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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「どくとるマンボウ途中下車」

2011-10-31 | g 読書日記



 北杜夫の作品の多くは新潮文庫か単行本で読んだが、タイトルに「どくとるマンボウ」を冠したシリーズは中公文庫で読んだものもある。佐々木侃司氏のイラストが好きだ。

『どくとるマンボウ青春記』を読み終えた。バンカラな青春がユーモアをもって綴られている。でも、こんなくだりもある。北杜夫が松高を卒業して、東北大の医学部に合格してから、松本を再訪した時のことだ。

**そうしたつまらない、そのくせ貴重なように思える数々の追憶も今は幻となって、闇に溶けこんでいる。私は卒業生で、たとえ松本にいるにせよ、もはや松高生ではないのであった。(中略) ただ一人、懐かしさのこびりついた町を単なる外来者として蹌踉(そうろう)と歩いているのだな、と私は思った。よろめき歩けば歩くほど、暗い町は私から遠ざかった。なにもかも遠ざかった。**(173、4頁)

繰り返し書くが、この寂寥感、孤独感が私は好きなのだ。

引用した部分の前には縄手通りにあった高い火見櫓に寮生が登ったことが書かれている。読みはじめる前、確か火の見櫓(本文では火見櫓と表記されている)が出てきたというおぼろげな記憶があったが、やはり出てきた。

さて、次は・・・。

手元にある北杜夫の作品は文庫本だけで約40冊、単行本を加えると70冊を超える。すべて読もうとすると、週に1冊のペースでも1年以上かかってしまう。適当にピックアップして読むことにしよう。

『どくとるマンボウ途中下車』を書棚から取り出した。


 

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ブックレビュー 2011.10

2011-10-30 | g ブックレビュー〇



10月の読了本6冊。内、日本人論・日本文化論が3冊。

『いきの構造』九鬼周造/講談社学術文庫 
単行本で刊行されたのが1930(昭和5)年、それ以来80年以上にわたって読み継がれてきた名著。「粋」とは何か、「粋」の本質は何に由来するのか。

『日本人の意識構造』会田雄次/講談社現代新書
日常の何気ないしぐさから読み解く日本人の特質。昭和47年10月発行。

『日本人の論理構造』板坂元/講談社現代新書
いっそ、どうせ、せめて・・・。日常よく使う言葉から日本人独特の論理や価値観を明らかにする。昭和46年8月発行。


『考えることの科学 推論の認知心理学への招待』市川伸一/中公新書
推論には領域固有性があり、無意識的に自分の期待に沿った推論をする。確率・統計的な考察に基づく推論は重要だが、日常生活においてそうすることは難しい。

『黄いろい船』北杜夫/新潮文庫
高校性のころから、北杜夫の作品に親しんできた。この秋、いくつかの作品を再読したい。

『日本のデザイン ――美意識がつくる未来』原研哉/岩波新書
繊細、丁寧、緻密、簡潔。日本人の持つ美意識、そこから生まれる技術を生かしたものづくりを考えよ。

6章から成る本書で興味深かったのは、第5章「未来素材」だった。ミラノ・トリエンナーレで開催された、日本のハイテク繊維の実力を示す展覧会の紹介。
日本人のしなやかな感性が創る作品。

立体構造の繊維でつくった「呼吸するマネキン」  中空の内部に透明な糸を張りめぐらせて、その糸をコンピュータ制御で床下から引っ張ってマネキンを動かす仕組み
たった1.5mm厚のアルミ板の裏表に厚さ0.25mmの炭素繊維を貼り付けて強度を確保してつくった「超軽量椅子」
髪の毛の7500分の1という超極細繊維でつくった「拭き掃除ロボット」 尺取り虫のように、柔らかく動いて床を拭く
無数の光ファイバーをコンクリートの中に整列させた「光を通すコンクリート」 壁と窓という区分のない両義的な空間! 
車のフロントを顔に見立てて、ストレッチ繊維を使ってその表情を変えるアイデア 4分の1のスケールの日産キューブによる試作 ほほ笑むクルマが街を走る日が来るかもしれない・・・

このような「未来」の可視化は技術開発の方向性、到達点を考えるのに極めて有効だ。


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「さびしい」

2011-10-30 | g 読書日記



 北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』中公文庫を読みはじめました。前々稿に書きましたが、この作品が最もよく知られていると思います。

こんなくだりがあります。**当時、私の心には、馬鹿げたパトスと共に、女学生よりも感傷的な心が同居していた。学校をよく午前中でさぼり、西寮までの畠の道を沈んだ顔つきでのろのろと歩いた。(中略)落葉松の玉芽が日と共にふくらみ、やわらかな針葉をひらいてゆく過程を、私は甘美な寂しさの中で見た。**(54頁)

続けて、父親の歌を挙げ、**これらの歌は、茂吉の『赤光』の中でむしろ駄作の部類である。しかし私にとっては、とにかく「寂しく」て「悲し」ければ、自分の心情にぴったりするのであった。**(55頁)と書いています。

私は北杜夫の作品、特に初期の作品に漂う「寂しさ」が好きなのです。

からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。

北原白秋も「落葉松」で人生とはさびしいものだと詠いました。

私は「寂しさ」にひかれます。秋ですね・・・。


 

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北杜夫さんを悼む

2011-10-28 | g 読書日記

 北杜夫さんが亡くなってしまった・・・。

ボクが北さんの作品を読みはじめたのは高校生のころだった、と思う。最初にどの作品を読んだのかは記憶にないが、それ以来ずっと読み続けて来た。つい先日『黄いろい船』を再読したばかりだ。

ブログにも北さんの作品のことを何回か書いたがその内のいくつかを挙げておく。  神々の消えた土地 木精 幽霊 星のない街路 

ユーモアと抒情性、北さんの作品はこの言葉で評せられる。その通りだと思う。ボクは『幽霊』や『木精』など寂寥感、孤独感の漂う初期の作品に惹かれる。しばらく前に再読した『神々の消えた土地』も好きだ。

北さんの代表作をひとつだけ挙げるとなると難しいが、一番よく知られている作品ということではやはり『どくとるマンボウ青春記』だろう。この秋、北さんの作品をまた読もうと思う。



20代に読んだ北杜夫さんの作品(新潮文庫) 水色のテープが貼ってある。




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208 安曇野市三郷の火の見櫓

2011-10-24 | g 火の見櫓観察記

ヤグラーな休日 その5

 
208  安曇野市三郷小倉

櫓の中に架けられた垂直の梯子、これは怖そう・・・。



屋根のシャープなデザインがなかなか良いです。



脚部の様子。やはり前稿で取り上げた堀金の火の見櫓のようなアーチがいいです。


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207 安曇野市堀金の火の見櫓

2011-10-23 | g 火の見櫓観察記

ヤグラーな休日 その4

 
207

 各部の大きさのバランスがいい火の見櫓、なかなかの美形です。





見張り台の手すりに施された装飾が繊細。避雷針の飾りも蕨手も同様のデザインです。こんな乙女チックなデザインもあるんですね。



簡易な踊り場ですが、有るのと無いのとでは大違いです。



こんなところにアクセサリー付けちゃって・・・。夕食前のビールがちょっと効いてきたかな。(^^) 脚部のアーチもちゃんと基礎まであります。そう、これが望ましい形、美脚。

酔っ払い中年の評価です。

1 櫓のフォルムの美しさ ★★★★★
2 屋根・見張り台の美しさ ★★★★★
3 脚の美しさ ★★★★★


 

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206 松川村の火の見櫓

2011-10-23 | g 火の見櫓観察記

ヤグラーな休日 その3


206

 今日観察した火の見櫓は5基。少し引いて、どんなところに立っているのか分かるような写真を載せることも必要です。でもそれがなかなか難しい立地の火の見櫓も多々あります。

松川村は屋敷林のある民家が多く、緑豊かな田園風景が広がっています。



円形の屋根と見張り台。櫓は三角形。このような火の見櫓を「三脚丸丸型」と表現するヤグラーさんもいらっしゃいます。この火の見櫓には踊り場が無く、梯子で一気に上り下りしなくてはなりません。高所恐怖症の団員にはキツイでしょう。



脚部のアーチ。きちんと基礎まで伸ばしたアーチが私の好み。強度的に問題なくても、視覚的に弱々しくて・・・。


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― 大町の火の見櫓

2011-10-23 | g 火の見櫓観察記

ヤグラーな休日 その2



 この大町市内の火の見櫓は既に一度載せましたが、そのときは全形写真だけでしたので、今日(23日)撮影した写真を改めて載せます。



屋根上の避雷針は随分長いです。屋根のこの形、いいです。



脚部。正面のみアーチになっているのは消防団員の櫓内への出入りを楽にするための配慮でしょう。私としては4面ともアーチになっているのが好きです。それがなぜなのか説明はできませんが・・・。大体なぜ好きかなんて上手く説明できないものです。




この火の見櫓には銘板が取り付けられています。建造年月日と製作所の名前のみ、という銘板が多いと思います。寄贈者の名前を記した銘板も見かけますが、このように設計者と製作者の名前を記したのはおそらく初めてだと思います。

設計者や製作者が誇りと責任をもって仕事に取り組んだことを示しているのでしょう。


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205 池田町の火の見櫓

2011-10-23 | g 火の見櫓観察記

ヤグラーな休日 その1


205





 池田町大峰高原の七色大カエデの紅葉を見に行く途中、中島集落センターのすぐ近くでこの火の見櫓に出会いました。

高さは7、8mくらいでしょうか、それ程高くはありませんが踊り場が設置されています。屋根が錆びていることと、避雷針が傾いていることが気になります。半鐘は見張り台に無く、踊り場に有ります。やはり半鐘のない見張り台は寂しいです。手すりは実に簡素です。柱脚はバレーダンサーがつま先立ちしているように見えます。


 

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「黄いろい船」を読む

2011-10-21 | g 読書日記



 「黄いろい船」、「指」、「おたまじゃくし」、「霧の中の乾いた髪」、「こども」の5編が収録されている。

中編の「こども」は人工授精で授かった子供を育てる男の物語。妻を癌で亡くした男は実の妹と子供を育て始めるが・・・。男とは全く似ていない「わが」子。幼稚園、小学校と子供は成長していくが、次第に不気味な雰囲気を漂わせるようになる。

**すると、だしぬけに子供の表情が変った。華奢な顔ぜんたいがゆがみ、単なる癇癪というより、もっと兇悪と名づけてよい影が、さっとその顔を醜くした。(82頁)** 一体この子の本当の父親はどんな男なんだろう・・・。

他の作品とは全く異質。読み終えた時、やがて男に最悪の不幸が訪れるのではないか、と感じてしまった。これはサスペンスだ。

一番好きな作品は表題作の「黄いろい船」。12年間勤めた会社を解雇された男は妻と4歳の娘・千絵ちゃんとアパートで暮らしている。千絵ちゃんはどういうものか栗がとても好き。

「で、落ちてるのかい、実が」
「そう、ガレージの前にイガが十ほど落ちてたわ。でも、みんな空なのよ。近所の子がとっちゃうのでしょうね」
「イガでも持ってくればいいのに」
「チエちゃん、イガ、きらい」
と、女の子が口をはさんだ。
「チエちゃんの指、イガが刺したの」
「あんまり急いでさわるからよ」
と、妻はまた笑った。(26頁)

ほのぼのとした会話が実にいい。このような作品を41歳の時に描いたとは・・・。北杜夫は純真な少年のようなこころ、それも内省的なこころをずっと持ち続けている作家だ。


 



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「日本人の論理構造」を読む 2

2011-10-18 | g 読書日記

言葉からとらえた日本人の心性

■ 「第9章 明日は試験があった」において、著者は日本人が時間も空間も多視点、つまり視点を固定させず、自由に動かして捉えることについて論考している。

三島由紀夫の「潮騒」の文を取り上げ、**一つ一つ対象が変わるたびに、単に空間的な距離感が変わるだけでなく、時間的な距離も自由に動いている。(147頁)**と、作者の眼の位置、つまり視点がつねに観察の対象というか、描写の対象の直前に移動すると指摘している。

著者は川端康成の「山の音」の文も例示して、**ナレーターの時制の現在と過去、主人公の時制の現在と過去と四つの時制が、微妙に入り混じっていて、読者は本当は目まぐるしく飛び廻らなければならない。**と書くが、続けて**けれども、この時空の遠近法は、日本の読者にはごく自然に受けとられるはずである。(151頁)**としている。

このような手法は平安時代の例えば「蜻蛉日記」にも見ることができるという。浮世絵も同様で、固定的な視点からの遠近法に従わない描法だとし、絵に影をつけないという浮世絵の特色も視点の移動によるものだと指摘している。

この章の最後からの引用。**竜安寺の庭をはじめ、日本の庭園はどの方向から見ても美しく見えるように工夫されている。視点を自由に動かす遠近法によって生まれた美である。庭のみならず建築などでも一般に左右均整をきらうのは、左右均整の配置によって生まれる平面が多視点の美には不都合であるからであろう。(158頁)**

多視点の美か・・・、なるほど。


 メモ:板坂 元(1922年―2004年) 1950年、東京大学文学部国文科を卒業。ケンブリッジ大学やハーバード大学で日本文学・日本語を講じた。

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「日本人の論理構造」を読む 1

2011-10-17 | g 読書日記


『日本人の論理構造』板坂元/講談社現代新書 

 昨日、34年ぶりの再読を終えた。

どうせ短いいのちなら。
どうせ二人はこの世では花の咲かない枯れすすき。
どうせおいらは一人者。
どうせひろった恋だもの。
どうせ気まぐれ東京の夜の池袋。

例えば「どうせ」について著者はこのような例を示し、日本人の心情にぴったりするものらしく、流行歌に頻出度がきわめて高いと指摘する。そして、すべて人生に対する否定的な思想であり、あるいは絶望的な評価であるとし、**行きつくところは孤独感無常観の袋小路である。おそらく流行歌の作者は無意識のうちにこういう価値判断の様式をとり入れることによって、庶民の胸をゆさぶるのであろうが、これが何ともいえない共感を呼ぶところに日本らしさがあるのである。**とまとめている。

さらに、
「どうせ買うなら飛び切りいものにしよう」
「どうせ行くなら、思い切ってヨーロッパにでもするか」
「どうせやりかかったことだ、とことんまでやってやろう」

このような例を示し、**決断のしかたが論理的に大飛躍する点とそれまでの思考の過程と無関係におこなわれる点で、やはり思考放棄の一形式である。**と述べている。

さらに続けて **だが、マイナスの面ばかりがあるのではない。明治以来、このどうせの論理が成功した点も忘れてはならない。どうせやるなら一流のものを完璧なものをというのは、無理が通れば思いの外の成果をおさめることができる。(中略)その時の必要限度をはるかに超えたところに目標が置かれたのが、五年後、十年後に実を結んだ例は少なくない。戦後の復興も、最近のコンピューター熱も採算を無視して飛びついたと思われる点がなくもないのは、このどうせの論理の目が表に出た例と考えられる。**と考察している(49~52頁)。

どうせ の他に、なまじ、いっそ、せめて、さすが、しみじみ、などの言葉についても用例をいくつも示して日本人のものの考え方や心理をわかりやすく考察している。

再読して一番興味深かったのは 「第九章 明日は試験があった」 だった。

**手帳か何かを見て自分の予定を調べている時、明日試験があることに気がついたとしたら、われわれは右の文をごく自然に口にするであろう。もちろん、文法的にも論理的にも誤りはないのである。**(143頁)

この章は最後に日本の建築にも論考が及ぶ・・・。

次稿につづく。





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― なぜ半鐘を叩かなくなったのか

2011-10-14 | g 火の見櫓考〇

■  私の住む鄙里では数年前から消防団員が火の見櫓に上って半鐘を叩く、ということがなくなりました。全国火災予防運動の期間中などの時は集会施設の脇に立っている防災無線柱のスピーカーから半鐘の音が流れてきます。各家庭に設置されている受信機からも同じ音が流れます。

地域の人びとの生命と財産を守る、というか地域そのものを守るために火の見櫓をつくり、管理してきた昔の人たちが、このような現状を知ったら、時の流れを感じ、時代の変化に驚き、切ない気持にもなるかもしれません。

少子化で若者が減ってしまったり、鄙里から離れて都会で暮らす傾向にあったり、仕事の都合であったり、消防団員になりたがらない若者が増えたりで、消防団では団員の確保に苦労していると聞きます。

また、火の見櫓にするするとスムーズに上ることができない団員がいたり(見るからに上りにくそうな火の見櫓もあります)、親がうちの息子にそんな危ないことはさせられない、などと苦情を言ったりすることもあるのだとか。

このように半鐘を叩かなくなった理由をいくつも挙げることができます。住宅の高気密化で半鐘の音が聞こえにくくなったことも理由のひとつだと聞いたこともあります。

私は半鐘を叩かなくなったことの根本に、「地域への帰属意識の希薄化」ということがあるのではないか、と思っています。実証することはできませんが。

その一方で一生懸命頑張っている消防団員がいることも事実です。このことを忘れてはいけないし、昔の人たちにも知って欲しい、そう思います。夜遅く、消防ポンプ操法大会やラッパ吹奏大会の練習をしている団員の姿を見かけることがあります。仕事で疲れているだろうに大変だなぁ、と思います。

熱心に活動している消防団員に感謝、感謝です。


恵那市の日本大正村にて 101031


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204 控え目なデザイン

2011-10-13 | g 火の見櫓観察記


204 安曇野市豊科にて 撮影日111008 朝6時過ぎ 後方、火の見櫓の右は常念岳 

 

 

■ 先日友人に、この頃「火の見櫓」ばっかりですね、私は「繰り返しの美学」が好きなんですけど・・・、と言われた。確かに。「繰り返しの美学」はどこへやら・・・。いくつかのカテゴリーがあるが、「建築、本、その他」以外はほとんど「火の見櫓っておもしろい」だ。

先日見た「熱中人」というテレビ番組で交差点に熱中している人が紹介された。変則的な交差点で通行をどのように制御しているのかに興味があるのだそうだ。ただ単におもしろい道路標識や信号に注目するだけでなく、変則交差点で車や人の動きをじっと観察して、信号システムを読み解くという趣味。地図やネットで情報収集して、全国変則交差点巡り。

以前、同じ番組で全国橋巡りをしている人、全国索道巡りをしている人も紹介された。世の中、いろんな人がいるものだ。

そんな人たちに比べたら、私なんかは甘い。日常の生活圏内をうろうろして、見つけた火の見櫓をろくな観察も、きちんと記録もしないで済ませているだけだから・・・。

まあ、それで十分満足、良しとしよう。


さて、今回は安曇野市豊科の火の見櫓。しばらく前、長野から松本に向かう高速バスから見つけた火の見櫓(たぶん)。

細身の火の見櫓で存在感が希薄、というのが第一印象。火の用心という看板がなければ、朝の透明な空気に溶け込んでしまいそうだ。清々しい朝の空気がそのような印象を抱かせたのかもしれない。

見張り台も至ってシンプル。「余分な」スピーカーも、サイレンも、消火ホースを引き上げる装置もない。手すりもすっきり。避雷針の飾りもシンプルな矢羽のみ。控え目なデザイン、好みのタイプ。

建築のデザインもこの火の見のように控え目に。そう、安曇野の風景に歓迎されるように・・・。


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「日本人の意識構造」

2011-10-12 | g 読書日記



 歴史学者の会田雄次氏といえば『アーロン収容所』という著書(中公新書1962(昭和37)年初版)が有名だ。

2009年、中公新書通巻2000点を記念して出された『中公新書の森 2000点のヴィリジアン』で、最も印象に残っている中公新書、人に推薦したい中公新書などを挙げて下さいというアンケートで、この著書を最多15人が挙げている。大半の著書は1人しか挙げていないのに。ビルマのイギリス軍アーロン収容所で捕虜生活を体験した著者が「日本人としてのプライドを持って」と私は強調したいが、西洋、イギリスの実態を明らかにした名著だ。

会田氏の『日本人の意識構造 風土・歴史・社会』講談社現代新書(1972(昭和47)年初版)を再読した。

突然、熊に襲われたとき、日本人は子どもを抱き抱え、背中を熊に向けてうずくまる防御の姿勢をとる。この指摘は記憶にあったが、どこに書かれていたのか分からなかった。この本だった・・・。会田氏がアメリカで奥さんたちに頼んでどうするかやってもらうと、まず子どもを後ろにはねのけ、敵(熊)に直面し、両手をひろげて「仁王立ち」になったという(16頁)。日本人とはさかさまの姿勢だ。

日常の何気ない動作に意識下の民族的特質が表れる・・・。

**日本人の対外姿勢、つまり個人にすれば対社会的姿勢、国にすれば対外交的姿勢、企業にすれば他の企業あるいは外国企業と争ったり連携したりする姿勢、それが全部こういう形になっていることが分かるような気がする(20頁)。このような指摘を知るだけでも本書を読む意義がある、と私は思う。

この著書は今から40年も前のものだが、この傾向は今日でも、例えば外に対して閉じた都市住宅などにも表れている。



『日本人の論理構造』板坂元/講談社現代新書も日本文化論。次はこの本の再読。昔はこのような日本人論、日本文化論をよく読んだものだ・・・。


 

 

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