透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「木」の効用 

2009-10-28 | A あれこれ
 マウスによる実験

木の箱、鉄の箱、コンクリートの箱。大きさが同じで材質だけ変えた3種類の箱でマウスを飼育しました。さて、どの箱のマウスが一番長生きしたでしょう・・・。

感覚的に答えが分かりますよね。そうです、木の箱で飼育したマウスが一番長生きしたそうです。今、手元にこの実験を紹介した本が無いので詳しく書けませんが、もうだいぶ前に(確か20年くらい前)、ある大学で行われた実験の結果です。

この結果がそのままヒトに当て嵌まるのかどうか、分かりませんが、まあ、たぶん当て嵌まるでしょう。

「コンクリートから人」へ、おっと、まず「コンクリートから木」へと唱えたいです。

  *****

途中経過を載せてみるのもいいかと・・・。

いつものことですが、文章をどのように終らせるかなど決めることなく、書き始めています。予期せぬ方向に文章が進んでしまうこともしばしば。

さて、今回はどうなりますか、この後、案外あっさりと終らせてしまうかもしれません・・・。

壁面紅葉

2009-10-26 | A あれこれ




 路上観察 壁面紅葉

上の壁面緑化の写真は070516の撮影、下の壁面紅葉の写真は091025の撮影です。驚きました。写真のアングルもフレーミングもほとんど同じです。やはりその辺の判断って変わらないんですね。

松本の中心市街地、本町通りに面したビルの壁面、2年半の間にツタが随分生長していることが分かります。正面の白い壁面がだいぶ少なくなっています。このまま生長し続けると、来年はすっかりツタで覆われてしまうのではないでしょうか。

これからもこのビルの壁面には注目です。


カフェ マトカにピッタリの本って・・・

2009-10-25 | A あれこれ



■ この席で本を読みたいと思っていました。cafe matka(カフェ マトカ)にはタイプの違う席がありますが、ここがいいと思っていたのです。

テーブルの幅130cm、高さ74cm、椅子の座面の高さ44cm。そっと測らせてもらいました。私が自宅で使っている机の高さは73.5cm、椅子は可動式で座面の高さが変えることができますが、ピッタリ同じ、44cmです。

このテーブルの前は背の高いカウンター、読書に集中できます。今日の昼過ぎ、この席で『渋滞学』西成活裕/新潮選書を読みました。

**本書では「自己駆動粒子」の集団現象をASEPを基礎にして考えてゆく。ASEPは自己駆動する性質と排除体積効果の二つを考慮した単純な離散モデルである。**

工学するってこういうことなんですね。人や車を単純にモデル化したとき、自己駆動粒子と呼称するそうです。


失敗でした。cafe matkaの手づくり空間には到底合わない内容の本でした。



やはりこの空間にはふわふわ、ゆるゆる、そう、川上弘美のエッセイがピッタリです。今度はこの文庫を持って行きます。


続 札幌ドーム

2009-10-25 | A あれこれ
 

■ 前稿に札幌ドームの構想を設計者の原さんは農具の「箕」から得たと書きました。雑誌で読んだ記憶があるのです。そう書いてからさて、どこに出ていたかな・・・、と気になっていましたが、「GAJAPAN 2001 7-8」に出ていることが、偶然分かりました。書棚から取り出したら表紙が札幌ドームでした。この雑誌は10冊位しか手元にありませんが、たまたまその内の1冊でした。

**もう一つは、構造に関することです。シェルは普通は閉じていますよね。今回はフィールドの出入りのため、一方に対しては開かなくてはいけなかった。さらに普通は閉じて壁で受けるものを、地形と連続した庭をつくりたいということもあって、周りをガラスにして浮かしたいと考えていました。

構造の佐々木さんも、絶対開いたモノをつくろうと固い決意で望んで(原稿のまま 臨んでが正しいと思いますが)いたようです。ところが、構造陣には非常に優秀な人たちが集まっていたにもかかわらず、なかなかイメージがつかめなかったみたいです。そこである時、ぼくが、農家で使う「箕」は閉じていないじゃないかと言ったのです。ざるは全部閉じているけど、箕は切れている。それで箕を買ってきて、みんなで検討して方向性が決まったのです。構造陣が出した解答は、開口のボウブリッジのところで、屋根の荷重とバランスさせるという非常に上手いものでした。**と原さんが語っています。

右側の内観写真の開口部にボウブリッジが写っています。分かりにくいですが(奥のかまぼこ形の開口の空中に浮かんでいます)。このブリッジがドームが両側に開こうとする力に抵抗しているんです。

ドームを野球モードにするとこの部分がちょうどセンター後方、バックスクリーン辺りになります。

野球中継ではボウブリッジを吊っている斜材が写ることがあると思います。が、野球中継ではなくて、外のフィールドも使ったスポーツ大会の中継の時だったかもしれません。

日本シリーズの中継で確認したいと思います。

日本シリーズは第1戦、第2戦が札幌ドーム、その後東京ドーム、そして再び第6戦と第7戦が札幌ドームで行われます。7戦まで戦ってもらえれば、ボウブリッジを確認する機会が増えるでしょう。

で、巨人が日本一!となるといいのですが・・・。

札幌ドーム

2009-10-24 | A あれこれ

■ プロ野球クライマックスシリーズ、今日の試合で両リーグ共決着しました。セリーグは巨人、パリーグは日本ハム。楽天のピッチャー田中と巨人打線との戦いも見たかったですが仕方がないです。

ところで巨人の原監督と日本ハムの梨田監督の背番号は同じ、88ですね。原監督は選手時代の背番号が8だったから、それを並べたのでしょう。では、梨田監督は? それ程プロ野球に関心があるわけではないので、梨田監督の背番号88の理由を知りません。 調べてみると、前監督ヒルマンから引きついだ背番号とのことです。なぜ継承したのでしょう・・・ まあ、どうでもいいですね。

日本シリーズの試合が行われる球場、東京ドームは日建設計と竹中工務店の設計、オープンは1988年。札幌ドームは原広司、アトリエファイ他の設計、オープンしたのは2001年でした。

何年も前になりますが、東京のGAギャラリーで札幌ドームの模型をみたことがあります。原さんの建築に対する情熱、というか設計に注ぐエネルギーの凄さに圧倒されました。こんなに大きな模型をつくるのか・・・。ひとつひとつ客席までつくってある部分模型でした。

札幌ドーム(←参照)はユニークな形をしていますが、原さんは農具の「箕(み)」から想を得たと雑誌に書いていました。たしかに箕を伏せた形をしています(箕が?の方は画像検索してみて下さい。納得していただけると思いますから)。

注意深く野球中継を見ていると、不整形なドームを構造的に成立させている「しかけ」が写ることがあります。大きな開口部が、なんというか両側に開こうとするのを拘束するための構造です。箕は笊(ざる)とは違って構造的に閉じて(安定して)いないので、上から押されるとつぶれてしまいます。笊はその点かなり丈夫ですが。ですから設計も大変だったと思います。

さらにユニークなのが先の大きな開口部から出し入れする天然芝(サッカー)と人工芝(野球)との交換システム。屋外の天然芝のフィールドを空気圧で浮かせてドーム内へ移動させるのです。

北海道に出かける機会があったら、札幌ドームを見学したいものです。


繰り返しの美学は続く・・・

2009-10-24 | B 繰り返しの美学

 昨日、23日は二十四節気のひとつ「霜降」でした。が、私はブログへの「送稿」をパスしました。なんちゃって。さて、今回は久しぶりに「繰り返しの美学」です。



上の写真。南木曽町の社会体育館。大断面集成材のアーチでメインフレームを構成しています。そのピン支持の柱脚です。縦に下りているのは雨樋。

柱と基礎とのジョイント部分がこのように見えていると、それだけで大丈夫だなって、直感的に感じますね。

ところで橋は構造体そのもの、余分なものを纏っていないことが多いですね。そこに「すっぴんの美」、「必然性の美」を感じます。

それに対して、建築の場合は隠蔽傾向、構造体を隠してしまうことが多いようです。この柱脚は土木構造物と同様、構造的に必要なパーツだけで構成されています。

下の写真。大町市内のラーメン屋さん。



昔なつかしい街灯のようなデザインの照明器具が柱についています。いくつもつけることで店の賑わいを演出しています。これが侘びしく1灯だけついていたら、お客さんが集まらないでしょう。

今回は写真を撮っただけでしたが、次回はこの店のラーメンを味わってみたいと思います。


白馬鑓ヶ岳

2009-10-22 | A あれこれ



秋のフォトアルバム 091021

JR大糸線の白馬駅前から北アルプス連山に向かって道路が伸びています。
道路正面のアイストップは白馬三山のひとつ、白馬鑓ヶ岳です。整った山容です。
山頂付近はパウダーシュガーをふりかけたように白くなっています。
雪衣を纏って山全体が白くなるのもまもなくです。

 


魁夷のことば

2009-10-20 | A あれこれ


■ 東山魁夷 心の旅路館にて 091020

木曽の旧山口村(現在は岐阜県中津川市)の賤母(しずも)に「東山魁夷 心の旅路館」があります。画伯からリトグラフや木版画などを寄贈された村が建設した小さな美術館です。

そこに置かれているパンフレットには「木曽へのメッセージ」と題した東山魁夷の文章が載っています。

**美術学校へ入って最初の夏休みに友人と共に、木曽川沿いに八日間のテント旅行をしながら、御岳に登ったのが、私を山国へ結びつける第一歩でした。この旅の途中、山口村の賤母の山林で大夕立に遭い、麻生の村はずれの農家に駆け込んで、一夜の宿を求めました。そこで私は思いがけないほどの温かいもてなしを受けたのです。この旅で、それ迄に知らなかった木曽の人たちの素朴な生活と、山岳をめぐる雄大な自然に心を打たれ、やがて風景画への道を歩む決意をしました。(中略)その後は何かに取り憑かれたように信州各地の山野や湖、そして高原へと旅を重ねて、四季折々の風景を描き続けてきました。(後略)** 

美術館の前庭に「歩み入る者にやすらぎを 去り行く人にしあわせを」という魁夷のことばの碑があります。どこに歩み入るのでしょう、どこから去り行くのでしょう。山口村? それともこの碑の立っている美術館でしょうか・・・。

ふと、このことばのようなブログが書けたらいいなと思いました・・・。

血栓とダム

2009-10-19 | A あれこれ

 血栓は血流を阻害する血液の塊。ダムは川の流れを阻害する土木構造物。このように一見全く関係など無いと思われる血栓とダムを「流れを阻害する」ものとして共通に捉えることができる。

ところで、渋滞と聞いてまず思い浮かぶのは交通渋滞だが、人の流れの渋滞もある。人の渋滞は時として事故に繋がる。東京のビッグサイトのエスカレーターで人の渋滞が起きてエスカレーターが「逆流」、ケガ人が出るという事故が起こった。昨年のことだったかな、記憶が曖昧だ。

2001年7月、花火大会が行われた明石市の大蔵海岸、会場近くの歩道橋で起きた渋滞は死者が出る事故になった。

血栓は血流を渋滞させ、ダムは川の流れを渋滞させるなどとは表現しないが、渋滞という概念をこのような現象にまで広げて捉えると新たに見えてくるものがあるような気がする。

今週の隙間時間で読もうと『渋滞学』西成活裕/新潮選書を購入した。渋滞学という異分野横断的な研究。

血流「渋滞」や川の流れの「渋滞」は、まさかこの本では取り上げていないと思うが、この本を読めば、今、政治的な話題になっている八ツ場ダム、このダムに限らないダムそのものの見方も変わるかも知れない・・・。


 


「日本人と日本文化」

2009-10-18 | A 読書日記

 歴史を川の流れに喩えるならば、司馬遼太郎は上空から俯瞰的に源流から河口まで、川の全景を捉えようとした作家だった。それに対して藤沢周平は川岸に立って、流れのディテールを捉えようとした。両作家はよくこのように対比的に捉えられる。

司馬遼太郎は歴史の流れをザックリと捉えてみせたし、川岸に立った藤沢周平は人々の日々の暮らしを捉えて作品にした。司馬遼太郎に「武士の一分」は書けなかったし、藤沢周平には「坂の上の雲」は書けなかった。

この週末に読んだ『日本人と日本文化』で司馬遼太郎は対談相手のドナルド・キーンに**やっぱり漢語では表現しにくい思いというものはあるかもしれないですね。ひょっとすると、これは少し大胆すぎる言い方ですけれども、上代日本人は「ますらおぶり」というものを、中国言語を通して学んだのじゃないか。だから原型的には、日本人というのは「たおやめぶり」の民族じゃないか。これはいかがでしょうね。**と発言している。

この発言にもものごとを大胆にザックリと捉えるという司馬遼太郎の特徴が出ていると思う。

この発言から対談は「ますらおぶり」と「たおやめぶり」について進んでいくが、ドナルド・キーンは**『万葉集』を読みますと、「ますらおぶり」というような調子の歌はかなりあります。(中略)一時的に無理して男らしさを発揮しても、ひとつあとの時代になると、男でも女でもまったく同じようなものを書くようになりました。ほとんど作家の男女が区別できない。場合によって、男の人が女性としてものを書きさえした。(後略)**と受ける。

残念ながら日本文学史の知識を全く持たないが、ふたりの対談を興味深く読んだ。

『日本人と日本文化』中公新書
1972年5月  初版
2003年5月 44版


新富町の大野屋

2009-10-17 | A あれこれ



 東京は新富町の町屋。3年半前、06年の4月に銀座から徒歩で10分足らずのところで偶然見かけました。どっしりとした店構え、貫禄があります。

今は本当に便利ですね。ネットで検索するといろんな情報を得ることができますから。

まず、地名から。新富町という地名の由来には諸説あるようですが、明治時代にこの辺りに新富座という劇場というか、芝居小屋があったそうで、新富町はそれに由来するという説がありました。説得力があるような気がします、なんとなく。

昔の地名には意味があるんですよね。地名は文化です、安易に変えて欲しくないです。 

さて、屋根の上の看板に「大野屋」とありますが、この店が足袋の専門店であることは、路上観察で分かっていました。近くに歌舞伎座や新橋演舞場があって歌舞伎と縁のある土地柄、大野屋は歌舞伎役者御用達の足袋屋さん。

大野屋は創業が安永年間、今から230年くらい前とのことです。この建物は関東大震災のすぐ後に建てられたそうですから、80年くらい経っていることになります。

以下、写真観察。

1階部分の外壁は改修されてきれいになっていますが、2階部分の押し縁下見板張りは当時のままでしょう、きっと。

少し勾配がきつい瓦葺き屋根はどっしりとしています。立派な鬼瓦と棟瓦から受ける印象です。屋根の両端には今では使われなくなった風切り瓦がちゃんと載っています。

軒先は出し桁造り。太い部材が使ってあります。例によって小口を銅板で包んであります。それに銅板を加工した樋。

昔はこのような造りの町屋が軒を連ねていたんでしょうね。繰り返しの美学な街並みが浮かんできます。 


屋根の上のカエル

2009-10-17 | F 建築に棲む生き物たち

 

 路上観察。建築に棲んでいる動物たち、先日取り上げた老舗の飴屋・山屋さんを再び。

「屋根の上のヴァイオリン弾き」という映画があったことを思い出して、今回のタイトルはそれに倣いました。

蔵と洋館を合体したような建築。パラペットのコーナーの上にちょこんとカエルの姿が。なぜカエルがこんなところに棲んでいるのでしょう・・・。

カエルは幸運を招くシンボル、なんだそうですね(先日いただいたコメントで知りました)。お金がカエル、無事カエル、災いをカエル。ここは飴屋さんですから、お客さんを迎える(ムカエル)という意味かもしれません。カエルは卵をたくさん産むことから、子孫繁栄という意味もあるようです。

カエルのほかにもいろんな動物たちが建築には棲んでいますね。沖縄の民家の屋根に棲んでいるシーサーが松本にもいます。こんど紹介します。建築に棲んでいる動物たちを路上観察するのも楽しそうです。