透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー



食事処げんきの味噌川ダムカレー

2018-06-21 | F ダムカレーを食べよう



 所用で木曽へ。きそむら道の駅の食事処げんきで味噌側ダムカレーを食べた。

食事処げんきの味噌川ダムカレー諸元 

・ダム型式:ロックフィル式ライスダム  
・堤体長:約16cm(実測値)
・堤体高:約5cm(同上)
・堤体底幅:約6cm(同上)
・堤体重量:上記寸法から求めた堤体の体積を重量換算すると約200gとなった。
・総貯ルー量:不明

堤体の端にあるぴり辛こうじはダム管理所を、ダム下流の福神漬とらっきょは水の流れや発電所を、またキャベツや野菜揚げは緑豊かな自然を表現しているそうだ。山賊焼きは堤体の岩石。

・敷地:白の真円、うっかり敷地測量を忘れた。
・ダム湖の深さ:ごく浅い。最深部でも1cmくらいでは。
・施工費:800円(税込)
・施工に要した時間:約11分 ただし施工会社では複数物件を同時施工しており、本物件の施工に要した実時間は不明。
・竣工検査に要した時間:約18分 同行者Iさんもほぼ同時に検査を終了した。
・味:辛口、美味(これ以上の食レポは私には無理)
・施工会社の所在地:木曽郡木祖村藪原 きそむら道の駅


 

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「西郷札」松本清張

2018-06-20 | A 本が好き

 小一時間の朝カフェ読書で松本清張短編全集1の表題作「西郷札」を読んだ。「西郷札」は清張のデビュー作。

作品中に西郷札(さいごうさつ)の説明がある。**西南戦争ニ際シ薩軍ノ発行シタ紙幣** この作品は実在した西郷札をネタにした実に巧みな構成の短編。

新聞社で企画された「九州二千年文化史展」の出品リストに西郷札と覚書という品目があった。覚書を書いたのは西郷札の発行に関わった樋村雄吾という人物。この覚書をベースに作品の書き手である私が構成した物語という形式を採っている。

樋村雄吾は西南戦争で西郷隆盛の反乱軍に加わる。銃弾が樋村の右肩を貫くが、幸運にも生き延びる。雄吾が素封家の庇護を受け、一年二ヵ月後に故郷に帰ると、戦火で家は焼かれ、父親は亡くなり、継母(母親は雄吾が十一歳の時に亡くなっている)と義妹(継母の連れ子)の季乃(すえの)は行方不明になっていた・・・。

失意のうちに東京に出た雄吾は人力車を挽く車夫になる。ある夜、雄吾は一目で高級官吏と分かる男を乗せる。長い塀の多い屋敷町の一画で男をおろした。男を迎えに門の外に出てきたのは、行方が不明だった季乃だった。

**暗い中から丸髷(まるまげ)が浮き出たが、くっきりと白い顔を見た瞬間の雄吾の驚愕は何にたとえようもない。(中略)―季乃であった。(中略)季乃が東京にいる、人妻となっている。**(30頁) 

季乃の夫の塚村圭太郎は雄吾と季乃との間に兄妹愛とは違う愛を感じ取り、嫉妬する。

塚村は、紙屑と化していた西郷札を政府が補償回収するという嘘の情報を雄吾に伝える。雄吾と彼の恩人らに買占めをさせて、全財産を失わせることを企てる。塚村がそれとなく流した西郷札買上げの風評により宮崎では西郷札の値が上がっていたために、塚村の目論見通り、彼らは全財産を投じることになる。

さらに雄吾は**味方の発行せし金券ひいきの余りに誑(たぶらか)したるにや或は金儲け欲しさのためにや今の処分明せざれ共、そもそも虚言を以って住民共多勢を欺すは重罪につき同人が東京に舞戻る節は直ちに逮捕するやう警視本署にて御用意ありと。**(62頁)と新聞に報じられることに・・・。

結末を記していると思われる覚書の終盤が破り取られていて結末が分からないということで小説も塚村や雄吾や季乃がどうなったのか明かされることなく終っている。塚村が雄吾によって殺害されたのならそのことを新聞が報ずるはずだが、当時の新聞に当該記事はないと小説のラストに記されている。

推理小説とも恋愛小説とも取れるこの作品の結末は読者が想像するしかないのだ。雄吾と季乃は連れ立って地方に逃れ、ひっそりと暮らしたのかもしれない。塚村は雄吾によって殺害されたが、そのことは政府によって完全に隠蔽されたのかもしれない・・・。


 

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希望

2018-06-19 | C 朝焼けの詩


撮影日時 180619 05:04AM

夜明けが早く、この時刻だと朝焼けはもう終っている。

今日は何か好いことがあるだろうか・・・。


 

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「人口減少時代の土地問題」

2018-06-18 | A 本が好き



 今月8日に東京駅前の丸善で買い求めた『人口減少時代の土地問題』吉原祥子/中公新書を読み終えた。

サブタイトルの「「所有者不明化」と相続、空き家、制度のゆくえ」と帯の「空き家、相続放棄の問題が農村から都市へ拡大している」から本書の内容が分かる。「持ち主がわからない土地が九州の面積を超えている。」という事実には驚いた。

ある自治体で県道をつくる際、用地取得の対象になった土地の一角に三代にわたって相続登記されていない土地があり、自治体の担当者が相続人を特定したところ、約150人にもなったという。小さい文字で相続関係説明図が2頁に亘り載っているが、全体の半分に過ぎないとのこと。相続の手続きの煩雑さがよく分かる。これだけの相続人を調べ上げた担当者もスゴイ。土地の権利移転になんと17年と600万円かかったという事例も紹介されている。

また資産価値が低い土地では、相続登記の手続きを司法書士に依頼してかかる費用や親族間の連絡調整費用などが資産価値を上回ってしまうこともあり、登記簿上の名義人が死亡者のまま放置され続けることになるという指摘、なるほど。

本書には対策として相続登記の手続きの簡素化などが挙げられている(先日新聞にこのことに関する記事が載っていたかと思うが、内容までは覚えていない)。

相続人不明となった土地が「相続不能地」と化し、次第に国土が荒廃していく・・・。


 

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1-2 火の見櫓のタイポロジー

2018-06-17 | A「火の見櫓っておもしろい」を本にしよう

1-2   火の見櫓のタイポロジー

花のデザインの多様性に気がついた小学生のA君が夏休みの自由研究で花の分類を試みたとしてみましょう。A君は花の色と花びらの枚数というふたつの観点によって花の分類を始めます。すると庭に咲いているアサガオが上手く分類できないことに気がつきます。花の色には白や青や紫などがありますし、花びらの枚数で困ってしまうでしょう。そこでA君は考え方を変えて花の色や花びらの枚数ではなく、花の咲く季節と花の大きさで分類したらどうだろうと考えます。A君は大きな模造紙の横方向を春夏秋冬の4つに分け、縦方向に大きさを何段階かに分けたマスを設けます。例えば5段階に分ければ20個のマスができますが、それをリビングの壁に張り、マスに花の写真を貼ります。毎日家族で見ていれば夏休みが終わるころまでに、何か傾向を見つけることができるかもしれません。いや、できないかもしれません。私は春に咲く花は小さいものが多いような気がするのですが、このような傾向があるのでしょうか。 
分類学・タイポロジーは研究の出発点です。火の見櫓は十基十色、それぞれ形が違いますから火の見櫓観察の出発点として形の分類、タイポロジーを考えます。火の見櫓の形の分類は花の分類ほどやっかいではありません。適切な観点を据えればいくつかのタイプに分類できるはずです。火の見櫓の形の分類について串刺しおでんを参考に考えてみます。


写真1-2-1 馴染みの店でつくってもらった串刺しおでん

写真のように1本の串に3角のコンニャクと円いダイコン、4角の焼き豆腐を刺してあれば、串の本数の1、コンニャクの3、ダイコンの〇(円)、焼き豆腐の4を捉え、「1本3〇4」と表記することができます。これに倣って火の見櫓は脚(柱)の数と構成要素の屋根・見張り台・踊り場の平面形によって分類して表記します。例えば南佐久郡川上村の火の見櫓(写真1-2-2)の場合は「1脚444」となり、諏訪郡富士見町(写真1-2-3)の火の見櫓は「4脚44〇」となります。おでんの場合、平面形だけ捉えてもその具材が何なのか分からず、有効な分類にはなりませんが、火の見櫓は構成要素がほとんど鉄ですからこの表記で十分でしょう。


写真1-2-2 南佐久郡川上村の火の見櫓 1脚444


写真1-2-3 諏訪郡富士見町落合の火の見櫓 4脚44〇


写真1-2-4 北杜市の火の見櫓 2脚無無

中には山梨県北杜市の火の見櫓(写真1-2-4)のように分かりにくいものもあります。後ろの1本を脚と捉えるかどうかです。手前の梯子を支える単なるバックステー(つっかい棒)と捉えれば2脚で屋根も見張り台もありませんから「2脚無無」と表記できます。安曇野市三郷(写真1-2-5)の火の見櫓も判断に迷いますがバックステーを前の2本の柱と横架材で繋いでいますし、ブレースも入れていますから、櫓を構成する脚と捉えて3脚とするのが妥当でしょう。では半鐘の上の小屋根はどうでしょう。屋根を櫓のてっぺんにあるものだけに限定し、半鐘の小屋根を無視すれば、屋根も見張り台もありませんから「3脚無無」となります。


写真1-2-5 安曇野市三郷の火の見櫓 3脚無無

東筑摩郡筑北村本城の火の見櫓(写真1-2-6)は脚は3本で屋根は無く、見張り台は面取りをした4角形ですから「3脚無4」となります。
見張り台や踊り場の平面形で判断に迷うのは、筑北村本城の火の見櫓(写真1-2-6)のように隅切り(*1)をしてある場合です。4角形で隅切りが大きいと8角形と区別がつきにくくなりますが、隅切りの大きさや、床の構成の様子などから適宜判断します。
このように火の見櫓の多様な形は脚の本数、屋根・見張り台・踊り場の平面形によって捉えることができ、これらの数字を並べることによって簡略化して示すことができます。


写真1-2-6 筑北村本城の火の見櫓 3脚無4(面取り)

*1「隅切り」と「面取り」 平面形の場合は隅切り、立体形の場合は角を落とすと面ができるので面取りといいます。和室の柱は面取りをしてあります。

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第1章 火の見櫓って何?

2018-06-17 | A「火の見櫓っておもしろい」を本にしよう

第1章 火の見櫓って何?

1-1 火の見櫓の機能と構造

火の見櫓は全国各地に点在していますから、皆さんも見かけることがあると思います。火の見櫓は消防団員が登って半鐘を叩いて火災を知らせる鉄塔です。鉄塔と聞くと電力会社の送電鉄塔を思い浮かべる人も多いのではないかと思いますが、送電鉄塔は人が登って何かをするためのものではありませんからよそよそしくて親しみを感じるようなものではありません。また景観を損なうものとして一般にはあまり歓迎されるようなものでもありません。地元の消防団員が登る地域密着型の火の見櫓と地元地域とは直接的な関わりの無い送電鉄塔は大きく違います。ここで改めて火の見櫓とは何か考えてみたいと思います。


写真1-1-1 塩尻市中西条の火の見櫓


写真1-1-2 東京電力の送電鉄塔 塩尻市洗馬  


後で詳しく見ていきますが、火の見櫓は江戸時代前期に初めて登場しました。頻繁に発生する火災をできるだけ早く発見するために見張り番が常駐して市中を監視し、半鐘や太鼓を叩いて火災の発生を知らせるためにつくられたのです。このように火の見櫓はもともと火災の早期発見と早期伝達のためのものでしたが、いつ頃からか火の見櫓の上に見張り番が常駐して監視することはなくなり、火災の発生を伝達することが役目となって今日に至っています。
火の見櫓の他にも物見櫓や太鼓櫓、祭り櫓など、櫓の付く言葉があります。太鼓櫓は太鼓の音を遠くまで伝えるための櫓で、祭り櫓は盆踊りなどのための櫓です。大きな輪になって踊る盆踊りでは、輪のまん中に組まれた櫓の上で数名が手本となる踊りをします。青森県の三内丸山遺跡には大きな櫓が再現されています。祭事に使われていたのではないかと言われていますが、定説とはなっていないので火の見櫓のように機能を示す名前は付いていません。

火の見櫓は「火の見」という機能を「櫓」という構造によって実現したものです。「火の見」は火を見る、即ち火災を発見・監視することを意味しています。では「櫓」とは何でしょう。私なりに定義づけをすると、「人を高いところに保持するための足場がある立体的な構造物」となります。


火の見柱 火の見梯子 火の見櫓

このような定義によると、写真1-1-3と1-1-4の火の見櫓は立体構造ではありませんから、前述した意味での火の見櫓ではありません。私は写真1-1-3のような柱1本のものを火の見柱と呼び、写真1-1-4のような柱2本のものを火の見梯子と呼んでいます。火の見梯子という呼び名は昔からあります。一般には火の見柱や火の見梯子も含めて火の見櫓と呼ばれています。
ところで、櫓は木偏に魯(ろ)と書きますが、この魯は露天の露に通じ、むき出しになっているという意味を含んでいるようです。したがって櫓の定義には木材や鋼材など櫓を構成する部材がむき出しになっている簡易な構造という条件を加えるべきでしょう。


写真1-1-3 千曲市上山田温泉の火の見柱*


写真1-1-4 大町市美麻の火の見梯子


写真1-1-5 塩尻市宗賀の火の見櫓


写真1-1-6 松本市笹賀の火の見櫓 半鐘を叩く消防団員

「火の見櫓って何?」この問いに私は「半鐘を叩いて火災の発生や鎮火等を知らせるための簡易で立体的な工作物」と答えます。火の見柱や火の見梯子も含める通例の捉え方をするなら、上記の答えから「立体的」という条件を外します。あまりスマートな回答ではありませんが、今まで述べたことをまとめるとこのようになります。構成部材がむき出しになっているという条件を具体的に示していませんが、簡易ということばに含めています。

 *付き写真は友人からの提供

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目次

2018-06-17 | A「火の見櫓っておもしろい」を本にしよう

はじめに

目次

第1章 火の見櫓って何?
1-1 火の見櫓の
機能と構造
1-2   火の見櫓のタイポロジー

1-3 火の見櫓の立地条件 
1-4 長野県は火の見櫓が多い?
1-5 火の見櫓の歴史 明暦の大火から始まった火の見櫓の歴史

第2章 火の見櫓を観察してみよう
2-1 火の見櫓の見どころ
2-2    火の見櫓のある風景
2-3 全形 
2-4 屋根-形と飾り
2-5 半鐘 
2-6 見張り台と踊り場
2-7 脚
2-8 梯子 消防信号板 監視カメラ
2-9 接合方法 

コラム 火の見櫓の建て方

第3章 火の見櫓っておもしろい
3-1 東京タワーと火の見櫓 
3-2 美しい火の見櫓
3-3 貫通する火の見櫓
3-4 またぐ火の見櫓
3-5   まとう火の見櫓


コラム 火の見櫓の建設契約書

第4章 火の見櫓あれこれ
4-1 細身で長身
4-2 赤い半鐘
4-3 朝焼けと火の見櫓
4-4 響き渡る半鐘の音
4-5 自然と火の見櫓のコラボ
4-6 極細櫓
4-7 竹田の火の見やぐら
4-8 陣笠
4-9 3脚444型
4-10 山桜神社の火の見櫓
4-11 6角形の櫓
4-12 黒部ダム建設工事の監視塔
4-13 戦争遺跡
4-14 鉄筋コンクリートの脚
4-15 神輿のゲート
4-16 オシャレな女性に見える?
4-17 御柱とツーショット
4-18 **
4-19 **
4-20 **

第5章 火の見櫓のこれから
5-1 消えゆく火の見櫓
5-2 残された火の見櫓
5-3 火の見櫓は地域のシンボル

おわりに

付録 火の見櫓の設計図面
 

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はじめに

2018-06-17 | A「火の見櫓っておもしろい」を本にしよう

はじめに

満天の星を見上げても星座に興味が無く知識も無いわたしにはただ星がランダムに散らばって見えるだけです。でも星座を知っている人にはいくつもの星座が見えているわけで、同じ星空でも人によって見え方が違います。知識がないとものは見えないのです。火の見櫓に興味を持ち始め知識を得るようになって、それまで風景の中に立っているのに気がつかなかった火の見櫓に気がつくようになりました。

火の見櫓との出合い


写真0-1 大町市美麻の木造の火の見櫓(現在は別の場所に移設されています)

大町市美麻(旧北安曇郡美麻村)へ蕎麦を食べに出かけた時のことでした。一軒の蕎麦屋さんに入り、案内された広い和室の窓から外の風景を何気なく見ていて、火の見櫓が立っていることに気がつきました。存在感のある火の見櫓、というのがその時の印象でした。美味い蕎麦を食べ終えて帰る時、火の見櫓に近づいて見ると、それは木造でした(写真0-1はその時に撮りました)。

存在感があると感じたのは柱が太い丸太だったからでした。3本の丸太柱を組んだ櫓に3角錐の屋根が載っています。屋根の下地材も木です。それまで目にしていた火の見櫓は鉄骨造で、木造の火の見櫓を見たのは初めてでした。その時、火の見櫓を見て歩けばおもしろいかもしれないと思ったのです。2010年の5月、こうして美麻から私の火の見櫓巡りは始まりました。 


火の見櫓巡り

それまで気にも留めず、見かけても通り過ぎていた火の見櫓が気になり出して休日になるとあちこちに出かけて火の見櫓を観察するようになりました。友人たちと奈良や大阪へ旅行に出かけた時には、早朝ひとりでホテルを抜け出し、タクシーや電車を利用して火の見櫓を見に行きました。菩提寺の檀信徒会で高野山へ参拝に出かけた時も宿坊で行われる早朝のおつとめに参加しないで火の見櫓を見に行きました。
火の見櫓巡りをするようになってから、どれも同じようなものだと思っていた火の見櫓が実はみんな違っているということが分かるようになりました。火の見櫓に関する知識を得て火の見櫓が見えるようになったのです。
火の見櫓は十基十色です。
「火の見櫓 みんなちがって みんないい」ということを分かっていただきたい。この願いからこの本を上梓しました。火の見櫓の見どころ、観察のポイントを説明し、今までに出会った火の見櫓を紹介します。
この本を読んでいただいた皆さんが火の見櫓に興味を持ち、火の見櫓を見かけた時に立ち止まって観察するようになっていただけたら幸せです。
それでは火の見櫓の広くて深い世界へどうぞ。

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007「ワールド・イズ・ノット・イナフ」

2018-06-17 | A あれこれ

 007シリーズ第19作「ワールド・イズ・ノット・イナフ」を観た。ピアース・ブロスナンが演ずるボンドを観るのは初めてだが、なかなか好い。

この作品、とんでもない悪人(だと僕は思う)をかわいいソフィー・マルソー演じていることに尽きる。しかも彼女はボンドに殺されるという予想外の展開・・・。

彼女は複数あるヨーロッパへの石油の供給ルート(陸路、海路)を絶って(海路を絶つ?どうやって? 海峡を核汚染させるというとんでもない方法で)、石油王の父親が築きつつあったルートを引き継いで、独占しようという目論む。それを阻止すべく、ボンドがボインなボンドガールとともに身の危険を顧みず奮闘する。

この作品で新兵器発明おじいさんQが引退した。なかなか味のある演技をする俳優(デスモンド・リュウェリン)だった。


 

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リング式ターンバックル付きブレース

2018-06-16 | A あれこれ



路上観察 松本市内にて 撮影日180616

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明日香荘の黒部ダムカレー

2018-06-16 | F ダムカレーを食べよう



 所用で大町へ。昼食は大町市八坂(旧八坂村)の信州金熊温泉 明日香荘の黒部ダムカレーにした。この地には金太郎伝説がある。温泉名の金熊もこの伝説にちなんだものと思われる。

明日香荘の黒部ダムカレー諸元 

・ダム型式:アーチ式ライスダム  
・堤体長:約25cm(実測値)
・堤体高:約4cm(同上)
・堤体幅:約5cm(同上)
・堤体重量:不明だがかなりのボリューム
・総貯ルー量:約270㏄(黒部ダムカレーカードに表示されている値)
・ダム湖に浮かぶ遊覧船・ガルベ:炭焼きおやきの皮 陸揚げ状態で供されたので自分で進水させた。ナンのようにルーをつけて食べる。
・ダム下流:タマゴサラダ、一口カツ、サニーレタス、キャベツ 
・敷地:白い真円の敷地、直径約31cm(実測値)
・ダム湖の深さ:ごく浅く、約1cm(目測)
・施工費:1000円(税込)
・施工に要した時間:約9分(施工場所が見えず、施工者不明)堤体は現場施工ではなく型枠に堤体材を詰め込むプレキャスト施工。
・竣工検査に要した時間:約22分 
・味:コクがあって美味(これ以上の食レポは私には無理)
・施工会社の所在地:大町市八坂1160



施工会社外観 撮影日180614 



明日香荘から大町の市街地に戻る途中で見ることができる爺ヶ岳(左)と鹿島槍ヶ岳(右)


 

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007シリーズ

2018-06-15 | A あれこれ

01 ドクター・ノオ 0316 
02 ロシアより愛をこめて 0128
03 ゴールドフィンガー 0224
04 サンダーボール作戦 0317
05 007は二度死ぬ 0513
06 女王陛下の007 0520
07 ダイヤモンドは永遠に 0311
08 死ぬのは奴らだ 0407
09 黄金銃を持つ男 0429
10 私を愛したスパイ 0211

11 ムーンレイカー 0204
12 ユア・アイズ・オンリー
13 オクトパシー
14 美しき獲物たち
15 リビング・デイライツ
16 消されたライセンス
17 ゴールデンアイ
18 トゥモロー・ネバー・ダイ
19 ワールド・イズ・ノット・イナフ 0617
20 ダイ・アナザー・デー

21 カジノ・ロワイヤル
22 慰めの報酬
23 スカイフォール
24 スペクター

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「人口減少時代の都市」

2018-06-13 | A 本が好き



 先週末(8、9日)セミナーに参加するために上京した。

上京するたびに東京駅前の丸善に行く。店内の落ち着いた雰囲気も好いし、開店が午前9時と、早いのも好い。友人との待ち合わせにもここのカフェを利用している。

中公新書を2冊、『人口減少時代の都市 成熟型のまちづくりへ』と『人口減少時代の土地問題』を買い求めた。前書を昨晩(12日)読み終えた。

!と思った箇所に付箋紙を貼りながら読んだ。

**人口減少局面に入っているのに、相も変わらず高度成長期のやり方を続けているから、危機に陥るのだ。**(190頁)

**人口減少はいずれ、ほぼすべての自治体が受け入れなければならない現実である。それに抗うことが可能なのも、条件のよい首都圏の都市でせいぜいあと一〇~十五年である。いま、こうした人口吸引ゲームに興じる一方で、人口減少の先を見据えた長期的なまちづくりへの投資を怠っている自治体こそ、究極的には敗者となるであろう。**(191頁) 

本書で著者の諸富 徹氏は人口減少時代の到来を前提に成長型社会から成熟型社会への転換の必要性を説き、そのあり様ついて論考している。


 

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99枚目

2018-06-12 | E 名刺 今日の1枚



99枚目 Mさん

 仕事に就いて最初の2年間でその後が決まる。彼女には日々密度濃く過ごすことを望む。


 

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江戸の町並みジオラマ展

2018-06-11 | A 火の見櫓っておもしろい 

 信毎メディアガーデンで開催中(0608~0615)の「江戸の町並みジオラマ展 江戸時代にタイムスリップ!」を見てきた。火の見櫓もあるだろうという予想は当たっていた。

会場に置かれていたリーフレットには作者の三浦 宏さんの**(前略)大きなものを作ったのは、昭和56年、辻村寿三郎さんが人形を手がけた「吉原遊郭」が最初です。それ以降、失われていく江戸の町をどうにか残せたらと思って、長屋、湯屋、おもしろい。表店・・・と、ひとつひとつを1年~2年かけて作りました。(後略)**というコメントが載っている。

すばらしい出来栄えの作品が配置されていた。






高さ8.1m(縮尺1/10)の火の見梯子の正面側




半鐘の上の切妻屋根は目板葺き


脚元の様子 控え付きの束(束:短い柱のこと 床束、小屋束などがある)に固定している。倒れ止めのつっかい棒がある。火の見梯子の脚を固定した様子を初めて見た。模型を作るときは図面や錦絵など資料も徹底的に調べるということだから、実際にこのように固定していたのだろう。


棟割長屋


湯屋


 

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