2011 10 09(日)
新潟県柏崎市高柳町岡野町593にある史蹟名勝”貞観園”(ていかんえん)を拝観。
貞観園には県道12号線横にある写能坂という石段をのぼり、小川に架かる小さな石橋を渡って入るのですが、今は柵で閉鎖され出入りは出来ません。
一般観光客は更に25mほど先の建屋から入園料500円を支払って入ります。
広い園内の木立の中に見える大きな入母屋屋根が母屋にあたる貞観堂(天明4年 1784年築)。
貞観堂・貞観園を造ったのは信州から越後に出てきた村山家、最盛期には越後国の12%ほどの面積を所有したという大地主。
豪農の館ですから頑丈な木組みで造られています。貞観堂玄関(家人が使用する行之玄関。賓客用玄関「真之玄関」は別に有ります。)を入ると太い梁で組まれて立柱の少ない広々とした土間が眼に入ります。
貞観堂の板の間に入って上がって気付くのは中央に立てられた古い木柱、説明では江戸時代に中国四川省の娥眉山下の橋から橋材の一部が柏崎の宮川浜に流れ着いたのだそうです。
この木柱は「娥眉山の道標」と名付けられ、この事を聞いた良寛和尚は「娥眉山下橋杭」と題した七言絶句の漢詩を残しています。
現在でも「娥眉山下・・」とくっきりとした刻字が読取れます。
「娥眉山の道標」の置かれた板の間(寄付之間)に飾られていたのは幕末に地元・高柳で生まれた村山致道作画の「鶴と松」の板戸絵。
中央に柱を立てずに梁組でこれほど広い空間が作られている館は全国でも珍しいそうです。
土間から板の間(寄付之間)に上がり、順路に従って右回りに拝観します。
国指定の名勝庭園だけあって庭の素晴らしいこと・・・泉池回遊式で苔で覆われた庭地にさり気なく銘石と池と小亭を配置した遠州流の庭園。
庭園の各所に佐渡産出の銘石“赤玉”も敷かれ緑の中に花を思わせる華やかさなどを演出・・・。
縁側に座って眺めていると時間の経つのも忘れてしまいそうな名園です。
庭に下りてみないと見えない軒下に掛けられた「貞観堂」の扁額。
賓客用の上段之間(「望陽台」)の4枚立て襖絵は江戸時代の絵師・岸駒(がんく)の力作「涛華」。
螺鈿の欄間に金箔の極彩色の絵襖が煌びやかな三の間(仙桃之間)の中央に置かれた古紫檀の机と椅子は明治天皇が北陸巡幸の折に鯨波野立所で使用したとか。
畳廊下の襖もゴージャスな西陣織の龍図、村山家の菩提寺(広済寺)の柱隠しに使われていたそうです。
二の間は「容斎之間」と云われ、勤皇絵師の菊池容斎が幕府に追われ雲水無尽と改名してこの部屋に隠れ住んでいた時に描いた「洛外嵐山」の通し絵の秀逸な大作。
この他にも、貞観園には昭和14年国宝に指定された「薬師瑠璃光如来像」も安置されていたと云います。
18畳敷き広間(老松三鶴之間)の天井には槍や弓など有りましたから、名字帯刀が許された大庄屋だったのでしょう・・・。
越後新潟を代表する豪農屋敷では笹川邸や伊藤家など拝見しましたが、庭の素晴らしさでは新潟随一と思われます。
玄関先の庭も客間から見える庭園と一体になった趣の幽玄美がありました。
新潟の山奥にある庭園ですが、まるで京都の名園に迷い込んだかの風情。
一度は見物したい名勝「貞観園」を訪ねてみては如何でしょうか・・・。 貞観園の詳細はここクリック。
この後は「第638回 狐の夜祭り」に急ぎました。
2011 11 11(金)記。 前橋市 最高気温11.6℃
おまけコーナー。
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