goo blog サービス終了のお知らせ 

透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ありがとうございました。 

2025-06-26 | g あれこれ考える〇

gooブログ 最後の投稿

 2006年4月16日。この日にブログ「透明タペストリー」を始めました。
それから19年と2か月、ずいぶん長い間継続してきました。

これまで拙ブログを閲覧していただいた皆さん ありがとうございました。
運営に携わったスタッフの皆さんにもお礼を申し上げなくてはなりません。ありがとうございました。

gooブログのサービス終了は残念ですが、仕方ないですね。本稿を以ってgooブログへの投稿を終了します。

はてなブログに「透明タペストリー2」を開設して、これまでの記事を移行し、新たな記事も書き始めました。
今までと変わらず閲覧いただければ幸いです。 透明タペストリー2


透明タペストリー工房 U1

2025.06.25

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はてなブログへ画像データを移行する

2025-06-19 | g あれこれ考える〇

 gooブログからはてなブログへテキストデータの移行は2時間足らずで完了。

続いて画像データの移行実施。15日(日)の17時半ころ開始して、18日(水)の朝、5時半ころに終了した。2日半くらいかかったことになる。

移行対象の画像は14183枚と表示されて、移行できた画像は14154枚(29枚が移行できなかった)。ただし、画面表示は18枚移行失敗となっていて、枚数が相違している。また、はてなのアルバム「はてなフォトライフ」を見ると、表示枚数は14463枚となっていて、移行対象の枚数より多い。

記事に使われている画像だけが移行される、ということから、先にインポートされている記事を参照(という表現が正しいのか、分からないが)して、そこで
使われている画像のURL(住所にたとえられる)を探しても画像が見つからないケースがあるだろう。このような場合には移行失敗と表示される。それが18枚(29枚)と表示されているのだろう。

では、アルバムに貼り付けられた画像の枚数が多いのはなぜ? インポートされた画像数にはてなブログの記事に使った新たな画像が加算されているのかな?

推測するに、同じ画像が複数の記事に使われているケース。この時は記事と画像を1対1に対応づけるために、同じ画像データを複数移行する、ということではないだろうか・・・。事情に疎いので、事実とは全く違うのかもしれないが。同じ画像(松本清張の本の画像)が2枚、アルバムに貼られていることに気がついた。他にもあった。このようなことがいくつも起きているのでは・・・。

だが、松本清張の本を除き、他の写真は2度使いするようなものではない。 上記の推測ま間違っているなぁ。では、なぜ?


 




引っ越しとか、移行ということばから、データをgooブログのサーバーからはてなブログのサーバーへ移すというイメージが浮かぶ。住まいの引っ越しの際の荷物の移動のようなイメージ。でも、データの移行とはこのようなものの移動とは違い、データのコピーをはてなに持ってくるということなのでは・・・。

文章を移行させた段階ではてなブログの記事を見ると、ちゃんと画像もあることから、画像も引っ越しできたと勘違いする人も中にはいるようだ。この段階では、gooブログのサーバーに画像を読み取りにいって、それを表示しているだけだろう。だから、gooブログが閉鎖され、データが消去されると、記事の画像は表示されなくなってしまう。

画像データの移行に時間がかかるのは、文章くんと画像ちゃんがはぐれないような対策をしているからなのでは。ふたりを赤い糸(かどうか分からないが)で、きっちりむすばれた状態にしておかないと、いけないから。そうしないとgooブログのデータのままで、いずれ消えてしまうから。だから、画像がgoo村の住所のままではないですか、ちゃんとはてな村に来ているかどうか画像の住所を確認してみて、と注意書きされている。

この辺りの理屈というか、どうなっているのかが、正しく説明されていると、原理的なレベルで理解できるのだが・・・。

でも丁寧な引っ越しマニュアルのおかげで、引っ越しすることができた。感謝。


 

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はてなブログへデータ引っ越し

2025-06-16 | g あれこれ考える〇



 2006年4月16日に始めたgooブログ。昨日(6月15日)は開始日から7,000日目という節目の日。
ということで、データをはてなブログへ移す作業をした。

15日 

午後3時20分過ぎ 作業開始 約5分後 テキストデータ(要するに記事の文章データ)のエクスポート完了通知が届いた。自分のパソコンに届いた圧縮ファイルに名前を付けて、解凍。解凍は瞬時にできる。



午後3時30分 はてなブログへ解凍した文章データを移す(インポート)作業開始。8520件あった記事を減らして、移す記事は5283件。

インポート用の画面には進行状態を示す棒グラフが表示されている。

午後5時30分少し前、75%(画面のグラフにスケールをあてて、長さを測った)くらい進んだところで、グラフが止まって伸びないことに気がついた。
おかしいなぁ・・・。で、はてなブログの画面で移動できた記事の件数を数えた。合計5283件 あれ、全て移動できてる。グラフが上のような状態なのに・・・。


午後5時30分頃 引っ越し作業画面に画像引っ越しの表示が出たので、画像移動作業開始。移動する画像は14,183枚。(記事に使っていない画像は引っ越しの対象外で、カウントされない。ちなみに全画像数は21,383枚)

午後9時30分頃 1,221/14183(枚)

16日

午前5時30分頃 4499枚/14183(枚)

開始から12時間で約4500枚移動できたので、同じペースで移動作業が進むとすると、約26時間後に完了するという計算(間違っていないと思う)。画像データはgooブログのサーバーからはてなブログのサーバーへどうも直接移すらしい(確かではないので、らしいとしておこう)。従って、パソコンで他の作業をしたり、電源を落としても移動は進む。

明日の朝、今ごろには終わっているだろう。(はてなではこのような絵文字が使えない)






 

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飯碗の形について考える の巻

2025-06-15 | g あれこれ考える〇

透明タペストリー2

 gooブログサービス終了予定を受け、はてなブログにブログを開設しました。閲覧いただければ幸いです。近々引っ越す予定です。

 最近飯碗を①から②に変えた。




①と②の容量はほぼ同じ

今まで使っていた①の飯碗と、使い始めた②の飯碗とどこが違うのか。

まず全体の形が違う。具体的には底から口縁までのカーブが違う。②のカーブの方が勾配がなだらかで縁に向かって徐々に急勾配になっている。①は勾配が途中で急激に変化している。それから口縁の形が違う。①は口縁が外側に反っている。このようなことは『空想の補助線』の著者・前川 淳さんなら数理的にスマートに説明するだろうな。

口縁が外側に反っていると、お茶漬けが食べにくい。お茶漬けを食べる時は飯碗の縁に口を付けて、箸でご飯を飯碗の内側の面を滑らせるように上げて口に運ぶ。この時、口縁が外側に反っているとスムーズに口の中に流れ込まないのだ。汁物を飲んでみれば、両者の違いがはっきりすると思う。口縁が反っていると、飯碗を傾け過ぎると口の両側から汁がこぼれそうになり、飲みにくい。

私は毎朝納豆をご飯にかけて食べるが、残りわずかになった時はお茶漬けと同じ食べ方をする。飯碗の縁に口を付けて箸でごく少量になったご飯と納豆を一緒に飯碗の面を滑らせるように(って、ネバネバで上手くいかないが)上げてきて、口に入れるが、やはり食べにくい。

そうかなぁ、違いがあるのかなぁ、と思われる方は①と②の形の飯碗で試してみていただきたい。

今日の昼間はひとりだったので、昼食をたまごかけご飯にして①と②の飯碗で食べ比べてみた。上述したことが改めて確認できたし、他にも気がついたことがあった。それは②は箸を自由に傾けて使うことができるが、①だと箸をある程度傾けると飯碗の縁に当たってしまうということだ。箸の使い方が制限されてしまうので食べにくい。

結論。以上のことから縁に口を付けて食べることがあるような場合には②のような形の飯碗の方が食べやすい。たまごかけご飯だって、残りわずかになったらお茶漬けと同じように食べた方が美味いと思う。常に上品な食べ方をしている人には分からないだろうなぁ・・・。

*****

飯碗の選び方をネットで調べたが、持ちやすさ、持ち心地については書かれているが、食べやすいかどうかについて触れているものは見つからなかった。確かに持った時の感じも大事だとは思う。でも一番大事なのは食べやすいかどうかだと思うが、どうだろう・・・。


 

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PVの数字

2025-06-05 | g あれこれ考える〇

透明タペストリー2

 gooブログサービス終了予定を受け、はてなブログにブログを開設しました。閲覧いただければ幸いです。近々引っ越す予定です。



 閲覧回数をしめすPV(ページビュー)の数字。 たとえば3日は1177PV。この数字を素直に受け取ると、気分は良いけれど、このうちの何割かは、インターネット上を巡回して情報収集するGooglebotと呼ばれる巡回ロボット(と呼んでいいのかどうか、わからないが)によるもの、ということのようだ。

一体、ブログの閲覧回数ってどのくらいなんだろう・・・。ネット上の載っていた記事によると、1日の閲覧回数が0~10回が6割とのこと。10~50回までが約2割。つまり、1日の閲覧回数が50回までが8割。そう、これが実態と認識した方がよさそうだ。この数字は2008年と2013年の調査結果のようだから、今はもっと少ないだろう。

はてなブログの閲覧回数は私の場合、1日に20~40回。gooブログの時と比べて、ずいぶん少ないな、と思ったけれど、これが「人」が閲覧する実際の数字だろう。そう思っていた方が良い。

まあ、今まで通り、書きたいことを書きたいときに書くだけだ。数字を気にすることなく・・・。





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ようやく分かった、はてなブログの使い方の疑問

2025-06-04 | g あれこれ考える〇

透明タペストリー2

 はてなブログにブログを開設しました。閲覧いただければ幸いです




 はてなブログで、書いた記事の投稿日時ってどうすれば変えることができるんだろう・・・。はてなブログで記事を書き始めて1か月経った。



記事の編集画面の右側のサイドバーの歯車マークを開くと、記事の日時を変更するところがあることが分かった。なるほど。投稿日時を指定することも簡単にできる。(←このようなマークははてなブログにはないらしい)。

画像データ容量も月毎に上限があるけれど、容量をオーバーすることもなさそうだ。


↑ このような仕切り線も入れることができるけれど、ちょっと面倒。

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「利休にたずねよ」を語る

2025-05-23 | g カフェトーク〇

透明タペストリー2

 はてなブログにブログを開設しました。閲覧いただければ幸いです。



「U1さん、ブログに載せる会話ってフィクションだっていつか断っていましたけれど、私との会話ってほとんどそのままでしたね」
「そうだっけ」
別にかまいませんけど・・・。よく覚えているな、って感心してました。別にメモしているわけでもないのに・・・」
「まあ、会話の流れを覚えていれば、再現できるんじゃないかな」
「そうですか・・・。もしかして、プロ騎士が対局を最初から再現できるのと同じなんでしょうか」
「う~ん、あんな能力はないけれど・・・」

「あの、これ」
「何? もしかしてチョコ?」
「少し早いんですけど」
「義理堅いね、今はもう義理切り、だよ」
「でも、本命って今いませんから・・・」
「そう? ま、義理が廃れりゃ この世は闇、だからね」
「え?なんだか演歌みたいですね」
「そう。でもKちゃん若いのに知ってるの」
「ええ、父が歌ってましたから。あの、この本って、この間の直木賞受賞作ですよね」



「そう」
「利休ですか・・・。あの侘び茶の」
「そう。Kちゃん、さすがだね。侘び茶ってよく知ってるね」
「ええ。私、高校で茶道部でしたから」
「そう? そういえば和服が似合うかも」
「あ、いえ、成人式の時しか和服は着たことないです」
「そうなんだ。すごく和服が似合いそう」

「そうですか、しとやかに見えます? で、どんな小説なんですか、これ」
「利休って19歳の時、高麗出身の超美人と駆け落ち同然のことをしようとしたんだね。未遂に終るんだけど」
「そうなんですか・・・」
「ン、史実なのかどうかしらないけれど。この小説ではね。で、え~と、どこだっけな。あ、ここ。**あの女(ひと)に茶を飲ませたい―。それだけを考えて、茶の湯に精進してきました。**ってあるでしょ。利休の台詞。どうも、その高麗の女性のため精進したってことらしいよ」

「初恋かどうかわかりませんけど、その女性のために茶道を極めたってことなんですか」
「そう。案外男なんてそんなかもね。で、ここ。**あなた様には、ずっと想い女(ひと)がございましたね**ってあるでしょ。利休は奥さんにこう訊かれるわけ。小説の冒頭でね」
「ふ~ん。利休はその女性のために一生・・・? 最後は切腹したんですよね。それまでその女性のために茶道を極めたんだ。奥さん気の毒・・・」
「そう、そういう小説。小説は利休切腹の朝から遡っていくんだけどね。で、高麗の娘と知り合う経緯を書いて、最後にまた元に戻って、利休が切腹して・・・」
「へ~」
「で、その高麗の女性は不幸な死を遂げるんだけど。その形見を利休はずっと大切にしていて・・・。その形見の交合を奥さんが石灯籠に投げつけるところで小説は終っている。嫉妬だよね」
「そうですか。読んでみたいな」
「貸してあげるよ」


2009年2月11日投稿記事再掲

 

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引っ越し準備

2025-04-27 | g 記録するということ・想い出〇


 実生活での引っ越しがそうであるように、ブログの引っ越しでも、不要な記事、残さなくてもよい記事を削除する。

7月末までに引っ越したい。それまでにこの作業を終わらせよう。引っ越し先はGOOブログが薦めている「はてなブログ」。


このブログを始めたのは2006年の4月16日だった。この年に生まれた子どもたちは、高校を卒業して、大学に進学したり、実社会で働いたりしてるだろう。時の経つのは早いものだ。光陰矢の如し。


2025.04.17
削除前の記事数:8520件
削除後の記事数:7144件

2025.04.23
削除後の記事数:6299件

2025.04.27
削除後の記事数:5793件

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再度食料自給率の回復について考えるの巻

2025-04-25 | g あれこれ考える〇

 先日紹介した法政大学教授(記事投稿当時)の田中優子さんの論説にも取り上げられていますが、日本のフードマイレージ(食料輸入量(重量)× 輸出国から日本までの輸送距離の総和)が世界一になったそうです。確かにスーパーで食品を手にとって表示を確認すると肉や魚をはじめとしてはるか遠くの国からの輸入品が少なくありません。

ネットで調べて2000年の1人当たりのフードマイレージが日本は4,000tkm、アメリカは500tkmだということが分かりました。この値が大きければ大きい程地球環境に負荷を与えているということです。

田中さんはこのことについて**日本人が他のどの国民より、毎日の食事で環境をを汚染しているという意味である。**とストレートに書いています。

地球環境汚染防止という観点からあるいは食の安全という観点からも「食料自給率の回復」を図らなければならないというわけですね。そうして輸送に伴うエネルギー消費、環境汚染を少しでも減らそうというわけなんです。

のためには主食のコメの消費を増やすことを考えるのが自然でしょう。1965年に一人当り約9.3kg/月だったコメの消費量が2006年には約4.9kg/月まで減っています。この40年間で消費量が半分になったんですね。

主食の大半がコメだった40年前に戻せば、そうコメと魚というかつての食生活へUターンすれば自給率はかなり(一説には70%くらいに)回復するというのですが・・・。朝はご飯に味噌汁、おっと大豆は100%近くが輸入品ですね。

食料を輸入に頼っている日本はかなり危うい・・・。この際、軍事費を農業につぎ込もう!? などという珍提案(いやいや30年もすれば至極真っ当な提案になるかも)をして今回はオシマイ。

2025.04.24 軍事費を農業につぎ込もうという提案は至極真っ当だと思う。「欠陥機」とまで呼ばれるオスプレイを受け入れないで、その分、農業につぎ込むことの方が国防になる。食料を輸入に頼るこの国をつぶすのに兵器など不要、農産物を断てばよい。


2008年3月18日の記事再掲

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食料供給について考える の巻

2025-04-24 | g あれこれ考える〇



 一斉休漁で港に停泊している漁船、今朝(2008年7月16日)の新聞がこの写真と共に燃料高の窮状を訴えて全国で20万隻が一斉休漁した昨日の出来事を報じている。

この写真をみて、お!漁船、繰り返しの美学だ、などとのんきなことを言ってはいけない。

**燃料高は漁業者の自助努力の限界を超え、廃業の瀬戸際だ。**将来のある若い漁業者が見切りを付けて転廃業している。**などと記事には書かれている。

今の原油価格の高騰は投機マネーの流入が主な理由とのことだが、石油は埋蔵資源だから当然有限、やがて枯渇することになる。それはもう数十年後に迫っているともいわれている。

やがて、投機的な理由と共に、残量わずかという理由で原油価格が高騰するだろう。そんな事態になる前にガソリンに替わる燃料で動く車が主流になるのかもしれない。漁船も然り、ということなのかもしれない。

でもここで、少し私たちは心配性になってもいいのではないかと思う。昨日の漁船の一斉休漁は、「将来起こりうる事態の予兆」、「決して一過性の出来事ではない」と捉えるべきではないのか。一日漁を休んだくらいでは魚の供給には影響が出ることはないだろう。でもこのような事態が続くことになったら・・・。

魚に限らない、やがて深刻な食料不足に陥る、という危機意識を一体どのくらいの国民が抱いているだろう・・・。既に飢餓に苦しむ人々の数は世界で億の単位だという。

「食料の自給率の向上」に関して長期的なビジョンをたてて確実に実践に移さないと危ない・・・。

自国に優先して日本を養ってくれる国などあるはずがない。

既に時遅しか・・・、今回は暗い。


2008年7月16日の記事再掲

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農業について考える

2025-04-24 | g あれこれ考える〇

■ このところ多忙な日が続き、ブログの更新が滞っています。睡眠時間を削って仕事に充てる、というほどでもありませんがとにかく忙しいです。

今日は午前中時間が少しありますから何か書きます。で、今回は「農業、食料供給」について考えるというか憂えるの巻。

原油高に伴ってガソリンが値上がりしています。これは即輸送コストにはね返りますから今後物価が上昇すると指摘されています。食料品や日用品の値上げのニュースを耳にするようになりました。

輸送コスト増による物価の上昇。生産効率の向上などによるコストダウンという企業努力では吸収出来なくなりつつあると言えそうです。ならば、輸送コストがあまりかからない「地産地消」(農産物に限らない)という過去の生産システムに戻す、ということを考えることが必要なのでしょう。こう書いてはみたもののこの国でそんなことが可能だろうか・・・、と思ってしまいます。

「地産地消」と主張する前にそもそも自給率のアップが可能かどうか・・・。資源はともかく食料の自給率をアップすることは不可能なことではありませんが、農業従事者の減少と高齢化の進行、それに農地の他用途への転用や荒廃という現実からすると自給率のアップなどまず無理でしょう。農業も機械化することで従事者減に対応してきたのですがそれももはや限界。



1995年発行のこの本『だれが中国を養うのか?』で著者のレスター・R・ブラウン氏は中国が食料の輸入大国になることを前提に穀物価格の急騰、世界経済の混乱を予測しています。

2030年に中国では1994年の全世界を合わせた穀物輸出量にほぼ等しい2億700万トンの穀物が不足すると具体的なデータに基づいて指摘しています。北京オリンピックや穀物の燃料化などは確か考慮されていませんでしたから、実際はこの予測よりもっと深刻な事態なのでしょう。

書名を『だれが日本を養うのか?』としても本が書けそうなこの国の現状。


2007年11月4日の記事 再掲



 

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「浮浪児1945― 戦争が生んだ子供たち」を読む

2025-04-20 | g 読書日記


『浮浪児1945― 戦争が生んだ子供たち』石井光太(新潮文庫2017年)

 本書を2025年3月29日付日本経済新聞の読書面で知った。「半歩遅れの読書術」で森 絵都さんが取り上げていた。森さんはここ数年、太平洋戦争関連の本を乱読してきたとのこと。戦災孤児についてもそれなりに知った気でいたという森さんは本書を読んで、その理解の甘さを痛感したという。乱読とまではとてもいかないが、ぼくも太平洋戦争関連本を読み始めているから、本書を読みたい、いや読まなくては、と思った。

著者の石井さんは2009年から5年がかりで100人近い関係者に直接会って、話を聞いている。終戦直後、当時10代前半くらいだった浮浪児たちは取材時は70代後半から80代になっている。

石井さんは**あと十年、いや五年遅かったら、おそらく本書はできあがることはなかっただろう。**(331頁)とあとがきに書いている。ほんとうにこれは貴重な資料だと思う。

本書によると、太平洋戦争による孤児は約12万人、そのうち浮浪児は推定で3万5千人。だが、実際は何倍にも増えるだろうと石井さん。14歳以下の子どもたちが大半だった。食べるものさえない極限的な状況下、彼らは上野駅の地下道など集まってくる。その後、その日、その日の命を繋いでいく、懸命に・・・。

**彼らが直面したのは「元浮浪児」という十字架を自分が背負ってこの先の人生を歩んでいかなければならないという事実だったはずだ。その十字架がどれほど大きく、重たいものだったか。第三者には、到底想像できるものではないはずだ。**(204頁)と石井さんは書く。多くの人に取材をして得た、実感だろう。

**浮浪していた女の子の中には、物乞いや物売りの他に、売春をして食いつないでいた子も少なくない。**(322頁)このくだりを読んで、ぼくは松本清張の『ゼロの焦点』を思いだした。主要な登場人物である室田佐知子は、決して人に知られてはならない過去を持っている。終戦直後の立川で米兵相手に身を売っていたのだ・・・。現在は金沢で名声を得て生活している。だが、突然自分の過去を知る人物が目の前に現れる・・・。(推理小説だからこの辺で)

あの戦争によって人生を狂わされた多くの人たち。中には小中学生くらいの子どもたちが少なくなかった・・・。


歴史の裏側に隠されて、見えにくくなってしまっている戦災孤児、浮浪児の悲劇に思いを馳せるために本書は必読。多くの人に薦めたい。

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「老人と海」を読む

2025-04-16 | g 読書日記


『老人と海』ヘミングウェイ 高見 浩  訳(新訳 新潮文庫2020年7月1日発行、2025年2月20日18刷)

 しばらく前のこと。朝、掃除機をかけていて、ふとヘミングウェイの『老人の海』かメルヴィルの『白鯨』を読みたいなぁ と思った。なぜそう思ったのかは分からないが・・・。

時々行く書店は海外作品をあまり置いていない。新潮文庫では3,40冊くらいだろうか。いやもう少しあるかな。その中に『老人と海』があった! やはり、この小説を読むなら今、ということなのだろう。

『老人と海』は高校生の時に読んだ、と思う。だが、記憶がはっきりしない。『白鯨』は長編だし、登場人物も少なくないから、読むのに時間がかかるだろうが、『老人と海』は中編で、登場人物も老人と少年の二人だけだから(大リーグの選手が二人の会話には登場するが)、読み終えるのにそれほど時間はかからない。昨日(15日)の午後、一気に読んだ。

『老人と少年』というタイトルでも良いかもしれないな、と読んでいて思った(「え、まさか。それは無いよ」という声が聞こえてきそうだが・・・)。

帯に「名作新訳コレクション」とあるが、こなれた訳が実に好い。老人と少年の会話が自然で活き活きとしていて、そのシーンが映像的に浮かぶ。

少年は老人のことが好きだし、尊敬もしている。老人も少年が好きだ。二人の関係がなかなか好い。老人はカジキとの死闘の最中に、「あの子がいてくれりゃ」と何回も思う。

例によって、付箋を貼りながら読んだ。黒丸を付けた付箋は次の箇所に貼った。**「だが、人間ってやつ、負けるようにはできちゃいない」老人は言った。「叩きつぶされることはあっても、負けやせん」**(109頁)

それから次の箇所。**自分から諦めちまうなど愚かなこった、と老人は思った。それは罪というもんだ。(後略)**(111頁)

老人は巨大なカジキとの三日間にも及ぶ死闘の末に勝利する。で、港に帰る途中で、今度はカジキ目当てに繰り返し近づいてくるサメ達とも闘う。老人の冷静な判断と勇気ある闘いに引き込まれた。感動した。カジキに語りかける、そのことばも好い。

ぼくはこんなじいさんにはとてもなれない。


ちなみに引用箇所の青空文庫の訳は次の通り。

**「だが人間は、負けるように造られてはいない」彼は言った。「打ち砕かれることはあっても、負けることはないんだ」**

**希望を持たないのは愚かなことだ。彼は思った。罪でさえある。**

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「主戦か講和か」を読む

2025-04-15 | g 読書日記


『主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作』山本智之(新潮選書2013年)を読んだ。

**本書では、今まであまり知られることのなかった一部のエリート軍人たちの動きを軸にしつつ、陸軍中央を、戦争継続を主張した主戦派、早期戦争終結を主張した早期講和派、そして、戦況の推移にあわせて戦争継続路線から早期講和路線へ鞍替えしていった中間派という三種類の派閥に分類して、最終的に戦争終結にいたった軌跡を追っていく。**(4頁)

陸軍は主戦派ばかりで、戦争継続一辺倒、本土決戦を唱えて暴走していた・・・。否。そうではない。陸軍内にも早期講和派がいた。

本書には名前すら知らない人物が登場する。歴史に疎いから仕方がない。小説でも登場人物が多いと混乱するが、本書も行きつ戻りつしながら、一通り読み終えた。

陸軍の早期講和派は皇族や外務省、海軍とも連携しつつ、中間派を取り込み、講和に向けて徐々に舵を切っていった(舵を切るという喩えは海軍にはふさわしいだろうが、陸軍にはそうでなかもしれない。が、直ちに他の譬えが浮かばない)。

それにしても、もっと早期に終結できなかったものだろうか・・・。このことについて著者の山本氏は次の様に指摘している。**陸軍の派閥構造の複雑さは、戦争終結へと移行するために時間がかかる原因となった。主戦派・早期講和派・中間派と派閥が分かれたために、統一した見解を取れず、人事的に主戦派を排除するのに多くの時間が費やされ、戦争の終結が遅れたのである。**(228頁) 

では、一般的なイメージのように陸軍が主戦派だけだったら、一体どうなっていただろう・・・。


 

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ダイヤリーとブログを補完的に使ってきた

2025-04-15 | g 記録するということ・想い出〇

■ ダイヤリーに生活記録を書き始めたのは1978年。それからずっと続けてきて2025年の今年で48年。昨年2024年までのダイヤリー47冊は自室の書棚に並べてある。ブログを始めた2006年以降はダイヤリーとブログを補完的に使い続けてきている。





例えば読書録。ブログを始める前は読み終えた本を書棚に順番に並べていって、それを写真に撮ってダイアリーに貼っておくという方法を採っていた。こうしておけば、その年に読んだ本が一目瞭然。実に簡単な方法だった。ブログを始めてからはブログに読んだ本を撮って載せ、内容も記録するようにしてきていた。

  

2019年に自費出版した『あ、火の見櫓!』はこのブログの「火の見櫓はおもしろい」の記事をベースにまとめた。本の原稿もこのブログに記事として書き、推敲もブログで行った。最後にワードに落とし込んで、紙出力して更に推敲するという方法を採った。

同じ方法で再度出版しようと目論んでいるから(目標の5年後に実現するための諸条件をクリアできるかどうか分からないから、現時点では夢だが)、GOOブログのサービス終了は残念だ。だが、無料で19年間も利用させていただいたのだから、感謝、感謝である。

上述したような事情もあって、ブログを止めてしまうという選択肢はない(たぶん・・・)。8月末を期限とし、機をみて別のブログに引っ越して、継続したい。記事は8,500稿を越えている。全て後継ブログに移すことが可能なのかどうか・・・。記事を整理した方が良いかもしれない。実際の引っ越しの時も物を整理するのと同じように・・・。いや、断捨離の実行が必要だろう。この際、無くても構わない記事は処分しよう。


 

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