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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

木曽おもちゃ美術館

2023-03-31 | g 建築を観察する 建築を学ぶ 建築を考える〇

 1928年(昭和3年)に建設されたという木曽の旧黒川小学校を大規模改修して出来た「木曽おもちゃ美術館」(実質的には子どもたちがいろんなおもちゃを使って遊ぶスペースがいくつも創りだされた施設)が昨年(2022年)11月にオープンしていた。SNSで紹介されているこの「美術館」を見て、見学に行きたいなぁ、と思っていた。


国道19号を南下、木曽大橋の信号を右折して4,5km走行、目的の「木曽おもちゃ美術館」に着いた。


エントランスに施設の案内図が掲示されていた。⓪で右奥に写っているのが「たいけんのやかた」。


「であいのやかた」と体育館をリノベーションしてできた美術館「おもちゃのやかた」とをつなぐ朱塗りの開放廊下。構造的に特別なことをしているわけではない。色でこんなに印象的で魅力的になるとは・・・。


「おもちゃのやかた」の玄関から中に入ると、真正面にこのシンボルツリーが立っている。樹齢約250年の木曽ヒノキだという。


体育館だったから、階高が高い。中間に床面を新たにつくって、2層の空間に改造している。④は上階からステージを見たところ。

⑤ 
⑤はステージを背に2階へ上る階段、小屋組みを見たところ。既存の天井を撤去して露出した洋小屋トラスを補強している。水平構面をきっちりつくることで、各トラスを一体化する効果があるだろう。元々あった小屋組部材と補強部材とが魅力的な空間を創出している。新旧部材の一体化の魅力、と評すれば良いだろうか。④でわかるようにステージをそのまま残しているが、これは新旧空間の一体化の魅力であろう。上手いデザインだと思う。

⑦ 
上階(2階)の様子 利用者は何人もいたが極力写らないようにした。

⑨ 
下階(1階)はアリーナだった大きな空間をいくつもの小さな空間に区切って、子どもたちにフィットさせている。2階の床を支えるために柱を何本も立てる必要があり、そのことを上手く活かしている。

⑪ 

⑬ 
⑬「であいのやかた」のカフェ 
⑭「たいけんのやかた」の廊下 ちょっとした設えがアクセントになって、魅力的な空間になることの好例


リノベーションの手本のような建築だった。 昨日なぎさちゃんを見て、明日は好いことがあると思った。確かに好い日だった。



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朝日村古見の火の見櫓

2023-03-29 | g 火の見櫓観察記


(再)東筑摩郡朝日村古見 3柱1構面梯子33型 2023.03.29




 既に数回見ている火の見櫓だが、今回初めて気が付いたことがある。それは、櫓の下部を広げていること。垂直の柱を途中から外側に折って広げていることに気が付き、思わず「あれっ」と声を出してしまった。見る度に新たな発見がある。一度見たからもういいや、ではなく、何回でも見た方が良い。


 

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塩尻市上西条の火の見櫓

2023-03-28 | g 火の見櫓観察記


(再)塩尻市上西条 3柱66型トラス脚 2023.03.28

 過去ログと比べると、今回の方が遠くから撮っている。火の見櫓のある風景を撮るという意識が強くなっていることが確認できる。


前回もこの方向から撮っているがこんなに引いていない。火の見櫓の全形を撮る場合、この写真のように周辺のものを入れるべきかどうか、判断に迷うが、こういう写真もあり、だと思う。




屋根のてっぺん、避雷針の飾りに注目。前回は撮っていないアップ写真。平鋼の屋根下地の先に丸鋼の蕨手を付けていることが分かる。


外付け梯子から踊り場に入る開口。最近ここのデザインに注目するようになった。





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火の見櫓のある風景

2023-03-25 | g 火の見櫓のある風景を撮る〇


火の見櫓のある風景 (再)辰野町小野  4柱44型トラス脚 2023.03.24

 スケッチしたい風景。背後の山が近い。この山をどう描くか、線描表現が難しい。

道路の左側の建物の屋根、手前は切妻で単純だが、その奥が入母屋で複雑だ。きちんと描かないと遠近感が不自然になってしまう。把握しやすい風景だが、描くのは案外難しそう。

来週描きに行こう。


 

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60年も前の切手を貼った封書が届いた

2023-03-24 | g 記録するということ・想い出〇


 しばらく前にKさんから送られてきた封書には3枚の切手が貼られていた。そのうちの1枚は1964年の東京オリンピックの切手。1963年、60年前に発行された切手だが、もちろん今でも使える。


60円と20円の切手は1981年の発行。60年切手には東京国際切手展記念と表記されている。20年切手はお年玉切手。


 

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「諏訪の神さまが気になるの」

2023-03-24 | g 読書日記

 


 諏訪信仰について書かれた『諏訪の神さまが気になるの』北沢房子(信濃毎日新聞社2020年1月初版、2021年11月6刷)を買い求めて読んだ。

諏訪の古からの歴史、民俗などに関する論考が収録されたディープな内容の「スワニミズム」という本が「大麦小麦」の書棚にあって、それを藤田さんから紹介されたことがきっかけだった。

『諏訪の神さまが気になるの』の副題に「古文書でひもとく諏訪信仰のはるかな旅」とあるが、この本には古事記の神話に出てくる神さまたちが活躍するよりはるか昔から諏訪にいた神さまの信仰から、今日に至るまで連綿と続く諏訪信仰について、一般読者でも親しみやすく読みやすいような文章で綴られている。

諏訪信仰にどのような人たちがどのように関わってきたのか、古文書を読み解き、論考している。祭祀者と為政者、宗教権力と政治権力の争い。

一度通読しただけでは到底頭に入らない諏訪信仰の歴史・・・。我が劣化脳を嘆いても始まらない。


諏訪大社の祭神・建御名方神(タケミナカタノカミ)は因幡の白兎でよく知られる大国主神と沼河比売(ヌナカワヒメ)の間に生まれた。大国主神が夜中に沼河比売の家の前で求婚の歌を延々と歌い、沼河比売がそれに応えてやはり延々と歌を返す。沼河比売が大国主神を家に迎え入れたのは次の日の夜だった、ということが古事記に出て来ていたかと。

建御名方神の母神・沼河比売は茅野の御座石神社に鎮まったということが、この本に書かれている。知らなかった・・・、今度お詣りしよう。それから、建築にしか注目していなかった茅野市神長官守矢史料館(設計:藤森照信さん)の展示品もきちんと見たい。神長という神職は言うまでもなく諏訪信仰に大いに関わっているわけだが、具体的なことはこの本を読むまで何も知らなかった。


「大麦小麦」に何回か行って、「スワニミズム」という本(5巻あったかな)を読みたい。諏訪信仰の世界に沼るつもりはないけれど・・・。


 

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6茅野市湖東の火の見櫓

2023-03-20 | g 火の見櫓観察記


(再)茅野市湖東 4柱44型トラス脚 20213.03.19

 八ヶ岳連峰のなだらかな裾野に広がる諏訪地域には今も何基もの火の見櫓が立っている。凛とした姿は早春の八ヶ岳によく似合う。


 

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5茅野市米沢の火の見櫓

2023-03-20 | g 火の見櫓観察記


1460 茅野市米沢 北大塩公民館、茅野市消防団米沢分団第三部
4柱44型トラス脚 2023.03.20




後方に写っているのは北大塩公民館


見張り台の手すりに〇と逆さハート形の飾りが付けられていることがよくある。なぜ、このデザインがあちこちで使われているのだろう・・・。






脚直上の横架材に設置されている銘板に昭和30年4月1日竣工と記されている。





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4茅野市米沢の火の見櫓

2023-03-20 | g 火の見櫓観察記


1459 茅野市米沢北大塩 4柱44型トラス脚 2023.03.19

 蔵があるのは古くからある集落の証。古くからある集落には蔵もあるし火の見櫓も立っていることが少なくないから、上掲写真のような風景が見られる。茅野市の郊外では蔵をよく見かける。米沢地区でも見かけた。蔵の妻面は美しい造形だ。


1962年(昭和37年)5月20日竣工

見張り台直下から脚元に向かってなだらかなカーブを描いて末広がっている。総じて南信地域の火の見櫓は姿形が整っていて美しい。


櫓上部の小さな踊り場 消火ホースを干す作業用のカンガルーポケット。




最近外付け梯子から櫓内部へ入る開口部まわりの造形に魅せられている。




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3茅野市米沢の火の見櫓

2023-03-20 | g 火の見櫓観察記

火の見櫓のある風景


1458 茅野市米沢 瀬神社の近く 4柱6〇型トラス脚




 T字路の脇に立っているので、3方向から写真を撮った。①②③どれも絵になる風景。描きに行きたい、いや行く。描きやすいのは③、描きにくいのは①。②も火の見櫓と住宅が重なっているので描きにくいし、前景要素がもっと欲しい。



瀬神社の舞台の屋根の雀おどり


 

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2茅野市米沢の火の見櫓

2023-03-20 | g 火の見櫓観察記


1457 茅野市米沢 4柱44型トラス脚 2023.03.19


①の写真で火の見櫓の奥に②の道路がある。


②の反対方向から見る。

①②③の写真の位置関係


屋根は反っているし、見張り台は面取りしてあるので、前稿に載せた火の見櫓(1456)と比べて遠目には柔らかい感じがする。同じタイプでも細部のデザインの違いによって、印象が違う。


見張り台の床面構成に注目 




南信ではおよそ5割がトラス脚 次いで3割が交叉ブレース囲い。やはりトラス脚は好い。


 

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1茅野市米沢の火の見櫓

2023-03-19 | g 火の見櫓観察記


1456 茅野市米沢 茅野市消防団米沢分団第一部 4柱44型トラス脚

 今日(19日)急に思い立って、茅野市の米沢地区で火の見櫓巡り(ヤグ活)をした。ひのみくらぶ会員の藤田さん(過去ログ)がSNSで紹介していた同地区の火の見櫓を見て、行きたいと思っていた。南信地域で最も多いタイプの4柱44型。


屋根と見張り台の平面が4角形だと硬い印象になる。見張り台の4隅が隅切りしてないと尚更だ。


屋根のてっぺんの飾りも4隅の蕨手もあっさりしたデザインだ。柱の接合部が写っている。


踊り場に半鐘を吊り下げてあるのは珍しくはないが、櫓の内側というのは珍しい。櫓内に納めた小さい踊り場の場合、半鐘は櫓の外側に吊り下げてあることが多い。踊り場の下に柱の接合部がある。


トラスもどき脚 正面だけアーチ部材を入れている。正面性を表現する意図があったのかもしれない。




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「映画を早送りで観る人たち」

2023-03-19 | g 読書日記


『映画を早送りで観る人たち』稲田豊史(光文社新書2023年2月10刷発行)

 映画を1.25倍速、1.5倍速で観る人がいるということは知っていた。でも、どうして? 

先日、書店でこの本を目にした。早送りで観る理由を知りたくて買い求めて読んだ。2022年4月に1刷が発行されて今年2月で早くも10刷、よく読まれているのだろう。

映像作品の供給過多/「コスパ」を求める若者たち/作品とコンテンツ、鑑賞と消費/「ファスト映画」という効率的摂取/すべてをセリフで説明する作品が増えた これら序章の小見出しは本の内容を簡潔に示している。

著者の稲田さんは「鑑賞」と「消費」というキーワードで映画などの映像作品を人はどのように観ているのか、なぜそのように観るのかを論じている。

この本を読んで、直接的なコミュニケーションをあまり好まない人が若者を中心に増えているのかもしれないな、と改めて感じた。このことは例えばカフェで二人一緒にいても、会話しないで二人ともスマホを見続けているところをよく目にすることなどから前々から感じていた。

このような人たちは映画でも登場人物たちの会話の間(ま)や顔の表情などに関心がなく、どのようなことを言うのか、内容にのみ関心があって、どのように言うのかということには関心が無いのだろう。そうであれば倍速視聴で何ら問題なく、むしろその方がタイパ(タイムパフォーマンス この言葉はしばらく前に知った)が良いと考えることになる。

顔の表情、その場の雰囲気で伝えていたことまでセリフにしないと理解してもらいないと製作者側も考えて映像づくりをすると、ますます倍速視聴を促すということになる。

昔は映画は映画館でしか観ることが出来なかったが、今はいろんなサービスでいつでもどこでも観ることができる。映像作品の情報過多な状況もまた、倍速視聴を促す要因だろう。倍速視聴しないと観切れない・・・。大河ドラマを総集編で観るように映画を観る、これって幸せな状況なんだろうか。


 

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火の見櫓のある風景1

2023-03-15 | g 火の見櫓のある風景を描く〇

火の見櫓のある風景スケッチ 朝日村にて 2023.03.15

 風景を構成している要素の大きさ、要素間の位置関係をできるだけ正確に描きます。そうしないと遠近感が自然に見えるような表現ができないので。各要素の形はそれほど正確でなくても気にしません。

実はこの風景を描くのは3回目です。左側の敷地が道路より低いこと、アイストップとなる道路奥のところに倉庫と思しき大きな建物があって、遠近感が不自然になることなどにより、どうも思うように再構成できません。それからこの季節、落葉樹の表現が難しいです。

などと言い訳ばかり・・・。
今度スケッチするときは線描にもう少し時間をかけてみます。そうすると線の様子が変わりますが、それでスケッチがどんな風に変わるのか確認しようと思います。
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大江健三郎さんの作品(追記)

2023-03-15 | g 読書日記

 「大江健三郎さん死去」 信濃毎日新聞は3月14日付 朝刊の1面トップで大江健三郎さん死去の報を伝えた。第一社会面(31面)に大江さんの主な作品が紹介されている。 

以下雑記。


大江健三郎さんの作品

280
「死者の奢り」「芽むしり仔撃ち」「見るまえに跳べ」「われらの時代」「遅れてきた青年」「性的人間」「個人的な体験」。記事に紹介されているこれら初期の作品を文庫本で読んだのは高校生の時だった。大江健三郎と安部公房は同期生に人気のある作家だったと記憶する。初期の作品の中で「個人的な体験」を子育て中に再読して感銘を受けた。

大江作品の文庫本はもう手元にない。古書店に引き取ってもらった文庫本約1,100冊に含まれている。再読するとき、また買い求めればよい、と割り切った。各出版社が大江作品の増刷を決めたとのこと。初期の作品を読んでみよう。






今手元にある大江さんの著書は上掲写真の単行本と文庫と新書それぞれ1冊のみ。


高校生のころから親しんできた大江さんの作品

夏目漱石や川端康成、三島由紀夫は中学の時に一通り読んだ、などという高校の級友の言葉にぼくはショックを受けた。中学時代は松本清張の推理小説を読んでいて、級友が挙げた作家の作品は読んだことがなかったから。それで、高校生の時に夏目漱石や川端康成、三島由紀夫の小説を読み、大江健三郎、安部公房の小説も読んだ。それから北 杜夫も。

今、小説はもっぱら文庫本で読んでいるが、何年か前までは単行本でも読んでいた。


以前書いた大江作品に関する記事

2008年2月2日に書いた記事を再掲する(一部省略・改稿、写真差し替え)。この記事では建築家の原 広司さんがモデルになっている小説を取り上げている。


『揺れ動く 燃えあがる緑の木 第二部』大江健三郎(新潮社1994年)

この本は大江さんがノーベル文学賞を受賞した頃に出版されて(第一部1993年 第二部1994年 第三部1995年)、よく売れたのではないかと思う。

よく知られているように原 広司さんと大江健三郎さんとは友人関係。大江さんの出身中学校は原さんの設計によって改築された。建築雑誌に当然掲載されたが残念ながら手元にその雑誌はない。

大江さんはこの小説に荒先生として原さんをモデルにした建築家を登場させている。「あら」と「はら」、よく似ている。

**荒さんは、その独創的な構想を、粘り強くあらゆる細部にわたって実現する建築家だった。** 小説から引用したこの文章は原さんの評価そのものだ。

こんな記述もある。**この土地の民家の建物と集落をイメージの基本に置いて、木造小屋組みの上に和瓦を載せたものだった。** また、こんなくだりもある**教会のために建設しようとしている礼拝堂は直径十六メートルの真円が基本形です。** これは原さんが設計した大江さんの出身中学校の音楽室ではないか。直径が同じかどうか資料があれば調べてみたい。

円形は音響的には好ましくない。そこで**荒さんは生産技術研究所の同僚の専門家に実験を依頼されました。二十分の一の縮尺模型を作って、実験が行なわれたわけです。** この先もまだ続く。こうなれば、この中学校の設計の解説文だ。

作家はこのように実話を小説のなかに取り込む。それが時に問題になったりすることもあるが、この小説を読んだであろう原さんはどんな感想だったんだろう・・・。


1995年の秋 大江さんの講演を聴いた。


今日、15日の 信濃毎日新聞朝刊1面のコラム「斜面」に大江健三郎さんがノーベル文学賞を受賞した翌年、当時岩波書店の社長だった安江良介さんと松本で講演したことが書かれていた。ぼくはこの講演を聴いている。1995年のダイアリーにはこの講演会のリーフレットが貼ってある。それによると演題は「この五十年と私の文学」。講演内容は覚えていないが、ダイアリーの講演当日(9月14日)の記入欄に **自分の言葉で愛と美を語れ** と記してある。

コラム「斜面」には**戦後文学の旗手は現実の世界と正面から向き合って、迷いなく語り、行動した。自身の思想と倫理のみに従う強じんな精神ゆえだろう。** とある。大江さんは文学世界にこもることなく、社会や政治と関わり続けた。


大江作品は何色のイメージか

大江作品はどんな色に譬えることができるだろう、安部公房は・・・。大江健三郎の作品はこげ茶、安部公房の作品はグレー。安部公房の作品がグレーというのは前衛的な作品のイメージから。大江健三郎の作品のこげ茶は、なんとなく。


大江健三郎さん、読みでのある作品を何作もありがとうございました。

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