■ 富士見町立沢で見かけた双体道祖神 像の損耗の様子などから古い年代のものと思われるが、建立された年は確認できなかった。
道祖神と同じところに祀られていた二十三夜塔には寛政九丁巳(ひのとみ)年十月吉日と建立年月が刻まれていた。調べてみると寛政9年は1797年で干支は確かに丁巳だ。
このところ火の見櫓巡りばかりで石神・石仏巡りをしていない。同時に複数のことに関心を持ち続けることは難しい・・・。
随分縦長の石だが、いままで地震で倒れたことはなかったのだろうか。
■ 富士見町立沢で見かけた双体道祖神 像の損耗の様子などから古い年代のものと思われるが、建立された年は確認できなかった。
道祖神と同じところに祀られていた二十三夜塔には寛政九丁巳(ひのとみ)年十月吉日と建立年月が刻まれていた。調べてみると寛政9年は1797年で干支は確かに丁巳だ。
このところ火の見櫓巡りばかりで石神・石仏巡りをしていない。同時に複数のことに関心を持ち続けることは難しい・・・。
随分縦長の石だが、いままで地震で倒れたことはなかったのだろうか。
(再)諏訪郡富士見町富士見の火の見櫓 4脚44(面取り)〇型 撮影日 120906
1958年(昭和33年)竣工
撮影日 170924
銘板 塗装するとき養生して欲しかった・・・。
■ 今から5年前の2012年9月にこの火の見櫓を見ている。その時はかなり錆びていたが、先日(0924)再び見た時はきちんと錆止め塗装されて銀色に輝いていた。このようにきちんとメンテナンスされている火の見櫓を見るとうれしくなる。
消防分団屯所もこの間に建て替えられていた。
900 諏訪市四賀武津の火の見柱 撮影日 170924
■ コンクリート柱に半鐘を吊り下げ、見張り台と梯子を設置して火の見柱。てっぺんにはスピーカー、その下に消火ホース乾燥用の腕木。
それにしてもこの梯子と見張り台の位置関係はどうだろう、梯子から見張り台へどうやって移動する?梯子があと1メートル上に伸びていば問題ないのに・・・。
櫓あり梯子あり柱あり、機能的に単純故か、火の見櫓は実に多様だ。
899 諏訪市四賀細久保の火の見櫓 3脚33型 撮影日 170924
■ 長野県内で火の見櫓巡りをするとき、下調べは基本的にはしない。火の見櫓を見つけた時の「あった!」が嬉しいから。
諏訪市四賀細久保地区の狭い生活道路沿い立つ火の見櫓と出会った。火の見櫓の脚元にプランターボックスが置かれ、女性がきれいに咲いている花の手入れをしていた。こんな光景を目にするのは嬉しい。
諏訪地方では4脚(櫓の平面が4角形)の火の見櫓が多いが(24日に見た諏訪地方の火の見櫓23基の内18基が4脚であった)、この火の見櫓は3脚だ。
櫓は細身で梯子は櫓の外側に設置してある。見張り台の半鐘は既に撤去され、踊り場に設置されている。このケースが結構多いという印象だ。これは見張り台まで登り降りするのは大変だし、踊り場に半鐘を設置してもその音は対象の地域内には伝わる、という理由からであろう。
4方に向けて半鐘の後継のスピーカーが設置されている。これでは火災の発生などを伝える人が見えない。これも地域のつながりの希薄化のあらわれか・・・。
梯子が見張り台の床面で終わっているが、これでは登り降りするのが大変だ。手すりの高さくらいまで伸ばしておいて欲しかった。直ぐ際に手すり子があるから構わないのかもしれないが。
898 茅野市玉川田道(田道公民館近く)の火の見櫓 4脚44(面取り)型 撮影日 170924
■ 見張り台の直下に「カンガルーポケット」があり、そこに消火ホースを掛けるフックがある。
かなり高い位置(高さ7mくらいか)の踊り場まで外付け梯子を架けてあり、そこに半鐘を吊り下げてある。見張り台まで登ることなく半鐘を叩くことができる。
この脚部は次の美脚の条件満たしている。
①脚の下端までトラスが構成されていること(トラスが脚の途中で終わり、その下が単材の場合が少なくない)
②アーチ部材で脚の付け根を繋いでいること(アーチ部材が無くて脚が離れている場合が少なくない)
③櫓の上方からの末広がりのカーブが滑らかに脚まで続いていること
897 茅野市玉川中沢の火の見櫓 4脚4〇型 撮影日 170924
■ 形は整っていて美しいけれど、あちこちに錆が出ているのは何とも残念。
屋根がどことなく五重塔の屋根を思わせる和風の形をしていて美しい。
京都東寺の五重塔
896 茅野市泉野の簡易な火の見櫓 3脚無無梯子型 撮影日 170924
■ 富士見町方面の火の見櫓を見て廻り、カーナビに帰路を設定して、案内されるままに生活道路を進んでこの火の見櫓に遭遇した。
3つの構面の正面を梯子状に組み、残り2面は斜材(ブレース)を入れている。3本の柱の上端を横架材で繋いでいる。半鐘は表面に乳が付く梵鐘型。右手で半鐘を叩くから櫓正面の右側に吊り下げてある(左利きでも右手で叩くことになる)。
やはり櫓のてっぺんに屋根がある方がしっくりくる。諏訪地方にはこのような簡易なタイプが少なくない。
927 左側の建物は中道公民館 撮影日 170924
◎ 茅野市のマンホール蓋のデザインは複数あるようで、これは以前見たものとは違う(過去ログ)。
亀甲模様の地。中央に茅野市の市章、その下に「下水道」の文字を入れている。枠にはV形のパターンがある。
895 茅野市泉野(中道公民館)の火の見櫓 4脚44(大面取り)型 撮影日170924
■ 高さ約20m、背の高い火の見櫓。真正面から見ると櫓のカーブがよく分かる。上方に行くに従い柱材の間隔は狭まるが横架材の間隔も狭くなり、ブレースの交叉角度はほぼ一定。
面の大きさがここまでになるともはや面取りした4角形とは言い難く8角形とも取れるが4角形(大面取り)とする。この判断は曖昧。技術的判断に曖昧さは禁物。判断基準を明確にしなくては・・・。踊り場は面取りした4角形だが。
下の踊り場には詰所の2階から階段が架けてある。
柱間の長さを測ったところ4.4mだった。アーチ部材を使って脚の付け根を繋いでいるのを久々に見た。これが好ましい姿。踊り場に吊り下げてある半鐘が傾いているのが気になる。
894 諏訪郡原村柳沢の火の見櫓 4脚44型 撮影日 170924
■ 原村柳沢地区の生活道路沿いに立っている火の見櫓。踊り場が2ヶ所あり背が高い。下の踊り場には半鐘がある。近くの電柱が邪魔だが仕方ないとあきらめて撮った写真。この電柱には支線も支柱もないから、右側に引っ張られて傾いて当然。
末広がりの櫓のフォルムが好ましい。
軒の飾りは蕨手とは異なる。名称は?
手すり付きの外付け梯子で下の踊り場まで登り降りする。見張り台まで登って半鐘を叩くのは大変だが、踊り場までなら、容易。
893 諏訪郡原村八ツ手の火の見櫓 4脚44型 撮影日170924
■ 軒のラインが直線でないがこれは撓んだのかもしれない。見張り台がカチッと直線的な構成だから、屋根も同様の直線的なデザインではなかったか。ハイテックなイメージの見張り台も好い。
短い脚 錆びた消防信号板
892 諏訪郡原村払沢の火の見櫓 4脚44(面取り)型 竣工1958(昭和33)年 撮影日 170924
■ この火の見櫓は形が整っている。見張り台にスピーカーなど目障りなものを設置してないのも好ましい。
2階の窓から火の見櫓の踊り場にブリッジを架けていて、踊り場には半鐘も吊り下げてあるから、消防団員にとって便利。
ブリッジの荷重を火の見櫓で受け、建物に荷重がかからないように配慮している。窓下には荷重を受けるだけの強度がないだろう。補強するにも、窓との取り合い上、上手くできないと思う。ブリッジ下の斜材を受けてている櫓の2本の柱に山形鋼を重ねるなどの補強がしてあるかどうか、確認しなかった。
923
◎ 旧北巨摩郡白州町(現在は北杜市白州町)の農業集落排水のマンホール蓋 撮影日 170924
町の鳥カッコウ、町の花シャクナゲをデザインしている。蓋上部に「甲斐駒ケ嶽」、下部に「白州町」「農集排」と入れている。
891 北杜市白州町大武川(大武川公民館近く)の火の見櫓を釜無川越しに望遠する 撮影日 170924
消防倉庫を跨いで立つ火の見櫓 4脚44(面取り)型 撮影日 170924
柱とブレースが屋根を貫通している。貫通型を見るたびになぜ?と思う。
銘板に建設年の昭和29年10月が記されている。
(再)生活道路のアイストップになっている火の見櫓
諏訪郡富士見町落合上蔦木(JA信州諏訪蔦木店)4脚6〇4型 撮影日 170924
6角錘の屋根の下地の様子がよく分かる。
櫓に踊り場が2ヶ所ある背の高い火の見櫓で下の踊り場に半鐘が吊り下げてあり、消防信号板も取り付けてある。両者この位置関係であれば、半鐘を叩くときに消防信号板をみることができる。
脚部直上の構面のうち1面だけブレースではなく、アーチ部材を使っている。この櫓の場合、このようにする必要はない。ならば、なぜ?