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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

路上観察 まだまだ蔵

2009-08-30 | g 蔵観察・蔵考〇



■ 路上観察、今回は塩尻市洗馬の蔵。もっと正面から写真を撮りたかったが、手前の木が邪魔をしていた。

資料には表日本では簡素なものが多く、裏日本では装飾過剰なものが多い、とある。裏日本は冬、雪に覆われて無彩色の世界になってしまうことと無関係ではないかもしれない。そういえば九谷焼も色彩が豊かだ。

松本平辺りは両者の中間的な意匠なのだろう。蔵の窓廻りの意匠は無彩色、形はシンプルだが洗練されたものが多い、と思う。

この蔵はまぐさ(窓上の梁形)が曲線で構成されていて、濃い黄色が使われている。塩尻市洗馬では何棟もの蔵を見かけているが、彩色された蔵を他には知らない。

探せばまだまだいろんな蔵と出会うことが出来そうだ。

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カフェで読書

2009-08-23 | g 読書日記



夏のフォトアルバム 090822

昨日(22日)の夕方、「あの夏、少年はいた」持参でカフェ・シュトラッセへ。収録されている資料「教生期」を読む。雪山汐子さんは教生として国民学校で過ごした一夏の出来事をノートに綴っていた。その200頁にもなる記録からの抜粋。

**わき立ちて一斉にあげる子らの手やわれにむかひてかくも直ぐなる** 初授業の様子を詠っている。

**警報、解除になってほっとする。日本はどうなるのか。午前中は防空壕の整備作業。すっかり疲れてゐる。(後略)** そうか、戦争中だったんだ、と改めて思う。

それにしてもすごい、二十歳になるかならないかの教育実習生がこんな記録をつけていたなんて。

教え子の岩佐さんが深夜に見たのはDVDに録画しておいた「戦争を伝える」というシリーズ。その中で放送した「昭和万葉集」という番組だった。略歴年表によると、1979年に講談社刊行の『昭和万葉集』に短歌4首が掲載され、同名のテレビ番組の取材を受けて放送されたのだった。汐子先生が55歳の時だった。

短歌を詠んでいなければ番組に出ることもなかった・・・。いくつもの偶然が重なって再会できた二人。奇跡としか思えない。

事実は小説よりも奇なり、か・・・。

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「あの夏、少年はいた」

2009-08-22 | g 読書日記

 終戦記念日の夜、NHK衛星第2テレビで「あの夏 60年目の恋文」というドキュメンタリー番組を観たのは全くの偶然でした。

新聞のテレビ欄で「食は文学 荷風と谷崎」という番組を見つけて、観ようと思っていたのですが、観ることが出来ずにその後に放送されたこのドキュメンタリー番組を偶々観たのでした。

この番組の元になったのがこの『あの夏、少年はいた』という往復書簡集だと知って、早速注文しておいたのですが、昨日届きました。



太平洋戦争の末期、昭和19年の夏、奈良の国民学校の4年生だった岩佐さんは教生として教壇に立った10歳年上の雪山汐子先生に淡い恋心を抱いたのでした。

それからおよそ60年という歳月を経て、NHKの「戦争を伝える」という番組で汐子先生の消息を偶然知った岩佐さんは**あの昭和19年の夏、御本人の計り知れぬところで、あれほどまでに恋い焦がれていた少年のいたことを、素直に受け止めていただきたいと思うのです。**と先生に「恋文」を送ったのでした。この手紙から始まったふたりの往復書簡を収録したのが本書です。

ふたりの豊かな表現の手紙に惹かれました。岩佐さんは映像作家として活躍しておられ、雪山(旧姓)さんは歌人であり児童文学作家ですから当然かもしれません。

60年経っても岩佐さんにとって雪山さんはやはり先生なんですね。手紙からそんな雰囲気が感じられます。

当時雪山先生がつけていた「教生日記」が見つかってふたりの前に60年前の夏が甦ってきます。日記には岩佐少年の「このごろの雨」という詩も記されていて・・・。

「「往復書簡」を読んで・・・」という章には8人の感想が載っていますが、女優の吉行和子さんの「羨ましい」という文章が印象的でした。

吉行さんは新宿の喫茶店で直接岩佐さんからこの奇跡としかいいようのない体験を聞いた時、今日はこれで帰りますと早々に席を立ってしまいます。そして泣きながら新宿の地下道をずっと歩き続けたのでした。

一体なぜ泣いてしまったのか・・・、**あれはきっと、羨ましくてたまらなかったのだ。そんな素敵な思い出を持っていることに、そして、私なんか、何もないよ、と情けなかったのだ。**と吉行さんは振り返っています。

60年ぶりに初恋の先生と奇跡の再会を果たした上に、交わした手紙をまとめた本まで出版できたなんて、岩佐さんが羨ましい。

『あの夏、少年はいた』川口汐子、岩佐寿弥/れんが書房新社

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「あの夏 60年目の恋文」

2009-08-17 | g 読書日記

 太平洋戦争の末期、昭和19年の夏・・・。奈良の国民学校の4年生だった少年は教生(教育実習生)として教壇に立った10歳年上のお姉さん先生に淡い恋心を抱く。

それから60年後(!)、偶然あるテレビ番組によって先生の消息を知り、手紙を出す。少年は映像作家として活躍し、先生は児童文学作家、歌人として静かに姫路で暮らしていた。

60年前の教え子から恋文を受け取った先生の驚きと戸惑い・・・。先生は迷いつつも返事を書く。こうして始まった手紙のやりとり。そして再会を果たすふたり。遠い遠い記憶の共有・・・。

一昨日、終戦記念日にNHKでこのドキュメンタリー番組を観た。教生を演じた女優の魅力的な笑顔、利発そうな少年。80歳を過ぎた元先生の凛としたお姿(ご本人)、手紙を送った岩佐氏は髭をたくわえたカッコいい老人(こちらもご本人)。

それにしてもドラマチックで幸福な偶然だ。番組を観ていてなぜか涙がこぼれた。いい人生だな~という感動か、羨望か・・・。いや、恋とは甘く切ないものなのだ。

ふたりの書簡は『あの夏、少年はいた』というタイトルの本なっている。今日注文した。番組でも紹介された美しい日本語、豊かな表現で綴られたふたりの手紙を味わいたい。

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メディア・アーキテクト

2009-08-16 | g 読書日記


以前展覧会(←過去ログ)で買い求めた絵はがき 
「画家」ル・コルビュジエの作品

『ル・コルビュジエ 近代建築を広報した男』暮沢剛巳/朝日選書

 例えば円柱(そう、茶筒のような形)を立てた状態で横に切れば切断面は円になり、縦に切れば四角になる。どのように切るか、切り口によって切断面の形は異なる。このことは人物像にも当て嵌まるだろう。

**20世紀最大の建築家とも称されるル・コルビュジエに関しては、すでに膨大な文献が存在する。類書にはない独自の特徴を打ち出す必要を痛感した私は、本書において、建築作品ばかりでなく、絵画や、著作などの多岐にわたる活動も広く検討の対象として、ル・コルビュジエの人物像や代表作をさまざまなメディアとの関連を通じて読み解いていく、いわゆるメディア論のアプローチを採用することにした。**

**ル・コルビュジエが多くの著書を出版し、雑誌を編集し、絵画、音楽、写真などにも深く関与するなど、メディアの問題に人一倍自覚的であり、同時代のほかの誰よりも積極的にメディアを活用した建築家であったことを強調したかったからである。** 「近代建築を広報した男」というサブタイトルの意図をこのように説明しているように、暮沢氏は美術評論家としての独自の切り口、アプローチによってメディア・アーキクト ル・コルビュジエというおそらくいままで示されたことのない人物像を浮かび上がらせている。

もっと建築作品にも触れて欲しかったというのも正直な感想だが、本書に提示されている未知のル・コルビュジエ像を興味深く読んだ。


 

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路上観察 まだまだ蔵は続く・・・

2009-08-15 | g 蔵観察・蔵考〇




松本市今井にて路上観察

 松本市今井の蔵。このところ蔵の妻壁の開口部周りのデザインに注目している。なんの飾りもないプリミティブな開口部。

①の蔵は漆喰仕上げが施されておらず、本来は下地の土壁表し(あらわし 建築用語として普通に使うことばだが、「この使い方変ですよ」と指摘されたことがある)のままだ。素朴な味わいの蔵。

②の蔵は漆喰で仕上げてある。地棟の小口の仕上げに家紋などを入れる場合が多いがこの蔵は無地。その下に小さな窓というか、通気口が設けられている。腰壁はなまこ壁にすることが多いがこのふたつの蔵は上部の壁と同じ仕上げをしている。

下は朝日村で見かけた蔵の平側の様子。入り口の上部に床をつくって物が置けるようにしている。松本地方でよく見られる形式。③は木組み表しだが、ここを④のように漆喰仕上げにすることの方が多い、と思う。


朝日村古見にて路上観察

朝日村西洗馬にて路上観察

腰は共になまこ壁。なまこ壁の名は瓦と瓦の間の隙間にかまぼこ型に盛り上げた漆喰の断面が海鼠(なまこ)型になっていることに由来するといわれている(「民家のデザイン」川島宙次/相模書房などによる)。③の蔵は亀甲模様。

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「ル・コルビュジエ 近代建築を広報した男」を読む

2009-08-15 | g 読書日記
『旅人』湯川秀樹/角川ソフィア文庫読了。日本人初のノーベル賞受賞者 湯川秀樹が50歳の誕生日を迎えたことを機に自身の思索の旅を振り返る。

**未知の世界を研究する人々は、地図を持たない旅行者である。地図は探求の結果として、できるのである。目的地がどこにあるか、まだわからない。もちろん、目的地へ向かって真直ぐな道など、できてはいない。**

幼少の頃から大学で理論物理学、量子論を研究するに至るまで(二十七歳数ヶ月になるまで)、学究の日々を淡々と綴る。

**あくる朝になって、昨夜考えたことを思いかえして見ると、実につまらないことである。私の期待は悪夢のように、朝の光とともに消え去ってゆく。こんなことが、何度くりかえされたか知れない。**

研究の道は決して平坦ではなかった・・・。

 *****



 さて、夏休みのもう一冊はこれ、『ル・コルビュジエ 近代建築を広報した男』暮沢剛巳/朝日新聞出版。朝日選書でいい本を見つけた。まずこの表紙の端整なデザインがいい。コルビュジエの代表作のひとつ、ラ・トゥーレットの修道院の遠景写真が綺麗にレイアウトされている。文字のレイアウト、大きさもいい。朝日選書ってこんなに表紙が良かったっけ。

巻末に収録されている参考文献が多い。コルビュジエの略年表や相関図が載っているのもありがたい。

今日はこの本を読んで過ごそう。

昨年の8月15日はこの本を読んでいた。
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路上観察 鄙里の道祖神

2009-08-14 | g 道祖神〇

 路上観察はこのところ蔵ばっかりでした。今回は久しぶりに道祖神です。

長野県の朝日村と隣りの山形村は松本平の西南に連なる里山の麓に位置する農村です。共にかつて高遠藩の飛び地であったことから、高遠の石工が何体もの道祖神を残したといわれています。手元の資料によると朝日村には31体、山形村には40体もの道祖神があるとのことです。


① 朝日村大石原の祝言跪座像 

まずは①、石の形がいいですね。自然石でこのように整った形のものを探すのはなかなか大変だったのではないかと思います。朝日村には抱肩握手像が最も多いそうですが、近年の作には祝言像も多いと手元の資料(「信州朝日村の道祖神」朝日村教育委員会 平成12年再発行)にあります。像が少し磨耗していて顔の表情など細かなところまで確認できないのが残念です。石の裏に明治二十六年十月日 大石 耕地中と刻字されています。


② 朝日村針尾中村の抱肩握手像



② お互い相手の肩に手をかけて別の手で握手をしています。で、抱肩握手像と呼ばれるんですね。下の写真で確認できるように、この像の横に天保四巳三月針尾中村、その下は中でしょうか、と刻字されています。天保四年は西暦1833年ですから、今から176年前ということになります。硬い石質なのでしょう、像は磨耗が無くて鮮明ですし、デザインは形も細部の表現を省略しているところもモダンな印象ですから、とてもそんなに古い像だとは思えません。数年前に彫ったものだと説明されても信じてしまいそうです。おだやかな顔の表情がいいですね。


③ 朝日村御馬越の抱肩握手像



③ この道祖神の裏側に天保十四癸卯年 十月吉日と刻字されています。西暦1843年ですから、②の道祖神の10年後に出来たものだということが分かります。素朴な形の石で像が磨耗していて、古いものという印象を受けます。二体を比較してみると②がやはり相当モダンに見えます。

同時代の建築のデザインが多様なように、道祖神のデザインも石工のセンス、感性の違いによるのでしょうか、やはり多様です。

鄙里の道祖神 過去ログ


 

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「旅人」湯川秀樹

2009-08-14 | g 読書日記


『旅人 ある物理学者の回想』湯川秀樹/角川文庫

先日書店でこの文庫本が平積みされているのを見た。帯の**その寂しさに吸い寄せられてしまう。**という森見登美彦の感想に惹かれた。寂しいということばには弱い。

この文庫の奥付を見ると平成二十年に七十九版、初版発行は昭和三十五年だ。随分長い間読まれていることが分かる。この本が今、何故平積みされているのかは、分からないが、購入。

村上春樹の『1Q84』や高村薫の『太陽を曳く馬』にも惹かれるが、このところなぜか小説を読もうという気にならない。短い夏休みでは読了できないだろうと、購入を見送った。いつか読もう(いつになることやら・・・)。

さて『旅人』、湯川秀樹は京都の街の様子についてこんなふうに書いている。

**私は昔も今も、親しい友だちが少ない。性格的なものもあるだろうが、私が幼年期、少年期を過ごした、京都という町の環境にもよるのかもしれない。**

**京都の人家は、大抵、外部からひどく隔絶されるように出来ている。(中略)住宅街ともなれば、白壁の土塀がつづく。屋根の重い門がある。植込みがある。すまいは更に深いところにある。中庭があり、裏庭があり、たとえ、そこにさんさんと陽が射していても、外からは少しもうかがい知ることは出来ない。これは、京都人の性格を形成するには格好の構えである。いや、とかく心の門を閉ざし易い京都人が、自然に生み出した住居の設計であろうか。**

建築が人の性格に影響を与えるのか、性格が建築を規定するのか。両面あるとは思うが、よく議論されるテーマだ。それを湯川秀樹も考えていたことをこの一節で知った。

**明治――。
その名は私に、アルコール・ランプの上に置かれたフラスコの水が、次第に熱せられて、沸騰してゆく過程を思わせる。
私はその時代の終りに、幼年期を送ったわけだ。(後略)**

あとわずかで読了。
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対馬の倉

2009-08-09 | g 蔵観察・蔵考〇


民家 昔の記録 対馬の倉(8109) *蔵と倉を使い分ける。

 屋根を石で葺くことは別に珍しいことではない。諏訪地方の鉄平石一文字葺きや菱葺き、宮城県の北部、女川あたりの玄昌石うろこ葺き(現在復元工事中の東京駅の屋根にいままで使われていた玄昌石の産地もこのあたりではなかったか)、新島の抗火石葺きなどについては既に取り上げた。実は対馬の倉についても既に書いているが、再度取り上げる。

福岡で行われたある学会の大会に参加した際、「ついで」に対馬を訪ねた。もう随分昔のことだ。小型飛行機が随分揺れて怖い思いをしたことを覚えている。

屋根の平面(ひらめん)には驚くほど大きな石*を使っている。棟の部分の雨仕舞がやっかいだが、何層も細長い石を重ねることで処理している。



石葺きは耕地に恵まれない対馬で穀物をきちんと保存するための知恵だという。石の重量が半端ではないからかなり丈夫に造る必要があり、実際には倉の多くは草葺きで、完全に雨を防ぐことが出来なかったということだ。

柱が1.8mピッチに並んでいなかった。確か1.5m位の間隔だったと思う。屋根の重量を支えるためかもしれないが、場所が対馬故、あるいは朝鮮半島の影響を受けているのかもしれない。異文化を感じる。

関心は海外にまで及ぶ・・・。

貢岩質の粘板岩(『地域と民家 日本とその周辺』杉本尚次/明玄書房1977年発行 による)


 

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松本の蔵

2009-08-08 | g 蔵観察・蔵考〇

    
松本大手にて路上観察

■ 窓に付けられた突き上げ式の鉄扉。支持棒で支える。突き上げた状態で、庇にもなるから小雨程度なら支障ない。

あちこちの蔵を載せたが、今回はこのくらいでオシマイ。人生いろいろ、男もいろいろ、蔵もいろいろ。

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須崎の蔵

2009-08-08 | g 蔵観察・蔵考〇



■ 民家 昔の記録 高知県須崎の蔵(198003)

窓と水切瓦の奇妙な位置関係。もっとも水切瓦は壁を伝わる雨水を切るためにも付けるのだから、この関係もありかな。窓の位置が高すぎて庇が付けられない。

鉄扉が無くなって丁番の痕跡が残るのみ。雨仕舞い上支障ないんだろうか。当然あるワナ。

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佐倉の蔵

2009-08-08 | g 蔵観察・蔵考〇



民家 昔の記録 中村屋乾物店

佐倉で見かけた重厚な造りの蔵。観音開きの扉の裏側が看板になっている。鰹節に勝男節とあてている。

19791010撮影 曇り時々小雨と当時の記録にある。

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近江八幡の蔵

2009-08-08 | g 蔵観察・蔵考〇



■ 腰壁は幅広の板の縦張り、高山の蔵とは違って押し縁が無く、すっきりしている。この板張りの連続が街並みに統一感を与えている(090215)。

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「余命」

2009-08-05 | g 読書日記


 久しぶりの新潮文庫は谷村志穂の『余命』。内容について書こうと思っていたが、考えるところあって省略する。

このところ書店では新書コーナーに足が向いてしまう。小説を読もうと、新潮文庫の棚から取り出した本。この作家の作品を読むのは初めてだと思う。この小説のような設定だったら、涙、涙というところなのかもしれない。が、今回は淡々と読み進んだ。感性が鈍ったか・・・。
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