透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

希望

2023-09-30 | E 朝焼けの詩


2023.09.30 05:34AM


2023.09.30 05:39AM

こんな朝焼けには「希望」ということばが相応しい。


新聞に掲載されている今日の長野県内40地点の天気予報を見ると、午後6時まで傘マークはひとつもない。


スケッチ展開催のお知らせ

2023-09-30 | A 火の見櫓のある風景を描く

火の見櫓のある風景 スケッチ展 ②

会期:10月4日(水)~10月29日(日)
  (午前10時~午後6時  月, 火休み)

会場:BELL WOOD COFFEE LAB
       ・安曇野市豊科3197-1 
       ・0263-75-3319

会場で原画をご覧いただき、火の見櫓のある風景っていいな、と思っていただけたらうれしいです。

土日の午後は在廊の予定です。
平日の在廊日はその都度お知らせします。

※ スケッチ展が始まるまで、この記事を上位に置きます。






   530

案内カードをデザインしていただいた、BELL WOOD COFFEE LABの鈴木さんによると②はマンホール蓋からの連想だとか。デザインの意味が分かって、なるほど!




 


禁酒4日

2023-09-28 | A あれこれ

 日記(ダイアリー)は三日坊主の代表。でも自分には無縁だ。

1981年以降のダイアリーが自室にある。で、今年、2023年のダイアリーが43冊目。1980年以前に日記をつけていたのかどうか・・・、記憶にない。だが、43年間続けてきたことは確か。

飲酒の有無をダイアリーに記録し始めたのはいつだったんだろう・・・。過去のダイアリーをチェックして2004年7月26日(月)からと分かった。そんなに前からだったのか、と自分でも驚いた。

ダイアリーに飲酒記録を付け始めたころは、休肝日を設けてはいなかった。飲みたい日には飲むという生活。それが今では休肝日が週4日、週3日しか飲んではいけないという我が肝臓に実に優しい決まりを課している。 肝臓はぼくに感謝して欲しい(って変か?)。

見開きで1週間分というダイアリーを使っているが、欄外に禁酒4日と記し、守ることができたらを付けている(写真)。これはいつから? 2016年6月27日(月)からと分かった。ただしこの時は禁酒3日。では、禁酒4日はいつから? 調べるのをやめた。


間もなく10月。早くも39週が過ぎ去っていく(*1)。この間、禁酒4日が守られず、が付いたのはたった3回。すばらしい!(って、ただそれだけのこと。別にブログに書くことでもないが・・・)。で、今夜は


*1 1月2日(月)の週から、9月25日(月)の週で39週


瑞兆

2023-09-26 | E 朝焼けの詩


2023.09.26 05:29AM
早朝、東の空を見る
朝焼けの予兆
それから5分後・・・


2023.09.26 05:34AM

信濃毎日新聞に掲載されている長野県の天気予報は、午前中晴れ、午後曇りの所が多い。午後閉じた傘のマークが40か所中6か所。


 


「羽州ぼろ鳶組 襲大鳳 下」

2023-09-25 | A 読書日記

**安永三年、幕府に弓引く凶人あり。尾張藩の者の屋敷を立て続けに焼き、遂には御曲輪内の一橋家をも焼かんと窺う。
しかし、ここに二十一年前に死んだと思われていた火消現れて大いに奮戦す。その名、伊神甚兵衛なり。かつて炎聖と呼ばれし伝説の火消に候。
伊神甚兵衛、その命を懸けて民を救って斃れるも、かつて黄金の世代と呼ばれし火消たち、十八年の時を経て一堂に会し、奮起して焔に立ち向かう。火消の意志は斯くして受け継がれ、御府内の安寧が守られていることを改めて想う。
江戸火消天晴也。**(334頁)物語の最後に載っている読売の文面を引用した。簡にして要を得た記事、当たり前か。

『羽州ぼろ鳶組 襲大鳳 下』今村翔吾(祥伝社文庫2020年初版第1刷、2023年第5刷)を読み終えた。あとがきによると、作者はシーズン1の最終回のつもりでこの「襲大鳳(かさねおおとり)」を書いたという。謎解き的な物語でもあるので(と、言い訳をして)、あらすじは省略。

**「古き者の知恵でもどうにもならぬ苦難に直面した時、打ち破るのはいつの世も若き力よ」**(259頁)

加賀藩火消の頭取・大音勘九郎が所属の異なる三人の町火消の鳶、慎太郎と藍助、慶司にかけたこのことば、作者の若い読者に向けたエールとも取れる。

江戸の火消したちの火消連合のような横の繋がり、それから黄金の世代と呼ばれた火消たちと若い世代との縦の繋がり。多様に繋がる火消たちの奮闘ぶりが描かれた物語。多くの登場人物に活躍の場を与え、物語を構成していく今村翔吾という作家はすごい。


 


朝焼け 今日の天気は?

2023-09-25 | E 朝焼けの詩


2023.09.25 05:28AM
今日(25日)の朝焼けは10秒間くらいだったかと思うが、木星を思わせる表情だった。
その後、黒くてなんだか不気味な雲が消えて朱色の帯だけが残った。
ドラマチックな朝焼け。


2023.09.25 05:29AM

「夕焼けは晴れ、朝焼けは雨」と言われるけれど、新聞のお天気欄を見ると長野県内の全40地点で終日晴れになっている。


 


残念・・・

2023-09-24 | A 火の見櫓っておもしろい


 9月21日付 信濃毎日新聞に上掲した見出しの記事が掲載されました。大きく紙面を割いた記事です。9月14日には同じ内容の記事が市民タイムスにも掲載されています。

新聞記事で紹介されていますが、10月1日の午前10時から穂高町区公民館で「まちの安全遺産 火の見やぐらを語る」という会が開催されます(主催:ココブラ信州実行委員会)。この会で火の見やぐらのミニ講座を計画していただきました。今、そのためのパワポをつくっています。


ここにこの火の見櫓について書いた過去の記事を再掲します(2019.12.03  一部省略)。

 櫓の踊り場に2m四方ほどの大きさの小屋を据えた火の見櫓。その小屋から上は見慣れた火の見櫓の姿ですが、下は火の見櫓というより、大きな送電鉄塔を思わせる姿です。小屋までは梯子ではなく、階段が設置されています。

穂高神社の近くに立つこの火の見櫓は、元々黒部ダムの建設工事(昭和31年着工、38年竣工)で、高瀬川骨材採取製造場(ここで採取した石を所定の大きさに砕いてコンクリートの骨材にしていました)に監視塔として立っていたことが安曇野のヤグラ―のぶさんの取材で明らかになりました。

ダムが完成して不要になった監視塔を旧穂高町(現在の安曇野市穂高)が払い下げを受け、昭和42年(1967年)に火の見櫓として移築して現在に至っています(この経緯についてはのぶさんが、当時の関係者にヒアリングをしてご自身のブログで記事にしています→こちら)。

何年か前、この火の見櫓の周辺をウォーキングするという企画がありました。で、この火の見櫓の小屋まで登ることができるということだったので、参加したのですが、残念ながら最終的に許可が下りなかったようで、当日は登ることはできませんでした。

*****

既に取り壊されてしまった古い建築の例えばタイル張りの外壁のごく一部が残されていれば、その「現物」を視ることでタイルのサイズや色、表面性状(テクスチャー)、成分、目地の幅や形状など、様々な情報を引き出すことができます。このことはタイル張りの壁片が建設当時の建築技術(タイルの焼成技術、職人の技・・・)を記憶している、と言い換えることもできるでしょう。

このような情報は、写真や文章からはなかなか引き出すことができません。「間接的な情報」からタイル張りの壁面を忠実に再現することは難しいのです。同じものを再現するためにはどうしても現物が必要です。

古い建物の保存には人びとの遠い過去の記憶に符合する風景を残したいという素朴ともいえる欲求に応えるという意味があり、それに加えて技術の確実な伝承という意義もあるのです。

江戸の前期、具体的には明暦の大火(1657年)によって都市防災という概念が生まれ、そのころ火の見櫓の歴史が始まったのですが、ここにきてその長い歴史に終止符が打たれようとしています。火の見櫓の後継として消火ホース乾燥タワーや防災無線柱が建てられ、火の見櫓が次第に姿を消しているのです。

「時代の流れ」だから仕方がないとあきらめてはいるものの、やはり寂しいです。穂高の火の見櫓は黒部ダムの建設という昭和の国家的な巨大プロジェクトに関わり、その後火の見櫓として穂高の街を見守り続けています。

この火の見櫓は近代産業遺産でもあり、地域の安全遺産でもあります。また、昭和30年代の櫓構造の技術を今に伝えてもいるのです。このままの姿でずっと立ち続けて欲しいと願っています。

火の見櫓が取り壊されること、それは街の記憶装置の喪失に他なりません。

 初稿:2014.01.25 



左:2014.04.25撮影  右:2019.05.26撮影






「襲大鳳」

2023-09-21 | A 読書日記


「羽州ぼろ鳶組」シリーズ『襲大鳳(かさねおおとり)上下』

 

 隙間時間の細切れ読書ではダメ。ということで、上巻を読み直した。

登場人物が多く、私のキャパを超えている。で、2ページに亘る登場人物リストを時々確認しながら読み進んだ。上巻では「故 伊神甚兵衛」が下巻では「伊神甚兵衛」となっている。そう、羽州ぼろ鳶組の頭取・松永源吾の父親である松永重内とともに炎の中で果てたと思われていた伊神甚兵衛がこの壮大な物語のキーマン。それからリストの唯一の違いは上巻には載っていない御三卿 一橋治済が下巻に載っていること。これ、ネタバレ的ヒント?

尾張藩屋敷を襲う連続爆発・・・。死んだはずだよお富さんは春日八郎か、などとおふざけは止め。死んだはずの伊神甚兵衛が生きていた! 

**「この火付けは俺が止める」
  「なっ・・・・・一体それはどういう――」
  「過去の因縁は亡霊に任せ、お前たちは今の江戸を守れ」**(335頁)

上巻のラストで源吾と甚兵衛が交わした会話。下巻でこの会話の意味が明かされるだろう。今村翔吾という作家は構想力が凄い。さあ、下巻。


 


84円切手

2023-09-21 | D 切手

   
 送られてきた封書に貼られていた84円切手。え、こんなにシンプルなデザインの切手があるんだ。

調べて、2021年11月5日に発行されたグリーティング切手だと分かった。84という数字にNIPPONというマイクロ文字が並ぶことを知り、切手を見たが、文字が小さすぎて見えない。写真を撮って拡大してみると、確かに。


 


人参をぶら下げる

2023-09-18 | A あれこれ

 人参をぶら下げるという行為は他人に対してより、自分自身に対して行うことの方が多いのでは。少し先に楽しみなことを計画して、その日まで頑張る。このきつい仕事を終わらせたら、よく冷えたビールを飲もう。こんなことも人参をぶら下げる行為、と言える。

来年のことを言うと鬼が笑うとか。結構、鬼には大いに笑って欲しい。来年1月に四国の松山に行くことになった。33会(中学の仲良し同級生の親睦会で3年3組だったことに因んでつけた名前)の旅行。これは私にとって大きな人参で、その効果も大きい。

2006年に京都に行ったのが33会の旅行の始まりで、2013年東京(1泊でおのぼりさんした)、2015年奈良、2017年大阪、そして2019年出雲、と1年おきに旅行をしてきた。だが、その後はコロナで旅行していなかった。で、松山が5年ぶりの旅行ということになる。気の置けない仲間と出かける旅行は楽しい。

その前、年内の楽しみ、いや人参は10月4日から29日までの会期で豊科のカフェで開催するスケッチ展。期間中、会場で知人・友人と再会できると思うけれど、それが今から楽しみだ。11月には東京で大学時代の友人と旧交を温める機会があるかもしれない。

まあ、このように人参をぶら下げて、それを楽しみにあれこれ頑張るという生活を続けよう・・・。


 


週末には映画を観よう

2023-09-17 | E 週末には映画を観よう

 週末に(いや、週末に限らないが)観た映画について何か書こうとカテゴリーを設けてある。このところサボっていたので、まとめて3作品を備忘録として載せておきたい。

寅さんシリーズ第7作「男はつらいよ 奮闘篇」

マドンナは旅先の沼津で出会った花子(榊原るみ)。花子には軽度の知的障害がある。そんな彼女に寅さんは優しく接する。旅先の寅さんは本当に人に優しい。なんらかのトラブルを抱えた人と出会うことが多いけれど、寅さんはそんな人たちをいつも励ます。柴又のとらやではおいちゃんやタコ社長とよくケンカするけど。

何かあったらとらやを訪ねるようにと言って、用立てた青森までの汽車賃を花子に渡す。青森に帰るはずの花子はとらやに来ていた。花子のために何かと世話をする寅さん。

何日か経って、青森から福士先生(田中邦衛)がとらやに花子を迎えにくる。花子は先生と一緒に青森へ帰っていく・・・。


マドンナ花子の「寅さん好き度」 花子は寅さんの優しさに惹かれていた。

★★★☆☆ 福士先生と一緒に青森へ


天空の城 ラピュタ

宮崎作品を「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「となりのトトロ」「風の谷のナウシカ」「風立ちぬ」と観てきた。で、しばらく前に「天空の城 ラピュタ」を観た。宮崎 駿という人は空が好きなんだろうな、飛ぶことが好きなんだろな・・・。これで主な宮崎作品を観たことになるのかな。


ブルージャスミン

偶々、TSUTAYAのレンタルDVDのコメディの棚で目にした。予備知識は全く無かったがコメディ作品なら笑ってしまうような場面が頻出するだろうと思って借りた。

ニューヨークでセレブな生活をしていた女性の転落物語で、笑う場面など無かった。なんだか期待外れだなと途中で思ったけれど、最後までなんとか観た。


3作品ともおもしろいと思わなかったのはこちらの心模様故か。たぶんそうだろう。


松本市野溝東の火の見櫓

2023-09-15 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)松本市野溝東 野溝公民館隣り 3柱66型 ショートアーチ脚 2023.09.15

 この火の見櫓を見るのは初めて、と思っていたが、確認すると2016年3月に見ていた。全く記憶になかった。脳の劣化が始まっているのだろう。


高さおよそ14m。背の高い部類に入る。


半鐘を覆い隠すようにスピーカーが設置されている。その数、11基。


分かりずらいが、見張り台の床にはハッチが設置されている。高所でハッチを開閉するのも大変だと思う。


踊り場床面の開口


脚部 アーチ形の短い部材で補強している。


 


松本市野溝西の火の見櫓

2023-09-15 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)松本市野溝西 3柱1構面梯子型 2023.09.15


 数日前、偶々SVでこの火の見櫓を目にして、出かけてきた。現地について、既に観ている火の見櫓だと気が付いた。すき焼き鍋のような双盤が吊り下げられている。その様子から、櫓の中で梯子を登ってこちら向きで双盤を叩いたことが分かる。




2016年3月に撮影した写真④には木槌が写っているが、その吊り下げられている位置からもこちらを向いて双盤を叩いていたことが分かる。


脚部 ブレースが設置されていない。


道路の反対側に水路があり、火災時にせき止めて水源として使うための堰板が用意されている。