透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

なぜ?

2011-03-31 | A あれこれ



 やはり「なぜ?」という問いかけは時に必要だと思う。

月刊の建築雑誌『建築技術』の4月号の特集は「規基準の数値は「何でなの」を探るPart2」だ。建築の設計や施工などに関する諸々の規準、基準で定められている数値などが、なぜそうなっているのかを説明するという内容で、68のなぜ?が取り上げられている。

この特集の監修をされた和田章氏は**(前略)決めたときの議論を知る先達に、これらの根拠を説明していただくことは非常に有益である。**を書いておられる。

Q 4:官庁施設Ⅰ類の重要度係数を1.5、Ⅱ類を1.25としている根拠は?
Q21:杭基礎における、基礎スラブの根入れ効果による水平力の低減の上限を0.7とする根拠は?
Q25:杭頭水平精度(芯ずれ)の管理値±100mm及び傾斜1/100はなぜか
Q26:RC柱の帯筋のピッチを100mm以下としている根拠は?

このような「なぜ?」に専門の研究者が解説している。このような取り組みはどのような分野であっても必要ではないか、と思う。

今、私の「なぜ?」は原発の津波の想定高さについてだ。日本には50基を越える原発があるが、これらの原発は皆同じ算出基準に基づいて津波の想定高さが求められているのだろうか・・・。福島第1原発の5.7mという値の算出根拠が知りたい。土木学会の津波評価部会や東京電力にはそれを示す責務があるのではないか。

 

 


無関心だった・・・

2011-03-30 | A あれこれ

**原子力発電所の津波評価においては、「安全設計審査指針」,「原子力発電所の津波評価技術(土木学会)」の考えに基づき、敷地周辺で過去に発生した津波はもとより、過去最大の津波を上回る、地震学的に想定される最大級の津波を数値シミュレーション解析により評価し、重要施設の安全性を確認しています。** 東京電力のHPより

地震学的に想定される最大級の津波を「数値シミュレーション解析により評価し」ということは、想定される最大級の津波の高さをそのまま想定値にはしていないということなのだろうか、この数値シミュレーションが妥当なものであったのか、その検証がいずれ行われることになるかもしれない。いや、そこまでさかのぼることはしないかもしれない・・・。

原発のトラブルをどのように収束させるのか、国際的にも注視されている。 十分な睡眠も、満足な食事もとらずにそれこそ命がけで作業にあったている多くの作業員の方々に心から感謝する。 

いままで原子力発電には全く無関心で知識もなかった。これからどんなライフスタイルをとるべきなのか、安心して暮らせる社会システムをどのように構築するのか、国民的な議論が必要になるだろう・・・。

このところ、ブログのトーンがだいぶ変わってしまっている。徐々にもとに戻していこう。

メモ)
原子力発電所の津波評価技術」は土木学会の津波評価部会が平成13年度にとりまとめた(同学会のHPによる)ということだが、その部会の委員構成についてはこんな指摘もある。
→ http://www.isep.or.jp/images/press/report_0322.pdf  

 

 

 


目撃者

2011-03-29 | A あれこれ

 作家・小松左京が『日本沈没』を書きはじめたのは1964(昭和39)年、東京オリンピックが開催された年だった。このSF小説は完成までに長い年月を要し、出版されたのは1973(昭和48)年だった。小説はベストセラーになり、映画化もされた。

小松左京はこの小説で何を書きたかったのだろう・・・。小松左京は『日本沈没 第二部』小学館・発行2006年のあとがきに**(戦争で)「国」を失ったかもしれない日本人を、「フィクション」の中でそのような危機にもう一度直面させてみよう、そして、日本人とは何か、日本とはどんな国なのかを、じっくり考えてみよう、という思いで、『日本沈没』を書き始めたのである。**と書いている。

小松左京がフィクションで問うたことが、現実に起こっている。今まさにこの国のありかたが問われているのだ・・・。

トラブルの連鎖で終息に向かう気配のない原発事故。それに対して、専門家といわれる人たちの事実を過小評価しているとしか思えないような楽観的なコメントもあれば、一方では過剰としか思えない市民の反応もある。

寺田虎彦は正しくおそれることはむずかしいという言葉を残している。正しくおそれる・・・。 

正しくおそれるためは知識と冷静な判断力必要だ。 

・クリティカルな状況を一体どのような手順で終息させるのだろう・・・。
・放射性物質の飛散は風の作用が大きい。原発から、同心円状に20km、30km・・・という危険エリアの捉え方は実情に本当に合致しているのだろうか・・・。

今回の原発事故に無関心でいてはならない。


 


根拠

2011-03-27 | A あれこれ

 福島第1原発と女川原発の敷地の海抜を知りたくてネットで調べてみた。女川原発はすぐに分かった。東北電力のHPに約15メートルのところに立地してると記載されている。過去に経験した最大級の津波のおよそ倍の高さということも同HPに紹介されている。

福島第一原発についてはどうもはっきりしない。東京電力のHPでは見つけることができなかった。海抜5~6メートル位という資料が見つかったが、正確かどうか分からない。

福島第1原発は津波の想定高さを5.7メートル(福島第2原発は5.2メートル)としていたことが新聞記事などで分かった(ただしこの数値も正確かどうかは不明)。女川原発と同様、安全率を2倍にしていたなら、福島第1原発の敷地は海抜約12メートル以上ということになるが、東京電力のHPに掲載されている「施設全景を収めた空撮写真」で護岸の様子などを見ても、そこまではないように思われる。だとすると、安全率をもっと低く設定していた、ということだろうか・・・。

今回の原発のトラブルは非常用発電機が津波で機能しなくなったことに主因がある。津波の想定高さをどのようにして決めたのか、そして敷地の海抜が安全であると判断した根拠が知りたい。

今日(27日)の朝刊には過去の津波(869年に起きた貞観津波)を調査した研究者が、福島第1原発を大津波が襲う危険性を2年前に指摘していたという記事が載っている。ここで「たら」、「れば」となるが、その指摘を真摯に受け止め非常用発電機の改修をしていたら、していれば、今回の事故は防げた可能性が高い、と思う。 女川原発の立地がこのことを示している。

津波の危険性の指摘に直ちに応じる必要無しと判断した根拠が知りたい・・・。


メモ)
産業技術総合研究所 活断層・地震研究センターの研究による「貞観津波の数値シミュレーション」
http://unit.aist.go.jp/actfault-eq/seika/h21seika/index.html


安曇野の屋敷林

2011-03-27 | A あれこれ

 「屋敷林と歴史的まちなみプロジェクト」が安曇野に点在する屋敷林を調査する活動を続けていたが、ようやくその成果が1冊の本とマップにまとめられた(写真)。



本のあとがきによると平成20年6月に景観サポーターの屋敷林グループを中心に「屋敷林と歴史的まちなみプロジェクト」が設立され、以来18回の現地調査と、なんと55回の会議を経て、この度の活動報告の発刊になったという。

安曇野の景観を構成する要素として重要な屋敷林も近年次第に減少しているそうだ。プロジェクトのリーダーは巻頭の挨拶文でこのことについて触れ、その理由として、剪定費用が毎年かかること(所有者の費用負担は相当な額になるだろう)と近隣への落ち葉の気がねを挙げている。

プロジェクトでは今回の調査を屋敷林保全のためのファーストステップと位置付け、この先基金を集めたり、屋敷林の手入れの手伝いをするボランティアを募ったりするというような活動展開も構想しているようだ。

安曇野の屋敷林を守っていこうという取り組みが、景観や生活環境をどのようにして保全していくのか、という全国的な共通課題に対する有効な答えになることを期待し、このような活動を続けているスタッフの皆さんに感謝する。


安曇野市三郷にて


想定外って・・・

2011-03-26 | A あれこれ

「お久ぶりです」
「ほんと、久しぶりだね」
「この間の地震と津波、凄かったですね。テレビで鮮明な映像を見ていると、怖いし、被災者がかわいそう」

「福島第1原発で、津波の想定高さが5.7でしたっけ・・・」
「そう、それ以上高い津波を経験しているのに、なんでそんなに低いんだろうって思う。もちろん津波の高さって場所によって違うからね、V字形の湾内だったら、当然高くなるわけだし、地形によっては低いところもあるだろうけど・・・。その想定って土木学会の指針に拠るって新聞に出ていたね」
「その記事、私も読みました。土木学会というところで決めた値なら、大学の先生とか、専門家が学術的な知見によって決めているわけでしょう? 信頼できる値じゃないかって思いますけど。福島原発のあるところって、リアス式の海岸じゃないですよね。だから、津波もそれほど高くならないってことじゃないかな・・・。それが、今回14メートル。だから想定外ということでは・・・」

「でも、その想定値が低過ぎるんじゃないかと思って、土木学会、津波、基準で検索してみたら、こんな記事がヒットした。これを見て」
「土木学会原子力土木委員会津波評価部会の議事録、ですか・・・」
「土木学会の指針ってどうやら、この部会で決めたと考えられるって書いてある記事もみつかったから出力してみたんだけど」
「そうですか」
「この議事録には難しいことが書いてある。まあ、とにかく土木学会のこういう部会でいろいろ専門的なことを検討しているってことだね」
「何て言うのか・・・、電力会社というのか電力事業者というのか、そういうところの利害とは関係ない研究者が検討しているわけですよね」

「そうだと思うよ。でもね・・・、この評価部会が行われた場所って電力中央研究所っていうところだって、ある。いつもそうなのか、分からないけど。これって、財団法人なんだけど、理事長は電力会社の役員なんだよね、調べると」
「え、そうなんですか。学会とか、大学の会議室のようなところでいつも検討しているんじゃないんですか。津波の高さの想定とかをそういうところでしているとしたら・・・、なんだか、中立的なというか、第三者的な立場で議論しているのかどうか、気になりませんか」
「その辺は、よく分からないけど、気になるよね」
「李下に冠を正さず?違いましたっけ、意味」

「福島第1原発って、海抜どのくらいのところにあるんだろうね。津波の想定高さが5.7メートルなら、安全率を仮に2倍とすると12メートル以上のところになきゃいけないと思うんだけど、違うのかな。まあ、そのくらいの高さのところにはあるんだろうね、当然。女川原発は福島より高いところにあるらしいけど。あと気になるのは、非常用の発電機がどんなところに、どのような状態で設置されているのかだよね。発電機が全部アウト、なんてね・・・。こういうことって、情報公開できないのかな」
「テロとかに備えて秘密にしておく必要があるとか? ところで、復旧作業をしていた作業員が被曝して、病院に搬送されたんですね。大丈夫かな。なんだか、とても気の毒。作業員の奥さん、心配だろうな・・・」
「協力会社の作業員ということだけど、普通の作業靴を履いていたんだね。現場ではそのくらいの危機管理すらできていないってことなのかな。相当量放水しているから地下には水たまりがあるって、予想するよね、普通。でも大変だよね、危険な作業だからね。それこそ不眠不休で必死だろうね。だから、危険だって分かっていても作業を続けたのかもしれないね」
「そうですね、確かに。原発がはやく安全な状態になるといいですね・・・」


「今夜は飲み会は無し。飲んだつもりで募金しよう」
「つもり貯金じゃなくて、つもり募金ですね」
「そう」

以上、某カフェで聞いた会話。

なぜ原発にトラブルが発生し、危機的な状況にまで陥ったのか、何が問題だったのか、様々な観点から詳細に調査して欲しい


残念

2011-03-23 | A あれこれ

 吉村昭氏の『三陸海岸大津波』が上梓されたのは1970(昭和45)年のことだった。同書は2004年に文庫化されていて、私は文庫で読んだ。

吉村氏はまえがきを**専門的な知識は乏しいが、門外漢なりに津波のすざましさにふれることはできたと思っている。**と結んでいる。このまえがきには**或る婦人の体験談に、津波に追われながらふとふりむいたとき、二階屋の屋根の上にそそり立った波がのっと突き出ていたという話があった。**と記されていて、氏はこの話に触発されて津波を調べはじめたという。

同書には1896(明治29)年の明治三陸地震の時の津波の高さが20か所以上載っているが(文庫本73、74頁)、すべて10メートルを越えている。中には20メートルを越えているところもある。津波の襲来の仕方は場所によって千差万別、津波の高さを測る方法によっても異なることを断りつつ、伊木常識博士と宮城県土木課の手で算出さたデータを載せているのだ。

今日(22日)の朝刊(信濃毎日新聞)に、福島第1原発の津波の高さが5.4~5.7メートルと想定されていたことが報じられている。土木学会の指針に基づいた数値だという。この記事を読んで唖然とした。

東京電力の発表によると、福島第1原発で津波の高さは14メートルだったとのことだ。13台の非常用発電機すべてが津波で海水をあび、電源系統がトラブルを起こし動かなくなったとのことだが(週刊朝日3/25号の記事による)、5.4~5.7メートルという数値によっていたのではトラブルを起こすのは当然ではないか、と思った。女川原発はもっと高いところにある、と記憶している。

福島第1原発の諸施設の配置はどのようになっているのだろう。非常用発電機はどこにどのように設置されているのだろう・・・。

今回の津波の高さ、それに伴う非常用電源のトラブルが想定外だったということをどう受け止めればいいのだろう・・・。

ただ、今はこのような事態の終息に向けて危険に身をさらして奮闘している人たちに感謝しよう・・・。


「著書解題」

2011-03-21 | A 読書日記



**はじめから破壊されることを前提とした考え方に基づいた物作りの哲学は、今のところ工学畑では育っていない。一生懸命、壊れないようにものを作ることはできても、それを一旦壊れたらという想定に基づいて、別のシステムを考えておくことを、現在の一般的工学技術者に求めることは無理であろうか。**(119頁) 『地震と都市 壊滅の危機と防災』 村上處直/日経新書 1977



『著書解題 内藤廣対談集2』 

 広報誌「INAX REPORT」の連載、時代を画した本の著者に内藤廣が行ったインタビュー記事の単行本化。

「INAX REPORT 」で既に読んだものが大半だがこうして分厚い本にまとまると読み応えがある。集録されているのは『空間へ』磯崎新、『建築に何が可能か』原広司、の『代謝建築論 か・かた・かたち』菊竹請訓、『見えがくれする都市』槇文彦など・・・。

たとえ建築は取り壊されてもコンセプト(思想・哲学)は残る。磯崎新も黒川紀章もこのようなことをどこかに書いていた。建築という「もの」に比べたら、コンセプトという「情報」の方がはるかに寿命が永い。磯崎新の代表作を問われれば、僕は『空間へ』だと答える。

建築の「知層」、その断面が鮮明に見てとれる好著。


146 広告塔

2011-03-20 | A 火の見櫓っておもしろい


146 上田市丸子にて

 火の見櫓本来の役目を既に終えているのだろうか、広告塔と化した火の見櫓。取り壊されてしまうよりはいいか・・・。四角い屋根に丸い見張り台、細身の櫓はこちら、東信地方の火の見櫓に共通するデザインのようだ。


被災地の復旧・復興には相当時間がかかると思う。大切な人を失ってしまった被災者が再び平穏な暮らしを取り戻すことができるのだろうか・・・、心配だ。被災者のことをずっと気にかけていく、ということを自分に課そう。 このような状況ではあるが、今まで通り、設定したカテゴリーの記事も書きだそうと思う。


追記:その後撤去された。



東京消防庁警防部長の会見

2011-03-20 | A あれこれ

■ 昨夜(19日)の東京消防庁警防部長の会見 

その具体的で分かりやすい説明、原稿をたどたどしく読むのとは全く違う。
完全に状況を把握している。

全体の概要説明から細部の説明へ。
会見後の質問に対する簡潔にして的確な答え。

11日は都内の火災に対応し、12日から出動要請に備えて戦術を検討、周到な準備をしていたとは。
3方式の検討、検証。そして、現場の状況に合わせて再構築した計画。臨機応変な対応。
これぞプロの仕事! 涙があふれた・・・。





想定内

2011-03-19 | A 読書日記



**例えば、千年に一度の大地震がきた時に、地下の所の貫梁が先行して壊れるようなシステムにして一編、壊しておいて、それを戻す。(中略)その辺は常にフェールセーフというか、「リダンダンシー」の確保をやらないとダメなんです。(後略)**

**やっぱり、全く今まで前例がないものをやろうとしている時には、それくらい慎重にならなかったら、何があるか分からない。だって、地震だってまだ分かっていないわけすし、何も分かっていないんですよ。やっぱりそこのところを自覚しなきゃ。(中略)自然に対してはやっぱりすごく謙虚にならなきゃいけない。(後略)** 

以上 構造家・佐々木睦朗氏の発言(『内藤廣対談集 複眼思考の建築論』 INAX出版 37頁)

少し元気を出して中断していた「日々の読書」を始める。

先日届いたこの本は「INAX REPORT」に連載された内藤 廣さんのインタビュー記事を集録したもの。せんだいメディア・テークの構造設計をした佐々木さんのように千年に一度の地震を想定内としている技術者もいれば、全く想定外としている技術者もいる・・・。一体この違いは何に拠るのだろう・・・。 想像力かもしれない。



フォールトトレランス:失敗や障害が起きることを見越してどんな事態に陥っても全体としての機能を失わないようにすること。


信じる

2011-03-18 | A あれこれ



 明治29年、昭和8年の大津波。そして昭和35年のチリ地震津波。三陸海岸を繰り返し襲った大津波。

その都度甚大な被害を受け、多くの犠牲者を出しながらも、励まし合い、助け合いながら復興してきた人たち・・・。 

今回だってきっと元気を取り戻せる。そう信じる。



『三陸海岸大津波』 吉村昭/文春文庫 


耐える

2011-03-18 | A あれこれ

 全国には250~260万台もの飲み物の自動販売機があるという。 自販機の下についている表示プレートを見れば消費電力が500W~800Wくらいあることが分かる。この自販機を停止すれば相当の省エネになる。一時、自販機の停止ができないだろうか・・・。自主的にそうするところは出てこないだろうか。生活に欠かせないものだろうか。

この未曾有の大惨事、全ての国民が悲しみ、苦しみを共有しないとだめだろう・・・。「優しさ」とは他人の悲しみを自分の悲しみとして受け止めるということだ。苦しみを共有することだ。

被災者にとってつらいのは喪失感と孤立感ではないだろうか・・・。まるで自分には関係が無いかのような振る舞いは慎まなくてはならない、と思う。

信州の鄙里の春はまだ浅く、今朝も氷点下8度まで冷え込んだ。まだ湯たんぽが欠かせないが、寒さに耐えよう。湯たんぽなど使うのをもうやめよう。 被災者の、それこそやっと命をつないでいるような厳しい環境に比べたら、布団で眠れることが幸せでなくてなんであろう・・・。