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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

アートな戸袋

2012-08-31 | g 民家・町屋の観察〇

看板建築



■ 看板建築という名称は今から30年くらい前に建築史家・藤森照信さんよってつけられた。

『日本の近代建築 大正・昭和篇』藤森照信/岩波新書に**震災復興期の東京の下町には、震災前の軒の出た木造の町屋に代り、正面を立て板状にし、その上に銅板、モルタル、タイルを張って面白い飾りをつけた木造の商店建築が軒を連ねるが、こうした〝看板建築〟と呼ばれる形式(後略)**(135頁)という説明がある。

上の写真は品川駅のすぐ近くで見かけた看板建築(木造2階建の商店)の戸袋に施された銅板の造形。戸袋の意匠をこのようにすべて変えている。職人がいきな遊び心を発揮した、といったところか。

正面の壁面をこのようにしたのは意匠上だけでなく防火性能を少しでも向上させて延焼を防ぐという防災上の理由もあったのだろう。

あまり時間がなくてじっくり観察できなかったのは残念。


同行のN君から提供を受けた全景写真 撮影120822


 
看板建築@東京銀座  撮影060408


 

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安曇野の道祖神

2012-08-31 | g 道祖神〇



安曇野市豊科上鳥羽の文字書き道祖神

見事な筆づかい、見事な彫り。


 

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「ニッポンの国境」

2012-08-28 | g 読書日記


ここ数日の新聞記事/信濃毎日新聞

 今この国の国境について全く無関心、というわけにはいかない。新聞は連日この問題について報じている。


「ニッポンの国境」 西牟田靖/光文社新書

先日この本を買い求めた。内容については帯に簡潔、的確に記されている。そう、北方領土と竹島、それから尖閣諸島に関して**現地ルポと歴史で辿る、問題の原因と真相**が本書の内容だ。

著者は北方領土の国後島や色丹島に渡り、また竹島にも上陸している。尖閣諸島にも上陸を試みるも困難と知るや、飛行機で接近している。本書の強みは現地の「今」をレポートしているところだ。

以下、各島のレポートからの引用。

国後島 **ラリサさんがテレビの電源を入れ、室内アンテナの向きを調整すると、砂嵐の向こうにタモリが現れた。室内アンテナが北海道側の電波を拾い「笑っていいとも!」を映し出しているということらしい。日本語をほとんど理解しない彼らは、天気予報や料理番組を目当てに日本のテレビを見ている。**(102頁)

竹島 **「独島」という民族的なアイデンティティを強く感じさせる場所に向かう船は、あろうことか日本では使われなくなった中古船を買い取って塗り直した、かつての日本船だった。(中略)午後5時、三峯号はいよいよ竹島に到着する。着岸したのは東島の一部を埋め立てて新設されたコンクリートの埠頭である。埠頭には山頂から降りてきた慶尚北道地方警察庁所属の独島警備隊の隊員たちが出迎えた。**(162、165頁)

魚釣島(尖閣諸島) **飛行機は高度を最低で約150メートルまで落とし、魚釣島に肉薄した。島の南部にはちょっとした高台のような岩があり、島を周回している途中、パイロットは「中国人が上陸した岩」と教えてくれた。(中略)田舎にある携帯電話のアンテナ塔のような小さな灯台や岩肌に描かれた日の丸が見える。**(217頁)

現地レポートにかなり紙幅を割き、それに続けて問題の歴史的背景やその真相に関する著者の見解を述べている。

例えば尖閣諸島は現在個人の所有で、東京都も国も買い取る方針だと伝えられているが、本書には島を誰がどのような経緯で所有するに至ったのかも紹介されていて興味深い。

この国の国境の今と過去を知るのに有用な一冊だ。


 

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「少しだけ、無理をして生きる」

2012-08-27 | g 読書日記



■ 今月はあまり読書に時間が割けなかった。別にノルマを課しているわけではないが、1週間に1冊を目安にしたいと思う。

「官僚たちの夏」(←過去ログ)以来、久しぶりに城山三郎の作品を読んだ。1995年に福岡県内のある高校で行われた講演などをもとに構成したと巻末に記されている。

広田弘毅、浜口雄幸、渋沢英一、日本の政財界に名を残した3人。自らの利を計らうためではない、国家のために闘った男たちの生き様に感銘を受けた。


 

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340 東京神田の火の見櫓

2012-08-25 | g 火の見櫓観察記



■ JR中央線の御茶ノ水駅で下車して神田の本屋街に向かって坂道を下る。10分ほどで靖国通りとの交差点に至る。

340

交差点のすぐ近くに昭和3年建設のレトロな神田消防署駿河台出張所がある。屋上後方に火の見櫓が立っている。東京にいた頃、この通りを歩くこともあったが火の見櫓の存在には全く気がつかなかった。

 
撮影120822 


消防署の裏側へ廻ってみると正真正銘の火の見櫓だ。都心のビルの谷間にいまだに火の見櫓が立っているなんてまさに奇跡!





見張り台を支える構造 誠実な造り。


柱脚部分

東京の安全遺産として末長く建ち続けることを願う。


追記 140429 建物と共に解体撤去され、今は無い。

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339 高輪消防署二本榎出張所

2012-08-25 | g 火の見櫓観察記

 339

 

東京港区高輪の高輪消防署二本榎出張所 鉄筋コンクリート造3階建て 
昭和8年の建設 平成22年3月に東京都選定歴史的建造物に選定された。
円形講堂(現在は資料展示室)の上に望楼が造られている。






階段室のスチール製突き出し窓


非常用照明として設置されたガス灯 アールヌーボー風の意匠

撮影120822


 

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338 松本市安曇の火の見櫓

2012-08-17 | g 火の見櫓観察記

 338


松本市安曇支所(旧安曇村役場)の近くに立っている火の見櫓 撮影120816

①地上10メートル位のところに見張り台と屋根を設け、半鐘を吊るすこと
②見張り台までの昇降を可能にすること
③姿・形(フォルム)が美しいこと
④合理的な構造であること
⑤建設コストをできるだけ低く抑えること

現在立っている火の見櫓の大半は昭和20年代後半から昭和30年代にかけてつくられたものだが、これらの条件を見事にクリアしている。繰り返し何基も手掛けて、次第に洗練されてきたデザインだからということなのかもしれない。当時の職人は優れた美的センスと構造センスを兼ね備えていたということなのかもしれない。おそらくその両方だろう。ではこのような現代の火の見櫓はどうだろう・・・。


 

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330~337 松本市奈川の火の見櫓

2012-08-16 | g 火の見櫓観察記

 早起きして夜明けの空を観賞(前稿)。それから松本市奈川(旧奈川村)まで出かけて火の見櫓巡りをしてきた。 

 田ノ萱 

まわりを山で囲まれたこの集落に朝日が射すのは遅い。細身の火の見櫓が地区の集会施設の隣に立っていた。見張り台の大きさに比べて屋根が小さい。梯子の段数と1段の高さを調べて見張り台の床までの高さが約9メートルであることが分かった。


 330


反対方向から見る

櫓の中間にも半鐘が吊るされている。


 金原



 331



簡便な構造の火の見櫓 


 大平

 332




金原と同様の型(タイプ)の火の見櫓 かなり錆ている。



 坂ノ曽

 333



櫓が、いや梯子がアングル材(等辺山形鋼)のみでできているシンプルな火の見梯子。火の見梯子ってなんだかしっくりこない。便宜的にこれも火の見櫓としておこう。高さは約3メートル。

 寄合度

 334



モーターサイレンが設置されているからもう半鐘の音を聞く機会はないのかもしれない。山峡に半鐘の音はよく響いただろうに・・・。集落内の生活道路沿いに立っていて、幹線道路からはこの時期木の陰になって目立たない。辛うじて我がヤグラセンサーが反応した。よかった。


 保平

 335





ブレースがすっきりしているのはパイプ式タンバックルを使っているから。パイプ式ターンバックルが火の見櫓に使用されるのは珍しい。いや、極めて珍しいと言っていい。これは比較的新しい火の見櫓だろう。

 神谷

 336

この火の見櫓も幹線道路からは見えにくいところに立っていて、危うく見逃すところだった。感度良好なヤグラセンサーに助けられた。

見慣れた火の見櫓とは違う。どこが違うんだろう・・・。見張り台が4隅の柱の中に収まっている。それから屋根。軒の出がほとんどない。それから形が10角錐! 10角錘の屋根を見るのはおそらく初めてだと思う。







10角錘の屋根




参考:12角錘の屋根   松本市惣社の火の見櫓


 古宿

 337



見張り台は何角形か数えることができない程の多角形。これも珍しい。

この夏休みに火の見櫓巡りが2回できた。満足、満足。


 

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― ことばの定義

2012-08-15 | g 火の見櫓考〇

 

1 柱 

上部の荷重を支える垂直に立てた部材

柱という言葉を定義づけることはなかなか難しい。「垂直に立てた」としたが、斜めに立てた柱だってある。単材、1本の材料としたいが複数の材料を組み合わせた組柱だってある。荷重を支えるという機能を持たない柱だってある。でもまあ、上記のような定義で可としておこう。部材は単材としても差し支えない。

電柱、支柱、親柱、大黒柱、床柱、通し柱、管柱、束(短い柱)、付け柱、それから・・・、回向柱、消火ホース乾燥柱。


戸倉上山田温泉にて  写真提供Tさん

立体的な構造でないと櫓とは言わない。従ってこのような1本柱の構造は櫓ではない。千曲川のほとり、戸倉上山田温泉でこれを見かけたTさんが写真を撮ってきてくれたが、なんと呼べばいいのだろう・・・。単純に考えれば火の見柱か。

やっぱりこれも火の見「櫓」だなぁ。


2 梯子 

足場となる横材とそれを支える両側の縦材で構成される昇降のための道具

梯子を定義すればこんなことになるだろうか。木やアルミでできている一般的なものや鎖や縄でできているものもある。


海野宿にて 

火の見「櫓」というからには立体的な構造であることが必須の条件と言える。従ってこのような梯子状の火の見は櫓ではないが、一般的な慣習に従ってこのようなものも含めて火の見櫓としている。でも火の見梯子と呼称すべきだろう。


3 櫓

上部に物や人を載せるための立体的な構造物

櫓を定義すればこんなことになるだろうか。火の見櫓の他には、やぐら太鼓、月見櫓(松本城)、櫓造り (←民家 昔の記録より)・・・。

塔は物や人を上に載せるという明確な機能を備えていることはない。広告塔、電波塔、五重塔、ピサの斜塔、送電鉄塔、消火ホース乾燥塔・・・。


辰野町にて 

高さ3メートル程の小さなものだが、火の見櫓を構成する要素がすべて揃っている。梯子に手すりが付けられていて、製作者の優しい心づかいを感じる。

火の見櫓の平面形には三角形と四角形がある。ひっとすると多角形もあるかもしれないが・・・。四角形は正方形に限られるだろうと思っていたが、先日立科町で台形の火の見櫓を見た。


4 櫓



火の見櫓は建築基準法に規定されている工作物に該当する。これから建設しようとする場合には確認申請をして構造の安全性などのチェックを受ける必要がある。構造設計者が検討すれば、こんなにごつい部材を使うことになるのかな。では既存の火の見櫓の構造安全性をチェックすればNGになるのだろうか。そもそも上手く解析できるのかな・・・。


 

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茅葺きの民家

2012-08-15 | g 茅葺きの民家〇


立科町宇山にて 撮影120813

 久しぶりに茅葺きの民家を見かけた。学生時代には民家を訪ねて全国あちこち出かけたものだ。
この頃は火の見櫓にすっかり心を奪われてしまっているが、それでも民家を見ると心が踊る。

屋根の葺き替えが大変で傷みやすい棟廻りや全体をトタン(着色亜鉛鉄板)で包んでしまっている場合が多く、このように茅葺きのままで残っている例を見かけることは稀。

この写真では屋根の頂部に据えてある棟木が木なのか竹なのかが分からない。棟の押さえ方も分からない。昔ならもう少しきちんと観察しただろうに・・・。

*****



何故か民家には庭先に咲く花と軒下の洗濯物がよく似合う。昔からそう思っていた。上の写真は今から33年前(1979年8月)に北安曇郡白馬村で撮ったもの、やはり花と洗濯物が写っている。



同じく33年前(1979年4月)に埼玉県入間郡名栗村?(当時)で撮った民家


 

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雑想

2012-08-14 | g 道祖神〇



 このところブログが火の見櫓一色になっているが、これは私の本意ではない。火の見櫓は趣味のひとつ、というくらいの位置付けにしておきたい。

立科町では何体もの道祖神を見かけた。火の見櫓や道祖神が多いというのは歴史ある町であることの証左、と言っていいだろう。新しい町にはどちらも無い(ここで注意したいのは古い町でもどちらも無いこともあるということ)。

立科町から旧北御牧村、旧望月町あたりは周囲をたおやかな里山に囲まれたのどかな田園地帯で、いくつもの集落が散在している。それらの集落には火の見櫓があって、路傍には道祖神が祀られている。連綿と続けられてきた素朴で堅実な暮らしをそこに感じる。人びとの地域を慈しむ優しい心も。

この道祖神は同町西塩沢で見かけた。平安貴族風のスタイルの男神と女神が並び立つ道祖神だ。十二単衣(としていいのかな)を着た女神が酒器を傾け、冠をつけた(これも違うかな)男神の盃にお酒を注ごうとしている様が彫られている。

双神の顔の向きがいい。正面でもなく対面でもなく、やや内側を向いている。上にあるのは(たぶん)神殿造の基本的なアイテムだが、さて困った、名前が分からない・・・。

今在る火の見櫓は戦後、昭和20年代後半から30年代半ばころまでのものが大半、道祖神は江戸末期から明治のものが多い。前者は鉄の造形、後者は石の造形だ。対象こそ違え、そこには職人の美意識が反映されている。それをきちんと感じ取ることができるかどうかは偏に私の感性と知性にかかっている。このことを肝に銘じておきたい。


 

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328 329 上田市(旧武石村)の火の見櫓

2012-08-14 | g 火の見櫓観察記

 
328


危うく見落とすことろだった銘板

完成 昭和29年4月26日 第36号 と読める。

下は同じ高田鉄工所の銘板 東御市内にて


 
329




 立科町の火の見櫓巡りの帰路、旧武石村(現上田市)の火の見櫓を少しだけ見て廻った。2基とも東信方面のオーソドックスなタイプで特に挙げる特徴もない。 こんなことを書いて済ませてしまうのは疲れている証拠。


 

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323~327 東御市の火の見櫓

2012-08-14 | g 火の見櫓観察記

東御市田楽平


 立科町虎御前の火の見櫓を見たあと、県道167号線(丸子北御牧東部線)で東御市へ。東御市に入って最初に出会った火の見櫓。消防庫と火の見櫓が別々に建っている! って別に驚くことでもないが。消防庫の屋外階段に半鐘が吊るされていた。この半鐘を叩くことがあるのかどうか、分からない。


 
323

■ 今回は写真の適当なアングルが逆光になってしまうケースが多かった。この火の見櫓の場合、東側から順光で撮ろうとすると脚元にバス停やカーブミラーが写ってしまう。電線や電柱が邪魔なのは毎度のことだ。





銘板が外れて脚元に落ちていた。建設年月が記されていないのは残念。


東御市上八重原 

 
324




東御市中八重原

 
325





消防庫に付けられている銘板 「鉄骨建築 警鐘ロー」 なぜ警鐘楼と表記しなかったのだろう・・・。


畔田
 
326



八反田(旧北御牧村)

 
327

火の見櫓の後継、消火ホース乾燥柱 なんとも味気ない立ち姿。




海の中を泳いでいたからといって魚とは限らない。海の中を泳ぐ鳥だっている。海の上を飛んでいたからといって鳥とは限らない。海の上を飛ぶ魚だっている。

半鐘が吊るしてあるからといって火の見櫓とは限らない。消火ホース乾燥柱に半鐘が吊るしてあることだってある。半鐘が無くて消火ホースが干してあるからといって乾燥塔とは限らない。火の見櫓のことの方が多い。


* 柱、梯子、櫓、塔  これらの類似語について使い分けをしなくてはならない。このことについては稿を改めて書きたい。



 

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320~322 佐久市の火の見櫓

2012-08-14 | g 火の見櫓観察記

 
320

 鉄筋コンクリート造の消防倉庫の屋上に建てられた火の見櫓

6段のブレースは全てリング式ターンバックル付き。フラットバーの交叉ブレースより櫓は透けている印象だ。下の長和町の火の見櫓と比較すると、「スケスケ感」の違いが分かる。



 屋根と見張り台

避雷針に付けられた矢羽根と根元に付けられた飾り、それから四隅の小さな蕨手。共に細い鋼材による繊細なつくり。

見張り台の手すり子も細い鋼材でつくられている。手すりのすぐ下の曲線によるデザインは女性的。立科町と同様に見張り台に赤色灯が設置されている。

見張り台に比して屋根が小さいのもこの辺りの特徴か。



■ 水平ブレース

櫓の下部に設置された水平ブレース。このブレースの必要性、有効性は私には分からない。



■ コンクリート基礎

旧望月町(たぶん)にて 撮影 120813


  
321 旧武石村(現上田市)にて 撮影120813


 
322 後方の建物は佐久市望月支所







なかなか優れたデザインだと思う。ただ残念なことに屋根が無い。

撮影 120813


 

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310~313 立科町の火の見櫓 その4

2012-08-13 | g 火の見櫓観察記

17 (前回からの通し番号) 赤沢
 
310

 先日立科町の火の見櫓巡りをした(立科町の火の見櫓 その1、2、3)。特に下調べをして出かけたわけでもないので、見落としが何基かあった。それで再び立科町の火の見櫓巡りをした。

今回はこの町在住のYさんと朝6時半過ぎに役場の駐車場で待ち合わせて、8時ころまでナビをしてもらった。彼女のおかげで効率よく廻ることができた。Yさん 忙しい迎え盆の日にすみませんでした。ありがとうございました。

まずは役場の近く、赤沢の火の見櫓。この町では一般的な型、消防庫を跨ぐ火の見櫓。


 18 平林

 
311





鉄筋コンクリート造の消防庫の屋根スラブには雨仕舞のための勾配がついている。火の見櫓は後方の柱脚部をコンクリートの独立基礎で「かさ上げ」して建てている。これは比較的新しい火の見櫓。鋼材の錆止めはコストを考えれば塗装だろうが、この色は亜鉛メッキかもしれない。確認するのをうっかり忘れた。


19 柳沢

**柳沢に、畑の中にうもれて、脚だけカットされたような珍妙な櫓があったので、再訪の際はぜひ探してみてください** それがしさんからこのようなコメントをいただいていた。その火の見櫓がこれ。

 
312



ぶどう畑にかくれていて道路からは分かりにくい立地。Yさんがあらかじめ調べておいてくれたおかげで、迷うことなく行くことができた。

確かに櫓の下半分が地中に埋もれてしまったかのようだ。



別の方向からはこんな様子。





脚元に注目。これは踊り場の床だ。この火の見櫓はどこか別の場所から移設したのだろう。下の写真で梯子の支柱を溶接で留めていた痕を2ヶ所確認することができる。これで櫓の下部をカットして上部だけを据えたということが分かる。


20 虎御前

 
313





前回は手前の五輪久保という地区の火の見櫓を見て引き返した。あたり一体は果樹園で、もうこの先には集落はないだろうと思ったから。だが、虎御前という変わった地名の集落があった。

でもこの勘は全く外れていたわけではなかった。Yさんが用意してくれた立科町の地図を見ると、確かに上田市、東御町との境界がすぐ近くだった。

虎御前という変わった地名の火の見櫓は消防倉庫の後方、小高い場所に立っていた。このような地形を利用することは珍しくはない。

既に書いたことの繰り返しになるが、この火の見櫓もスレンダーな櫓で、上部はバックルのないブレース、下部はリング式のバックル付きのブレース、四角い屋根に丸い見張り台という型(タイプ)で、東信に多いという印象。


 

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