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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ブックレビュー 2010.12/ 2011.01

2011-01-30 | g ブックレビュー〇



 文庫は新潮、新書は中公

『ことばと思考』 今井むつみ/岩波新書  
**異なる言語の話し手は世界の見え方が違う?!** 言語と認識との関係、興味深いテーマに実証的に迫る。

『古都』 川端康成/新潮文庫
昨年は川端康成の作品を何作か再読した。季節のうつろいを織り込んで描く人生の機微。

『おそめ』 石井妙子/新潮文庫
人生山あり谷あり。

△2010.12


▽2011.01

『生命を捉えなおす 生きている状態とは何か』 清水 博/中公新書 年越し本
**生きている状態にあるシステムは情報を生成しつづける**  様々な階層、レベルの生命システムに共通する普遍性。

『太陽系大紀行』 野本陽代/岩波新書
1957年、初の人工衛星打ち上げ。それから50年、多くの探査機がもたらした太陽系の惑星や衛星、小惑星の情報。

『小惑星探査機はやぶさ』 川口純一郎/中公新書
「はやぶさ」プロジェクトマネージャが解説するミッションのすべて。

『「鉄学」概論 車窓から眺める日本近現代史』 原武史/新潮文庫 
「鉄」は広い、「鉄」は深い!

『センセイの書斎 イラストルポ「本」のある仕事場』 内澤旬子/河出文庫

『血族』 山口 瞳/文春文庫 
良書には再読させる力がある。カバーデザインは田中一光(日本を代表するグラフィックデザイナー)。

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135 火の見櫓夕景 

2011-01-29 | g 火の見櫓のある風景を撮る〇


135 冬のフォトアルバム  110128撮影

火の見櫓夕景  松川村細野にて この透明感・・・ 


 

コメント (2)
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133 134 火の見櫓センサー

2011-01-27 | g 火の見櫓観察記


133 塩尻市洗馬


134  塩尻市洗馬の火の見櫓


 先日友人に「火の見櫓センサーがついているみたいですね」と言われた。

長野道を走っているとき、何基か火の見櫓が目に入ったのでそれを指摘した際、そう言われた。自分でもそう思う。今まで気がつかなかった火の見櫓にこの頃気がつくようになった。

先日塩尻市の洗馬(せば)というところでこの2基に気がついた。何回か通ったことのある道路沿いに立っている火の見櫓だが、今まで気がつかなかった。火の見櫓センサーが作動したのだろう。

上の火の見櫓、つま先立ちしているかのようだ。櫓がそれ程大きくないので梯子が櫓の内部に収まらない。電柱と電線が邪魔だな。

下の火の見櫓、既にライバル柱が立っている。撤去される日が遠くないかもしれない・・・。


 

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「血族」読了 次は・・・

2011-01-26 | g 読書日記



 歌手の菅原洋一は ♪あなたの過去など知りたくないの と歌った。でも作家の山口瞳は違った・・・。

**母は、とにかく、私には、何もかも、なにも言わなかった。隠したままで死んでいった。**(322頁)  山口瞳は母親が黙して語ろうとしなかった「過去」を知りたかった、知らなければならなかった・・・。

およそ30年ぶりに読んだ『血族』 山口瞳/文春文庫。

山口瞳は時に**「母の隠していたことを、周りの人たちが隠していたことを掘り起こして、それが何になるのだろうか」**(247、8頁)と思いつつ母親の過去を解明していく。

父母の結婚式や母の花嫁姿の写真がアルバムに一枚もないのはなぜか・・・。**大正十五年十一月三日に私は生まれた。戸籍上はそういうことになっている。(中略 )私は、早くから、この生年月日に疑念を抱いていた。**(16頁) 生年月日を変えて届出をしたのはなぜか・・・。優れた推理小説のような山口瞳の謎解きを読み進んだ。

この私小説の最終章はたった二行で終わっている。上手い終わらせ方だと思うが具体的には書かないでおく。この文庫本には再読を要すというメモ書きがある。なぜそう思ったのか、定かではない。でも再読してよかったと思う。

さて次は『成熟と喪失〝母〟の崩壊』 江藤淳/講談社文庫 これまた30年ぶりの再読。

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須坂 坂田浄水場

2011-01-24 | g 歴史的建造物〇




 ブログのサブタイトルを「好きな建築や本のことなどを素材に織り上げるタペストリー 」としているが、以前と比べると「建築」を取り上げることが少なくなったように思う。それはなぜか・・・。火の見櫓を取り上げることが多くなったことが一因だ。尤も、火の見櫓は建築と無関係ではない。今、火の見櫓を建てようとすれば、建築基準法で規定している工作物の適用を受け、確認申請をしなければならない。また、火の見櫓に関する論文は建築論文扱い、「日本建築学会」の論文報告集などに収録される。

さて、本題。

須坂市の郊外に大正末期、正確には大正15(1926)年に完成した坂田浄水場があることを市内で入手したパンフレットで知った。訪れてみると、1996年に新しい浄水場が隣につくられていて、稼働していなかった。それに新しい浄水場と共にフェンスで囲われていて、立ち入り禁止だった。これはセキュリティ上、当然のことだ。 

囲いの外にこの施設があった。これも浄水場の施設であることは容易に判断できたが(フェンス内にも同じデザインの建物があったので)、具体的な用途は分からない。この施設も今から85年位前に建設されたことになるだろう。残念ながら、このレトロな建物について何か書こうにも知識がない。

市では休止していた坂田浄水場の再稼働を検討しているようだ。新しい浄水場は急速濾過という方式で、ランニングコストがかかり、水道料金にはね返っているようだが、旧浄水場は緩速濾過方式でランニングコストがほとんどかからないという。灰野川の伏流水を濾過池に引き込み砂や微生物などの働きで汚れを除去する方式が復活する可能性が出てきたというわけだ。

新しい浄水場ができたとき、古い浄水場を取り壊さなかったことが幸いしそうだ。成り行きに注目したい。



メモ)
成り行きに注目したい。 これは「なりちゅう文」と呼ばれる常套句。かつて新聞記事に多用されたようだ。あまり芳しい表現だとは思わないが仕方がない・・・。

 

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132 小布施の火の見櫓

2011-01-23 | g 火の見櫓観察記


132



 須坂から小布施へ移動。所要時間は車で10分くらい。

小布施の町なかに火の見櫓が立っていた。『小布施まちづくりの奇跡』 川向正人/新潮新書によると小布施には毎年120万人の観光客が訪れるという。だが、観光客の中でこの火の見櫓に気が付いてカメラを向ける人など極僅かだろう・・・。

須坂で見た火の見櫓とは違って、すっきりしている。櫓のブレースがアングル材で、直接同材の柱にジョイントされていること、見張り台に照明やスピーカーなどが付けられていないことなどが、その理由か。

平面が四角形の櫓に六角形の屋根が載っている。三角形の櫓と六角形の屋根、四角形の櫓と八角形の屋根の組み合わせなら柱の位置と屋根の下り棟の位置が合うがこの組み合わせだと合わない。だからいままで見かけたことがなかった(と思う)。

この組み合わせに加えて、屋根の上に大きな矢羽根が付いていること、下り棟に用いられた部材の先を曲げているが、クルっと巻いてはいないことなどがこの火の見櫓の特徴。モダンな印象の火の見櫓だ。




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129~131 須坂の火の見櫓

2011-01-23 | g 火の見櫓観察記


129



須坂市内でまず目に入ったのがこの火の見櫓だった。櫓の中間の踊り場が櫓の外に付いていることとブレースの環状のバックルが大きいことが立ち姿を特徴付けている。櫓はスレンダーだが、存在感のある立ち姿。四角形の櫓に八角形の屋根は納まり上自然。




130



この高さで踊り場が無い。この火の見櫓は上り下りするのが怖いだろう。三角形の櫓に八角形の屋根を載せるために円形のフレームを介している。なるほど!な納め方。①の櫓より「スケスケ感」が強いのはブレースの環状バックルとガセットプレートの大きさの違いによる。




131



①の火の見櫓と立ち姿が似ている。外付けの踊り場、存在感のあるブレース、円形の見張り台と八角形の屋根が共通している。屋根の避雷針に付けられた矢羽根、縦繁の手すり子も同じ。

松本平の火の見櫓とはずいぶん印象が違う。デザインに地域性があることを実感した(20110123)。

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― 火の見櫓の詩

2011-01-23 | g 火の見櫓のある風景を撮る〇


須坂にて 20111022撮影

火の見櫓はたのしい

火の見櫓はおもしろい

火の見櫓はかわいい


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128 須坂市上八町の警鐘櫓 

2011-01-22 | g 火の見櫓観察記


128


須坂市上八町の警鐘櫓

上越方面の天気予報が雪だったので、予定を変更して須坂へ出かけた。須坂市内でこんな火の見櫓を見つけた。木造の櫓は飛騨高山で見て以来。櫓には方形(ほうぎょう)の屋根が載っている。鐘楼を思わせる意匠だが、須坂には寺も多い。櫓の下部は鉄板横葺きだが元々板張りだっただろう。⑤の写真(普願寺)のような押縁下見板張りだったのではないか。

の写真でわかるが、下の蔵とのバランスがよく、美しくまとまっている。






櫓の天井に付けられている「警鐘櫓」の扁額


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ナスカの地上絵

2011-01-19 | g あれこれ考える〇




 今日(19日)の朝刊に「ナスカ 新たな地上絵」という見出しの記事が載っている。山形大学人文学部の研究チームが人間の頭部と動物とみられる地上絵2点を新たに発見したという。

記事には山形大学提供の写真も載っていて次のような説明が付いている(信濃毎日新聞)。**左側が口、右上が右目、右下が左目とされ、右目の上部に右耳がついている**口を下にしないで左目を下にして載せているのでこのような説明になるわけだが、これは何とも奇妙だ。この向きで見た方が人の顔に見える、という新聞社のアピールなのかもしれない。未確認だが、朝日新聞は口を下にした写真、つまり山形大の発表通りの向きの写真を載せているようだ。

上の写真のように山形大学が右目とした●を下にすると、私には手塚治虫が描いた子どもライオン(ジャングル大帝かなにか)の不安そうな顔に見えるがどうだろう・・・。

既に書いたが、脳は視覚情報を既にストックしてあるデータに帰着させようとする、既知のものだと認識しようとする。人間の脳には●が逆三角形に並ぶと上のふたつの●を目と認識する「クセ」があるのではないか。下の写真のふたつのをタイヤと見て、自動車を横から見たところなどと脳が認識することはあるまい。

ヒトが生まれてまず目にするもの、それは母親の顔だ。まだきちんと見えない状態で脳はふたつ横に並んだ●を目と見て、それをヒトの顔として認識し、データとしてストックする。そして、この最も古いデータをもたらされる視覚情報に優先的に当て嵌めようとするのではないか。それ故、下の写真は、ウィーとか言っている人の顔に見えるはず。

山形大の研究チームが人の頭部(顔)の地上絵を発見したとするならば、見る方向が定まらなければならないのではないか、と思うがどうだろう・・・。上の写真の「顔」はどの●を口と見做しても顔に見える。



手元のこの本に紹介されているサルやハチドリやクモなどとする地上絵(線画)は誰の目にもそのように見え、他のものに見えるということは無いだろう。それらの絵と比べるとこの地上絵を人間の頭部だとするのはどうも・・・、というのが素人の私の感想。


メモ)
『ナスカ 砂の王国 地上絵の謎を追ったマリア・ライへの生涯』  楠田枝里子/文春文庫

写真の顔、青木繁の「海の幸」に描かれた女性の白い顔に雰囲気が似ていると思うがどうだろう。まあ、予めこんな情報を与えられるとそう見えてしまうものだが。
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大学入試センター試験 国語の問題を考える の巻

2011-01-16 | g あれこれ考える〇

■ 今日(16日)の朝刊にかなりスペースを割いて大学入試センター試験(第1日)の問題と正解が掲載されている。

小さな活字がびっしりの問題を読むのはシンドイ。それでも国語は誰の文章から出題されているのか関心があるので、目を通す(過去ログ)。

第1問は鷲田清一氏の「身ぶりの消失」(『感覚の幽い風景』)からの出題だった。建築家・青木淳氏の論考を引用した評論だが、問題文にはこんなくだりがある。**住宅は、いつのまにか目的によって仕切られてしまった。(中略)用途別に切り分けられるようになった。(中略)行為と行為をつなぐこの空間の密度を下げているのが、現在の住宅である。**

問5でこの引用文中、私が太字にした部分の意味を問うている。5つの選択文から最も適当なものを選べという問題だが、正解は文脈から、現在の住宅は目的ごとに仕切られていて、つまり空間が機能と個々に対応付けられていて、複数の用途への対応とか、他者との新たな関係をつくりだす可能性が低下している、という文意の①。

確かに。現在の住宅に対するこのような認識に異を唱えるつもりは、無い。大半の住宅はまさにこの通りだろう。だが、これは住宅の設計理念の「今」ではない、既に過去の考え方だ。

今、建築の設計では空間の用途を限定せず、そこに身を置く者と新たな関係をつくりだすということに主眼が置かれている。青木淳氏が引用文中に書いている「遊園地」ではなく「原っぱ」こそ現代の建築が目指すものなのだが(「せんだいメディアテーク」然り、塩尻の「えんぱーく」然り)、これは住宅の設計理念でもある。

問題文に示された住宅観、これは過去のものになるつつあるのではないか、と思いながら読んだ。

いやいや、この評論で鷲田氏は現在の住宅は設計者の理念、意図に反し、単なるホワイトキューブであって、「空間と身体との関係性」が断ち切られているではないか、と暗に指摘しているのではないか? そうか・・・。これは建築の本質的な問題を突く建築論としても読めるのか・・・。

受験生はこんな読み方をする必要はもちろんないが・・・。


メモ)
青木淳 『原っぱと遊園地』王国社

 

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民家 昔の記録

2011-01-16 | g 茅葺きの民家〇


 山形県鶴岡市内の民家 ハッポウ造り 198008撮影

出羽三山の麓を通る六十里越え街道沿いに、このような民家が点在する集落がある(あった)。旧朝日村(現鶴岡市)の田麦俣は特に有名。昔この街道を訪ねている。

森敦の芥川賞受賞作「月山」は確か映画化された。その映画にもこの辺りの集落、ハッポウ造りの民家が出てきたように記憶している。



 宮城県女川の民家 外壁:天然スレートうろこ張り 197903撮影

屋根の一文字葺きと同じ構法。張り上がりの様子が魚のうろこのように見えることからこの名があるのだろう。北海道旅行の帰り(だったと思う)、仙台に友人を訪ねたことがあった。その際、電車で女川まで出かけたと記憶している。女川は粘板岩(玄昌石)の産地。



 愛媛県外泊 石積みの民家 198003撮影

小さな漁港、この写真のような民家が山の斜面に広がる。台風の通り道の集落の「守りのかたち」。この集落の民宿に泊まった。


 昨日(15日)の夕方、久しぶりにカフェ マトカに出かけた。カウンター席でコーヒーを飲みながら若いオーナー夫妻としばし語らう。民家のことにも話が及んだ。私はこの3例を挙げた。

採光や通風のために屋根面に開口があって、そこに障子がたててあって・・・ 、ハッポウの説明はきっと??だったのではないかと。このブログ内を「民家」で検索してみてください、と話したがその手間を省くために、本稿に写真を再掲した次第。

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「血族」山口瞳

2011-01-14 | g 読書日記


 『血族』山口 瞳/文春文庫 再読。

今年の年賀ブログに使った一冊。82年2月に読んだという記録がある。そこに再読を要すと書かれていることに気がついて再読を始めた。細かな活字で353頁。
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書斎という名の小宇宙

2011-01-10 | g 読書日記

 「書斎という名の小宇宙」などという気どったタイトルにしてしまった。「欲望という名の電車」をもじったが、なんだかな~。


作家・逢坂剛さんの書斎

先日、書店で平積みされていた新刊文庫の中からこの本を手にした。

イラストレーターで、ルポライターでもある内澤旬子さんが「本」のある仕事場31箇所を訪ねる。細密な俯瞰図を描く。作家や学者、評論家、翻訳家、イラストレーターなど書斎の主に本に対する考え方、書籍観(などという言葉があるかどうか・・・)を訊く。

**本の収集癖とか、並べてうれしいとか、それは全然ないです。結局、私にとって本はモノではない。文字で書かれた内容というものは、本来、かたちがないものだから、これは仮の姿という感じで・・・・・・**(76頁)と語るのは同時通訳者で作家の米原万理さん。本は並べてうれしいし、本はモノだと考えている私とは全く正反対のコメント。

米原さんにとって、本と電子書籍は情報媒体として等価、ということか。内澤さんは、**かたちにとらわれず、機能的に情報を管理している。**と米原さんの書斎を観察している。

**建築家には雑読家が多いと思いますよ。自分にいろいろ理屈をつけたくなるときがあるんです。(中略)なんでこうなんだろうと。それにはどうしても本を読まないとダメなんですね。建築関係の本を読むよりも、全然違うタイプの本を読んでいるときの方が、一気に何かがわかってきたりします。**(152頁) 

これは建築家・石山修武さんのコメント。同感。「世田谷村」と名付けられた自宅の古い平屋が取り壊されたことが書かれている。知らなかった・・・。

俯瞰図を見て、映画評論家・品田雄吉さんの書斎がいいな、と思った。「書斎という名の小宇宙」、「可視化された31の脳内を覗く」・・・。



作家・野坂昭如」さんの書斎

以前読んだ類書。同じ書斎が取り上げられていれば、比較できたのに・・・。


メモ)
『センセイの書斎 イラストルポ「本」のある仕事場』 内澤旬子/河出文庫
『河童が覗いた「仕事場」』 妹尾河童/文春文庫

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127 必要のみが要求する形

2011-01-10 | g 火の見櫓考〇


127



 『「鉄学」概論 車窓から眺める日本近現代史』 新潮文庫 の第二章「沿線が生んだ思想」で著者の原 武史さんは永井荷風、高見 順、坂口安吾ら、都市近郊の鉄道を利用していた作家を紹介し、彼らが車内の様子や車窓の風景に見ていた世情、歴史、文化などを論じている。

坂口安吾については太平洋戦争中に書いたエッセイ「日本文化私観」を取り上げている。取手に住んでいたことのある坂口安吾は常磐線を使って東京に出る時、車窓からいつも「東京拘置所(小菅刑務所)」を見ていたそうだが、原さんは**不思議に心を惹かれる眺めである。(中略)その美しさで僕の心を惹いているのだ。**というくだりを「日本文化私観」から引用している(71頁)。

坂口安吾は利根川の風景よりも、手賀沼よりも刑務所然とした建築物に美を感じ、惹かれるというのだ。それはなぜか、原さんは**「美」というものを一切考えずにつくられているからだ、というのが坂口安吾の答えである。**と指摘した上で、**「必要なもののみが、必要な場所に置かれ」、その結果、「必要のみが要求する独自の形が出来上がっている。」**という坂口安吾の感想を先のエッセイから紹介している。

「必要のみが要求する形」は美しい。

坂口安吾のこの指摘、見解は火の見櫓にも当て嵌まるかもしれない。屋根に多少装飾的なものが付いていることもあるが、基本的に火の見櫓には必要なもの以外何も無いから・・・。



メモ) 『堕落論・日本文化私観』坂口安吾/岩波文庫

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