撮影日151527
■ 隣家の柿の木の葉がすっかり落ちて、柿を啄ばむヒヨドリがよく見えるようになりました。今までは茂った葉の陰になってしまってあまり見ることができなかったのです。
何枚か写真を撮りましたが、ヒヨドリはよく動くし、朝日が射す前で暗く、どうしても写真がぶれてしまいます。かろうじてこの1枚だけアップできます。この写真もピントがあまいですが、一眼レフではありませんから仕方ないです(と言い訳)。
ヒヨドリのくちばしに黄色い果肉がついています。くちばしの先の柿がぶれて写っていますがヒヨドリが啄ばんだので揺れているんですね。
まだまだ、多くの柿が無傷のままです。これからも、この木の柿を啄ばみにヒヨドリが飛んでくることでしょう。
柿を啄ばむ野鳥の観察、朝の楽しみです。
05:48AM 巨大な飛行船のような雲が東の空に浮かんでいました。ちょっと不気味というか、怖いような雰囲気です。
06:03AM しばらくすると朱色の帯が1本出現。
06:08AM ハイテックな宇宙船のようです。
06:25AM 時に自然はこんな未来的なデザインをするんですね。
27日の朝、いつものようにリビングの窓から観察しました。雲は刻々と表情が変化していきます。
京都旅行7
■ 妙心寺から嵯峨野の大覚寺へ
大覚寺は真言宗大覚寺派の本山で、嵯峨天皇が建立された離宮嵯峨院が前身。大覚寺となったのは貞観18年(876年)(パンフレットによる)。
庭湖館で抹茶をいただきながら小堀遠州作と伝わる庭園を観る。
勅封心経殿 嵯峨天皇が空海のアドバイスによって写経した般若心経等が納められいる。前殿の御影堂内陣正面の開口から見えるようになっている。 夢殿を模して大正14年に再建された。
五大堂(本堂)前から望む大沢池(日本最古の人工池)。嵯峨天皇はこの池に浮かべた小舟から、水面に映る月を愛でた・・・。
京都旅行6
■ 妙心寺は臨済宗の禅寺で、現在46塔頭があるそうで、大法院もそのうちの一寺。寛文2年(1662年)松代藩主だった真田信之の孫・長姫が信之の遺命で菩提寺として創建したと伝わるとのこと(リーフレットによる)。佐久間象山の墓もこの寺にある。
方丈の広間で抹茶をいただきながら路地庭園拝観した(特別拝観期間)。
大法院茶室 和室は床面(畳)より天井面を広く写すことが基本だが、あおり撮影ができないと無理・・・。
大法院から徒歩で退蔵院へ
室町の絵師、狩野元信が最後の作品として創った枯山水庭園
昭和の小堀遠州といわれる造園家の中根金作が3年がかりで作庭した余香苑(リーフレットの説明による)。
回遊式庭園だからどこから観てもすばらしい。桜の季節か紅葉の季節なら最高だっただろう・・・。
昼食にいただいた「阿じろ」の精進料理
京都旅行5
おはよう、U1君
さて、今回の君への指令だが、深まりゆく秋の京都を訪ね
古より京銘菓として誉れ高い「八ッ橋」の美味しさの秘密を
是非とも解明してもらいたい。
以下はこちらのブログ(←「カフェ バロの居間心地」)
粒餡入り生八ッ橋:「美十 おたべ」「井筒八ッ橋本舗 夕子」
生八ッ橋:「聖護院八ッ橋総本店」、「本家 西尾八ッ橋」、「美十 おたべ」
MISSIONの遂行を阻止しようとする美女が登場するはずではなかったのか・・・。それを密かに期待していたのに。
24日の朝、伏見の火の見櫓観察から京都駅近くのホテルに戻り、朝食を済ませて再び京都駅へ。そこで上の生八ッ橋を買い求めた。
25日の夕方、カフェ バロにおいて6、7人で食べ比べをした。生八ッ橋は見た目も味もそれぞれかなり違うことが分かった。高評価はひとつに集中した・・・。
京都旅行4
■ 24日の朝5時半頃ホテルを出て(早起き出来たのは前夜が健全だった証拠)、京都駅から近鉄線で伏見に向かった。伏見駅5時47分着、徒歩で伏見区竹田の火の見櫓へ。この火の見櫓は旅行の数日前に所在地を確認しておいたので、すんなり行くことができた。
580
公園の一角に移設された火の見櫓は周囲を柵で囲ってあった。平面が台形の櫓に4角形の緩勾配屋根と見張り台。
方形(4角錘)の屋根下地は木造ということだ。一般的には頂部に芯束を入れて4本の隅木を受ける、という納め方をすると思うのだが、この小屋組みには芯束がない。金物も露出していないようなので、どのように納めているのかよく分からない・・・。
櫓の平面が台形の火の見櫓は奈良でも見たし、長野県内では立科町でも見た。過去ログ 台形の上辺を梯子にしているが、他の火の見櫓も同じ。
脚元に有形文化財の説明板が設置してあった。大正12年の建設で、高さ12メートルの火の見櫓。錆止めにコールタールを塗ってあるとかで、塗膜がひび割れていて間近で見るとこんな様子。
京都旅行3
■ 平等院を見学した後、京都府八幡市の松花堂庭園へ
ここは知る人ぞ知る名庭。交通の便があまり良くないから観光で訪れる人は多くないかもしれない。バスガイドさんも初めてとのことだった。
受付で渡されたリーフレットの説明文を引用する。**江戸時代初期・華やかな寛永文化のなか、綺羅星のごとくそろっていた文化人の中心になって活躍、後世に名を馳せた松花堂昭乗(1582~1639)ゆかりの松花堂庭園。
広大な庭園は「史跡 松花堂」等の文化財を有し、枯山水の路地庭は雅趣そのもの。(後略)**
タイトなスケジュールでじっくり観賞している時間が無かったのは残念だった。
夕方5時過ぎに京都駅近くのホテルにチェックイン。
夕食はこちらの料亭で
和服姿の女将や若女将の挨拶の後、料理が運ばれてくるような料亭の食レポなど、田舎のカールおじさんにできるはずもなく・・・。
銀杏零余子蒟蒻串刺し 銀杏(ぎんなん)、蒟蒻(こんにゃく)は読める。でも零余子は読めなかった。後日「むかご」だと分かったけれど。
およそ2時間後にお開きに。
品行方正な京都の夜は更けゆく・・・。
京都旅行2
■ 萬福地で昼食に普茶料理をいただき、満腹になったところで平等院鳳凰堂へ。観光バスで所要時間は30分ほどだった。
■ 左右対称の調和美 極楽浄土ってこんなところだと、その姿を具現化した平等院鳳凰堂。午後になると西日を背に受け、翼をひろげて阿弥陀堂は飛翔する・・・。
鳳凰の飛翔、私には鉄腕アトムに見えてしまう・・・。
京都旅行1
■ 指折り数えてみると京都は今回が10回目だった(仕事で出かけた日帰りも含めて)。松本を23日の朝7時に出発。観光バスは京滋バイパスを宇治東ICで下りて萬福寺へ。この寺は初めて。
萬福寺のことは何も知らないから、以下寺でいただいたリーフレットを参照しながら書く。
中国から渡来した隠元禅師が後水尾法皇や徳川4代将軍家綱公の尊崇を得て、1661年に開創した寺院。日本3禅宗(臨済、曹洞、黄檗)のひとつ。伽藍配置は明朝様式を取りいれたもの。
総門
三門 ガイドさんに誘導されて進む。
三門から天王殿を望む
三門、天王殿、大雄宝殿、法堂、威徳殿が一直線に配置されている。
大雄宝殿前の大香炉 一般的な寺院の香炉とはデザインが違う。
今回の京都旅行では繰り返しの美学な光景にも注目していた。
ネット上でナイスなアングルの写真を見つけた。今後の参考にしたい。私が撮った上の写真は×。
火の見ヤグラーとしてはこんなことろにもつい目が行ってしまう・・・。
順照板
**黄檗山の一日は、朝の順照板によって始まり、夜の順照板によって終ります。ここで修業する雲水(修行僧)が正覚をめざして精進を誓い、自覚を促すために順照板を打ち鳴らして各寮舎を回ります。** リーフレットから引用した順照板の説明文
開板(魚梆)
斎堂前に吊り下げてある。木魚の原形となったもの。時を報ずるために今も叩かれているそうだ。
黄龍閣にて昼食に普茶料理をいただく(要予約)。
てんぷら:紅生姜から右周りに大根、ゴボウ、赤こんにゃく、??、リンゴ。中に里いも、饅頭
4人分を大皿に盛り付けてある。
普茶料理は宗祖隠元禅師が中国から伝えた精進料理。**日本の山野に生まれた自然の産物を調理し、全ての衆が仏恩に応え報いる為の料理です。席に上下の隔たりなく一卓に四人が坐して和気藹々のうちに料理を残さず食するのが作法であります。** リーフレットより引用。
おてもと包に記されていた五観の偈
2番目 自己の行いを見つめて食物を頂くのに値するか推し量ること
「五観の偈」をネット検索すれば解説サイトが見つかります。
京都旅行2に続く・・・
■ ビストロ傳刀の黒部ダムカレーを食べるのは2回目。前回、9月2日は黒部湖の遊覧船ガルベを模したトッピングにハンバーグを注文したが、写真写りがあまり良くなかったので、今回はエビフライを注文した。
前回も書いたかもしれないが、フチにひだひだ付きの皿は長径が約45cm、短径が約18cmという長楕円。黒部湖を意識した皿の選択だろう。
ダム堰堤下の野菜サラダが紅葉し始めた山に見えてきた・・・。
黒部ダムカレースタンプラリーパンフの表紙(一部)を転載しました。
黒部ダム展望台の売店で買い求めました。
■ プロジェクト「黒部ダムカレーを食べつくす」は順調に進んでいまして、既に全20店舗中、19店舗の黒部ダムカレーをクリアしました(10月20日現在)。あと1店舗!
ダムを決壊させないように食べることを流儀にしましたが、その方法は具体的にはダム堰堤幅を次第にうすくしていくように食べるということです。 今まで全てこのように食べました。
カレーを食べた翌朝は体重少し増えますが、仕方ないです。
黒部ダムカレーレビューをご覧ください。
△福来屋150526 △こまつうどん店150602
△ねむの木150702 △食事処カイザー150821
△百笑亭150822 △湯けむり屋敷 薬師の湯150826
△ぽかぽかランド美麻150830 △ビストロ傳刀150902
△おうちごはんホッと150909 △お食事処 三洛150910
△ゆ~ぷる木崎湖150916 △明日香荘150920
△べルヴィル150925 △北アルプスの食卓150930
△ホテルからまつ荘151004 △豚のさんぽ151007
△くろよんロイヤルホテル151014 △黒部ダムレストハウス151020
△扇沢レストハウス151020
こうして並べてみると、どれも個性的でいいですね。
やりました、残りは1店舗です。
残りの1店舗、パウダーパフは爺ヶ岳スキー場にあるレストランで、営業期間はスキーシーズンの12月末から3月末までです。
→年末の晴天の日に出かけることにします。年内にスキー場がオープンしない、などということにならなければいいのですが・・・。 こればかりは天候次第、こちらの意思ではどうしようもありませんが、たぶん大丈夫でしょう。
手元にあるリーフレットを参考に黒部ダムの概要を載せておきます。
□形式:アーチ式ドーム越流型
□高さ:186m(国内1位)
□堤頂長:492m
□堤頂幅:8.1m
□敷幅:39.7m
□堤体積:約158万㎥
□総貯水量:約2億㎥
■ 扇沢レストハウスで昼食、黒部ダムカレーを食べた。黒部ダムレストハウスのカレーと見た目も味もよく似ているが、黒部レストハウスのカレーの方が辛い。
トロリーバスに黒い線が4本、→ くろよん
■ 今日(20日)予定通り黒部ダムへ。
大町の扇沢に朝7時過ぎに到着。7時30分発のトロリーバス(法的な区分では電車とのこと)で黒部ダムへ。
長さ5.4kmの大町トンネル(関電トンネル)を抜け、約15分で黒部ダム駅に到着。黄色い帽子をかぶっているのは黒部ダムのゆるキャラ、くろにょん。
黒部ダムの工事で171人の作業員が殉職した・・・。
△ダム堰堤のコンクリートを打設したバケット
△およそ30分の遊覧を終えて乗船場に戻った遊覧船ガルベ
魔の川を意味するガルッペというアイヌ語が黒部という名前のルーツという説があるようだ。ガルベはこのアイヌ語をもとにしたという説明表示がガルベの乗り場の売店にあった。
△遊覧船ガルベ内から黒部ダムの堰堤を望む
貯水量は2億立米、東京ドーム161杯分。ちなみに2013年の世界のビールの消費量は東京ドーム152杯分。黒部ダムとほぼ同量のビール!?
黒部ダムレストハウスで食べた黒部ダムカレー(朝食)
手元にあるリーフレットの説明によるとポテトサラダは放水、キャベツノ千切りは水しぶき、パセリは対岸の木々、らっきょうはコンクリートの壁を表現しているそうだ。
黒部ダムカレーを食べ尽くそうなどと考えなければ、黒部ダムを訪れることはなかったかもしれない・・・。
■ 昨年のいつ頃からか、毎週金曜日は仕事を定時で切り上げて、梓川のカフェ バロでいこいのひとときを過ごしている。コーヒーを飲みながら、そして時にはケーキを食べながら常連のお客さんやカフェのふたりと雑談する。家庭でも職場でもない第三の場、サードプレイスで一個人としてくつろぐことが必要なのだ。
先週は16日の金曜日、なぜか僕は外国人に道を聞かれることがよくあることを話した。地下鉄千代田線の駅のホームで、上高地で、JR代々木駅の近くで、都内の某結婚式場で。ハワイで聞かれたこともある。
先月、神田神社で「英語を話すか?」と聞かれ、反射的に「A little」と答えてしまった。すると、「この神社について説明して欲しい」と言われた(たぶん)。困った・・・。で、英語で書かれた案内板があることを思い出して、そのことを伝えた。たぶん通じたと思うが・・・。初歩的な会話もろくに出来なくて、「少しだけ」なんて、ね・・・。
I'm a stranger here.
知らない場所で道などを聞かれた時の定番フレーズだとカクさんから教えてもらった。使う機会があるかもしれない。
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今月の23、24日に京都に出かけることも先々週かな、話した。 で、バロのふたりと常連さんに生八ツ橋を買ってくることを約束した。25日の午後、食べ比べをしよう、ということになったから、3社くらい買ってこないと。
今回は珍しく他にも何人かにお土産を買ってこようと思っている・・・。