大学で美術史を専攻し、キュレーターの経験もある原田マハさんの絵画の捉え方、絵画に対する考え方も当然反映されている。原田マハさんのアート小説は勉強になる。


*1
マティス:1869~1954
ドガ:1834~1917
セザンヌ:1839~1906
モネ:1840~1926


 

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「ジヴェルニーの食卓」

2023-12-18 | g 読書日記

360
 前稿から内容的に続いている。

『ジヴェルニーの食卓』原田マハ(集英社文庫2015年6月30日第1刷、2022年11月6日第19刷)を読み始めた。**マティス、ピカソ、ドガ、セザンヌら印象派たちの、葛藤と作品への真摯な姿を描いた四つの物語**(カバー裏面の本書紹介文より)

原田マハさんのアート小説で読もうと思っているのは『ジヴェルニーの食卓』『常設展示室』と『風神雷神』、この3作品になった。今日18日、朝カフェ読書で『ジヴェルニーの食卓』(集英社文庫2015年6月30日第1刷、2022年11月6日第19刷)を読み始めた。今年はまだ2週間あるから、この作品は年内には読み終わる。だから年越し本にはならない。その後、続けて残り2作品を読むか。どっちを先に読んでも上下2巻の長編『風神雷神』が年越し本になるだろう。

それとも他の作家の小説を読むか・・・。いや新書? 決めるのはまだ先になる。


 

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どうする年越し本

2023-12-18 | g 読書日記

 今日は18。今年も残すところあと2週間となった。そろそろ年末から年始にかけて読む「年越し本」を選ばなくてはいけない。文庫になっている小説にするか、新書にするか迷う。

ちなみに今までどんな本で年を越したのか、過去ログを辿ると・・・。

2022~2023『城郭考古学の冒険』千田嘉博(幻冬舎新書)
2021~2022『黄色いマンション 黒い猫』小泉今日子(新潮文庫)
2020~2021『復活の日』小松左京(ハルキ文庫)
2019~2020『「街道」で読み解く日本史の謎』安藤優一郎(PHP文庫)
2018~2019『江戸の都市力 地形と経済で読みとく』鈴木浩三(ちくま新書)
2017~2018『蒼天見ゆ』葉室 麟(角川文庫)
2016~2017『吾輩は猫である』夏目漱石(角川文庫)
2015~2016 ―(年末に読み始めて年始に読み終える年越し本は無かったようだ)
2014~2015『夜明け前』島崎藤村(新潮文庫)
2013~2014『空海の風景』司馬遼太郎(中公文庫)
・・・・・

年越し本は文庫が多い。「どうする年越し本」。


 

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作為

2023-12-17 | g 火の見櫓観察記
 
(再)埴科郡坂城町上平にて 2015.05.20

 火の見櫓の姿かたちの印象って写真の撮り方によって変わりますね。2枚の写真を見比べてそう思いました。遠くから撮った写真の方が細身に見えます。

写真には「作為」の入り込む余地があるのでしょう。photographに写真という訳名がつけらていることに因り、誤解をしてしまうのではないかと思います。写真は真実を写すと。光画とでも直訳していたら、誤解はなかったのでは、と思います。

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「フーテンのマハ」を読む

2023-12-16 | g 読書日記

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『フーテンのマハ』原田マハ(集英社文庫2018年5月25日第1刷、2022年3月19日第9刷)

 原田マハさんの旅エッセイ『フーテンのマハ』を読んだ。マハさんの(今では原田さんと書いていたが、今回は親しみを込めてマハさんと書く)アートをテーマにした小説を何作か読んできた。この辺でちょっと中休みしようとこのエッセイ集を読んだ。

『フーテンのマハ』には旅好きなマハさんの旅にまつわるエッセイが32編収録されている。人生で失くしたら途方に暮れるものは旅、と最初のエッセイに書いている。旅が大好きなマハさんの旅エッセイを読んでいると、とても楽しい気持ちになる。

フーテンの寅さんに憧れてフーテンのハマと自称するようになったとのこと。小学二年生のとき、第一作目を父親と映画館で観て以来、寅さんに憧れているそうだ。マハさんは映画館の売店で寅さんのポスターを買ってもらったとのこと。寅さん映画が大好きで全50作(48作とするマニアも少なくない)を観た僕はこのことを知ってうれしくてマハさんに親しみも湧いた。

収録されているエッセイの多くは御八屋千鈴(おはちやちりん)さんと出かける二人旅について綴られたもの。御八屋千鈴(ニックネーム)さんはマハさんの大学時代の同窓生で、年に4,5回一緒に旅行する仲。十数年かけて、47都道府県を制覇してしまっていると、27番目の「ナポリでスパゲッティを」にある(203頁)。いいよね、こんな親しい友人がいるなんて。

**かくして持ち帰った「大統領御用達」のバゲットを食してみると・・・・・・。
んあ~~~っ! な、なんだこれは!? うンまあ~~いいッ!
と、ひとりのけぞってしまった。いや、ほんと、おおげさじゃなく**(79頁)

フランス滞在中の出来事を綴った「バゲットと米」にはこんな表現も。ここだけでなく、あちこちにでてくる。そうか、マハさんはこんな表現もするのか・・・。この本のカバーのイラストはマハさんが描いたもの。この本のあちこちにマハさんのイラストが載っているけれど、上手い。

だが、18編目の「睡蓮を独り占め」から25編目の「ゴッホのやすらぎ」までのアート小説のための取材旅行のエッセイにはこんなくだけた表現は全く使われていない。画家に対する敬意を感じる。

ここにはアート小説に取り組むマハさんの姿勢も書かれていて興味深い。例えば次の件。**「アートへの入口」となる小説を書くのであれば、責任をもってしっかりと下調べし、襟を正して書かなければ! と自分に言い聞かせている。**(「画家の原風景」174頁)

マハさんのデビュー作は『カフーを待ちわびて』というアートとは全く関係のないラブストーリーだが、このことについて次のように書いている。**しかし私は、アートからいちばん遠い内容の小説を書いて、小説家になった。なぜならば、いってみれば、アートは私にとっての最強の切り札。これをテーマにして小説を書けば、絶対に自分にしか書けない個性的なもの、おもしろい物語を書く自信があったからだ。**(「取材のための旅」161頁)マハさんの経歴を知ればこの自信に納得できる。

この本の最後に収録されている「フーテン旅よ、永遠に」にはマハさんの父親のことが綴られている。**父こそが私にフーテンの種を植えつけた張本人だったのだ。父もまた、生まれついてのフーテンだった。戦前、満州に生まれ、戦後は本のセールスマンとなって日本全国宇を旅して回った。**(236頁)

**私がアートに親しむようになったきっかけを作ってくれたのは父だった。**(237頁)ということも明かしている。ピカソが亡くなった時には、まだ寝ていたマハさんのところにきて、**「おい、起きろ」(中略)「ピカソが死んだぞ」**(238頁)と伝えたという。調べるとこの時マハさんは10歳(*1)。

この最後のエッセイには「砂の器」を観て号泣したことが書かれている。隣りの父親も男泣きしていたという。松本清張原作のこの映画を映画館で観て、ラスト近く、親子が全国を彷徨うシーンに僕も泣いたし、後年DVDで観た時も泣いた。過去ログ

「砂の器」を観て泣いたというマハさん。僕と同じだ。 本の最後でこのことを知り、ますます親しみを感じる。マハさんの読みたい小説をリストアップしていた。その中でまだ読んでいないのは『ジヴェルニーの食卓』『常設展示室』『風神雷神』の3作品だが、『フーテンのマハ』を読んで、アート小説だけでなく他の作品も読んでみたいと思うようになった。


 

*1 ピカソは1973年4月に死亡、原田マハさんか1962年7月生まれ


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「北帰行」を読む

2023-12-14 | g 読書日記

■ 小説のタイトルの『明夜け前』は小説が描く時代の状況を、『雪国』は小説の舞台を、『金閣寺』は小説のモチーフをそれぞれ端的に表現している。そして『北帰行』は小説のテーマとも言える主人公の旅を表現している。

既に書いたが今月(12月)10日にえんぱーくで開催された講演会で久間十義さんは『北帰行』の著者である外岡秀俊さんを取り上げ、『北帰行』のことにも触れた。久間さんと外岡さんは1953年(昭和28年)北海道生まれ、高校の同級生。


この小説は雑誌「文藝」の1976年(昭和51年)12月号に掲載され、単行本になった。僕がこの小説を読んだのは翌1977年の1月だった。この頃読む本は大半が小説だったと思う。

講演を聴いたことを機に『北帰行』を再読した。実に46年ぶりで、内容を全く覚えておらず、初読同然だった。「漣」「纏める」「蕗の薹」・・・。講演で久間さんが話していたようにこの小説には難しい漢字がいくつも出てくる。文脈から判断して検索確認することが何回かあった。ちなみに例示した漢字は「さざなみ」「まとめる」「ふきのとう」。この小説では主人公の内面が丁寧に描かれているけれど、その表現もまた難しい。

主人公の二宮は父親が炭鉱の事故で亡くなったために、高校進学をあきらめて集団就職で北海道から上京する。鞄の中に啄木の歌集『一握の砂』を入れて。二宮は作者と同じ昭和28年生まれ。二宮がテレビ放送が開始された年の生まれであることが本文中に出ている(57頁)。東京では町工場で働き、寮で過ごす日々が続く・・・。ある日、喧嘩をして相手に怪我を負わせ、二宮も三本の指の骨が砕けるような怪我をする。職を失い、こころも傷ついた二宮は啄木の足跡を辿るように北帰行する。小説では二宮の心情が啄木の短歌や詩、日記を通して描かれる。

作者は次のように書いている。少し長くなるが引用したい。**私はいつも啄木という事件を目撃する者の興奮を覚え、と同時に、啄木像を最終的に決定するのは自分なのだという自負を責任さえも感じていたのだった。けれどもこうした思い上がりは、確かに歴史体験には必要なものだったに違いない。啄木像を彫琢することによって自分というものを彫琢しているのだという自負こそ、現在と過去を同じ重さとして捉え、その相互性において自由に行き来することを可能とさせるものなのだから。**(8,9頁)

この文章に二宮と啄木との関係やその扱い方が示されていると僕は理解する。作者は次のようにも書いている。**旅というものを考えるときに、何らかの形で啄木や父の姿を想わずにすますことができないような気がするのだった。**(113頁)

『北帰行』のテーマは何か、そこには何が描かれているのか、ひと言で述べよ。こう問われれば僕は「主人公の若者の復活、再生の旅」と答える。それから、これは僕好みの恋愛小説、とも。

この答えについては、2頁目(※手元の単行本で)に**暗闇から抜け出そうとする列車のように、私もまた暗い二十歳から抜け出そうとしている頃だった。**と出てくる。

また、恋愛小説だということについて簡単に。二宮が中学生の時、由紀という名前の少女が東京から転校してくる。二宮少年の初恋。転校生に恋するというのはよくあるパターン。15歳で上京して、5年後の北帰行。**「十一時に地下鉄の大通り駅の改札口に。来ていただけますか。」彼女はそう言った。**(197頁)変わらぬ白魚のような指にマニキュア。大人になった由紀との再会・・・。夜遅くに再会したふたり。翌朝札幌駅前のターミナルで待ち合わせ。由紀の指から指輪もマニキュアも消えていた・・・。

**「ありがとう、素敵な一日。あたし忘れなくってよ。きっといつまでも覚えているわ。なんだかあの頃のこと思い出して、ちょっとセンチになっちゃたみたい。ごめんなさいね。(後略)」**(210,211頁)**「あたし、子供ができるの。母親になるのよ。・・・・・・さようなら!」

これが恋愛小説でなくて何であろう・・・。

『北帰行』は文庫化されていて、今でも読むことができます。**文学史上に輝く青春小説の金字塔**


 

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「日本の建築」を読む

2023-12-12 | g 読書日記

360
朝カフェ読書@スタバ 2023.12.10

 『日本の建築』隈 研吾(岩波新書2023年)読了。建築について書かれた本はできるだけ読もうと思う。新書に限定するわけではないが、建築関連の単行本は高くて・・・。

一昨日(10日)スタバで朝カフェ読書。『日本の建築』隈 研吾(岩波新書2023年)をメモをとりながら読み始めた。で、昨日(11日)は朝からずっと読み続け、夕方に読み終えた。メモは9頁にもなっていた。

先日読んだ『教養としての建築入門』坂牛 卓(中公新書2023年)について、**論理的なものの考え方から導き出された構成、そして文章。文章に冗長なところは無く、読んでいて海図なき航海を強いられていると全く感じない。目的港に最短コースで進んでいく。それ故、読んでいて物足りなさを感じないわけでもない。勝手なものだ。**とブログに書いた(過去ログ)。

『日本の建築』は明治から今日まで日本の建築が辿ってきた道程を鍵となる建築家の活動や作品を通じて論じているが、読み物としてなかなかおもしろかった。

「物語」は隈さんが父親から見せてもらった小さな木箱の話から始まる。デザインしたのはブルーノ・タウト。ヒトラー政権から危険視され、収監を恐れて日本に逃れてきたタウト。このドイツの建築家は桂離宮を絶賛し、日光東照宮を悪趣味だと批判したことで知られている。隈さんが物語に最初に登場させたのはこのブルーノ・タウトだった。

それから何人もの建築家を登場させている。伊東忠太、ライト、コルビュジエ、ミース、藤井厚二、堀口捨巳、吉田五十八、村野藤吾、レーモンド、前川国男、吉村順三、丹下健三、磯崎 新、黒川紀章・・・。

隈さんは最後に一体誰を登場させているんだろう・・・。物語の結末を早く知りたくて最終第Ⅳ章の途中からはメモを取らずに速読した。

**学生は自分のデザインをパネルを使って数分間で説明し、教授たちがそれに対して意見を述べる。**(210頁)物語の最終章で語られる隈さんが学生時代のこと。隈さんの作品に対していつも最も批判的で手厳しいコメントを浴びせかけていた二人の教授。**「君は使い手のことを考えたことがあるのか!」(中略)「これどうやって作るの?」**(211頁)隈さんが物語の最後に登場させたのは建築計画学の鈴木成文教授と建築構法学の内田祥哉教授だった。隈さんは自分の作品をいつも酷評した二人を天敵と感じていたと告白している。

だが、世の中に出て仕事を始めていくと・・・。**建築計画学と建築構法学の中にこそ、日本の建築が直面する様々な分断を解決する鍵が潜んでいるように感じ始めたのである**(211頁)と書いている。そして建築構法学についてかなり頁を割いて解説している。

物語の最後に、バブルがはじけて東京での仕事が無くなった時に高知県の梼原町(*1)に出かけた隈さんがそこで木造建築と出会い、木造建築の設計を通じて学んだというエピソードが書かれている。そのエピソードにぼくは感動した。

ぼくはこの本を読むまで隈さんが内田研のOBだということを知らなかった。隈さんが建築構法学のことを最後に取り上げて「物語」を終わらせたことがうれしかった。内田研OBの教授の研究室で建築構法学についてあれこれ考えていたという私的な事情で。

親和性

モダニズム建築は場所(具体的に挙げるなら場所が持つ自然環境、社会的環境、歴史、文化)との関係を断ち切ることで成立していた。そうでなければ世界中にモダニズム建築が出現することはあり得ない。だが、今また場所の文脈と繋がる建築が求められる時代になってきている。きのこは生育環境が整っている場所にしか生えてこないし、育たない。建築もそうあるべきではないか、と。

建築関連の新書を3冊続けて読んでこんなことを考え、場所との親和性ということばが建築のあり様を示す概念として浮かんだ。要は建築が場所と仲良く繋がっているかどうか、ということだ。下の写真の民家のように・・・。


高知県梼原町にて 1980.03  

**円柱形という純粋な幾何学的形態だけを組み合わせた抽象的な形はモダンであったが、欅の質感が暖かく感じられて、モダンデザイン特有の冷たさ、硬さはなかった。**(3頁) 隈さんが物語のはじめのエピソードで紹介したタウトがデザインしたという木箱は、モダニズム建築の今後のありようを示しているように思う。


*1 梼原町には1980年に行ったことがある。過去ログ

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「北帰行」

2023-12-10 | g 読書日記
 今日(10日)の午後、塩尻のえんぱーくで久間十義さんの講演を聴いた。久間さんの講演なら聴いてみたいと、テーマの確認もしないで申し込んでいた。「新聞記者と小説家の間で」という演題で話されたのは外岡秀俊さんのことだった。リーフレットを読むとふたりは北海道出身で道内の高校の同級生。

講演に先立ち、外岡さんの小説『北帰行』を読んでいる方、と挙手を求めた久間さん。そのとき、なんとなく読んだような気がするけどな・・・、と浮かんだのは「水色」。本のカバーに水色が使われていたような気がするなあ、という朧げな画像記憶。スマホで画像検索すると、記憶とは全く違っていた。記憶違いか、じゃあ読んでいないのかもと挙手しなかった。

360
講演が終わって帰宅。で、自室の書棚を探した。手前の並ぶ新書本の後ろにあった。記憶通りカバーに水色が使われていた。本に書いたメモから1977年の1月に読んだことが分かった。今から46年前だ。

後年カバーデザインが変わり、それがスマホの画面に表示されたのだろう。我が劣化脳にも朧げな画像が辛うじて残っていた。 ただし小説の内容を脳内検索しても全く何もヒットしない。


本の帯には大きく文藝賞受賞作とあり、野間宏と江藤淳の選評が載っている。このふたりの名前からも相当昔の作品だということが分かる。再読してみようかな。
 
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