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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

火の見櫓の建設年判明

2025-01-14 | g 火の見櫓考〇

360
△この写真のみ友人提供

 長野県朝日村の西洗馬区で長年保管されていた諸々の書類が西洗馬防災センターで12日から3日間公開された。西洗馬区内の5基の火の見櫓の建設に関する記録があるだろうと、出かけて「記録簿」を閲覧した。

5基の内の1基、中組の火の見櫓は昭和30年の8月に建設されたことが分かっていた。契約書の写しと竣工時の記念写真が手元にあるので。おそらく他の4基も同時期に建設されただろうと予測して、昭和30年6月から昭和34年10月までの記録簿を読み進めた。5基全ての記録があった。



   
中組地区の火の見櫓 建設年月:昭和30年8月(撤去され、現存しない)
昭和30年の記録(画像を加工して名前を消去した)八月一日 警鐘楼起工式とある。八月十二日 落成式という記録もあった。


  
上組(左)と原新田(右)の火の見櫓 建設年月:昭和31年8月




 
三ヶ組の火の見櫓 建設年月:昭和32年6月

六月十三日 警鐘楼地鎮祭 三ヶ組警鐘楼地鎮祭へ区長及地区部落長参列する
六月十六日 警鐘楼落成式 午后二時より三ヶ組警鐘楼落成式に区長参列する


 
下組(下洗馬)の火の見櫓 建設年月:昭和33年3月


建設費用に関する記録もあったが、ここでは省略する。

記録って大事だな、と改めて思う。


 

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新たなシンボルとして

2024-10-11 | g 火の見櫓考〇


1520 群馬県高崎市倉賀野町(洋菓子ミリオン) 44〇型交叉ブレース囲い


 何年も前に入手して、我が家にずっと置いてあった消防信号板を5日に高崎市倉賀野町にあるミリオンという洋菓子店に届けてきました。このお店のオーナー・長井さんも火の見櫓が大好きということが縁で知り合いになりました。

消防信号板は見張り台の手すりに設置されました(写真① 長井さん提供)。来店されるお客さまにも火の見櫓に注目していただきたい、との願いから駐車場に向けて設置したとのことです。水平ブレースも設置されていますが(写真②)、これが火の見櫓の底というか、底面という雰囲気を出していて、なかなか好いです。

信号板は黒くてシックな火の見櫓にマッチしています。似合いのカップルというところでしょうか、下道を5時間かけて届けた甲斐がありました。ピカピカの半鐘も好いですね。外灯も設置されていますね。


ハロウィンな店内 2024.09.05

お客さまにも火の見櫓に興味を持っていただけるように、存在感をアピールして欲しいな、と思います。七夕のときはお客様に短冊を飾っていただいたり、クリスマスシーズンにはイルミネーションで飾ったらどうでしょう。お店の新たなシンボルとしても頑張って欲しいと願っています。


 

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2024-09-22 | g 火の見櫓考〇


 インスタグラムに今まで観てきた火の見櫓を紹介しています。それが一通り終わったら、『信州火の見櫓めぐり』という本に出来ないかな、などと考えています。北信から南信まで市町村別に整理して、短文を付けて・・・。


『あ、火の見櫓!』を自費出版したのが2019年9月。あれから早くも5年経ちました。その後、火の見櫓のタイプには地域性があることを数字で示すことができたり、脚のタイプ分けを試みたりしています。これらを加えて拙著の改定版を出すのも好いかもしれません。

これ、目標というか、夢です。




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見張り台の床のタイプ分け

2024-09-16 | g 火の見櫓考〇

 


 

 火の見櫓の構成要素である見張り台のタイプ分けを試みている。見張り台は床と手すりによって構成されているから、それぞれについてタイプ分けをして、その組合せによって見張り台をタイプ分けするのが適切だろう、と考えた。

まず床。火の見櫓の中分類で見張り台の平面形を扱っているので、小分類では平面形の違いは考慮しない。

床面を構成している線状部材(その大半は平鋼(写真)。他に丸鋼がある)の敷きならべ方に着目する。床材の敷きならべ方には一方向に並べる方法と床面を複数に分割してそれぞれの方向に並べる方法がある。これはタイプ分けの視点として有効だと思う。で、前者を仮に1方向並べとし、後者を分割数に応じて3方向並べ、4方向並べとしたらどうだろう・・・。分割数は柱の本数と同じになっている(ただし例外はつきもの)。ネーミングがいまいちだから、更に考えよう。ということで見張り台のタイプ分け「考え中」。

床を鋼板やエキスパンドメタルにした見張り台もあることに留意したい。


 

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火の見櫓の見張り台のタイプ分け2

2024-09-08 | g 火の見櫓考〇

火の見櫓の小分類 ― 火の見櫓構成要素の分類 その2  見張り台のタイプの分類

 
①-1 ①-2

 
②-1 ②-2

 火の見櫓の見張り台は床と手すりによって構成されている。従って見張り台は床と手すりのタイプを組み合わせることによって、タイプ分けすることができる。前回は床のタイプ分けについて考え、手がかりをつかむことができたかと思う。

今回は手すりについて少し考えてみたい。手すりは手すり(上端の手で掴む部分。階段の手すりは断面が円いのが一般的だが、掴むのに不向きな断面形状のものもある)と手すり子(手すりを支える部分)から成るが、タイプ分けには手すり子に注目するのが良さそうだ。

手すり子には①-1 ①-2のように飾りの無いものと、②-1 ②-2のように飾りのあるものがある。飾りの有無によって、大きく二つのタイプに分けることができるだろう。次は飾りのタイプ分け。

 
③-1 ③-2
 
 
④-1 ④-2

 
⑤-1 ⑤-2

これらの飾りを一体どのような視点でタイプ分けすればよいのだろう・・・。


 

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火の見櫓の見張り台のタイプ分け1

2024-09-07 | g 火の見櫓考〇

火の見櫓の小分類 ― 火の見櫓構成要素の分類 その2  見張り台のタイプの分類

 
①-1 ①-2

火の見櫓の中分類では櫓と屋根と見張り台の平面形に注目した。それで例えば①-1は444型(それぞれ平面形が4角形)、①-2は3〇〇型(櫓は3角形、屋根と見張り台は円形)というように分類する。

前の記事で示したように、脚もいくつかのタイプに分類した。それで次は見張り台の分類に臨みたい。あれこれ試行錯誤する様を載せて行こうと思う。 

  
②-1 ②-2

中分類で既に平面形に注目しているから、平面形に関係なく見張り台の分類に有効な観点(視点と観点の違いがよく分からない。このような場合には視点の方が良いのかもしれない)を探そうと思う。見張り台の構成要素は床と手すりだから、この2つの要素を分類してその組合せで捉えるのがよいと思う。オーソドックスな要素還元主義的な考え方だ。

まずは床。②-1と②-2とは何がどう違う? 床材の平鋼をすのこ状に並べているがその向きが違う。②-1は3方向に並べているが(*1)、②-2は1方向。分類の観点として床材の並べ方は有効かもしれない。床材は平鋼の他に丸鋼などもあるがすのこ状に並べるタイプとして材料の違いは問わなくてもよいかもしれない。ただし鋼板で床をつくっていたり、エキスパンドメタルでつくっているものもある。この違いは分類の観点として挙げた方が良さそうだ。となると、平鋼と丸鋼も別に扱うのがよいのかもしれない。床の下地材(建築の根太に相当する部材)に注目すると、②-1と②-2とでは掛け方が違う。これも分類の観点として有効かもしれない。

*1 開口部廻りは考慮していない。

 
③-1 ③-2

③-1の床材は丸鋼、③-2は平鋼。とりあえずこの違いは考慮しない。下地材の本数が違う。③-1は床面と3等分したそれぞれの部分で1本渡している。③-2は2本。

 
④-1 ④-2

④-1の床の構成は③-1と同じと見ることができる。④-2は床材の並べ方が②-2と同じで1方向。

分類の観点は少なくて有効なものを見つけたい・・・。その手がかりが見つかったような気がする。次は手すりについて考えてみたい。


 

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火の見櫓のタイプの体系的分類

2024-09-07 | g 火の見櫓考〇

  ①-1,①-2
 火の見櫓の研究のスタートとしてタイプの分類(タイポロジー)は欠かせない。研究対象が何であれ、分類は「基本のき」。それで研究対象の総体を明らかにし、その中に研究対象を位置付ける。この場合、なんとなくタイプが似たものをひとつのグループとしてまとめるのではなく、根拠に基づく体系的な分類をしなくてはならない。

以下は過去数回掲載した火の見櫓のタイプ分けに関する記事をまとめたもの。

①に電柱の写真を載せた。どちらも柱が2本の複柱で、柱の本数だけに注目して分類すれば両者は同じ分類肢に入る。だが、①-1と①-2では柱の役割が違う。①-1では主柱と控え柱とに役割を分担している。①-2では2本の柱が構造的役割を等しく分担している(積載荷重を等しく支えている)。このことにより、両者を区別して別の分類肢を設定する。この捉え方を火の見櫓の分類にも適用する。

 ②-1,②-2
電柱に対応させて火の見櫓を挙げた。どちらも柱3本だが、後方の柱の役割が電柱と同様に異なる。


1 火の見櫓の大分類 ― 柱の本数による分類

柱1本
・火の見柱 
・火の見柱梯子掛け
柱2本
・火の見梯子 
柱3本、4本
・火の見梯子控え柱付き(②-1 控え柱1本、2本)
・3柱または4柱1構面梯子(②-2:3柱1構面梯子)
・火の見櫓 (→2 中分類)
その他

柱の本数は火の見櫓の最も基本的で有効な分類の観点。それで3柱、4柱というように柱の本数に代表させて櫓の特徴を捉え、表現している。ブレースや火打ちなど櫓の他の要素の分類は今後の課題だが、梯子状に組まれた構面には注目して分類要素とする。


 ③-1,③-2
3柱1構面梯子 左:長野県茅野市 右:長野県塩尻市


柱6本の火の見櫓 茨城県小美玉市 撮影日2016.09.04 

茨城県小美玉市、結城市には柱6本の火の見櫓があったが共に撤去され現存しない。


2 火の見櫓の中分類 ― 火の見櫓の構成要素の平面形による分類

火の見櫓の構成要素の内、櫓と屋根、見張り台の平面形に注目すれば網羅的に分類することができる。

 ④-1,④-2
④-1 櫓3角形、屋根6角形、見張り台円形 ④-2 櫓4角形、屋根4角形、見張り台4角形

コードナンバー的に36〇、444という表記ができる。これは例えばサッカーではフォーメーションを4-4-2,4-2-3-1 のように表記することや野球ではポジションを数字で示し、643のダブルプレーというような表現することに倣ったものだ。具体的な表記でも一向に構わない。目的に応じた表記をすればよい。


3 火の見櫓の小分類 ― 火の見櫓構成要素の分類 その1  脚の分類


火の見櫓の構成要素とその名称

火の見櫓は⑤に示す構成要素から成る。これらすべての分類をする必要があるが、現時点で分類できているのは脚のみ。それ以外の構成要素の分類は今後の課題。

脚のタイプ分類 以下、過去ログの再掲。


① 開放 


   
② ブレース囲い 左:片掛けブレース 右:交叉ブレース


 


③ ショート三角脚



④ ロング三角脚



⑤ ショートアーチ脚



⑥ ロングアーチ脚



⑦ 束ね(たばね)脚  アーチ形の補強部材の両端を主材(柱材)と束ねて下端まで伸ばしている。


 
⑧ トラス脚 (右をトラスもどきと名付けるが、トラス脚に含める)

⑨ 複合脚 ①~⑧の組合せであることから、次の例の様に名付ける。

     
正面束ね脚 他ブレース囲い  正面トラス脚 他ブレース囲い


注:現時点では火の見櫓の形状のみに注目し、高さや材質を分類の観点にしていない。

※2023.02.09、2024.09.07 修正


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火の見櫓が出てくる小説、エッセイなど

2024-06-26 | g 火の見櫓考〇

 私が読んでいて気がついた火の見櫓が出てくる小説、エッセイなど(とりあえずブログの過去ログから分かった作品)を挙げる。火の見櫓の関心を持ち始めたのは2010年の5月。それ以前に読んだ小説などにも火の見櫓がでてくるものがあっただろうが、気がつかなかっただろう。

時代小説はあまり読まないが、江戸が舞台の小説には火の見櫓が出てくることが少なからずあると思う。江戸では火災が頻発していた。だから火災が発生して登場人物が日々の暮らしの中で半鐘の音を聞くことがあっただろう。作者がそのような日常を描けば出てくることもあり得る。

火の見櫓が江戸の街に出現したのは江戸時代前期のことだった。それ以前の時代を扱う小説などには寺の鐘は出てきても火の見櫓や半鐘は出てこない。存在しなかったのだから当然のことだ。

『研ぎ師太吉』山本一力
『髪結い伊三次捕物余話』宇江佐真理
『羽州ぼろ鳶組シリーズ』今村翔吾
『北斎まんだら』梶よう子(火の見櫓があだ名として出てくる)

*****

以下の作品には火の見櫓が出てくる。火の見櫓が現役で活躍していたころのことが描かれているので。これらの作品の中には『夜明け前』『どくとるマンボウ青春記』『砂の器』『砂の女』など2010年5月以降に再読して、火の見櫓に気がついたものもある。

『夜明け前』島崎藤村
『どくとるマンボウ青春記』北 杜夫
『硝子戸の中』夏目漱石
『砂の器』松本清張
『左の腕』松本清張
『砂の女』安部公房
『チチンデラヤパナ』安部公房
『旅の終りは個室寝台車』宮脇俊三
『途中下車の味』宮脇俊三
『関東大震災』吉村 昭
『バーナード・リーチ日本絵日記』バーナード・リーチ 柳 宗悦  訳(リーチが描いた火の見櫓のスケッチが掲載されている)

これからも小説などを読んでいて火の見櫓が出てくればこのリストに加えていきたい。


※ 今後発表される現代小説に火の見櫓が出てくることはまずないと思われる。既に火の見櫓は現役を引退している。だから作者も読者も関心が薄いだろう。

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松本の火ノ見場

2024-06-25 | g 火の見櫓考〇

 
 松本市立博物館で「明治十三年六月 御巡幸松本御通図」を見た。明治天皇の松本行幸の様子が描かれている。写真はその一部分で右上に女鳥羽川左岸にあった開智学校が描かれている。

私が注目したのは火ノ見場。その部分を切り取った写真を下に載せる。開智学校との位置関係から本町通りと判断できる。高さ10m超と思われる火の見櫓(火ノ見場)が描かれている(絵図中に火ノ見場という表記あり)。

 
錦絵には1880年(明治13年)6月に行われた行幸の様子が描かれているのだから、この火の見櫓はそれ以前に建設されたことになる。木造で黒い壁は押縁下見板張りであろう。江戸時代の火の見櫓の仕様と変わらないだろうという推測から。火の見櫓の脚元には柱が何本か描かれているように見える。この錦絵にどのような説明文が付けられていたのか、確認しなかった。機会をみつけてもう一度出かけて確認したい。

360
国立国会図書館デジタルコレクションより


常設展示室の松本城下のジオラマ(この写真に限り2023.10.25に撮影した)には火の見櫓はない。1657年の明暦の大火の翌年、江戸城下に初めて火の見櫓が建てられ、火の見櫓の歴史が始まったのだが、江戸時代後期(ジオラマは1835年(天保6年)の絵図などを基にしている)の松本にはまだ火の見櫓は無かったのだろうか・・・。


 

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火の見櫓建設費用の負担

2024-06-10 | g 火の見櫓考〇


 火の見櫓の建設費用はどうしていたんだろう・・・。

全額公費で、あるいは全額個人の寄付で賄うケース、全額地元住民が負担するケース、それからこれらの複合ケースがあっただろうと考えていた。一昨日(8日)火の見櫓建設の費用負担に関する資料が見つかった。

以下その報告。

上掲写真の火の見櫓は長野県朝日村西洗馬に立っていたが、隣りの消防団詰所と共に撤去された。見つかったのはこの火の見櫓の建設に関する資料。

この火の見櫓の建設工事契約書の写しと竣工記念写真は手元にある。契約書には請負金額  拾参萬圓也と記されている。記念写真には朝日村消防団第5分団 警鐘楼竣工記念 昭 30.8.12と文字入れされている(第5分団の第は略字)。

火の見櫓と消防団の詰所があった敷地には西洗馬公民館があるが、近々解体されることになっている。それで、一昨日の午前中にこの公民館2階の図書室に長年保存されていた書類等が一般公開されると知り、出かけた。この火の見櫓建設に関することが記載されている書類があるのではないか、と思ったので。


座卓に並べられた何点もの資料。


火の見櫓が建設された年、今から69年前の昭和30年(1955年)の記録簿を見つけた。火の見櫓の建設工事の契約日はこの年の6月21日、ということは契約書の写しで分かっている。予想していた通り、記録簿に建設費用支出に関する記録があった。

「警鐘楼建設補助金の件」 村費支辨(弁の旧字)以外不足金40,300円(記録簿には漢数字で書かれている、以下同じ)について各戸金100円平均負担として残り金13,000円を区にて負担するという内容が記されている(誤読はしていないと思う)。

この記録簿は上記の通り、自治体(村)と地元の区(西洗馬区)と地元住民が建設費用をそれぞれ負担したことを示す具体的な資料として貴重だ。

記録簿は今後も保管する予定、と聞いている。


記録簿には起工式が8月1日に、竣工式が8月12日に行われたことも記されている。これは契約書の工期(昭和30年6月21日~8月20日)より短い。

やはり記録するということは大事なことだと、改めて思った。


 

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屋根のてっぺん

2024-05-28 | g 火の見櫓考〇

 
左(上):朝日村針尾               右(下):朝日村小野沢

 火の見櫓のある風景で取り上げた2基の火の見櫓。どちらも3柱1構面梯子33型(屋根と見張り台の平面が3角形)という同じタイプ。でも細部を観察すると両者の違いに気がつく。例えば屋根。

 
ともに反りのついた3角錘(平面は3角形)の屋根だが、右(針尾)の屋根には蕨手が無い。びっくりするのはてっぺん。尖がった先っちょまで一体にしている。これはすごいとしか、言いようがない。

火の見櫓のある風景を見て終りではなく、細部まで注意深く観察したい。


先端部 溶接してシームレス(材料の一体化)にしている。


 

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「重伝建」 選定への期待

2024-03-30 | g 火の見櫓考〇



 今月(3月)15日、文化審議会が国の登録有形文化財に登録するように文部科学大臣に答申した長野県内の建造物は12件。その中に辰野町の3件、「旧小野村下町火の見櫓」と「旧小沢家住宅主屋」、「旧小沢家住宅表門」が入っている。このことを翌16日の信濃毎日新聞他、地元紙が報じた。

小野下町の火の見櫓が国登録有形文化財へ登録されれば、長野県内初。鉄骨造の火の見櫓としては全国で6基目。このことに祝意と感謝の意を表し、26日に拙著『あ、火の見櫓!』を辰野町の図書館に寄贈した。このことを信濃毎日新聞他、地元紙が27日に報じた。

昨日(29日)信濃毎日新聞社 伊那支社から上記の記事が掲載されている2日分の新聞が郵送されてきた。感謝。

上掲見出しの記事が飯田伊那版の地域面(2024年3月16日付 紙面の22面)の大半を占めている。小野の答申建造物3件のカラー写真が掲載されているが、火の見櫓の写真は縦15.8cm×横7.2cm、と大きい。掲載紙の購読者がこの記事で火の見櫓に関心を持っていただければうれしい。今回の3件が登録有形文化財に登録されれば、辰野町の登録有形文化財は7件となるが、その内の6件が小野宿の建造物だ。

上掲見出しの信濃毎日新聞の記事は次のように結ばれている。**町教委学びの支援課は「宿場町だった小野宿の町並みが評価されてありがたい。保存の機運を高める一助となればいい」としている。**

また、やはりこのことを取り上げた、たつの新聞も**町教育委員会は「新たな登録によって町内外の多くの人が小野宿に関心を持ち、町並み保存について深く考える切っかけになれば」としている。**と報じている。

そうなると次のステップとして見据えるのは小野宿の重伝建、重要伝統的建造物群保存地区に選定されること。名称からも分かるがこれは建造物単体ではなく、群としての選定で、ハードルはかなり高い。文化庁のHPを見ると、2023年(令和5年)12月15日現在、全国で127地区が重伝建に選定されており、長野県内では7地区選定されている。

新聞記事が伝える辰野町の教育委員会のコメントには重伝建という名前は出ていない。だが、それを意識していることがなんとなく窺える。小野宿の修理修景事業に取り組むことにもなるだろう。今後の活動に注目したい。


 
拙著寄贈のことがXに投稿されていた。投稿者の了解を得たので転載する。
画像提供:知人のKHさん(4カット中2カット掲載)


 

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火の見櫓に関する取材を受けた新聞記事の記録

2024-03-28 | g 火の見櫓考〇

火の見櫓に関する取材を受けた新聞記事の記録


信濃毎日新聞デジタル(2023.03.27)

① 2012年  9月18日 タウン情報(現MGプレス):魅せられた2人の建築士が紹介  火の見やぐら
② 2014年  4月18日 信濃毎日新聞:われら「火の見ヤグラー」
③ 2019年  5月26日 中日新聞:奥深い魅力のとりこに 県内外の火の見やぐら巡り ブログで紹介
④ 2019年10月21日 MGプレス:「火の見ヤグラー」魅力まとめて本に
⑤ 2019年11月 * 旬 Syun! :魅せられた“火の見ヤグラー” の本刊行      (* 月1回発行)

⑥ 2019年11月16日 市民タイムス:火の見櫓の魅力1冊に
⑦ 2020年  8月13日 市民タイムス:スケッチ「火の見櫓のある風景」(市民の広場 私の作品)
⑧ 2020年  8月23日 中日新聞:合理性追求 構造美しく 
⑨ 2022年  4月21日 日本経済新聞:火の見櫓  孤高の姿撮る(文化面)
⑩ 2022年  8月10日 たつの新聞:地域の「火の見」の魅力学ぶ

⑪ 2023年12月24日 中日新聞:しなのQ&A   火の見櫓    役目終え無用の長物?  地域史の生き証人  保存、活用の事例も
⑫ 2024年  3月16日 読売新聞:辰野の火の見櫓 国文化財に 文化審答申 地域のランドマーク(長野県版)
⑬ 2024年  3月16日 たつの新聞:小野の建造物3件 国登録有形文化財に 国の文化審議会が答申
⑭ 2024年  3月16日 信濃毎日新聞:登録有形文化財 県内初 火の見やぐらも(飯田伊那版)
⑮ 2024年  3月27日 信濃毎日新聞:上掲写真デジタル版の見出し(紙面の見出しとは異なる)

⑯ 2024年  3月27日 たつの新聞:火の見やぐらに関心寄せて
⑰ 2024年  3月27日 長野日報:コラム 見出し無し


 

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新聞記事の記録 追記

2024-03-22 | g 火の見櫓考〇


 上伊那郡辰野町小野に立っている「旧小野村下町火の見櫓」を旧小澤家住宅(油屋)主屋と表門と共に国登録有形文化財にするよう今月(3月)15日、国の文化審議会が文部科学大臣に答申したことが16日付の新聞各紙で報じられた。

私はこの件で地元のたつの新聞からも取材を受けていた。今日(22日)、記事が掲載されている16日付 たつの新聞が郵送されてきた。電話取材だったが、この火の見櫓についての私の説明などがきっちり書かれている。

**平林さんによると鉄骨造の火の見やぐらの登録は5件とわずか。地域のランドマークである下町の火の見やぐらが県内第1号として登録されると「住民からの認識が変わる」とし、「ほかの市町村でも主だった火の見やぐらを撤去せずに残す動きが出てくれば」と期待を込める。** 記事はこの様に結ばれている。そう、この様に私は願っている。

一方で同日、16日に「市民タイムス」には「火の見やぐら 撤去進む」という見出しの記事が掲載された。塩尻市が老朽化した火の見やぐら(新聞記事では火の見やぐらと表記されることが多い)の撤去を少しずつ進めている、という内容で**消防団各部で必要とする20基を残して順次解体していく方針だ。**と記事のリード文の結びにある。これが各自治体の対応の現状だ。このような状況にあって、小野の火の見櫓が登録有形文化財になるということは意義深く、大変うれしい。

登録有形文化財に登録されている火の見櫓(過去ログ

火の見櫓に関する取材を受けた新聞記事の記録

① 2012年  9月18日 タウン情報(現MGプレス):魅せられた2人の建築士が紹介  火の見やぐら
② 2014年  4月18日 信濃毎日新聞:われら「火の見ヤグラー」
③ 2019年  5月26日 中日新聞:奥深い魅力のとりこに 県内外の火の見やぐら巡り ブログで紹介
④ 2019年10月21日 MGプレス:「火の見ヤグラー」魅力まとめて本に
⑤ 2019年11月 * 旬 Syun! :魅せられた“火の見ヤグラー” の本刊行      (* 月1回発行)
⑥ 2019年11月16日 市民タイムス:火の見櫓の魅力1冊に
⑦ 2020年  8月13日 市民タイムス:スケッチ「火の見櫓のある風景」(市民の広場 私の作品)
⑧ 2020年  8月23日 中日新聞:合理性追求 構造美しく 
⑨ 2022年  4月21日 日本経済新聞:火の見櫓  孤高の姿撮る(文化面)
⑩ 2022年  8月10日 たつの新聞:地域の「火の見」の魅力学ぶ
⑪ 2023年12月24日 中日新聞:しなのQ&A 火の見櫓 役目終え無用の長物? 地域史の生き証人 保存、活用の事例も
⑫ 2024年  3月16日 読売新聞:辰野の火の見櫓 国文化財に 文化審答申 地域のランドマーク(長野県版)
⑬ 2024年  3月16日 たつの新聞:小野の建造物3件 国登録有形文化財に 国の文化審議会が答申


 

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長野県辰野町の火の見櫓が登録有形文化財に!

2024-03-16 | g 火の見櫓考〇


 
文化庁のHPより(一部切り取り)

 昨日(15日)開催された文化審議会が、同文化財分科会の審議・議決を経て、新たに121件の建造物を登録有形文化財に登録するよう文部科学大臣に答申したということが文化庁のHPに掲載されているが、答申された建造物の中に上伊那郡辰野町小野の火の見櫓(写真①)が入っている。昨夜、文化庁のHPを閲覧して確認した。尚、辰野町では同地域の小野宿にある旧小澤家住宅(油屋)の主屋(写真⑦)と表門も登録申請していて、答申リストに入っている。


今回の件で3紙の取材を受けた。読売新聞(3月16日付24面地域面)が大きく紙面を割いて報じていた。

**「火の見ヤグラー」を名乗る平林さんは、火の見櫓が国登録有形文化財になることに「地域のランドマークの役割もあるし、自分たちの地域は自分たちで守るという地域愛の象徴でもある。これを機に改めて目を向けてもらえれば」と話している。** 私が伝えたいことをきっちり記事にしていただいた。

 
この火の見櫓は初期中山道、その後伊那街道の宿場であった小野宿(辰野町小野)の南端に位置している。ランドマークとしての存在であることが理解しやすい立地だ。


小野下町の火の見櫓が登録有形文化財に登録されることになった経緯を記しておきたい。

以下の通り幸運が重なった。

2019年11月6日 私はこの日、FM長野の「ラジモ!」という平日夕方の帯番組(現在は放送されていない)に出演して火の見櫓について語った。その際、この火の見櫓を紹介した。幸運にもこの放送を偶々、辰野町の職員の方が聞いておられた。

「憑の里 まちづくり通信」という地元地域の広報紙(令和2年(2020年)3月37日)にこのことに関する記事が掲載されている(写真③)。




記事から引用する。**昨年(注:2019年)の十一月六日の夕方に、FM放送を聞いていると、「長野県一美しい火の見櫓は小野の雨沢の火の見櫓だ」という話が聞こえてきました。(中略)雨沢の火の見櫓が県内一美しいと語ったのは平林勇一さんで、県内はおろか、県外の火の見櫓まで写真に収めている方で、火の見櫓の本まで出版しています。その方が、ラジオ番組で、雨沢の火の見櫓を紹介してくれました。ありがたいことです。全国では、登録有形文化財に登録されている火の見櫓もあるようです。** この記事は**登録有形文化財も夢ではないかもしれません。**と結ばれている。

この記事から分かるように町の職員の方が火の見櫓が文化財であるということを理解していただいていたことも大きい。私にとって、このような認識は大変うれしい。そして幸運なことにこの職員の方は今までの登録申請を担当しておられた。

この火の見櫓が立っている小野地区には既に登録有形文化財に登録されている建造物がある。旧小野村役場庁舎(写真④)及び土蔵(共に2018年登録)、旧小野湯便局局舎(写真⑤ 2022年登録)だ。


④ 旧小野村役場庁舎


⑤ 旧小野湯便局局舎

辰野町の担当課では既にこれらの建造物の申請手続きを経験し、手続きの流れを理解できていたことも幸運だったと思う。書類はそれ程のボリュームにはならないが簡潔にポイントを押さえた報告書、添付資料を作成することは容易ではない。私は報告書の中のこの火の見櫓に関する技術レポート作成のお手伝いをさせていただいた。

辰野町の担当者の労をいとわない姿勢に敬意と感謝を表したい。そのような姿勢なくして、火の見櫓の登録有形文化財への登録は到底実現しなかったと思う。

この火の見櫓を建設した鐵工所は既になくなっているが、私は火の見櫓が縁で鐵工所の経営者のご子息と知り合い、この火の見櫓に関する資料(契約書、図面、建て方の様子等を写した写真他)を見せていただいたことがある。この火の見櫓は1955年(昭和30年)の7月から8月にかけて建設されたがその時の資料が保管されていたことも幸運だった。この貴重な資料は文化庁に提出された書類に添付された。拙著『あ、火の見櫓!』にもそれらの資料を掲載させていただいた(写真⑥)。



旧小澤家住宅(油屋)


以下、改めて登録有形文化財に登録されることになった火の見櫓を紹介したい。


この火の見櫓が登録有形文化財に登録されるということで新聞3紙から取材を受けた。私はこの火の見櫓の美しさに注目したのだが、そのことを説明した。

美しいかどうかは一般には主観による。だが、この火の見櫓の美は構造的な合理性に因るもので、客観的な美であることを説明したかった。だが、この構造力学的に合理的な形、即ち地震力や風力に無理なく抵抗できる形、それは曲げモーメントを示すグラフの曲線に沿う形なのだが、そのことを分かりやすく説明するのはなんとも難しい。曲げモーメント、内部応力などの専門的な用語は使えない。

電柱間に張られた電線はたわむけれど(カテナリー曲線、懸垂線と呼ばれる)、それは自然(重力)の力によるものであって、そこに人の作為はない。自然の求めに素直に応じた形こそ美しい。例えば幹から出ている枝にぶら下がると枝の付け根で折れる(例外はあるだろうが)。枝の付け根に一番力がかかるから。積雪荷重が仮に等分布的にかかった場合でも同じ。それで枝の付け根のところを太くして丈夫にしている。この火の見櫓も自然の求めに素直に従って脚の根本まで末広がりの形をしている、というのはなんとも情緒的な説明だが・・・。

それに屋根と見張り台の大きさのバランスが良い。さらに脚がトラス構造であり(単にトラス構造と言うだけでなく、その形状も好ましい)、構造的に丈夫であるし、櫓の荷重をきっちり受けとめて踏ん張っているということが視覚的にも分かる。

構造的合理性を備えた末広がりの櫓(写真⑧)、屋根と見張り台の大きさの適度なバランス(写真⑧)、好ましいトラス脚(写真⑪)。この火の見櫓はこの3点が体現されていていて実に美しい。






登録有形文化財の火の見櫓及び関連建造物 一覧(●印は鉄骨造の火の見櫓)

前野町火の見櫓● 岐阜県各務原市
浅野川大橋詰火の見櫓● 石川県金沢市
山桜神社火の見櫓 岐阜県高山市
旧京橋火の見櫓● 岡山県岡山市
三宅区火の見やぐら 福井県若狭町

三宅区火の見櫓倉庫 同上
竹田火の見やぐら● 京都府京都市伏見区
東京都広尾小学校 東京都渋谷区
今井家住宅西洋館 新潟県燕市
旧岩渕火の見櫓● 静岡県富士市

旧小野村下町火の見櫓● 長野県辰野町 


 

コメント (4)
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