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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

415 プリミティブな火の見櫓

2013-04-26 | g 火の見櫓観察記

 
415




東筑摩郡筑北村の簡便なつくりの火の見櫓 撮影日 130426

梯子と控え柱を横架材で繋いだ櫓、プリミティブな火の見櫓。

梯子で見張り台に上って回れ右、そして半鐘を叩く・・・。床に木槌が置いてある。柱上端のフックは消火ホースを掛けるため。

筑北村で今でも半鐘を叩いているか訊くことを忘れた。確認する機会はあるだろう・・・。


 

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胎児から新生児へ 驚きのシステム変更

2013-04-24 | g 読書日記



 写真の右下に写っている緑色のテープは30代に読んだ本に貼ってあります。既に書きましたが、20代の時は水色、40代の時には黄色のテープを貼っていました。で、50代では例えば青、60代では赤というように色を変えようと考えていたのです。書棚に本を並べると一目瞭然、これはいいだろうなと学生の頃に考えたのですが、松本市内でこのテープ(レトラライン)が入手できなくなってやめてしまいました。

さて本題、『新生児』山内逸郎/岩波新書を20数年ぶりに再読しました。

羊水に満ちた子宮内の胎児、肺にも羊水がいっぱい詰まっています。肺呼吸はもちろんしていません。それが、誕生の瞬間から急激に肺呼吸へとシステムの切り替えが行われるのです。同時に血液循環システムも急激に変化します。それは一体どのように???例えば肺胞の中の羊水はどこに、どのようにしていくのか?  胎児の生命維持装置ともいえる胎盤との決別はどのように行われるのか?

この新書にはシステム変更の実に巧みなメカニズムが説明図(胎児循環、新生児循環、成人循環)付きで分かりやすく説明されています。

第Ⅰ章 自立への適応 子宮外で生きる
   1 呼吸 肺が開いて始まる人生  
  2 循環 劇的に変わる血の流れ

とりあえずこの部分を読み直しました。 神様(造物主)の設計はすばらしい!


 

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― 消えゆく火の見櫓

2013-04-23 | g 消える火の見櫓 残る火の見櫓


撮影日 130423

 消えゆく火の見櫓。東筑摩郡山形村下竹田地区の火の見櫓と消防団の詰所の解体工事が行われていて、今週末には完了する予定だと聞きました。桜の老木も伐り倒されてしまい、切り株だけがまだ残っています。

この火の見櫓は姿・形が整っていましたし、桜を纏う姿はピカ一でした。残念ながら今年は観に行くことができませんでしたので、昨年撮った写真を載せます。
 
この世の中にあるものはいつかは無くなること、必定とはいえやはり寂しいものです・・・。


撮影日 120424


 

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― こんな火の見もあり!?

2013-04-22 | g 火の見櫓観察記



 北杜夫がドイツの作家トーマス・マンを敬愛していたことはよく知られている。北杜夫の代表作の長編『楡家の人びと』はトーマス・マンの『ブッデンブローク家の人びと』の影響を強く受けているとされている。

北杜夫が学生時代に仙台の街を歩いていて「トマトソース」という広告を目にして「トーマス・マン」と誤認、ギクリとして立ち止ったというエピソードも北杜夫のファンには知られている。このエピソードはこの本にも載っている。



私は今日(0422)、線路沿いに立っているこの信号柱(という名称が正しいのかどうか、鉄ちゃんではないので分からないが)を視界の端に見て、ギクリとして立ち止った。火の見櫓に見えてしまったのだ。

コンクリート製の1本柱に梯子の火の見櫓(便宜的に火の見櫓としておくが、厳密には火の見櫓でも火の見梯子でもない)として、こんなデザインも大いにありだ。




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山周。

2013-04-21 | g 読書日記

そうです、山本周五郎です。

 本稿のタイトルと書き出しはこちらのブログ(←)のパクリです。 ♪ 笑って 許して ちいさなことと  アッコ! じゃなかった、ユミさん!

私は今まで時代小説をあまり読んできませんでした。例外的に藤沢周平の作品を新潮文庫と文春文庫でたくさん読みましたが。

先日、勤め帰りのカフェ・バロで藤周もいいけれど山周もいいですよ~、とすすめられたのが『季節のない街』でした。聞いたようなタイトルだなと思ったんですが、泉谷しげるの「春夏秋冬」の出だしだと後になって気がつきました。

すすめられたのは現代ものの短編集です。私好みの「涙小説」とのことでしたので、早速書店で探しましたが、残念ながらありませんでした。

で、買い求めたのが『人情裏長屋』新潮文庫。山本周五郎の作品は全くの未読、いままで読んだことがありません。この文庫のカバー裏面に**周五郎文学の独壇場ともいうべき〝長屋もの〟を中心に11編を収録。**とあります。

この紹介文で読んでみようと思い、買い求めたという次第です。いきなり長編はしんどいかもと、短編集を探したのです。

今週は山周です。


 

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防火水そう

2013-04-19 | g 地面の蓋っておもしろい〇


撮影日 130419

 火の見櫓と関連する防火水槽の鋳鉄ぶたのデザインに注目。これはレアものだったりして・・・。


 

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「くさる家に住む。」

2013-04-18 | g 読書日記

  
2層目にあるオープンテラス   7層もある住宅(設計事務所併用)

 くさる家? 腐る家かと思った。それだけではないことが分かった。くさるに熟成や鏈るという意味も込めてのタイトルだ。

『くさる家に住む。』つなが~るズ/六耀社 には10軒の住まいと暮らしぶりが紹介されている。その内の1軒は私の友人、S君が自ら設計した自宅「白山通りのいえ」。

この住宅は東京の幅員が40mもある白山通りに面しているのにも拘らず、その通りに開いている(中の写真:何年か前に遊びに行ったときに撮影した)が、それは友人の社交的な人柄の反映だと私は思う。建築、ことに住宅の設計には設計者が意識していなくても人柄、性格が反映されるものなのだ。

本では「都市の中に自生する一本の木のような家」という見出しをつけてこの住宅を紹介している。「一本の木のような家」というのはこの家のコンセプト、特徴を的確に捉えていると思う。

支持層が深いために打設した24mの杭を利用して地中熱を取り出し、その熱を冷暖房に活用するというシステム、この杭は木の根っこそのもの。屋上に設置されている太陽熱温水器は木の葉っぱそのもの。そしてS君が好きな左官仕上げの外壁は樹皮だ、と言ったら、こじつけだと言われるだろうか・・・。

このように木の家というのはただ単に木と塔状住宅(右の写真:大きな開口のある3層目から上部)の形態上の類似性を指しているのではなく、機能上のそれをも指しているのだ。

内部は素材の持つ質感をストレートに表現していて、実に住み心地がよさそうな雰囲気。それが本の写真からも伝わってくる。

豊かな暮らしというのは時間がゆっくり流れていると感じることができるかどうか、という指標で測れるのではないか・・・。この本に紹介されている暮らしぶりを読み、写真を見て、ふとそう思った。


 

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414 筑北村の火の見櫓

2013-04-18 | g 火の見櫓観察記

 
414 東筑摩郡筑北村坂北の火の見櫓 撮影日 130415

平面形が三角の櫓、円形の屋根と同見張り台というオーソドックスなタイプ。梯子の段数はざっと数えて25段、1段を40センチメートルとみると見張り台までの高さは10メートル。見張り台の床面から屋根のてっぺんまで3メートルとみると、この火の見櫓の高さはおよそ13メートルということになる。櫓は緩やかなカーブで末広がりになっている。



ラッパ形というか、アサガオの花のような形の屋根の下に半鐘と照明器具を取り付けてある。床には半鐘の叩き方を記した信号表示板が置いてある。





柱脚のベースプレートを露出させているのは珍しい。コンクリート基礎に埋め込んであるのが一般的。柱材の等辺山形鋼の端部を補強していて、リブまで付けてあるが、アンカーボルトが1本というのは、心もとないような気もする。でもこれで何十年も風や地震に耐えているのだから、問題ないことが実証されていると見てもいいのかもしれない(などと曖昧な表現で逃げておく)。


 

 

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南海トラフ巨大地震

2013-04-16 | g 読書日記



 内閣府の「南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ」が2012年の8月にまとめた南海トラフ巨大地震で想定される最大被害規模では死者が32万人にもなっているという。東日本大震災後、首都直下型地震の発生を予想する研究者もいる。

先日『東海・東南海・南海 巨大連動地震』 高嶋哲夫/集英社新書を読んだ。著者には自然災害をテーマにした著作が何冊かあるが、この本もその内の1冊。

南海トラフ巨大地震によって甚大な被害を被ると想定されている東京から宮崎までの各都県について、作家のイマジネーションと科学的な知見(著者は工学部の出身)によって「その時」の様子をショートストーリーとして描いている。

読了後、これを小松左京の『日本沈没』のような長編小説に仕立てて欲しかったな、と思った。客観的なデータからリアルなその時をイメージすることはなかなか難しい。東日本大震災の被害を繰り返し映像で見てはいるものの、被害の想定規模が全く違う。

想定される未曾有の大規模広域災害に備える。そのためにはまずリアルにそれをイメージすることではないか。


 

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碓氷峠めがね橋

2013-04-14 | g 歴史的建造物〇









 旧信越本線の横川、軽井沢両駅間にある煉瓦造4連アーチ橋を富岡製糸場見学からの帰りに立ち寄って見学しました。



このような説明看板がありました。

この煉瓦橋は取り壊すという計画があったそうです。でも残ってよかったです。この橋のことは以前から知ってはいましたが、やはり訪れる機会がいままでありませんでした。昨日(13日)、明治時代の貴重な遺産を2ヶ所も見学することができ、とても充実した一日となりました。



 

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富岡製糸場の見学

2013-04-14 | g 歴史的建造物〇

■ ようやく念願かなって、昨日(13日)群馬県富岡市にある富岡製糸場の見学に行ってきました。ここには近代日本の幕開けを象徴する建築が建ち並んでいます。

世界最大規模の繭倉庫(東西2棟)と繰糸場という主要な施設を広大な敷地(53,738㎡)にコの字形に配置しています。コの字の中に繭の乾燥場と蒸気釜所、鉄水槽などを配置し、コの字の外側すなわち敷地外周に女工の寄宿舎、工場建設の指導にあたったフランス人ポール・ブリュナの家族の住居(といっても面積は916.8㎡と広い)や病室付きの診療所、フランスから招いた女性技術者(女工に技術指導をした)の宿舎、検査人館などが配置されています。

明治政府が日本の近代化を生糸の生産と輸出に賭けて建設した富岡製糸場。これだけの規模の施設を構想したことと、それを1年数ヶ月で完成させた明治時代の日本の底力に驚きます。140年経過して今なお健全な建築、当時の職人たちの技術の確かさに敬服します。

 

▲ アプローチ道路正面のアイストップは富岡製糸場の東繭倉庫、1階中央のゲートが印象的。ヨーロッパの古い都市空間を思わせる構成。


東繭倉庫 木骨レンガ造2階建て 和の真壁と洋のレンガ 桁行方向の長さ104.4m 梁間方向12.3m 高さ14.8m 明治5年建設



▲ 東繭倉庫正面(東側)外観 木のフレームと両開き扉の繰り返しの構成が美しい。 繰り返しの美学!



▲ 妙義山から伐り出されたという杉材、現甘楽町につくられた窯で焼き上げたレンガ、下仁田の石灰を主成分とする漆喰、連石山(甘楽町)から伐り出してつくられた礎石、地元地消でつくられた施設

柱脚と礎石の固定方法は?



▲ アーチの中央頂部のキーストーンに彫り込まれた建設年



▲ レンガ造アーチの端部と柱の取り合い




▲ 2階床の合わせ梁の小口 雨対策は?



▲ フランス積みのレンガ壁



▲ 裏面(西面)外観 バルコニー式の外廊下



▲ 内観 東繭倉庫1階内部(展示スペース)  木の白い通し柱と2階の床梁

繰糸場 木骨レンガ造平屋建て 桁行方向の長さ140.4m 梁間方向12.3m 高さ12.1m 明治5年建設



▲ 繰糸場北面外観 ガラスはフランスからの輸入品とガイドさんの説明



▲ 繰糸場の内部  木造トラス これぞ繰り返しの美学! 


今回の見学に一緒に行ったY君、運転おつかれさま。Mさん、サンドウィッチごちそうさま。Hさん、また見学に行きましょう。


 

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― なぜ半鐘をまん中に吊るしてないのか?

2013-04-09 | g 火の見櫓考〇

  


東筑摩郡麻績(おみ)村の火の見櫓 

■ 半鐘が屋根下の端に吊るしてあるのはなぜでしょう? 消防団員が見張り台に立って半鐘を叩くときのことを考えれば分かります。半鐘がまん中に吊るしてあると叩きにくいからです。

それ程広くない見張り台に立って半鐘を叩くわけですが、この火の見櫓の場合、信号表示板を正面に見て、見張り台の左側に立って右手で叩くことになるでしょう(右利きの場合)。右手に木槌を持ったつもりになってエア半鐘叩き(?)をしてみてください。半鐘が右側に寄っていないと叩きにくいことは容易に分かりますよね。

もちろん、半鐘を屋根下のまん中に吊るしてあることもあります。見張り台を櫓の中心からずらしてあるものもあります。見た目は共に中心からずれていないで、まん中にある場合が最もいいです。

見た目の美しさか半鐘の叩きやすさか・・・。


この火の見櫓は2回目の紹介です。

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「螢草」

2013-04-07 | g 読書日記



■ 新年度の読書は葉室 麟の『螢草』双葉社でスタートと決めていた。で、昨晩(6日)読んだ。涙小説を人前で読むのはできれば避けたい。

今日は日曜日。雨の中、朝から力仕事をして腰が痛い・・・。もう若くはない。いや、気持ちはまだ若いが体が・・・。ちょっと無理をしすぎたかもしれない。夕方、テレビを見ながらビール。逆か、ビールを飲みながらテレビを見た、ってどっちでもいいや。

葉室 麟という作家が考える「人生、こう生きるべし」をひとりの若い女性を主人公に描いている。ストーリーはシンプル。これは映画化して欲しい作品だ。

で、キャスティング。16歳で奉公に出た主人公の菜々には誰がいいか・・・。若い女優の名前はあまり知らないが最近ようやく覚えた剛力彩芽、イメージは比較的近い。でも彼女ではキャラが濃すぎ、個性が強すぎるような気がする。では他に誰か・・・。

石川佳純! そうだ彼女がいるじゃないか。おおピッタリ! なんてことを書き出しちゃって、アルコール効果かな?別にいいけど。

父親を切腹に追い込み、奉公先の市之進に罠を仕掛けて流罪に追い込んだ憎き悪、轟平九郎。仇討で轟と対峙するときの菜々の眼、それには石川佳純が試合(って彼女は卓球の選手、念のため)で相手のサーブを受けるときのあの眼が相応しい。

では、菜々を自分の妹のように思い、優しく接してくれた奥方様の佐知(なかなかいい名前だ)には誰がいいか?才色兼備な女性・・・、 和服が似合いそうな女性となると・・・、誰? 若いころの竹下景子、いいかも。

では肝心の市之進(って菜々の奉公先の当主、佐知の夫)は誰? 菜々が次第に惹かれていく若き俊才には誰がいいだろう・・・。浮かんでこないな~。

**「おかげで助かりました。本当にありがとうございます。だんご兵衛さんに死神先生、そしてお骨さんと駱駝の親分―」**(259頁) これは菜々の台詞。落語の人情噺に出てきそうな個性豊かな脇役が出てきて、菜々を何かとサポートしてくれるのだ。映画ではこの人たちに誰を充てるか・・・。

ふたりの幼い子どもを残して母親の佐知は亡くなっている。**「正助、とよ、父上と菜々の言うことを、よく聞いて、いい子にするのですよ」**(111頁)と言い残して。その後、父親も囚われの身となってしまう。

菜々は残されたふたりの子ども、正助ととよの面倒を一生懸命みる。そして生活費を稼ぐために大八車に野菜を載せて売り歩く。この姿を思うと涙が出る。あの石川佳純が・・・。

*****

**「だって、菜々に会いに行こうとするのを、邪魔するんだもの」
口を尖らす正助を、とよが、ちょっぴり睨み、諭すような口振りで言った。
「兄上、菜々のことは違う呼び方をしなければいけません。父上がそうおっしゃったではありませんか」**

ふたりのこどもは菜々によくなついているし、菜々は市之進に心惹かれていた。ものがたりは安堵のハッピーエンド。

よかった・・・。

涙、涙・・・。


 

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ふくりんとカエルマタ

2013-04-03 | g 読書日記



 日本の近代建築史が専門の藤森照信さんは東京駅の設計者・辰野金吾を主要な研究対象としていたということだから『日本の近代建築 (上)』岩波新書(93年10月発行)でも辰野金吾の作品についてかなり詳しく論じていて興味深い。

この本のあとがきに**なお、この本以後については、子供の頃から文を書くよりは好きだった、物を実際に作る仕事に手を広げられれば、と願っている。**とある。本当にこのころから藤森さんは建築の設計を始めて(デビュー作の神長官守矢史料官は91年竣工)、縄文建築団の仲間と工事にも関っている。

ところで、『積算資料』という刊行物があるが、その12年11月号に藤森さんは「東京駅その1 日本人好みの赤煉瓦」という論考を寄稿している。

改めて読んでみると、**煉瓦だけでなく目地も特別で、今となっては伝説の“覆輪目地”。**とあって、ふくりんとルビが付いていた。これで覆輪はふくりんと読むことがはっきりした。

さらに**T字状の目地の交点にはカマボコどうしが突き当たった形を正確に現すべく、職人用語でいうところの“カエルマタ”を作る。**と続く。(前文38頁)

目地はふくりん、その交点はカエルマタ。

スッキリ!


 

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