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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

情に厚い主人公たち

2016-08-31 | g 読書日記

『ひょうたん』宇江佐真理/光文社文庫を読み終えた。

この物語の主人公の音松も、浅草田原町で古着屋を営んでいる喜十も、それから廻り髪結いの伊三次も皆、情に厚い。彼らの奥さんはしっかり者で、それぞれ良い組み合わせ、仲の良い夫婦だ。

江戸の下町の本所で小道具屋を営む音松の奥さんのお鈴さんは料理好き。店の前に七輪を出して煮物などをする。喜十の奥さんのおそめさんや伊三次の奥さんのお文さんが料理をするシーンとは違い、お鈴さんが料理するシーンは何回も出てくる。宇江佐さんも料理好きだったに違いない。

お鈴さんの料理目当てに音松の幼なじみが晩飯刻(小説の中の表記に倣った)にやってくる、手ぶらではなくて酒や食材を下げて。彼らは連れ立って花見に出かけたりもする仲の良い仲間。

なんだかいいなあ、彼らの関係。やはり持つべきは気の置けない友だちだ。

ここで宇江佐さんの作品は一休み。次は東海林さだおの食エッセイ『アンパンの丸かじり』文春文庫。週刊朝日に連載中のエッセイをまとめたもの。


 

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重要文化財 旧開智学校

2016-08-29 | g 歴史的建造物〇



■ 女鳥羽川沿いにあった頃の開智学校の裏側(西側)。開智学校の正面は東を向いていたが、現在地に移築するとき、正面は南に向けられた。



松本市中央図書館3階から見る旧開智学校の裏側(北側)(上の写真と同じ面)



こちらがおなじみの正面(南側)。

設計・施工は地元松本の宮大工・立石清重。デザイン力があり、塔をきちんと造るという意識が感じられる、とは昨日(28日)に行われた講演会での藤森照信氏の弁。講演会では旧開智学校の重要文化財指定の裏話を聞くことができた。

旧開智学校が重文に指定された1961年(昭和36年)当時、審査にあたっていた内田祥三先生は、辰野金吾の作品が重文に指定されていないのに、大工の造った建築を認めるわけにはいかないと・・・。それを説得したのが関野克先生。松本まで出かけて実際に開智学校を見てもらう必要があったのだが、昭和の大修理(1950年~1955年)を終えた松本城を見に行く「ついで」に見てもらって、まあ仕方がないか ということになったとのことだった。で、旧開智学校は大工の作品で最初の重文になったという。

9月17日から始まる「重要文化財旧開智学校校舎創建140周年記念特別展」は是非観たい。


過去ログ1

過去ログ2




市内を流れる女鳥羽川沿いにあったこの学校はたびたび水害を受けたようで、明治29年7月の大雨による被害の様子を写した写真が校舎内に展示されている。

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「ひょうたん」宇江佐真理

2016-08-28 | g 読書日記



 

 今秋はとにかく宇江佐さんの作品を読む。で、買い求めたのが『ひょうたん』/光文社文庫。

下町・本所で古道具屋を営む音松と妻のお鈴。川と堀割の街で繰り広げられる人情物語。

カバー折り返しに載っている宇江佐さんの顔写真は新潮文庫や文春文庫の写真とはずいぶん印象が違う。若いころの写真と思われるが、メガネをかけていない。

さて、読み始めよう。


 

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「雷桜」宇江佐真理

2016-08-27 | g 読書日記



 今まで好んで読んできた市井の人々の日常を描いた人情物語とは一味も二味も趣を異にする作品。ファンタジックな純愛物語。恋愛小説好きの女子中高生におすすめ。

生まれて間もなく何者かにさらわれて山中で育った庄屋の娘・遊と御三卿清水家の当主清水斉道。斉道は徳川家斉の息子で、後に御三家紀伊徳川家の養子となる人物。

出会うはずのないふたりが自然豊かな美しい村で出会ったのは運命のいたずらか、必然か・・・。生涯たった一度だけの恋。

**遊にとっては星の瞬きにも似た儚い思い出である。遊はそれを後生大事に胸に抱えて生きてきたというのか。**(372頁)

そう、人は甘美な思い出に生きることだってできる。


作家の構想力に脱帽。

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宇江佐作品を読む

2016-08-25 | g 読書日記

『雪まろげ 古手屋喜十 為事覚え』宇江佐真理/新潮文庫を読み終えた。

浅草で古手屋を営む喜十とおそめ夫婦には子どもがいなかったが、店先に置き去りにされていた赤ん坊、捨吉を育てている。

「髪結い伊三次捕物余話」は仲のよい夫婦の子育て物語としても読むことができた。「古手屋喜十 為事覚え」もまた子育て物語としてシリーズ化することが意図されていたとも思われるが、作者が亡くなってしまったため、作品は2冊のみで続編が書かれることはなくなってしまった。髪結い伊三次より、好みのシリーズになったかもしれず、なんとも残念だ。



この際、宇江佐作品を集中的に読むことにする。で、次は『雷桜(らいおう)』角川文庫。

この作品について宇江佐さんは『ウエザ・リポート 見上げた空の色』のなかで**ただ、心の片隅には『雷桜』の原型らしきものは存在していた。(中略)ヒマラヤかどこかの山奥で狼に育てられた少女が発見されたというニュースを読んだ記憶があった。(後略)**(250、251頁)と書いている。私はこの「ウエザ・リポート」を入院中に読んでいた。

この原型をどのような物語に仕立て上げたのだろう・・・。


 

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朝カフェ読書で「雪まろげ」

2016-08-24 | g 読書日記



■ 『古手屋喜十 為事覚え』宇江佐真理/新潮文庫を読み終えた。

昨日(23日)の朝カフェ読書@いつものスタバで『雪まろげ 古手屋喜十 為事覚え』宇江佐真理/新潮文庫を読み始めた。

主人公の喜十は女房のおそめとともに浅草田原町で古手屋を営んでいる。古手屋は着物のリユース・ショップ。江戸時代、庶民は新品の着物にはとても手が出なかったようで、古手屋で買うのが一般的だったという。

北町奉行所隠密廻り同心の上遠野平蔵は変装用の衣装を喜十の店で借りている。その縁で、喜十は上遠野が持ち込む事件の解決を手伝っている。被害者が身に着けていた着物が事件解決の手がかりになることもあったりするわけで。

カフェで読んだ第一話の「落ち葉踏み締める」には涙が出た。

喜十夫婦には子供が無く、店先に捨てられていた赤ん坊を我が子として育てている。読み終えた前作の「糸桜」にはこの経緯が描かれていた。「落ち葉踏み締める」は赤ん坊を捨てた家族の物語。その家族の悲劇が描かれる。

父親を亡くした新太少年はしじみを採って家計を助けている。下に5人も弟や妹がいて生活は大変。

**「捨吉をどこかに置いてきておくれよ。いつまで経っても乳をねだるんで、あたしはほとほと愛想が尽きたんだよ」と、うんざりした表情で言った。
「おいらにゃできない」
新太は唇をきつく噛んでから応えた。
「そいじゃ、手っ取り早く川に流すかえ。育てられない子供を川に流す所もあるらしいからさ」**(15、6頁)

それで新太はやむなく末っ子の捨吉を喜十の店先に置き去りにする。喜十のところにはしじみを売りに行ったことがあったのだった。

読み進むと驚きの悲劇が待っていた・・・。

第二話以降、どんな物語が描かれているのだろう。




 

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「古手屋喜十為事覚え」宇江佐真理

2016-08-21 | g 読書日記



 入院中に『ウエザ・リポート 見上げた空の色』というエッセイ集を読んだが、宇江佐さんの作品はエッセイより江戸の市井の人々の物語の方がいいと思った。

昨日『古手屋喜十 為事覚え(ふるてやきじゅう しごとおぼえ)』新潮文庫を買い求めた。『髪結い伊三次捕物余話』同様、シリーズ化をもくろんでいたようだが、第2弾「雪まろげ」が発表された後、宇江佐さんは亡くなってしまった(15年11月)ので、この人情捕物帳は2作品のみで終わってしまった。

この秋は宇江佐作品を読むことにする。


 

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入山辺の道祖神

2016-08-18 | g 道祖神〇


撮影160807



 入山辺は松本市の東側の山あいにある集落。古くからある集落は冠婚葬祭を共にしてきている生活協同体。生活の安寧が守られることを願い路傍には何基もの石神・石仏が祀られている。

この日、火の見櫓を見に出かけた際、この道祖神を見かけた。平安貴族の姿をした双体道祖神。男神が盃を、女神を酒器を手に持っている。上の写真でははっきり分からないが、お互い相手の肩に手を掛けている。仲睦まじい姿だ。この道祖神が厄病神が集落に入り込んでくるのを防いでいる。厄病神はアツアツのカップルには近づかないとされ、この道祖神のような姿が多い。

よくこのような整った形の自然石を見つけるものだ、といつも思う。右側に彫られた天保十五甲辰年は西暦では1844年。およそ170
年集落を守り続けた道祖神。


 



 

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642 松本市入山辺駒越の火の見梯子

2016-08-07 | g 火の見櫓観察記


642 松本市入山辺駒越 撮影日160807

■ 待避所があるような谷間の狭い道を進む。あやうく見逃すところだったが、かろうじて火の見櫓センサーがこの簡易な火の見梯子に反応した。ここは集落と集落の中間で周りには何もない。火災が発生したことを隣の集落に伝えるためにここの半鐘を叩くのだろう。離れた集落でこの半鐘の音が聞こえるのかどうか気になるが、騒音の無いこの地域なら聞こえるのだろう。長年使われてきていることでもあるし。関西国際空港のオープンエアダクトと同じような理屈で案外谷間では音が拡散しないで遠くまで伝わるのかもしれない(ほんとかな)。



角形鋼管(100×100×t*1)の柱に等辺山形鋼(50×50×t)を500間隔で留めて梯子にしている。斜面に控えを取って、梯子の転倒を防いでいる。半鐘を叩くときに立つ位置に鋼板で足場を設置してある。この位置に立つと半鐘がちょうど右手で叩きやすい位置になる。

このようなちょっとした工夫でずいぶん使いやすくなることを心得ておきたい。

*1 単位はmm 厚さtは分からない


この火の見梯子もそれがしさんのブログで知った。長野県内各地の火の見櫓を網羅的に紹介しているすごいブログ。

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― 松本市入山辺の火の見櫓

2016-08-07 | g 火の見櫓観察記


(再) 撮影日160807

この火の見櫓は2度目の掲載。やはり火の見櫓のある風景は趣があってよい。このように道路が後方に伸びているアングルが好ましい。 




半鐘は既に撤去され、モーターサイレンが設置されている。すぐ後ろに防災行政無線柱が立っている。やはり、見張り台に消防団員が登って半鐘を叩いて火災の発生を知らせるという旧来の方法が好ましい。

防災行政無線柱のスピーカーから人工音声を流すという間接的な、誰が伝えているのか分からない方法ではなく、人が直接伝えることが集落のコミュニケーションの基本ではないか。そう、人と人との直接的なつながりが大事なのだが、それが次第に希薄になっている。この火の見櫓から防災行政無線柱への移行からもその様が窺える。

屋根頂部の避雷針が傾いているのが気になる。



脚部は実にあっさりした構成。


 

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641 松本市入山辺中村の火の見櫓

2016-08-07 | g 火の見櫓観察記


641 入山辺中村地区の火の見櫓 撮影日160807

3角形の櫓に8角形の屋根と見張り台という、あまりない組合せ。この火の見櫓はそれがしさんのブログで知り、見に行ってきた。




見張り台まわりがにぎやか。半鐘のほかにモーターサイレン、スピーカー、消火ホースを架ける横材、投光器がついている。

山あいの集落に立つそれ程高くはない火の見櫓。見張り台の高さは約7メートル。


 

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茅葺き民家の棟納め

2016-08-06 | g 茅葺きの民家〇


茨城県常陸幸田(当時) 撮影7910

②-1
群馬県水上町藤原平出(当時) 撮影7910

②-2

 
鎌倉   撮影8104

昔はサービスサイズの縁付きプリントにネガ番号・コマ番号、それから撮影年月を記録していた。なんと「ズク」(*2)のあったことか。


「建築士」2010年5月号表紙

■ 茅葺き民家の棟納めには雨仕舞のための様々な工夫がこらされている。のえびのしっぽは飾りではない。棟を押さえた竹を縫い止める縄を雨から守るカバーで「針目覆い」と呼ぶ地方もある。

の民家は棟に草や木が生えているし、はアヤメの仲間のイチハツの花が咲いている。これは「くれぐし」と呼ばれる棟納め。

棟に土を載せ、そこに生える草の根をはびこらせ、あるいはショウブやオニユリを植えて、棟を固めて雨仕舞をするもの。くれぐしのくれは土塊(つちくれ)のくれで、ぐしは棟のこと。

雑誌「建築士」のバックナンバーを整理していて、の表紙が目に入った。茨城県常陸太田市にある西山荘で水戸の黄門様、徳川光圀公の隠居所として1690年(元禄3年)に造られた。(*1)1817年(文化14年)に焼失したが、1819年(文政2年)に再建された。

既に書いたが(過去ログ)、縄文時代の竪穴住居の屋根はこの民家の棟のように土葺きだったという。樹皮で屋根を葺いてその上に土を載せたものだったということが、発掘調査で明らかになっている。くれぐしはそのなごりということだろう・・・。


*1 1691年に造られたという記述も見られる。
*2 ズクは労をいとわぬやる気という意味の信州の方言。
 

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「春風ぞ吹く」宇江佐真理

2016-08-03 | g 読書日記



■ 『春風ぞ吹く 代書屋五郎太参る』宇江佐真理/新潮文庫を読み終えた。

主人公は幕府小普請組、村椿五郎太という若者。彼と幼なじみの紀乃は相思相愛の仲。ふたりとも結婚するならこの人、と決めているのだが、紀乃のお父つぁんがふたりの結婚を許してくれない。**「そなたが御番入りを果たした暁には翌日にでも紀乃を嫁がせてもよいのじゃぞ。しかし、紀乃がそれまで辛抱できるかどうか・・・。(中略)縁談はこの先、降るようにあろうと思われまする。ただし、紀乃の年を考えると、そう何年も待つことはできますまい。まあ、ここ一、二年の内でしょうな。しかし、それまでに五郎太殿が御番入りをされるか否かは・・・いやいや、難しい問題でござる」**(71頁)などと言われてしまう。

小普請組は職禄がつかないから、家禄だけで暮らさなくてはならない。父親を亡くし、母親と暮らす五郎太は水茶屋、今風に言えばカフェで代書屋のバイト、いや内職をしている。

五郎太は難関の学問吟味に合格して御番入り(って幕府の役職に就いて小普請組から脱却すること)ができるのか、そしてめでたく紀乃と結婚することができるのか・・・。

♪ 奮斗努力の甲斐も無く 今日も 涙の 今日も 涙の 日が落ちる 日が落ちる と嘆いたのは寅さんだが、五郎太は奮闘努力の甲斐があり、首尾よく学問吟味に合格して、紀乃と祝言を挙げることができる、というハッピー・エンドな青春小説。

努力は報われるという納得の結果にほっとした。

「がんばれば未来は開けるよ」若い人たちにも読んで・・・、いやよそうこんな爺臭いメッセージは。


宇江佐さんの作品で最初に読んだ『無事、これ名馬』の主人公、太郎左衛門は、村椿五郎太と紀乃の長男という設定になっている。


 

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