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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

仕事の家を持ち帰る?

2006-07-30 | g 建築を観察する 建築を学ぶ 建築を考える〇

 増沢洵さんという建築家が建坪がたった9坪の自邸を設計しました。1階が3間×3間の正方形、2階は6坪 合計15坪の住宅です。1952年に出来たこの住宅、建築界では有名で「最小限住居」と呼ばれています。

ある展覧会(1999年)でその家の骨組みが再現されました。会場は新宿パークタワーにあるリビングデザインセンターOZONE。萩原修さんはこの展覧会の担当者、この骨組みの美しさにすっかり魅せられて、この骨組みを使って自分の家を造ろう!と決心します。



『9坪の家』は萩原さんが自邸が完成するまでの出来事を記録した本です。なんと奥さんも『9坪ハウス狂騒曲』というタイトルでやはりこの家の完成までの出来事を書いているのです。延べ床面積がたったの15坪の最小限住宅で、ふたりの小さな娘さんと共に4人で生活することの戸惑い、新しい発見。

 本当に必要な物しか室内に置かない(置けない)シンプルな生活空間。今回の設計を担当した小泉誠さんによって随分モダンにリ・デザインされています。 ふたりの同じ出来事の捕らえ方の違いがよく分かって興味深かったです。

やはり記録しておくことは大切ですね、こうして本になるんですから。尤もプロフィールを読むとふたりとも書籍の編集などを手がけておられるようですが。

「仕事を家に持ち帰る」ってことは、あるでしょうが、「仕事の家を持ち帰る」ってことは、ないでしょうね。



  
 

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芝棟って何?

2006-07-30 | g 茅葺きの民家〇


○民家 昔の記録(7910)

このブログによく出てくる藤森さん、最近肩書きの建築史家に建築家が加わった。自然素材をうまく使ってなかなか味のある建築を設計している。今年の5月号だったか藤森さんの作品がとうとう建築専門雑誌「新建築」の表紙を飾った。

藤森さんの住宅作品、屋根に植物を植えることがある。国分寺の自邸の壁や屋根にはタンポポが植えてある(『タンポポ・ハウスのできるまで』朝日新聞社に詳しい)。

藤森さんの友人だという赤瀬川原平さんの自宅の屋根にはニラを植えてしまった。そのときの経緯を赤瀬川さんは『我輩は施主である』(こちらは読売新聞社)にユーモアたっぷりに書いている。他にも屋根のてっぺんに松を植えて一本松の家などとネーミングしてみたり、建築を楽しんでいる。

藤森さんはときどきテレビにも登場するが実に楽しそうに建築を語る。その藤森さんの植物建築のネタはむかしの民家にある(どこかにそう書いておられたから確かだ)。 この写真、むかし群馬県の武尊山に登ったとき、麓の村で撮った。利根川の上流の村だ。

棟に注目、写真が鮮明でないが草が生えている、木も写っていることが分かる。芝棟。草棟ともいう。そう、藤森さんのネタ民家。棟に偶然生えたわけではなく植えたもの。屋根の棟はふたつの屋根面が交叉するところで、雨仕舞い上弱点になりやすい。収まりに工夫を要する。また意匠上も開口部と共に外部の重要な部位だ。 草や木の根に棟の雨仕舞いの効果を期待したものと考えてよさそうだ。 

むかしの人たちは身近なものを使っていろいろ工夫していたことが分かる。 この頃はこのような民家を見かけることはほとんどなくなってしまった。郊外などで偶然見かけるとついつい近づいて観察してしまう。

「民家は先達が残したアイデアの宝庫」だから。

民家 昔の記録 まだつづく(予定)。

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日本沈没 第二部

2006-07-17 | g 読書日記


33年の時を経て刊行された
小松左京の『SF魂』新潮新書が書店に平積みにされていた。帯には**私が日本を沈没させました。**とある。勿論、現在公開中の映画「日本沈没」を意識したコピーだろう。早速、一読。日本沈没の第二部についてこんな記述があった。

**結局それからどんどん忙しくなっていって、第二部はそのままになってしまった。(中略)全部自分でやる必要もないかなと思い始めたところだ。(中略)チームとして第二部の構想を練り上げ、執筆も任せる、というプロジェクト方式で完成させようと思い始めた。(後略)**

小松氏のこの柔軟な考え方によって「第二部」が完成、先日刊行されたという。
小松氏が「日本沈没」で書きたかったことは「国土なき後の日本人」のことだ。国土を失って日本人というアイデンティティはどうなるのか・・・。

そもそも国家とはなにか、民族とはなにか、日本人とはなにか。
日本を沈めてしまうという卓越した着想の小説。
第一部は前段で終っている。

『日本沈没 第二部』読みたいと思う。 

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ブックレビュー 2006.07

2006-07-17 | g ブックレビュー〇

          


以前読書記録をつける代わりに読了本を書棚に並べて写真に撮っておくことをしばらくやっていたことがありました。
まだデジカメではありませんでしたから、プリントしてダイアリーの余白に貼り付けていました。それを復活しました。
ブログに記した本をパソコンの脇に積み上げておいて20冊になったら、写真を撮って載せておきます。いつまで続くか分かりませんが・・・。

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日本が沈む・・・

2006-07-16 | g 読書日記

        
    日本沈

 小松左京/小学館文庫
                     
このSF小説がカッパ・ノベルスで出版されたのが1973年のこと。
当時、上下巻400万部という大ベストセラーだったと解説にある。

前半でマントルの動きを気象、特に気団のアナロジーとして捉えて急激な地殻変動を説明するあたりはさすがだ。
日本列島が沈む・・・。説得力をもって迫ってくる、荒唐無稽な話には思えない。小説では東京大地震が起こるのだが、その詳細な場面が阪神大震災の前に書かれていることも驚きだ。

国土を失って根無し草となった日本人・・・。物語はここで終わるが、第一部完となっている。この先が構想されているのだろう。

昨日、映画が封切られた。都市災害に関する最新の知見が盛り込まれているはずだ。パニック映画は好きだが、洋画の方が細部に至るまで実によく映像化されていることが多いのではないか。原作がどのように映画化されているのか興味深い。

そうだ今日はこの映画を観に行こう。

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晩秋に再度読もう

2006-07-15 | g 読書日記

  中島敦の『山月記』                        
わずか16頁(新潮文庫)の短編。                                             
小説は長短ではない、そう人生と同じように。                  
この小説は高校の教科書に採用されることが多いらしい。               
正直に書く、数年前までこの小説を知らなかった。               
最近再読した。人によっていろいろな読み方が出来そうだ。                                              

**獣どもは己の声を聞いて、唯、懼(おそ)れ、ひれ伏すばかり。山も樹も 月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮(たけ)っているとしか考えない。天に踊り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持ちを分ってくれる者はない。  
ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように。**  
                             
ラスト、**虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。**                                      

なんとも孤独だ。わたしの指向がそう読ませるのかもしれない。                         
この小説を読むと内省的になる。やはり晩秋の夜更けに読むのに相応しい
小説だ。                      

                                      

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「脳内現象」を考える脳

2006-07-12 | g 読書日記
 最近脳を鍛えることがブームのようだ。関連本が書店に並んでいる。脳も体と同様に鍛えないと衰えてしまう。実感。

『脳内現象  <私>はいかに創られるか』茂木健一郎/NHKブックスときどきこの手の本を読んでみたくなる。内容が難しくて一読しただけではなかなか理解出来ないのだが・・・。

自分の脳のことを考える自分の脳・・・。 脳内の様々な領域でバラバラに行なわれている神経細胞の活動を一瞬にして統合するシステム、一体どのようにして成立しているのか。

脳内に「小さな神の視点」をもった「何者」かが存在する。そのように考えれば脳内のこのシステムを概念的には理解しやすいのだが。ちょうど都市全体を俯瞰的に捉える鳥の視点を設定するように・・・。

<私>という明確な「意識」がどのようにして成立しているのか・・・。<私>は脳内にどのように創られるのか・・・。難問が解き明かされる日がやってくるのだろうか。

自分の顔を自分で直接見ることは出来ないという事実は、この難問の答えを暗示しているのではあるまいか・・・。などと根拠のないことを私の脳は考えた。
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イタリアな本

2006-07-10 | g 読書日記
  ○イタリアな本(0607)         
フランスとイタリア サッカーW杯の決勝で戦った両国の国旗、青と緑が異なるだけ、と気が付いた・・・。
イタリア国旗の緑は美しい国土、白は雪、赤は情熱を表しているという。
イタリアの優勝で幕を閉じたドイツ大会、イタリアな本を探したら見つかった。
『イタリアの今を創るマニーフィコ(すごい人)たち』山下史路/JTB。
国旗をモチーフにしたブックデザイン。様々なジャンルで活躍している12人のマニーフィコたちの生活や、仕事ぶりを紹介している。
関西国際空港を設計したレンツォ・ピアーノ(この本ではイタリア語の発音に近い表記をしたとのこと)もその1人。

著者はエピローグで**12人の仕事の分野は違うが、道を究めた人たちの共通項を探してみると、彼らは特別の才能や能力、チャンスを与えられているにも関わらず、謙虚であり、成長するために弛まぬ努力をし(後略)**とインタビューでの印象を書いている。

ある企画で日本の有名な建築家 何人かにインタビューした友人からも同様の印象を聞いた。
人生のキーワードは「謙虚」と「努力」 
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奈良井宿の徳利屋

2006-07-08 | g 民家・町屋の観察〇


徳利屋の吹き抜け空間 0607  

■ 中山道六十七宿、奈良井宿はそのうちの一つ。この宿場の旅籠だった徳利屋を見学してきた。

この建物の見所である吹き抜けは、3間×4間半、27畳の大きさ。なかなか大きな空間だ。屋根面2箇所に設けられた天窓から入る光で室内は十分明るい。この吹き抜け空間をコの字型に二層の部屋が囲んでいる。

写真に写っている棟の直下の壁の中央(正確にはこの部屋の右側の壁から2間目のところ)に棟持ち柱が立っている。この柱に大きな丸太梁がぶつかっているのが写真でも分かる。この吹き抜けには2ヶ所階段がつけられているが、どちらも梁から下げられた2本の吊束によって支えられている。この階段、なかなかいい!

梁の上から立ち上げられた8本の小屋束が1間ピッチの母屋を支えている。束を繋ぐ数段の貫が空間に変化を与えている。ダイナミックな空間構成だ。ここを宿にしたかつての旅人達も、この空間に魅了されたに違いない。

現在は手打ち蕎麦などを提供する食堂になっている。名物だという五平餅を食べながら、私は上ばかり見ていた。


 

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共生の思想

2006-07-08 | g 読書日記

 国立新美術館が完成した。一般公開は来年になるらしい。設計は黒川紀章と日本設計の共同。

以前、乃木坂のギャラリー間に行くつもりが、地下鉄の出口を間違えてこの美術館の近くに出てしまったことがあった。そのとき工事中だった美術館が完成したのだ。外観上の特徴はなんと言っても大波のようにうねるカーテンウォール。延床面積が約48,000m2 と規模の大きい国立新美術館。

黒川紀章、以前ここに書いたが、氏の著書『情報列島日本の将来』(1972年発行)を高校生の時に読んで感銘を受けた。 今ではごく普通に使われている「共生」は40年以上も前に氏が提唱した考え方、思想だ。この東洋的な世界観、哲学に根差す(と私は思うのだが)共生の思想は海外にも広く紹介されているようだ。

先の著書の「二元論からの脱出」という章にもこんな記述がある。**これからの社会がもっている重要な問題点は、いままでまったく相反すると考えられていた、科学、技術という一つのシステム、系と精神、人間性あるいは宗教といった形で呼ばれてきた人間自身の生命の系と、その二つを、別々のまったく独自の系と考えないで、一つの系と考え直してみたらどうか、と大きな反省になるわけだ。**

氏はここで技術のシステムと生命のシステムの統合、共生を唱えている。 このくらいで引用は止めておくが、ここ以外のところにも共生の思想が綴られている。二項対立的思考ではなくて二項共生的思考。氏はこの思想を建築や都市の計画で具現化してきた。

この美術館のHPでも黒川紀章は**周囲の森と共生する建築である**とコンセプトを紹介している。来春、オープンしたら見学に行こう。


 

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虹の岬

2006-07-03 | g 読書日記

恋愛小説 (0607) 

■ しばらく前に川上弘美の『夜の公園』中央公論新社を読んだが、それ以降恋愛小説は読んでいなかった。ある方のブログに辻井喬の『虹の岬』が載っていた。読んでみようと思ったのだが、松本の書店では見つからなかった。先日、丸の内オアゾの丸善でようやく見つけた。

『ナラタージュ』島本理生/角川書店 この本の帯の背中には**一生に一度しかめぐり会えない究極の恋**とある。大学生になった私が高校時代に所属していた演劇部の顧問の先生に恋する話だが、「究極の恋」なんて、そんな結論 はやいんじゃないのかな、まだ若いのに・・・、と思った。勿論その時期でないと経験できない恋もあるだろうが・・・。

『虹の岬』に登場する川田順は60代、相手の祥子は30代後半。これは「究極の恋」なのかも知れないな、と思った。実話を元に書かれた小説だという。雨が屋根をたたく音を聞きながら、きのう読了した。

「自分に忠実に真摯に生きる」とはこういうことなのかもしれない。但し、できることではない。恋愛小説の感想を書くことは難しい。 この小説は晩秋に読むのがいい、読み始めたときの感想は最後まで変わらなかった。
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鉄平石菱葺き

2006-07-01 | g 民家・町屋の観察〇


茅野市内の民家 (0606)

  こちらは、茅野市内で見かけた鉄平石菱(ひし)葺き屋根。この地方は鉄平石の産地。諏訪の建てぐるみの民家の写真を以前載せたが、その屋根もこれと同じ葺き方だった。

天然石は丈夫で長持ちだが屋根材として使う場合には鉄板などの材料と比べると重いことに留意する必要がありそうだ。 床材として使った例は見かけることがあるが、屋根材として使った例はあまり見かけない。確か松本市美術館のレストラン・情報交流館の屋根がそうだった。

繰り返す。自然素材は人に優しい、景観にも優しい。

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玄昌石うろこ葺き

2006-07-01 | g 民家・町屋の観察〇


民家の記録 仙台市郊外の女川町にて(7903) 

東京駅の屋根 (0606) 

■ 宮城県仙台市の郊外、女川町の辺りは国内では数少ない粘板岩の一種、玄昌石の産地。

私が訪ねた30年近く前にはこのように外壁に玄昌石を張った民家が点在していた。現在でも残っているのだろうか・・・。 魚のうろこに似ているのでうろこ葺きと呼ばれる。壁だから、うろこ張りとした方が適切かも知れないが。他に亀甲葺きと呼ばれる葺き方もある。どちらも一段毎、千鳥に材料を並べる一文字葺きの仲間。

「地産地消」と最近よく耳にする。地元で採れる食材を地元で消費しましょうということだが、昔は建築の場合もそうだった。地元で産する建材を地元で使う。今のように流通が盛んでなかったころの必然だ。

下の東京駅の屋根の写真は細部が分かりにくいが、民家の外壁と同じ玄昌石のうろこ葺き。宮城の玄昌石を使っていると以前何かの本で読んだ。 自然素材は人に優しい、そして景観にも優しい。

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