ツトムさん家の写真日記。

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第928回 京都 太秦 広隆寺  大酒神社。

2015-03-19 00:00:00 | 旅行

2015 01 21(水)


東映太秦映画村に隣接する真言宗の古刹“広隆寺”を参詣。
蜂岡山広隆寺は京都最古の寺といわれ、聖徳太子が建立したとも伝えられている名刹。

京福電鉄嵐山線の走る三条通りに面した広隆寺南大門(仁王門 1702建立)から入山。                  仁王門前に立つ「太秦廣隆寺」の大石柱。 

重厚な佇まいを見せる南大門。 門の左右には色褪せた木造の仁王像が見張ります。
  

仁王門から続く石畳の参道を歩くと両脇に諸堂が並び、古寺としての風格を漂わせています。

大きな屋根の薬師堂、催事日以外は扉は閉められています。  参道の右に建つのは講堂(別名は赤堂・1165年築)、本尊に阿弥陀如来像を祀っているそうです。
 

境内では小さなお堂の地蔵堂。 格子戸の隙間から福よかで女性的な地蔵菩薩像(弘法大師の作)が拝見できました。(堂屋に比較すると大きい地蔵像)
 

左は帰化人の秦河勝(はたかわかつ)を祀る太秦殿。  右は手水舎


優雅な風格の本堂聖徳太子を祀る上宮王院太子殿が正式名。 桧皮葺き入母屋造りの本堂は1730年の建立。





本堂に掲げられた銘額。 本堂正面の「大悲救世」扁額。           明治45年奉納の「聖徳皇太子尊」。
 

聖徳太子が制定したとされる十七条憲法の第一条に記された尊い教え「以和為貴」(和をもって貴しとなす」。


本堂(上宮王院太子殿)に安置されている聖徳太子像を納めた金箔厨子。11月22日以外は閉扉。


 

本堂に掛けられた奉納木額を拝見。
 

凡人にはなかなか「終始一貫」出来ません。(大正12年奉納)    大きな(かんな)額も奉納。(聖徳太子は大工職人の始祖・守護神)
 

本堂の裏側に建つ“霊宝殿”(拝観料700円)に広隆寺の所蔵する貴重な仏像が沢山保管されています。 
国宝第一号に認定された「弥勒菩薩半跏像」(宝冠弥勒)もその一つ。
広隆寺弥勒菩薩はアルカイックスマイルの微笑みで知られ、切手にもなった優美な仏像。
ロダンの「考える人」を連想させるので、「東洋の詩人」とも称される。
  


太秦広隆寺の直ぐ近くの“大酒神社”を参拝。 神社名から推察してアルコール類や酔っ払い呑兵衛の神様かも・・・。
  
門前の石標柱には「太秦(うずまさ)明神 呉織神 漢織神」の文字と「蠶養機織管弦楽舞之祖神」と刻字されています。(蠶=さん 蚕かいこ 先先日虫虫)
昔の中国から養蚕・機織り物や音楽・舞踊を伝えた秦氏族に縁がある神社らしい・・・。

丸穴の変わった石碑は皇紀2600年奉祝記念碑。丸穴は日の丸? 手水舎の井戸と水盤は涸れて寂しい状態。
(皇紀=神武天皇が即位した年が皇紀元年 皇紀二千六百年は昭和15年1940年)
 

大酒(おおさけ)神社の本殿(元名は大辟神社 別名は太秦明神)。 祭神には秦始皇帝弓月王(ゆんずのきみ)と秦酒公(はたのさけきみ)と記されていましたから想定外の驚きです!!
中国由来の神を祀っている割には関帝廟に見られる極彩色な異国風でなく純日本風の神社建物。
 
秦始皇帝14世の孫「功満王」が漢土の兵乱を避けて始皇帝の神霊をこの地の勧請した事に由来し、功満王の子「弓月王」が百済から18670余名を引き連れて日本に帰化し、弓月王の孫「酒公」が秦諸族を率いて絹糸・絹織物を生産し朝廷に献上、その功績により天皇から「寓豆麻佐(うずまさ)」の姓を贈られた・・・・・秦始皇帝につながる帰化人・秦一族の氏神社です。

元来は広隆寺の一角に鎮座していたそうですが、神仏分離令でこの地に移されたとの事。

大酒神社は「災難除け」「悪疫退散」に霊験があるそうで、ビールや酒類とは無縁な神社でした。


2015 03 19(木)記。       前橋市       最高気温 13.5℃       最低気温 9.3℃



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