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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ブックレビュー 2014.03

2014-03-31 | g ブックレビュー〇



■ 今日で弥生3月が終わる。ということで月間ブックレビュー、3月の読了本はこの2冊のみ。

『食と建築土木(しかけ)』 後藤治、二村悟/LIXIL出版  

農業や漁業に従事する人たちが丸干大根をつくったりウド栽培をしたりと食べものをつくるために組み立てる手づくりの簡易なしかけをまとめた本。 なかなかおもしろい視点だ。

『生きてるかい?』 南木佳士/文春文庫 

自分はまだ生きているのか、と医師に問いかけた老婆のことばが本書のタイトルになっている。文庫になるたびに読む数少ない作家のひとり。この作家は同じような内容を繰り返し書いているが、読み続けていて不思議とそのことが気にならない。以前も書いたと思うが、この作家の作品は服用を続けている薬のようなものだ。


漱石の『道草』 新潮文庫、葉室麟の『川あかり』双葉文庫 を読み続けている。

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469 松本市和田の火の見柱

2014-03-29 | g 火の見櫓観察記

 
469 松本市和田

 まだまだ身近なところに観察していない火の見櫓が立っている。

櫓は立体的な構造であるから3本以上の柱が必要。柱が2本のものは火の見梯子、そしてこの写真のような柱が1本のものは火の見柱だが、広義に捉えて火の見櫓としている。
 



表面に寺の梵鐘と同様のデザインを施した半鐘が吊り下げられている。両者無関係でないことは明らか。関係を調べなくてはならない・・・。


 

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467 468 長野市篠ノ井の火の見櫓

2014-03-28 | g 火の見櫓観察記

 
467 長野市篠ノ井

 所用で長野へ。帰路、更埴ICまで一般道を走って火の見櫓を2基見つけた。

1基目。細身の櫓、カンガルーの袋のように櫓の外についた踊り場、上部のブレースにはターンバックルがないと観察して、これは東信地方の火の見櫓の特徴だと気が付く。





取り付けられていた銘板に「上田市 宮島工業株式會社」とあった。



脚元がゴミステーションになっていたが、これは切ない。


■ 2基目。 遠くに見えた火の見櫓。細い生活道路を通って到達した。4角形の櫓に4角形の屋根、円い見張り台という構成は1基目と同じ。踊り場の形が違う。幅広の鋼材の蕨手も1基目とは印象が違う。共に半鐘は屋根の中心吊り。

 
468





脚元は正面のみアーチ部材を、他の構面はリング式ターンバックル付の丸鋼ブレースを用いた構造。




 

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466 安曇野市豊科の火の見櫓

2014-03-28 | g 火の見櫓観察記

 
466 安曇野市豊科



6角形の屋根を3角形の櫓が支える構造は合理的 半鐘を中心に吊るさないのは叩きやすさを考慮しているから



 安曇野市豊科南穂高の火の見櫓。ときどき通る幹線道路を走行中、火の見櫓センサーがこの火の見櫓に反応した。

見張り台床面までの高さを、例によって梯子の段数から概算すると約8mだった。見張り台から上の高さを加えて、総高11mちょっとくらいか・・・。3角櫓に6角屋根、円い見張り台という組合せはよくあるタイプ。

屋根を支える下地組、半鐘を吊るす部材の取り付け方がよく分かる。軒先に蕨手が無いのは、なんとなく物足りない感じ。

脚部の構成もよくあるタイプ。アーチ材を柱材の途中で止めてしまうのは、構造的にも意匠的にもしっくりこない。繰り返し何回も書くが、やはり柱の根元まで伸ばしてトラス構造にしてあるタイプがよい。

錆止め塗装をきちんとしてあるのは好ましい。

長野県内に火の見櫓はどのくらいあるか・・・。松本在住の方の10年くらい前の調査で2300基くらいと推定されている。その後、毎年撤去処分されていることを考慮して現在、2000基くらいか。

火の見櫓巡りは終わらない・・・。


 

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― 残った!

2014-03-27 | g 消える火の見櫓 残る火の見櫓


撮影日 140327

 地元の要望で残されることになった火の見櫓の見張り台。意外に大きくて対辺寸法は約1.9m。ということは面積が約1坪あるということになる。手すりの高さは約0.8m。屋根を支える柱の間隔は約0.9m。見張り台の床から屋根下までの柱丈は約2.6m。


 

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― 別れの朝

2014-03-26 | g 消える火の見櫓 残る火の見櫓



 山形村上竹田地区の火の見櫓の解体撤去作業が行われています。隣の消防団詰所は既に撤去作業が終わっています。今週中にこの火の見櫓も撤去されてしまいます。ただし、見張り台から上は残されるようです。


 

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464 465 ヤマガー&ヤグラー

2014-03-23 | g 火の見櫓考〇

 
464

 
494

 四国は香川県の丸亀競技場で22日に行われたサッカーJ2の松本山雅とカマタマーレ讃岐のゲーム観戦、もとい参戦に車で出かけていったヤマガーのもじもじ君とAさん、そしてYさん。

帰路、3人はヤマガーからヤグラーに。   

東かがわ市内でみつけたという火の見櫓の写真をメールしてきてくれた。うれしい! ハードな旅程で大変だろうに、わざわざ・・・。3人には感謝、感謝。

1基目は消火ホース乾燥塔だろうか、手すりにホース掛けがついている。2基目、消防倉庫の向こう側に立つのは火の見櫓? 消火ホース乾燥塔? この際、どちらでも構わない。3人の気持ちがうれしいのだ。

 *****

半鐘が撤去されてしまって、消火ホース乾燥塔としてしか使われなくなった火の見櫓は、まだ火の見櫓? それとも消火ホース乾燥塔? どっち? 

消火ホース乾燥塔として建設されたところに、解体処分した火の見櫓の半鐘を後から記念として吊り下げたら、それはホース乾燥塔? それとも火の見櫓? どっち?


 

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― 春はあけぼの

2014-03-23 | g 火の見櫓のある風景を撮る〇



春のフォトアルバム  やはり春はあけぼの 松本市今井にて  撮影日140323

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― 何に喩えれば・・・

2014-03-22 | g 火の見櫓考〇


写真を回転して花を下向きにした。



 20日に出演したラジオ番組で、火の見櫓について話をした。相手にものの形を説明するとき、似ているものに喩えると伝わりやすい。パーソナリティの山本広子さんは進行役でもあるし、ある意味、聴視者を代表する相手でもあるわけだ。だから、というか、他に方法などないので山本さんに理解してもらえるように話したつもりだ。だが、火の見櫓の姿・形や技術的な内容をわかりやすく説明することはなかなか難しい、と思った。テレビ番組であれば写真を示せばいいのだろうが・・・。

予め打ち合わせができれば、どう説明するか考えておくこともできるが、放送が始まる前の下打ち合わせは無かった。まあ、下打ち合わせなどしない方がライブ感が出ていいのかもしれない。

火の見櫓の屋根の形に話が及んだ時、ブログで写真のような反りのついた屋根の形をアサガオに喩えたことがあったので(→こちら)、そのことが直ちに浮かんで同様の説明をすることができた。

山本さんから地方によって火の見櫓の形が違うのかどうか、形の地域性を問われたときは民家のことが直ちに浮かんだ。これは私にとっては当然の反応だった。だが、あまり冗長な説明でもいけないと思い、民家については具体的な内容には触れないで、静岡県の火の見櫓の屋根の形を説明しようと思った。長野県では見られない特徴的な屋根が静岡県にはあるから。

その形を何に喩えるのがいいか・・・。放送の時は直ちにスズランが頭に浮かんだが、偶々スタジオのテーブルに飾ってあったチューリップ(前々稿の写真)に喩えた。

チューリップは離弁花だから屋根の喩えとしては相応しくない、ということに気がついたのは番組が終わった後だった・・・。スズランは合弁花だし、下向きに咲くから喩えとしてはピッタリだったのに・・・。でもまあ、離弁花、合弁花などということにこだわらなければ、チューリップとスズランは形の印象がよく似ている。そう、静岡県にはチューリップのような形をした屋根の火の見櫓が立っている。

このような喩えで聴視者は形をイメージすることができただろうか・・・。でも、方形(ほうぎょう)屋根で勾配がきつくてふくらむほどむくりがついている などと話しても  だっただろう・・・。


 

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ぼくは知りたい きみのふるさと

2014-03-16 | g 火の見櫓考〇


 安曇野市の穂高神社の近くに立っているこのユニークな火の見櫓、実は黒部ダムの工事(黒部ダムは昭和31年に着工して昭和38年、東京オリンピックの前年に完成しています。昭和の国家的な巨大プロジェクトでした)に関わる監視塔だった・・・。この情報を安曇野市のヤグラ―のぶさんが入手、自身のブログで経緯を記事にしています。→こちら 監視塔だった時の様子を写した写真も紹介しています。のぶさんの取材力に脱帽です。

その写真が大町市のくろよんロイヤルホテルにあるらしい。 ♪ぼくは知りたい きみのふるさと()ということで、行ってきました。


ホテルのエントランスホールの奥まったところに黒部ダム建設当時の写真等の資料を展示しているコーナーがありました。展示棚の上段の左端のパネルに監視塔が写っていました(ホテルの方の許可を得て撮影しました)。


持参したカメラでパネル写真を撮影(最近買い替えたカメラの性能は以前のものより数段上です)

ここで余談です。

写真のキャプションは「高瀬川骨材砕石場トラック群」となっていました。産業技術総合研究所のHPに掲載されているレポートのグラフを見て、昭和40年ころまではコンクリート骨材の大半が河川砂利で砕石はまだあまり使われていなかった事が分かりました。 高瀬川の河川敷なら砂利はいくらでも採取できたでしょうから、わざわざ砕石することもなかったのではないか、と思うのです。このことからここは砕石場ではなくて採石場ではないかと思ったのですが、やはり砕石(大きな石を砕いて所定の大きさにしたもの)だったようです。


現在穂高神社の近くに立っているこの火の見櫓のふるさとを知ることができました。それぞれの火の見櫓にそれぞれの誕生の経緯、歴史があるのですね。のぶさんの記事を読んで、改めてこのことを思いました。

この火の見櫓は穂高に移築・保存されている貴重な近代遺産、とみることもできるのです。これを安易に取り壊してはいけません。


  「ふるさとのはなしをしよう」 北原謙二 昔流行った歌です。本稿のタイトルはこの歌の歌詞から採りました。

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君の名はハクセキレイ

2014-03-12 | g 読書日記


早朝の影は長い

 出社前のひと時、松本市渚のスタバで本を読むことが日常化しつつある。

今朝は24時間営業の書店で南木佳士のエッセイ集『生きてるかい?』/文春文庫を買い求め、収録されている52篇の内の7篇をここで読んだ。この作家の作品で文春文庫になっているものはほとんど読んできた。

カバー裏面に**読後にからだがほのかに温まる珠玉の随筆集。**とある。いつか書いたが、この作家の作品は私にとって心休まる安定剤のようなものだ。実は最近文庫になった葉室麟の作品を探したのだが置いていなかった。

昨日も今日と同じ時間帯に2階の窓際の同じ席で読書をした。昨日はハクセキレイが動き回っているのが窓外に見えた。が、今朝はやって来なかった。明日の朝はどうだろう・・・。明日も同じ席でエッセイの続きを読もう・・・。


撮影日 140311 


 

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463 千葉県野田市関宿江戸町の火の見櫓

2014-03-09 | g 火の見櫓観察記

 
463 千葉県野田市の火の見櫓(撮影Y君)

 小雨がそぼ降る中でわざわざ写真を撮ってきてくれた同僚に感謝。櫓の構成がよく分かるポジションで撮っている。屋根と見張り台のバランスが良く、櫓がなだらかなカーブで下方に広がっている。なかなか美しい立ち姿だ。半鐘が無いのは残念だが。



背景が明るいと火の見櫓がシルエット状に写り細部が分からない写真になる。露出補正が必要だ。



踊り場に半鐘が吊り下げてあったのだろうが、撤去され、小屋根だけが所在なげ(なさげ)に残っている。手すりと避雷針の飾りは同じでエレガントなデザイン。踊り場の外周にきちんと手すりを設置していないことが気になる。だが、櫓の全形をきちんと見せることになり、これでいいのだとも思う。ブレースがあるから転落の恐れはないか・・・。



なかなか美脚には出合えない・・・。

これでふたりが見つけてきた火の見櫓4基の紹介終了。


 

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462 それぞれの事情

2014-03-09 | g 火の見櫓観察記

 
462 常総市豊岡町の火の見櫓

 先日茨城県まで出かける機会があった同僚のY君とT君。車で移動中に出合った火の見櫓の写真を撮ってきてくれた。うれしい! ふたりには感謝、感謝。

火の見櫓の観察方法にきまりというか、ルールなど無い。既に書いたことを繰り返すが、興味の及ぶ範囲で観察したいように観察すればいい。私の場合、火の見櫓の構成要素を観察したくなるようだ。

構成要素に還元するという理系的(?)発想。

ここで、少し余談。人の顔でもやはりその構成要素まで見る。瞼が一重か二重か、それから眉の処理、他にも・・・。

仏像の顔の観察について書かれた本を読んでからは、テレビで大写しにされる女性タレントの顔の例えば目頭と目尻の高さ関係、上唇と下唇の厚さのバランスを見てしまうこともある(とスケベな中年ぶりを正直に書く、いや、これは古代から論じられてきている美学的問題)。ちなみに上下の唇の厚さの比は1対2が好ましい。この先はほろ酔いブログの話題だから、ここには書かない。



本題に戻ろう。この火の見櫓の基本情報、4角形の櫓に8角形の屋根、8角形の見張り台。これを4脚88の火の見櫓と省略表現する火の見ヤグラ―もいる。

屋根のてっぺんの避雷針や軒先に飾りが無くてすっきりしている。下り棟に沿って下地材があるが、その先端は軒先で止めてあり、くるりんちょな飾り、蕨手はない。

見張り台の手すりに曲線の飾りを施してある。機能的には不要なこの手の飾りは観て楽しい。火の見櫓の飾りは大半が屋根と手すりにある。

手すりの外側にまわしてある輪は何のためだろう・・・。消火ホースを掛ける腕木とモーターサイレンを設置する台は後付けだろうが、これらが無ければ美しい見張り台なのに残念。

鋼板を張った床にハッチが付けてある。このハッチを開けて見張り台に上がるのは怖いだろう。古い火の見櫓でこのように鋼板製の床を見ることがある。



櫓は等辺山形鋼(アングル)の柱と横架材、リング式ターンバックル付きの丸鋼ブレースから成る。火の見櫓は非常に鋼材量の少ない構造物だ。

踊り場までは櫓の外に、そこから上は櫓の中に梯子を設置してある。下の梯子はもっと上まで延ばしてあれば踊り場へ上り下りしやすいのに・・・。踊り場のアーチに注目。Uを少し開いて逆さにしたようなカーブがなかなかいい。

踊り場の床のすぐ上で櫓を接合していることが分かる。柱材の接合にそれぞれ8ヶのボルトを使用している。ここから上は鉄工所で一体に加工したのだろう(下に参考写真1を載せる)。

脚元のブレースにターンバックルが無いのはなぜか。

この部分は鉄工所で一体に造り、脚部にアングルの方杖(ブレースとみた方がいいかもしれない)も設置しているから、建てる時にほとんどゆがみが生じないと判断したからか。だが、下の参考写真2のように下のブレースだけリング式ターンバックルを用いた櫓もある。

建て方の際、櫓のゆがみがどこに発生し、それをどのように調整するのかということに関して事情や考え方が違うことに因るのであろう。





参考写真1 山形村小坂の火の見櫓を解体してトラックに積み込んだ時の様子


参考写真2 朝日村西洗馬の火の見櫓 櫓の1面は梯子兼用 防災無線用スピーカーが火の見櫓の印象を全く変えてしまっている。


 

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461 広告塔に変身

2014-03-08 | g 消える火の見櫓 残る火の見櫓

 
461


茨城県常総市内にて(T君発見、Y君撮影)

 火の見櫓としての使命を終え、その後、食堂の広告塔として生きながらえている。けな気というか、こんな姿を見せられると ♪悲しくて 悲しくて とてもやりきれない・・・。


 

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460 常総市水海道宝町の火の見櫓

2014-03-07 | g 火の見櫓観察記



 T君とは一緒に仕事をする機会が多い。そのせいか彼の火の見櫓センサーも敏感になっているようだ。で、先日茨城県に出張した際、この火の見櫓を見つけて観察してきてくれた。写真を撮ったのは同行していたY君だと聞いた。

 
460

この火の見櫓は『火の見櫓 地域を見つめる安全遺産』/鹿島出版会に紹介されているが、掲載されている遠景写真には脚元が写っていない。脚元がこんなことになっていたとは・・・。



円い見張り台に8角形の小屋が載っている。これもレア。



見張り台にも上の踊り場にも半鐘が吊るしてある。手すりの外側の丸鋼の横架材は消火ホースを架けるためのものか。



下の踊り場のフレームの構成がなかなかおもしろい。



コンクリート製の脚を初めて見た。



鉄骨造だった脚の部分を後から鉄筋コンクリートで補強したと考えるのが妥当ではないか。結果、脚部は鉄骨鉄筋コンクリート造となり、混構造の火の見櫓となったというわけだ。

どうやら茨城県には変わった火の見櫓(藤森照信さんの表現に倣えばヘンな火の見櫓)があちこちに立っているらしい。出かけて直接観察しなくては・・・。


 

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