透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ブックレビュー 1601

2016-01-31 | A ブックレビュー

 1月に読んだ本は以下の3冊。




『鉄道技術の日本史』 小島英俊/中公新書

明治政府が鉄道敷設を決定した1869年(明治2年)から日本の鉄道の歴史が始まった。2012年、ロンドン・オリンピックで日本製の電車がセントパンクラス駅とメイン・スタジアム間を結びシャトル・サービスを行った。この間約140年。

「鉄道史」をライフワークとする著者・小島英俊氏が日本の鉄道技術の歴史を綿密な調査を基に詳細に記述・紹介している。

日本の鉄道技術の進歩は感動的ですらある。




『東と西の語る日本の歴史』 網野善彦/講談社学術文庫

西の海と船 東の弓と馬 
「海族的武者」と西日本 「弓射騎兵型武者」と東日本
年貢―東の絹布、西の米
東の畑作、西の水田
東の豪族的武士と西の中小武士
西の「職能国家」と東の「主従制的国家」

生活や文化の「東と西の差異」という視点・視座から捉える日本史像。




『神と自然の景観論 信仰環境を読む』 野本寛一/講談社学術文庫

日本人が神域感を抱いてきた様々な景観。その変貌・荒廃は日本人の心の反映。


2月、『神々の明治維新 ―神仏分離と廃仏毀釈』 安丸良夫/岩波新書 を読み終えたら宇江佐真理の作品を読み始めよう。


ささやかな幸せを感じられるこころ

2016-01-29 | A あれこれ

■ 今朝(29日)、7時前の民放のラジオ番組「歌のない歌謡曲」で、担当の女性アナウンサーが「五感の全てを使って身の回りの幸せのかけらを感じたいですね」と言っていた。

7時半過ぎ、NHKに変えると「マイあさラジオ」という番組で、リスナーからの「日々ささやかな幸せを感じられるおばあさんになりたい」という投書が紹介された。

前稿で日々の小さな幸せの積み重ねが幸せな人生になるということを書いたばかりだったから、ラジオでこのような言葉を聞いたことに驚いた。

同じことを感じている人がいる・・・、「マイあさラジオ」で先の投書が読まれたときはぽろぽろ涙がこぼれた。

そう、ささやかな幸せを感じられるこころの持ち主でいたいと思う。

小さなしあわせ それさえも  捨ててしまった 自分の手から では寂しすぎる、悲しすぎる・・・。


 


小さな幸せ

2016-01-28 | A あれこれ

 結局、日々の小さな幸せの積み重ねなんだな、と思う。幸せな人生とは?という本質的な問かけに対する私の答えだ。大計を立てて、それに向かって長い期間、何年も努力する、そういうロングスパンな生き方もあることは承知してはいる。そう、オリンピック出場を目指して苦しい練習を重ねるというような。でも日々の小さな幸せの積み重ねだと私は思う。

普段は残業続きで帰りが遅く、夕食の前に風呂に入ってビールを飲むなどということはできない。出先から比較的早く直帰できることが偶にあるが、その日は食前の風呂とビールができる。そんな日は、幸せだな~と思う。日々こうしている人たちも多いだろうが、その人たちにしてみれば当たり前のことであって、それが幸せなことだとは感じていないだろう。

残業までするような仕事に就いていることは、失業中の人からすれば幸せなことだろう・・・。ケガをして歩行困難になってしまった人は普通に歩いている人が幸せな人に見えるに違いない。昨日と変わらない朝を迎えることができたことも幸せなこと。具合が悪くて起きることができない朝だってあるではないか。朝食を摂ることができるのも幸せなこと。一日満足に食事を摂れない人たちだって少なくない。例示すればきりがない。

ある出来事を幸運なことと捉えるか、不運なことと捉えるか。先日、朝のラジオ番組で聞いたエピソード。番組に出演していたある大学の教授が出張のために駅に車で行くと駐車場がどこも満車だったという。仕方なく自宅まで戻って小走りに駅に向かい、予定通り特急電車に乗ることができたそうだ。

これは幸運なこと?それとも不運なこと?大学教授が問いかけた。

人によって答えは違うだろう。結局電車に間に合ったのだから、よかった、幸運。満車で駐車できず、いったん家に帰らなくてはならなかったわけだし、また駅まで急いで戻らなくてはならなかったのは不運。

あまり冗長になってもいけない・・・、結論。

要は日々のいろんな出来事を幸運なこと、幸せなことと捉えること。先の例だと、電車に間に会ったのだから幸運だと解したい。日々の小さな幸せ、その積み重ねが幸せな人生になるのだから。


 


なぜ古今「東西」なのか

2016-01-27 | A あれこれ

■ 2009年12月30日にこの記事を書いていました。少し手を加えて再掲します(*)。

*****

なぜ古今「東西」なのか、ある方に問うたことろ太陽の動きと関係があるのでは、と直ちに答えが返ってきました。私もそのように直感的に思っています。太陽の動きが私たちの意識に東西方向の補助線を引かせるのです。地理的空間をイメージするとき、この補助線によって南北方向より東西方向の広がりを強く意識することになるのでしょう。

神様が太陽の神・天照大神に始まると考えた日本人。日が昇る東を強く意識し、日が沈む西に極楽浄土があると考えた日本人。東奔西走ということばもありますね。それから歌舞伎の口上、「東西、東西((とざい とーざい)」。大相撲でも力士が東西から土俵に上がります。

日本では方位を表すのに東西南北といいます。これは前述したことにより東西を主、南北を従と捉えていることに因るのでしょう。これがヨーロッパの緯度が高い国ではネットで得た情報によると北南東西というようです。やはり太陽の動きに関係があって緯度が高くなると太陽は北から昇り、南に沈むことになるから、という説明がありました。

 

ところでニュージーランドはふたつの大きな島から成る国ですが(左)、それぞれ北島、南島と呼ばれています。きちんと南北軸に添って配置されているわけではなく、振れていますが。もし日本列島がニュージーランドの形だったらどうでしょう。北島、南島となったでしょうか・・・。東島、西島と呼称したかもしれません。日本列島はこのニュージーランドとちょうど同じくらい振れていて、東日本と西日本と呼んでいるのですから。

東日本、西日本、南日本、北日本、それぞれ検索すると、ヒット数が違います。東は930万件、西は1460万件、南は1170万件、北は160万件。北が他の方位に比べて極端に少ないことがわかります。どうやら、「北」をあまり使いたくないという心性が日本人にはあるようです。演歌は北を好みますが、暗い、寂しいといったイメージを「北」は負うていると思うのです。この北に対するネガティブなイメージ、これも太陽と関係がありそうです。

なぜ古今東西なのか・・・、実証性はありませんが、とりあえず太陽の動きが東西を南北より強く意識させた結果だと結論しておきます。

東京の地下鉄は東西線、南北線どちらもありますが、東西線の方がかなり早く出来ています。このことも地理的に東西を強く意識していることの表れだと私は考えるのですが、このことに関する珍説はまたいつか。ちなみに京都の地下鉄は東西線と、南北にに伸びる「烏丸線」ですね。


 * 2014年1月11日


厳寒の朝

2016-01-26 | A あれこれ

列島は強い寒気に覆われ、全国的に厳しい寒さが続く。

奄美大島で115年ぶりに雪が降ったという。

今朝6時半頃の外気温は氷点下14度だった。


庭木の枝に着いた細かい氷の結晶  朝7時頃撮影


朝陽を受けてきらきら輝く氷の結晶 空中を浮遊するダイアモンドダストも見ることができた。

朝7時半過ぎに撮影

冬のフォトアルバム 160126 


 


ブログの文章

2016-01-25 | A あれこれ

 文章を書く場合には段落ごとに改行し、改行したら先頭を一字下げることが原則だ。パソコンの横に置いてある信濃毎日新聞の朝刊の記事を見てもそうなっている(ただし1面の下にあるコラム「斜面」はこの原則を守っていない。改行する代わりに◆を入れている)。

ところがブログの記事の場合、このルールを守っていない場合が多い。段落の頭を一字下げるのではなく、一行空けているブログの方が多い。私もそうしている。もちろん中には改行したら一字下げるという原則を守っているブログもあるが。

では、なぜ多くのブロガーが「段落頭一字下げ」ではなく、「段落一行空け」をしているのだろう。

性急に答えを出すのはどうかと思うが、これは読みやすさに配慮した結果であろう。紙に印刷された長文の場合、空白だらけだと、集中して読む気にはならない。それに対してそれ程長文ではないブログの文章で、改行一字下げで書かれたものはパソコンの画面では読みにくい。そう、あきらかに紙に印刷された文章に比べてパソコンの画面上の文章は読みにくいのだ。パソコンの画面の方が目が疲れやすいこともこのことの証左、かもしれない。

パソコンで文章を書く場合、時々文字の半分くらいずれてしまって、頭がきれいに揃わないことがある。また一字下げのはずが、「半字」下げとなってしまうこともある。ネット上の新聞記事は一字下げをしているが、やはり半字下げとなっている場合がある。だから、改行一字下げでは段落としてのまとまりが分かりにくい。紙に印刷された文章では半字下げ状態は見たことがないが・・・。

このようなことが多くのブロガーが「段落一行空け」をしている理由ではないか、と思うがどうだろう。


 


冬の朝に

2016-01-24 | A あれこれ

■ 朝の冷え込みが厳しい。

この数日、自宅の外壁に掛けた温度計が-10℃くらいを指している。22日の朝6時頃の気温は-11℃、今朝(24日)7時前の気温は-7℃だった。冷え込んだ冬の早朝のきりっとした風景は好い。

時々閲覧しているある方のブログに「山眠る」という言葉が紹介されていた。「山笑う」という春の季語は知っていたが、「山眠る」という冬の季語は知らなかった。夏の「山滴る」、秋の「山装う」も同ブログに紹介されている。

山眠るというのは山の動物は冬眠しているし、草木は葉を落としてやはり眠ったようだ、という山の様子を表現しているとのことだ。

山眠る、山笑う、山滴る、山装う。これらの言葉がいつ頃できたのか知らないが、山そのものを人に見立てていたのかもしれない。

昔のように自然と同調する暮らしを取り戻さないと感性がますます鈍る。せめて早朝外に出て、景色を眺めることくらいはしたいものだ。やがて眠る山が目ざめ、笑う季節が到来する、その移り行く様をこの目で・・・。


160124 6:36AM  外ではなく、リビングの窓から


 


カフェ バロでカレーを食す

2016-01-22 | A あれこれ









■ 週末のサードプレイスのカフェ バロで残業に備えてカレーを食べた。

写真で示したごはんとカレールーの4つの位置関係、Hさんはひとりカウンターでカレーを③で食べていたが①で食べることもあるという。彼女はスプーンを右手で持つ。

後からカウンターのいつもの席に着いた私は左手でスプーンを持って①で食べた(箸は右手で持つ)。

私の後から来たFさんはカウンターの空いた席に着き、カレーを注文。右手でスプーンを持って③で食べた。私とFさんとは、スプーンとルーの位置関係が同じだ。

カウンター内のKさんは④で食べるという。

最後に来たAちゃんとは久しぶりに会った。テーブル席に着いた彼女にカレーをすすめたが、パスされたので、確認できなかった。

②で食べる人はいるのだろうか、気になる。今度カレーを食べているお客さんを見かけたら、ちらっと観察してみよう。


 


「行路難」 李白

2016-01-22 | A あれこれ

    
 

李白の「行路難」、その後半。


行路難 行路難 
       
多岐路 今安在
  
長風破浪會有時

直挂雲帆濟滄海 


都落ちした李白、田舎で悶々と暮らしているが・・・。
いつかチャンスがあれば都にもどるってやる! という強い意志に感服。




20110628


モノと情報の整理と保存

2016-01-19 | A あれこれ

■ モノと情報の整理と保存は事務職の仕事の基本。いや何も事務職に限らない、技術職であっても同じ、たぶん研究職でも、いや全ての職種の仕事に当て嵌まるだろう。そして家庭にも。

モノや情報の整理の基本は分類分類のポイントは、どのように分類しておけば都合がよいか、分かりやすいかということから設定する分類項目

モノや情報の保存の基本は分類項目に対応する保存場所をきちんと決めること。

例えば、家庭での食器の整理と保存然り。毎日使う食器、季節の食器、それから正月用の食器のように年に一度しか使わないような食器、というように使用頻度による分類が一般的だろうか。あるいは器の大きさや形による分類でももちろん構わないが、私は用途による分類を優先したほうが都合がよいと思っている。使用頻度による分類に、和食用、中華用、洋食用というように別の分類項目も加えると、それに対応する収納場所も増えるが、都合がよく、分かりやすくもなる。

仕事場では様々なモノ(例えば文具や書類など)をどのように分類してどこにどのように保管するかがポイント。共用のものであれば尚更分類と保管をきちんとすべきだ。ここで大切なことは皆が了解できるような分類にすることだ。

情報も然り。例えばメールをどのように分類して、どのように保存するか。メールの場合は分類の観点と、それに対応するフォルダーをつくるという具体的な問題に帰着する。分類についてはモノと同じことが言える。

名刺もやはりどのように分類してどこにどのように保存するかがポイントだが、不要な名刺は処分してしまうことも必要だ。何年も保存しておくことに意味はない。人事移動があったり、社名が変わることもある。本人が転職してしまうケースも少なくない。名刺はライブな状態でないと意味がない。たとえ会社が変わっても仕事づきあいをしたい人ならば、プライベートなメールアドレスやケータイ番号を入手しておくべきだ。

机の上が片付かないのは、文具や書類などの分類項目の設定がきちんと出来ていないことに加えて、分類項目に対応するように置き場所・収納場所を決めていないことによる。机の上は作業面であって、保管場所ではない、と心得るべきだ。従って今現在の作業に不要なものは別の場所に保管しておくことが基本。このことは机を作業で共用するスタイルを採れば当然だが、個人使用でもやはり同様。

机の上が片付いていない人はおそらくパソコンの中も片付いていない。アイコンを画面いっぱいに散りばめて平気だ。必要なモノを取り出すのに時間がかかる。パソコンで必要なファイルを取り出すのにやはり時間がかかる。従って作業効率が悪い。

机の上を片付けてしまうと仕事ができないというのは、上述したことができない人の言い訳に過ぎないと断じよう。

繰り返す。モノと情報の整理と保存をきちんとしよう。


 150504の記事に以下追記(160119)。

不要なモノや情報を処分することも必要だが、その判断を的確にできるかどうか・・・。

昨年末保存していた十数年分の年賀状や古い写真をかなり処分した。判断が良かったかどうか・・・。

それ程かさばるわけでもないから、処分しなくても良かったかもしれないが・・・。


ノンアルコールな夜のブログ

2016-01-18 | A あれこれ

 渕東なぎさはアルピコ交通上高地線のイメージキャラクター。彼女の名前は「渕東(えんどう)」と「渚」、ふたつの駅名からつけられた。現在上高地線では井の頭線で使われていた旧京王3000系電車を使用していて、8両の車両を常時2両の4編成で運行している。

運行パターンは複数あるとのことだから、仮に毎朝通勤で同じ時刻に上高地線の踏切を通るとしてもその都度なぎさトレインに会えるとは限らない。また、仮に運行パターンが毎日同じだとしても、踏切を車で通過する時刻が毎日ピッタリ同じということはない。1分違えば、もうなぎには会えないのだ。

前稿に書いたが、今日は大雪で通勤ルートを変えた。9時半過ぎだったと思うが、いつもとは違う踏切の近くで渕東なぎさのラッピング車両を見た。その時、これは何か好いことがあるかもしれないと思った。

何か好いこと・・・、雪かきによる腰の痛みが和らいだことと、年賀状のお年玉の切手シートが4枚当たったことかな。


 


アルコールな夜のブログ

2016-01-18 | A あれこれ



 カフェ バロの常連客のFさんからいただいた「干しほたるいか」。これは、もっと飲みなさいというFさんの優しいメッセージと解した。

ンで、17日は休日出勤を早めに切り上げ、美味いビールを飲むために風呂に入り、この干しほたるいかを肴に缶ビールした。 缶ビールひと缶じゃもの足りない。

日本酒をかんして、かんってどんな漢字だっけ?かん、かん、・・・。燗、あ、この字か。



このかわゆい娘は渕東なぎさ、19歳。なんだって突然なぎさが出てくるんだ? 

高校を卒業してアルピコ交通に入社して、今は上高地線の新村駅に勤務しているそうな。身長は152cmだというから、少し小さいかな。他のサイズは不明。
朝、通勤途中の踏切でこの娘に会うと、その日はいいことありそうな気がする。 でもなかなかタイミングが合わなくて会えない・・・。


 

追記:今朝(18日)記事を再読して、まずいかナ、と冷静に判断し、少し削除した。

昨晩からの大雪で普段よりだいぶ遅くに(確か9時半過ぎ)上高地線のいつもと違う踏切を通ったが、ちょうど目の前をなぎさが通過していった。

さて、今日は何か好いことがあるのかな。今のところ雪かきで腰が痛くて仕方がないが・・・。



朝日村の庚申塔

2016-01-16 | B 石神・石仏

 先日、所用で朝日村(長野県東筑摩郡朝日村 松本市、塩尻市、山形村の隣村)に出かけた際、山際の道路沿いで見かけた庚申塔。

向かって左側の「庚申」と刻まれた文字碑は裏面の文字から万延元年の建立と分かった。大江健三郎に「万延元年のフットボール」という長編があるから、この年は1860年だと記憶している。干支は60年に一度巡ってくる庚申(十干十二支、10と12の最小公倍数は60)。





向かって右側は庚申の主尊、青面金剛像。 正面右側に刻まれた建立年の明和と亥が読めた。調べると、明和4年(1767年)が亥だった。読み違えていなければ、この年の建立。



青面金剛像の下に馴染みの三猿。その上、足で邪鬼を踏みつけている。


 


「神々の明治維新」

2016-01-13 | A 読書日記



■ 正月に松本市波田の若澤寺の遺構を訪ねた。現地の説明板に**若澤寺は明治四年に松本藩の廃仏毀釈により寺は破壊され仏像は散逸し、建物も周辺の寺に移され、現在は石垣などを残すのみです。**とあった。

説明文の廃仏毀釈とか神仏分離については言葉を知るのみ、ごく浅薄な知識しかない。旅行に出れば必ず神社仏閣を訪ねることになる。で、この際少し勉強してみようと買い求めたのが、
『神々の明治維新 ―神仏分離と廃仏毀釈』 安丸良夫/岩波新書。

以下はカバー折り返しの本書紹介文。

**維新政権が打ちだした神仏分離の政策と、仏教や民俗信仰などに対して全国に猛威をふるった熱狂的な排斥運動は、変革期にありがちな一時的な逸脱にすぎないように見える。が、その過程を経て日本人の精神史的伝統は一大転換をとげた。日本人の精神構造を深く規定している明治初年の国家と宗教をめぐる問題状況を克明に描き出す。** 

そうなのか・・・。


今年は宇江佐真理さんの時代小説も読みたいが、しばらく先になりそう・・・。




御柱

2016-01-10 | A あれこれ

 松本市は波田上波田地区の御柱を紹介します。

長野県外の、いや県内でも大半の方は御柱といえば全国的に知られた「諏訪の御柱」を思い浮かべるでしょうね(過去ログ:2010年の御柱)。諏訪の御柱は申と寅の年の春に行われますが、今年は申年で御柱の年ですし。

『神と自然の景観論』 野本寛一/講談社学術文庫の第六章「道祖神祭りの風景―甲斐の太陽」に山梨県内の道祖神祭りが取り上げられていました。

同書には**道祖神祭りの飾り竿の先端には笹やシデがつけられており、これが神の依り代であることはいうまでもない。**(258頁)と書かれています。掲載されている写真を見ると、松本地方の御柱とはかなり様子が違いますが、その意味は同じなのでしょう。

**山梨県の道祖神祭りの飾り竿、すなわち、お山、ヤナギには、太陽を形象化した日の依り代を作り、年頭に際して新たなる太陽を迎え、一年間の太陽の恵みを予祝的に祈るという古層の太陽祭祀の形態が込められていたのであった。**(259頁)とも書かれていますが、先日取り上げた三郷北小倉の御柱はこの説明通りの解釈ができるのでしょう。

*****

上波田の二箇所の御柱を昨日(9日)見てきました。


中町の御柱





高さが10メートルを優に超える柱に横向きに付けた割竹の先端の御幣(幣束)や短冊に切り込みをいれた色紙でつくったヤナギ(柳)、巾着を飾ってあります。

遠くからも良く見える御柱は正月限定のランドマークです。

ところで、神様は時間や空間の変わるところ、隙間から入りこんでくるようです。節分の豆まきは季節の変わり目に厄神(鬼に具象化していますが)が入り込まないようにする行事です。

歳神様は年が変わる時に、この御柱を依り代に降りてくるのですが、このことは良い神様だけでなく、厄病神や貧乏神などの厄神、悪い神様も同じだといいます。それで良い神様だけが降りてくるように、このような綺麗な飾りの御柱を建てるのだという説明を友人が書いた論考で読みました。厄神はこのような綺麗なものを好まないそうで。

また、道祖神は空間の変わるところ、例えば集落の入り口に祀ってあります。道祖神が双体で仲の良い男神と女神なのは、やはり厄神除けだと聞きます。


下町の御柱



このような伝統行事は準備がとても大変でしょうね。でもずっと続けて欲しいものです。

過去ログ:松本地方の御柱