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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「どくとるマンボウ青春記」

2020-01-29 | g 読書日記



 ブログが3日更新されないと、どうしたのかなって思ってしまう、Kさんから何年か前に言われた。で、更新する。

訳あって(*1)数日前に『どくとるマンボウ青春記』北 杜夫(中公文庫1973)の何回目かの再読を始めた(過去ログ)。今日(29日)の朝カフェでも読んだ。

本に水色のテープが貼ってあるが、これは20代に読んだ本の印。ちなみに30代に読んだ本には緑色、40代に読んだ本には黄色のテープが貼ってある。50代になっても続けたかったが、松本でこのテープ(レトラライン)が入手できなくなり、止めてしまった。

**春、西方のアルプスはまだ白い部分が多かった。三角形の常念ヶ岳(*2)がどっしりとそびえ、その肩の辺りに槍ヶ岳の穂先がわずか黒く覗いていた。島々谷のむこうには乗鞍が、これこそ全身真白に女性的な優雅さを示していた。朝、アルプスに最初の光が映え、殊に北方の山々は一種特有のうす桃色に染るのであった。**(54頁)

2月4日は立春。まもなく、このような光景を見ることができる。

明日の朝もカフェでこのエッセイを読むつもり。


*1 いずれ「訳」を明らかにしたい。
*2 文中の表記 



「「私」をつくる」

2020-01-25 | g 読書日記

360

『「私」をつくる 近代小説の試み』安藤 宏(岩波新書2015)読了。

**どのような小説にも実は隠れた演技者である黒子が存在していて、さまざまな矛盾を解消すべく、独自のパフォーマンスを繰り広げているのではあるまいか。**(はじめに ⅱ) 

著者の安藤氏はこの黒子を「私」と名付け、次のように続ける。

**潜在する「私」がある時は登場人物をよそおい、ある時は「何でもお見通し」をよそおっているのだと考えてみると、小説表現の演技性が、よりはっきりと浮き彫りにされるように思われるのである。**

**隠れた「私」の役割に着目することによって、近代の名作と言われてきた小説群がこれまでとかなり違って見えてくることに、おそらく新鮮な驚きを感じることになるだろう。その意味でも本書は近代小説の読み解き方のガイドであり、小説表現の歴史を大きく概観するための道案内でもある。**(はじめに ⅲ ⅳ)

「はじめに」をきちんと読めば著者が何を書き、読者に伝えたいのかが分かる(それが分からないような「はじめに」はダメ)。

本書で安藤氏は作家たちが作品中にどのような「私」をどのようにつくり出してきたのか、二葉亭四迷、夏目漱石、志賀直哉、太宰 治、川端康成といった作家たちの作品から彼らの試行錯誤を読み解いている。本書の「「私」をつくる」というタイトルはこのことを示している。

小説において「私」が果たしている役割に着目した目から鱗の文学論。


 


「桃太郎は盗人なのか?」

2020-01-23 | g 読書日記

360

 『桃太郎は盗人なのか? ―「桃太郎」から考える鬼の正体―』倉持よつば(新日本出版社2019)を読んだ。これはよつばさんが小学5年生のときに「図書館を使った調べる学習コンクール」で文部科学大臣賞を受賞した作品を書籍化したもの。

**桃太郎が、鬼が島に行ったのは、鬼の宝を取りに行くためだったということです。(中略)宝の持ち主は鬼です。鬼の物である宝を、意味も無く取りに行くとは、桃太郎は、盗人(ぬすっと)ともいえる悪者です。**(14頁) 福沢諭吉がこのように「桃太郎が盗人だ」と非難していることを知り、桃太郎を正義の味方だと思っていたよつばさんは、びっくり(私もびっくり)。

よつばさんは**桃太郎がどうして盗人だと言われているのか、そして、どうして鬼はいつも悪いと一方的に決めつけられているのかを調べてみたくなりました。**(7頁)と研究の動機を書いている。

それからがすごい。図書館の司書に桃太郎本探しのサポート受けて、桃太郎の読み比べをする。よつばさんはあくなき探求心から平成から大正・明治・江戸の本まで、なんと200冊以上の本を読む。

よつばさんは江戸時代の桃太郎は桃からではなく、おばあさんから生まれたことを知り(桃を食べたおじいさんとおばあさんが若返って、おばあさんが妊娠、桃太郎を出産したという回春型)、桃太郎が桃から生まれるのは明治以降ということを知る(果生型)。また、桃太郎が鬼が島へ行くのは、悪い鬼を退治するため、と理由付けがされたのは明治の後半(27年ころ)からで、それ以前は、鬼の宝を取りに行くためとなっていることを知る。それで福沢諭吉の「桃太郎盗人論」に納得する(私も納得)。文献調査の成果だ。

更によつばさんは鬼の正体に迫っていく。このプロセスが分かりやすく書かれていて興味深い。

この本にまとめられているのは研究論文と呼ぶにふさわしい論考だと思う。

すばらしい!


 


施工手順

2020-01-22 | g 火の見櫓考〇


写真提供:渋崎建設(撮影2011年12月)諏訪市内の火の見櫓を移設した時の様子


茅野市湖東(全形写真「あ、火の見櫓!」106頁)

 現在立っている火の見櫓の多くは昭和30年代に建設された。当時、クレーンはまだ普及しておらず、火の見櫓の建て方に使われることはなかった。

もし当時クレーンが使われていれば、「貫通やぐら」の施工手順が違っていたかもしれない。消防小屋を先に建てておいて、クレーンで吊り上げた火の見櫓を上から突き刺す。

ンなことはないか・・・。


 


「国語教育 混迷する改革」読了

2020-01-17 | g 読書日記

 読了した『国語教育 混迷する改革』紅野謙介(ちくま新書2020)は6章で構成されているが、第3章の「教室の「敵」はどこにいる?」で展開されている「学習指導要領」に対するかなり厳しい批判を読んで、そもそも国語教育では一体何を教育すべきなのか、という本質的な問題があることを改めて認識した。

書籍は年7万点も刊行されているそうだ。その一方で(もう何回も書いているが)本を読まない大学生がかなりの割合でいるという事実。読むのはSNS上のつぶやきの短文、書くのも短文、いや文章ともいえないような単なることばの羅列。

国語教育に何を求めるのか。この難しい問いかけに自分はどう答えるだろう・・・。

小説や論文などの長文を読み通す力、書かれている内容を味わい、理解し、読後に小説であれば感想を、論文であれば理解した内容を論理的に話したり書いたりして人に伝えるということを通じ、様々な種類の情報を理解する力と自ら様々な情報を発信する力(の基礎)を育てること。

この様な能力が身に付くのであれば、教育方法は教師の裁量で良いと思う。だが、文科省ではそれではダメ、ということのようだ。

『国語教育 混迷する改革』の第3章では学習指導要領に関する文章がいくつも取り上げられ、それに批判が加えられている。

例えば次のような文章の引用**こうしたことは、教育関係者なら誰もが知っていることである。にもかかわらず、高校教師の中には、学習指導要領をあまり読んでいない者もいると聞く。・・・(中略)・・・そうした基準としての学習指導要領を教師が十分踏まえない事態が生じるならば、教育課程の「水準偽装」が行われかねない。子供たちが本来身に付けるべき資質・能力を育成する指導が行われず、教師個人の趣味にも近い授業が行われるならば、教科国語の共通性は瓦解してしまうだろう。**(124頁) 

「先生たち、学習指導要領に則って、ちゃんと同じ授業をしてくださいよ」ということだが、確かにこのような内容には私も疑問を感じる。

特に義務教育でもない高校の国語の授業で、どの高校の、どの教師でも同じような授業が行われることの必要性って本当にあるのだろうか。必要ならAIロボットでも使う? 


 


「安部公房とわたし」山口果林

2020-01-11 | g 読書日記



 松本市のホテル花月の向かいにある想雲堂には、飲み会の二次会で時々行く。ここは「古本喫茶」で酒も飲める。本に囲まれて飲む酒も良いものだ。昨夜(10日)も新年会の後の二次会でここで飲み、『安部公房とわたし』山口果林(講談社2013)を買い求めた。タイトルを左から「山口果林とわたし」安部公房と読んではいけない。右から、右から。

一次会でほろ酔いになった頃、好みの女性のタイプを訊かれ、私は山口果林の名を挙げていた。映画「砂の器」に出演した時の彼女は魅力的だった(過去ログ)。当時27歳。

今日、この本を読んだ。

**安部公房と私との生活は全く無視され、私は世間から透明人間にされてしまった。**(216頁) 

透明人間にされた山口果林が存在証明のために、自己回復のために綴った自分史。

巻末のプロフィールによると、山口果林は1947年生まれ。ということは72歳か・・・。時は流れる 人は歳をとる


 


「国語教育 混迷する改革」

2020-01-11 | g 読書日記

360

 通勤途中に松本市内は渚のスターバックスでコーヒーを飲みながら小一時間読書をする。日常の中に非日常なひと時を取り込もうという目論見で始めた朝カフェ読書、それが今や週2回となって日常生活の一部となった。読む本は隣接するTSUTAYAで買う。この書店のセルフレジにもすっかり慣れた。スタバとTSUTAYA、両店がひとつの店になればいいのにな、と時々思う。

昨日(10日)、新書の新刊『国語教育 混迷する改革』紅野謙介(ちくま新書2020)を買い求めてスタバへ。座る席はいつも同じ、2階の8人掛けの大型テーブルの端。

本の帯に**大学入学共通テスト・新学習指導要領を徹底検証。“戦後最大の教育改革”の構造的欠陥とは。問題は「記述式試験」だけではなかった!**とある。国語力の低下は思考力の低下をも意味する。なぜなら、言葉によって(私たち日本人は日本語によって)ものごとを考えるのだから。

国語力を身につける機会は何も学校での国語教育に限られるわけではない。だが、その大半は高校までの国語教育に依るところが大きい。その改革が混迷しているということに、教育関係者でもない私だが、無関心ではいられない。昨年末に『ことばの教育を問いなおす』を読んだが、その類書だ。この3連休に読みたいが、昨晩買い求めたもう一冊の本(*1)を先に読もうと思う。


*1 もう1冊の本のことは別稿で。


朝カフェ読書「火の見櫓暮情」

2020-01-08 | g 読書日記

 ■ 『火の見櫓暮情』内藤昌康(春夏秋冬叢書2008)を朝カフェで再び読み始めた。書名はとびらでは「火の見櫓慕情」となっている。暮と慕、チラシでも両方載っている。どのような使い分けをしているのだろう。普通に考えれば慕情だと思うが。

 

幅広の帯に**豊饒な物語の上に火の見櫓は立っていた。**とあるように、この本では火の見櫓そのものの詳細な紹介はしないで、火の見櫓が立っている集落の様子やそこの人々の暮らしぶりなどを紹介している。地元の人に取材をしないと書けない内容だ。なお、対象域は三河遠州。


(再)浜松市天竜区 撮影日180526

この赤い火の見櫓は『あ、火の見櫓!』で紹介したが(163頁 本には別の写真を載せている)、『火の見櫓暮情』にも取り上げられていて、**光明公民館は役場の跡地で、その正面に火の見櫓が立つ。見張り台には四方に「〇光」マークが取り付けられている。「〇光」は光明村消防団の意味。(中略)旧光明村にはかなりきめ細かく火の見櫓が設置されている。平成十八年春の時点で現存したのもは八基で、中には一キロメートルも離れていない場所に立つものさえある。形状は集落によって若干異なるが、その全てが長身・屋根付きの典型的なもの。(中略)この村がいかに普遍的に防火思想を普及させていたかが窺える。**(191頁)以上のような説明がある。

この本の火の見櫓の説明のしかたを参考にして、火の見櫓のある暮らしを今年は書きたい。





「境界のかたち」

2020-01-07 | g 読書日記

320

 『境界のかたち その建築的構造』保坂陽一郎(講談社サイエンティフィク1984)。30年以上も前に読んだ本の再読。年始に読んだ3冊の本の内の1冊。『境界の日本史』森先一貴・近江俊秀(朝日選書2019)を読んで本書のことを思い出した。

建築の第一義は空間を秩序づける、ということ。どのようにして? 空間に境界をつくることによって。境界はどのような構造・かたちをしているのか。

このことについて具体例を挙げる。キャンプに出かけてテントを張る。テントによって風雨を防ぐ、これが空間を秩序づけるということ。テントは空間につくられた境界の具体例。その構造は布一枚の層。

**境界の構造を考えていく場合、対象がきわめて多岐にわたるので、いくつかのカテゴリーに分けて考える必要がある。本書ではより広い領域から狭い領域へと目を移していくことを考えている。そこにはいくつものレベルがある。ランドスケープのレベル、都市のレベル、建築のレベル、家具のレベルなどである。この中でとくに建築のレベルについてできるだけ詳しく観察していくことが、また本書の趣旨である。**(12頁)

**鎌倉は北・東・西の三方を山で囲まれ、南は相模湾に面している。守るに易く攻めるに難しい要害(ようがい)の地だ。**(『「街道」で読み解く日本史の謎』安藤優一郎(PHP文庫 67頁)正月に読み終えた本からの唐突な引用だが、これがランドスケープのレベルにおける境界の具体例。

地形の特徴を活かして鎌倉という都市的スケールの空間への人の自由な侵入を制限している。これはテントの中に雨が入り込んでこないようにしているのと同じこと。レベルの違いと制御の対象(人と雨)の違いはあるが。

本書ではヨーロッパや日本の空間構成(平面計画)などの具体例をいくつも示しながら、建築的レベルの境界の構造が論じられている。

「境界」つながりで正月早々興味深い本を読んだ。


 


1233 松本市笹部の火の見櫓(再掲)

2020-01-05 | g 火の見櫓観察記





1233(番号修正)  撮影日140827

■ 灯台下暗し、松本市内は笹部に火の見櫓が立っていることにいままで気がつかなかった・・・。櫓が上に向かって徐々に細くなってはいない。これはこれで魅力的な形ではあるけれど、なぜこうなっているのか分からない。



屋根の下に半鐘はなく、4方に向けてスピーカーが設置されている。この高さにしてこの簡素な見張り台。



櫓の踊り場に半鐘が吊るしてある。踊り場の手すりは横架材兼用、手すり子はない。中間2段のブレースにアングルが用いられ、その交差部のプレートは円形。これはリング式ターンバックルに形を合わせるというデザイン的な意図によるのかもしれない。このような形を見たのは初めて。



横架材(水平部材)の間隔がバラバラなのはなぜなのか理由が分からないし、脚部の上のブレースの入れ方も理解に苦しむ。ブレースの角度は適切だとすれば、横架材の位置が適切でないのか。

この火の見櫓は最初からこのような形の櫓だったのだろうか・・・。途中で変更があって、このような形になったのかもしれない。でもそんなことが本当にあったのだろうか。

きちんとした整形ではない分、手づくり感が出て味がある櫓、とも言える。不整形の美。再訪してじっくり観察したい。


 


1231 飯島町飯島の火の見櫓(再掲)

2020-01-05 | g 火の見櫓観察記


1231(番号修正) 上伊那郡飯島町飯島の火の見櫓 4脚44(面取り)型 撮影日 170918

 背が低い割には脚の間が長く、櫓の逓減率が大きい。このようなプロポーションの櫓はあまり見ない。



屋根が重く感じる。軒先で鋼板を曲げて破風状にしてあるので、鋼板が厚く見えるのが理由かもしれない。加えて色も重く感じる理由かもしれない。屋根を支える柱が細く、心もとなく見える。これは見た目の印象で、実際には何ら問題ないのだろうが。



櫓から脚元までのカーブが美しい。美脚と評したい。民家の敷地の隅を火の見櫓の建設用地として提供したのかもしれない。


 


「境界の日本史」

2020-01-04 | g 読書日記

 箱根駅伝の後は読書に集中できて『境界の日本史 地域性の違いはどう生まれたか』森先一貴・近江俊秀(朝日選書2019)を読み終えた。

この本には日本列島に引かれた境界線を示す図がいくつも載っている。それがテーマだから当然と言えば当然だが。

縄文時代に時期を越えて認められる地域間の境界線は日本列島を大きく5つの領域に分けている。境界線の内の1本は本州を2つに分ける線で、若狭湾と伊勢湾を結ぶ線(117頁)。

土器からみた弥生前期の地域性では2本の線が列島を3つの領域に分けているが、その内の1本は上記の縄文時代の境界線と重なり、若狭湾と伊勢湾を結ぶ線だ(159頁)。

この列島を東西に分ける境界線は、**七世紀後半になると東西を分ける明確な境界が設けられ、東と西が強く意識されるようになる。その境界が、鈴鹿、不破、愛発(あらち)の三関である。**(260頁)

若狭湾、琵琶湖、伊勢湾を結ぶこの位置が、列島で一番細いところ、「ウェストのようなくびれ」だ。ここに上記のような日本を東西に分ける生活文化的な境界線があったというのはこのような地形と関係しているのだろうか、まあ、無関係ではないと思うがどうだろう。

この境界線上の関ケ原が「天下分け目」の合戦場になったというのも全くの偶然ということでは無く、東西を結ぶ街道の結節点だったことに因る。列島に「くびれ」が無かったら、結節点がここに出来ていなかったのでは。そうすればこの国の歴史が変わっていたかもしれない、きっと変わっていただろう。

『「街道」で読み解く日本史の謎』安藤優一郎(PHP文庫2016)に続き、この本を読んで、正月早々突拍子もないことを考えた。


 


火の見櫓観察のアップデート

2020-01-03 | g 火の見櫓観察記

 年末年始は9連休。後になって長い休みに何をしていたんだろう、とならないようにダイアリーに日々の記録をつけている。年末の4日間(28日~31日)は、このブログに掲載している火の見櫓の通し番号を振り直していた。今は一稿一基としているが、以前は必ずしもそうではなく、一稿数基ということもあり、何基か欠番があった。掲載した火の見櫓が1,200基以上もあるので、通し番号の振り直しは大変な作業だった。完璧な修正とはいかないが、以前より欠番等の不備を減らすことができた。 


茨城県筑西市にて 撮影日171103


南木曽町にて 撮影日131001

今年も火の見櫓巡りは続ける。だが、昨年までとは捉え方を意識的に変えていこうと思っている。火の見櫓をただ分析的に観察するだけで済ませるのではなく、地域とのつながり、地元の人たちとの関わり、というような視点から火の見櫓を捉え直したいと思う。だから火の見櫓だけを切り取るような無機的な写真はできるだけ撮らないようにしたい。

元日の夕方「芸能人格付けチェック」というTV番組を見た。この番組で抜群の成績を記録しているGACKTの「知識のアップデート」というコメントが心に残ったが、このコメントに倣えば「火の見櫓観察のアップデート」ということになるだろうか。昨年秋の本の出版を機に少し方針転換をしたい。上手くできるかどうか、やってみなければ分からない。慌てず、徐々に徐々に・・・。


 


「境界の日本史」を読む

2020-01-03 | g 読書日記

360

 年越し本の『「街道」で読み解く日本史の謎』安藤優一郎(PHP文庫2016)を昨日(2日)長野に向かう電車で読み終えた。

初詣帰りに長野駅近くの平安堂長野店で『境界の日本史 地域性の違いはどう生まれたか』森先一貴・近江俊秀(朝日新聞出版2019)を買い求めた。このところ専ら新書本か文庫本だったから、久しぶりの単行本だ。

帰りの電車まで30分くらい時間があったので、長野駅構内のカフェで早速読み始めた。

境界という観点によって日本の歴史を捉えるのか・・・、なるほど。さまざまな境界が日本列島にはある。文化的な境界、政治的な境界、経済的な境界。都道府県を分ける明確な線状の境界もあれば、食文化のように必ずしも明確でなく、幅のある面的な境界もある。天気予報も日本列島に境界を引いて、いくつかのエリアに分けてしている。

日本列島にあるいろんな「境界」には前々から興味があり(過去ログ)、書店でこの本を見つけて即買いした。

この本で扱っているのは先史時代の生活文化(第一部)、稲作が弥生時代に到来・定着してから(稲作は縄文時代晩期には始まっていたという説もあるようだが)中世まで(第二部)。

今年の読書は日本の歴史本で始まった。