透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ユニークな形の火の見櫓

2022-07-31 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)(過去ログ)松本市神林下神 下神公民館 4脚88型 撮影日2022.07.29

 上の写真でもこの火の見櫓の形がユニークであることが分かる。櫓は上に向かって徐々に絞り込まれて小さくなっているが(いつもこのことを逓減という言葉で表現している)、カーブを描いてはいない。では素直な直線かというとそうでもない。横架材も少なく、踊り場の手すりと床をそれぞれ兼ねた2段と脚部に2段しかない。交叉ブレースは2段のみ。


逆光ぎみだったが、よく撮れたと思う。記録写真としてはこれで十分。いや、そう思ってしまうと向上しないか・・・。


8角形の屋根は少なくないが、8角形の見張り台は少ない。この火の見櫓はその少ない8角形の見張り台を有する1基。見張り台の形状を8角形と見るか、4角形と見るか、判断に迷うことがある。このことについては稿を改めて書きたい。

柱の頂部に斜材(火打)を入れて補強している。これもそれ程多くはないのでは。今までに撮りためた火の見櫓を見なおして、全体形状や屋根、脚などの部位の形状、部材構成(ディテール)の地域的な傾向を分析する作業をしなくては・・・。

見張り台と踊り場の間に横架材を設置しないで、見張り台の床面と見張り台の手すりの間にブレースを入れている。記憶に頼るしかないが、このような例は他にはないのでは。踊り場の手すりにも交叉ブレースを入れて、構造上有効にしているがこれも珍しい。


珍しい、珍しいと書いてきたが、この脚部も珍しい。脚部の中間に横架材を設置し、その上部の垂直構面に斜材を入れている。

なぜこれ程ユニークな火の見櫓が建設されたのだろう・・・。この火の見櫓を製作した鉄工所ではオリジナル志向が強かった? 






「ぼくのおじさん」を観た

2022-07-30 | E 週末には映画を観よう

 DVDで映画を観るのは金曜日、1枚無料で借りられるから。歳を取るのはわるいことばかりじゃない。

昨日(29日)は金曜日、北 杜夫の「ぼくのおじさん」が原作の同名の映画を観た。なお、寅さんシリーズにも同名の作品があるけれど、表記は「ぼくの伯父さん」。先日「ぼくのおじさん」を読んだばかりだから映画の原作との違いが分かった。

「おじさん、見合いをする」 小説では**カンジンの相手がいなくなってから、ぼくのおじさんはようやく元気になるのである。これでは見合いもなかなか成功しそうにない。**(41頁)と、雪男(ぼくの名前)くんのおじさん(松田龍平、まん丸メガネをかけている)の見合いはあっけなく終わってしまう。だが、映画では真木よう子が演じている見合いの相手・稲葉エリーにおじさんが一目ぼれ、彼女に会うために雪男くんと一緒にハワイまで出かけていくという展開に・・・。

エリーは日系四世でハワイのコーヒー農園の経営後継者。東京でおじさんと見合いをした後、ハワイに帰ってしまった。雪男くんに(おじさんにもかな)、ハワイに遊びにおいでよ、と言い残して。

原作にない後半の展開にユーモラスな場面はない。雪男くんとおじさんがハワイ滞在中に、彼女にぞっこんな元彼(?)が彼女を追いかけてハワイにやってくる。そこでひと騒動。おじさんに有利な展開かと思いきや、最後の最後で元彼が逆転する。

雪男くんとお金の無いおじさんがハワイに行くことになったのは、雪男くんの作文がコンクールで入選したから。担任の若い女の先生が、雪男くんの作文をクラスの代表として選んで応募していたのだった。

ハワイでの顛末を書いた雪男くんの日記を読んだ担任の先生、「あ、そうだ、今度おじさん紹介して」。


エンドロールを見ていたら、企画協力に北 杜夫の奥さんの名前があった。


「寅さんの「日本」を歩く」

2022-07-29 | A 読書日記

280
『寅さんの「日本」を歩く』岡村直樹(天夢人発行 山と渓谷社発売 2019年発行、2021年4刷)

 寅さんシリーズ全50作(48作という捉え方もある)を観たぼくとしては、こんな本を目にしたら手に取ってパラパラとページを繰る。で、買い求める。

章立てを紹介すれば本書の内容は見当がつくと思う。

はじめに
第1章 寅さんの大切な場所 駅/茶の間/縁日/(他は省略、以下同)
第2章 寅さんと温泉 別所温泉/
第3章 寅さんと絶景 東尋坊/
第4章 寅さんと城下町 高梁/
第5章 寅さんと名刹・古社 金刀比羅宮/
第6章 寅さんと港町 伊根/
第7章 寅さんと水景 江戸川/
第8章 寅さんと島 加計呂麻島/
第9章 寅さんが愛した昭和
第10章 寅さんの全作・全ロケ地ガイド
おわりに

寅さんシリーズについて、いろんな切り口から論じられているが、第9章の「寅さんが愛した昭和」は読み応えがあった。各章とも寅さんシリーズそのものに関する記述がもう少し多ければ、そう文章の「寅さんシリーズ濃度」がもう少し濃ければうれしかった。

寅さんファンとして手元に置いておきたい本。


280
『寅さん大全』井上ひさし監修(筑摩書房1993年発行、1996年5刷)

以前読んだ、『寅さん大全』では料理研究家の小林カツ代さんが「とらやの食卓」と題してとらやの食事について、4ページに亘って論じている。**欲を言えば、冬場はもうすこし緑の野菜が欲しいですね。葉っぱをあらって茹でておひたし。でも、栄養的にはななりいいと思われますよ。**(272頁)

寅さんってカレーが好きそうなのに、メニューに無い。寅さんとカレーは合う、と小林さんは書いている。ぼくは寅さにカレー、とらやのちゃぶ台にカレーは合わないと思うけどな。

改めて寅さんシリーズはいろんな観点から論ずることができると、思った。


先週の金曜日(22日)に第22作「噂の寅次郎」(マドンナ 大原麗子)を観たから、何か書かなくちゃ。


松本市神林の火の見櫓

2022-07-29 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)松本市神林寺家 神林公民館の近く 3脚66型 撮影日2022.07.29

 この火の見櫓は2013年6月に既に観ているが、今日(29日)再訪して観察した。県道48号の寺家の信号から1.2kmほど北に入った所に立っている。

以前からどんな場所に立っているのか、周囲の状況について関心が無かったわけではないが、このことを意識した写真をあまり撮っていなかった。いきなり火の見櫓に焦点を当てていた。だが、火の見櫓は砂漠の中にポツンと立っているわけじゃない・・・(*1)。だから火の見櫓のある風景写真は必要だ。以前このことを豊科のカフェ・BWCLのオーナー(過去ログ)に指摘された。それからこのような写真を意識的に撮るようになった。オーナーに感謝。


上の写真で火の見櫓の右隣りは松本市消防団第13分団詰所


手元の資料「大橋鐵工所の火の見」によれば、この火の見櫓は1956年(昭和31年)に建設された。末広がりのフォルムが実に美しい。屋根と見張り台の大きさのバランスも良い。脚部の主材(柱材)も櫓部分から連続してなだらかにカーブしている。これらは全形に表れている同鐵工所の火の見櫓の特徴だ。


屋根頂部の避雷針の飾り、やや大きめの蕨手、見張り台の手すりの飾り、床面の開口部の形などにも大橋鐵工所の特徴が表れている。


外付け梯子から踊り場に入るための開口部の処理の仕方に注目。なんとなく開口部になったというのでなく、開口部をつくるというはっきりとした意図を感じる。


脚部のデザインも好ましい。櫓の荷重をきっちり支えているということが視覚的にも伝わってくる。

残念に思うのはメンテナンスが行われておらず、全体的に錆びていること、半鐘が撤去されてしまっていること。


*1 安部公房の『砂の女』(新潮文庫1981年)に出てくる火の見櫓は砂漠のようなところに立っていた、という記憶がある。確認してみると、**水平に仕切られた、空と砂・・・・・火の見櫓が入りこむ余地など、どこにもありはしない。**(141頁)という記述があった。



辰野町の火の見櫓

2022-07-28 | A 火の見櫓っておもしろい

 
辰野町辰野の火の見櫓 撮影日2012.07.14 



(再)上伊那郡辰野町辰野 辰野町消防団第八分団本部 4脚無4型 高さかせぎ 撮影日2022.07.27





 昨日(27日)の午後、所用で辰野町教育委員会へ出かけた。少し早めに出かけて辰野町役場近くの火の見櫓を観察した。

屋根が無い! 屋根が撤去されている。やはり屋根が無い櫓型の火の見櫓はとても不自然な感じだ。違和感がある。すべて撤去されずに残ったことを喜ぶべきか、いやこれならいっそのこと・・・。


 


175、176枚目 夏季講座の打合せ

2022-07-28 | C 名刺 今日の1枚

175 176

 8月7日(日)の午後1時半から小野農民研修センター(JR小野駅前)で開催が予定されている「小野宿問屋夏季講座」で火の見櫓について語る機会を得た。昨日(27日)の午後、辰野町教育委員会で、講座用に作成したパワーポイントを確認していただいた。その際、担当者に名刺をお渡しした。講座で火の見櫓に興味を持っていただければうれしい。

開催中止とならないよう、新型コロナウイルス感染が急拡大しないことを願う。


 


辰野町の火の見櫓

2022-07-27 | A 火の見櫓っておもしろい


1376 上伊那郡辰野町辰野 4脚44型 撮影日2022.07.27


 県道187号に平行して一段高いところにガードレールが設置された生活道路が通っている(写真②)。その生活道路沿いに火の見櫓が立っていることに気が付いた。

いち早く火の見櫓に駆けつけることができること、遠くまで見通せること、という火の見櫓の基本的なふたつの条件は相反することが多い。この火の見櫓は後者の条件を優先したものと思われる。

県道から生活道路まで歩いて上っていくと、写真③のような様子だった。見張り台からはかなり遠くまで見通せるだろうし、半鐘の音も遠くまで届くだろう。私とは違い、消防団員は地元の地理に詳しいだろうから、この生活道路まで車で上ってくるだろう。そうであれば県道沿いに火の見櫓が立っている場合とそれ程到着時間に差は出ないかもしれない。 




③とは反対の方向から見た様子


梯子には手すりが設置されている。踊り場から上の梯子に手すりが設置してある事例は多くはないと思う。


踊り場の半鐘、写っている縦帯に文字はない。


踊り場の様子 踊り場の床面積が少ないようにも思うが、梯子の架け方などを見ると、ここを昇り降りする消防団員に配慮していることが窺える。踊り場の手すりは外側にはらんでいる。なぜ? 少しでも面積的に広げようという意図か。他に理由が浮かばない。


脚部の下側半分は単材で見た目は心もとない。


 


既に時遅し

2022-07-27 | A 火の見櫓っておもしろい


松本市寿小赤  県道287号沿い(*1)控え柱付き火の見梯子 撮影日2012.01.14


 この火の見櫓(控え柱付き火の見梯子)を見たのは2012年の1月14日、今から10年前のこと。その時、ブログにこの半鐘について**右側の縦帯に文字が書かれているようだ。残念ながらこの写真では読みとることができない。**と書いた。

最近になって半鐘を詳しく観る機会があり(過去ログ)、濱 猪久馬という鋳物師の名前を知った。改めてこの火の見櫓の半鐘の写真(下)を見ると、縦帯の文字は濱 猪久馬と読める(星座を知らなければ満天の星を見てもランダムに星が散らばって見えるだけで星座は見えないのと同様に、濱 猪久馬という名前を知ったから読めるのであって、知らなければ読めない)。名前の右の小さい文字は松本市〇〇〇、上は・・・、二行あり、右は大正四年か? 



もう一度行って確かめようと思い、昨日(26日)出かけたが・・・。


既に火の見櫓は撤去されてしまっていた。残念としか言いようがない。火の見櫓はともかく、「半鐘は文化財」という認識があれば、どこかに保管されているかもしれないが、どうだろう・・・。

今も撤去されずに立っていれば半鐘をもっときちんと写すことができたのに・・・。偶々半鐘の写真に鋳物師の名前が写っていた。このことを幸運だったと思うことにする。





火の見櫓周辺の様子を示すなら、上掲2枚の内、下の写真の方が好ましい。以前はこのことをあまり意識していなかった。反省。


*1 この火の見櫓の所在地を松本市内田としていましたが誤りでした。内田地区から250mくらい寿地区に入った、県道287号沿いに立っていました。拙著『あ、火の見櫓!』にもこの火の見櫓を載せて所在地を松本市内田としていますが松本市寿です。申し訳ありません。お詫びして訂正します。


「ぼくのおじさん」北 杜夫

2022-07-27 | A 読書日記



 北 杜夫の『ぼくのおじさん』(新潮文庫1981年)を読んだ。この本を1981年の6月7日に、当時住んでいた国立にあった東西書店(*1)で買い求めて読んだことが奥付に書いたメモで分かる。

この本には9作の児童文学、童話が収録されているが、表題作の「ぼくのおじさん」が最も長く、厚さがおよそ1cmの本の半分以上を占めている。

ぼくの名前は雪男(ゆきおとこ、じゃない)。ぼくにはおじさんがいる。おじさんはぼくのおとうさんの弟で、ぼくの家に居候している。おじさんは万年床でたいていこどもマンガを読んでいる。でもおじさんはなんと学校の先生、それも大学の、臨時講師だけど・・・。

ぼくの友だちのあるおじさんは宿題を教えてくれるし、あるおじさんは動物園へ連れていってくれる、あるおじさんはお小遣いをくれる。だけど、ぼくのおじさんは宿題はやってくれないし、動物園にも連れていってくれない。お小遣いだって自分がもらいたくてピイピイしている。野球の人数が足りないからおじさんに頼んだら、ピッチャー以外はゴメンだと言う。おじさんをピッチャーにしたところ1対38で負けてしまった。

学習雑誌社の作文コンテストでぼくの作文が二等になって、おじさんとハワイ旅行に行くことに。その頃おじさんは当選すれば外国旅行、という懸賞に応募していたが、ことごとく外れていたのだった。

おじさんは雑誌社の編集長と会ったとき、四か国語がペラペラしゃべれると言っていたのに、ハワイの税関では係官の質問に答えられずに、トランクを開けられてしまって、うめぼしのつつみやノリのカンをひっぱりだされて質問攻めにあう。おじさん大汗。

この後、ハワイでの出来事がユーモアたっぷりに描かれる。

おじさんはホテルの風呂の使い方をぼくに教えてくれたけれど、シャボンはたくさん使わなければ損だと言って、アワだらけになってアップアップ、立ち上がろうとしてすべってころんでしまったり、ぼくと別行動して警察にひっぱられてしまったり・・・。

読んでいると、ぼくがこのおじさんのことが好きだということが伝わってくる。作品に漂うほのぼの感が好い。

この小説は中学生向けに書かれた(*2)。北 杜夫はこのことを踏まえ、ぼくがハワイで知り合った日系三世のヘンリー・佐藤君のおとうさんの話を受けて次のように書く。**どんなにきたなく、戦争に負けた国であっても、そこはぼくが生まれた国にはちがいない。それをよくするのもわるくするのも、みんなぼくたちの生き方によるのではなかろうか。**(131頁)

さらに「ぼくのおじさん」の「あとがき」にも**世界は、いろんな国がそれぞれに協力して、よい世界にならねばなりません。自分の国の都合だけ考えていてはいけません。みなさんも、日本の国のことをまず知り勉強するとともに、日本と世界との関係ということも学んでいってください。そうすることが、世界をよりよくすることだと思います。**(141頁)と書いている。

*1 ネット情報によるとこの書店は2015年の8月31日に閉店した。
*2 この小説は旺文社の「中二時代」に昭和37年5月号から連載が始まり、翌年「中三時代」の4月号で終った。
『ぼくのおじさん』は2016年に映画化された。DVDがあるだろうから、借りてきて観よう。


 


松本市寿の火の見櫓

2022-07-26 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)松本市寿小赤 赤木公民館 3脚66型 撮影日2022.07.25

 火の見櫓めぐりを始めたのは2010年5月、その年の12月に既にこの火の見櫓と出合っている。だが、その時は全形写真を撮っただけで、特に観察はしていなかった。昨日(25日)偶々通りがかったので観察した。


しばらく前、このような火の見櫓を「高さかせぎ」というタイプに分類することにした。道路のレベルより2.5mくらいだろうか、高い所に建てて、その分、高さをかせいでいる。

見張り台の高さは12mくらいありそうだ。高い部類に入ると思う。だが梯子は櫓の外に設置されているし、中間に踊り場もない。




残念ながら半鐘は既に撤去され、代わりにサイレンが設置されている。スピーカーも設置されているが、火の見櫓の後継としてこの姿は仕方がない。見張り台に比して屋根が小さい。平面的な大きさが見張り台くらいないと、バランスが良くないと感じてしまう。


脚部の様子。後方の様子から高さかせぎ効果が分かる。この火の見櫓のように脚部に消防信号板を取り付けていることが案外多い。消防信号板を見て、即半鐘を叩くことができれば、叩き方が頭に入っていない消防団員は助かると思う。だから、見張り台に取り付けるのが望ましいと思うが・・・。





塩尻市片丘の火の見櫓

2022-07-25 | A 火の見櫓っておもしろい


1375 塩尻市片丘 3無無無型(控え柱付き梯子型*1)撮影日2022.07.25



 柱が3本だから立体構造。だから型としては梯子ではなく櫓ということになるが、火の見梯子を後ろからきっちり支えているタイプと見る方が良いようにも思う。観察対象が何であれ分類は「基本のき」だが、判断に迷うものに時々出合う。

正面の梯子の支柱を途中で折っている理由は、構造的に安定させるため、ということ以外考えられない。この型は既に見ている(過去ログ)。



*1 呼称検討中:梯子後方支持型、梯子控え柱型


「鈴虫」

2022-07-25 | G 源氏物語

「鈴虫 冷泉院と暮らす秋好中宮の本意」

 夏、蓮の花の盛りに女三の宮の持仏(*1)の開眼供養が行われることになった。光君(ひかるくんと今風に読んでしまいそうだが、ひかるきみ)の厚意で仏具が用意された。紫式部は飾りつけの様子も詳細に描いているが、ここでは省略する。女三の宮が手元に置く持経は光君が書いた。

当日、供養は盛大に行われた。せめて来世では同じ蓮の上で女三の宮と一緒に暮らせるように、と光君は願い、歌に詠む。女三の宮は**隔てなくはちすの宿を契りても君が心やすまじとすらむ(来世は同じ蓮の台、とお約束しても、あなたのお心は澄むことなく、私と住もうとはしないでしょう)**(499頁)と返す。この返歌から女三の宮の心情が分かる。

内輪で執り行う予定の法要だったが、帝も朱雀院も耳にして使者を遣わす。

朱雀院は娘・女三の宮を三条の宮邸で暮らさせたいと願う。だが、光君は今になって、いたわしく思うようになり、六条院から手放さない。光君は三条の宮を改築し、蔵も建てて女三の宮の財産をすべて保管する。女三の宮は柏木との一件の後、光君の気持ちがすっかり変わってしまったことが分かり、離れて暮らしたいと願い出家したのに叶わない・・・。

**光君は、この野原のようにしつらえた庭前に秋の虫をたくさん放たせて、風が少し涼しくなった夕暮れどき、こちらにやってきて、虫の声を聞いているふりをしながら、今でもまだあきらめきれない心の内を打ち明けて尼宮を悩ませるので(後略)**(501頁) 尼になった女三の宮に恋慕の情を訴えるとは、なんとも未練がましい。でもこれが光君の性分。男はみんなそうかもしれない(などと個人的な見解を一般化してはいけない)。

八月十五夜の夕暮れ、女三の宮の部屋にやってきた光君は鈴虫の声に合わせて琴を久しぶりに弾き始める。宮も琴の音色に耳を傾けている。そこへ兵部卿宮(蛍宮)や夕霧が訪ねてくる。で、優雅な管絃の遊びをして、柏木を偲ぶ・・・。そして夜明けまで漢詩をつくり和歌を詠んで過ごす。しみじみとした催しは月を愛でながら夜通し行われることが多いようだ、なんと風雅な。

明け方お開きとなり、光君はそのまま秋好中宮の部屋に向かう。光君は中宮といろいろと話をする。中宮は母・六条御息所が成仏できずに、人に疎まれるような物の怪となって名乗り出たということを耳にしてひどく悲しんでいると話し、**「(前略)せめて私だけでも母の身を焼く業火の熱をさましてあげたいものだと、年齢を重ねるにつれて、おのずと身に染みて思うようになりました」**(507頁)と口にする。出家して母親を救いたい・・・、それが中宮の願い。このことに光君は反対して追善供養するように勧める。

光君と秋好中宮、このふたりについて紫式部は**この世はすべてはかないものだから、早く捨ててしまいたいとお互いに言い合うけれど、やはりすぐにはそうもできない身の上の二人なのである。**(508頁)と書く。

紫式部は人を、光君を、苦悩から解き放とうとはしない・・・。


*1 お守りとして身近に置く仏像(497頁)


 1桐壺 2帚木 3空蝉 4夕顔 5若紫 6末摘花 7紅葉賀 8花宴 9葵 10賢木 
11花散里 12須磨 13明石 14澪標 15蓬生 16関屋 17絵合 18松風 19薄雲 20朝顔 
21少女 22玉鬘 23初音 24胡蝶 25蛍 26常夏 27篝火 28野分 29行幸 30藤袴
31真木柱 32梅枝 33藤裏葉 34若菜上 35若菜下 36柏木 37横笛 38鈴虫 39夕霧 40御法
41幻 42匂宮 43紅梅 44竹河 45橋姫 46椎本 47総角 48早蕨 49宿木 50東屋
51浮舟 52蜻蛉 53手習 54夢浮橋 


彩色青面金剛像

2022-07-25 | B 石神・石仏


安曇野市穂高田中 撮影日2022.07.22

 安曇野市穂高田中の生活道路沿いに彩色された青面金剛像が祀られていた。昨日(21日)、偶々通りがかり、観察した。


石種は花こう岩。碑高約1m、碑幅約70cmの自然石を薄く舟形に彫り込んで、一面六臂の青面金剛像を陽刻している。像の脚元に二鶏、その下には例によって塞目・塞耳・塞口の三猿。像の両側に陰刻された建立年は嘉永五子年(1852年)三月吉日となっている。その下に田中村中とある。 


青面金剛像の場合、注目は手に何を持っているか。右(像に向かて左)の上の手に月輪、左に日輪。右の下の手に斧、左には蛇(だと思う)。月輪、日輪が像の上に彫られているのは珍しくはないと思うが、手に持っているというのはどうだろう。記憶にはない。



彩色道祖神は見たことが ある(過去ログ)。



(再) 安曇野市穂高上原 3脚〇〇型 撮影日2020.03.22


「日本百名山」

2022-07-24 | A 読書日記



 『日本百名山』深田久弥(新潮文庫1978年発行、1995年31刷)の再読を終えた。深田久弥は百名山の選定基準として山の「品格、歴史、個性」を挙げている。さらに付加的な条件としておよそ1,500mという高さの線引きをしている。言うまでもなく登ったことがあることが前提。

本のとびらの前(口絵?)に山のカラー写真が4ページ、それから百名山をプロットした日本地図が折り込まれている。地図は若狭湾、琵琶湖、伊勢湾を結ぶラインで東西に分けられて表裏両面に印刷されているが、100座の内、89座までが東側に、残りの11座が西側という数だ。私が登ったことがある山はごく僅かで、名前を知らない山も多い。長野県は百名山(県境に位置する山を含む)が最も多く、30座近くあるが、日々存在を意識する山は美ヶ原と常念岳。


美ヶ原望遠 撮影日時2020.08.13 午前5時前


常念岳(左のピーク) 撮影日時2013.07.24 午後7時半頃

朝な夕なこんな光景を目にしながら過ごせることを、幸せだと思わないといけないのかもしれない・・・。


追記(7月24日の夕方)

 
                        鹿島槍ヶ岳 2008.12.04撮影

鹿島槍ヶ岳も百名山になっているが、ずいぶん前に国立代々木競技場の第一体育館の屋根の形がこの山と似ているということを書いた。

『日本百名山』でこの山(鹿島槍岳と表記されている)について、深田久弥は**北槍と南槍の両峰がキッとせり上っていて、その二つをつなぐ、やや傾(かし)いだ吊尾根、その品のいい美しさは見倦(みあ)きることがない。**(206頁)と書いている。

文中の吊尾根ということばは代々木体育館の吊構造に通ずる。この体育館の屋根の棟のラインはケーブルが力学的にバランスするカテナリー曲線だ。ちなみに電線のたわんだ様子も同じ曲線。

すごく単純化して捉えれば、この山の稜線と体育館の屋根棟、どちらも作用する重力に逆らうことなく素直に従った結果、似たような形になったと言えなくもないだろう。吊尾根はこのことを言い得ていることばだと思う。いやぁ、この山の稜線がカテナリー曲線に似ているのは全くの偶然だよ、という声も聞こえてきそうだが・・・。