ツトムさん家の写真日記。

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第853回 京都 鞍馬山 5 奥の院道 義経背比べ石 大杉権現社。

2014-03-25 12:00:00 | 旅行

2014 01 17(金)

与謝野晶子ゆかりの冬柏亭横の「これより奥の院へ」の石段を登って鞍馬山の山中の奥の院を目指します。
 
中生代ジュラ紀に形成された砂岩・泥岩や緑黄色頁岩など古生紀の岩石が参道脇に露出し、2億6千万年前に海底火山の隆起によってできた鞍馬山生成の歴史が垣間見られます。

奥之院参道途中で湧き出す清水は「義経公 息次ぎの水」。牛若丸時代に奥の僧正ヶ谷での武芸修行に行くとき喉を潤した清水。
 
800余年後の現在でも湧出、一口飲んで牛若丸になった気分で颯爽と山道を登ります。

ほどなく、山肌の一角に見えてきたのが「屏風坂 革堂の地蔵尊」と呼ばれる地蔵堂。
 

革堂(こうどう/かわどう)とは鹿の皮を着用し、平安末期に街頭で仏の道を説いた比叡山横川(天台宗)の聖“行円聖人”のこと、別名“皮聖人”“皮聖”“皮仙人”と称されて庶民に慕われたそうです。
  
真っ暗な堂内に鹿皮の衣を着た行円聖人地蔵尊石像。              行円聖人画像。

岩石が露出し表土が薄い鞍馬山、参道も次第に樹木の根が浮き出た「木の根道」と名付けられた山道に入ります。
  
路傍には“赤鳴 珪頁岩”と云われる刃物の仕上げ砥石に最適な岩などもそこかしこに露出。

奥之院道への峠地点に到着、小さな御堂と縦長の岩が板囲いの中に・・・。
 

源義経公 背比石」と刻まれた石柱と隣は義経公(牛若丸)を祀った御堂でしょうか・・・?


「義経公背比べ石」の高さは約120cmくらい、土中に埋っている部分を推測してもプラス10cm程ですから、往時の牛若丸の背丈が想像できます。(平安時代の平均身長は161cmほど、弥生時代後期から明治期まで身長は低下。織田信長165cm、豊臣秀吉140cm、徳川家康157cm、犬公方の綱吉は125cm程度。)
   
背比べ石の表には「帰り越し帰り来んとは思へともさだめなき世の定めなければ」と微かに彫られています。

「義経公背比石」脇の木の根が浮き出た杉林の奥108mにある大杉権現社を目指して分け入ります。
この辺りの木の根を詠んだ「下にはふ 鞍馬の山の 木の根見よ 堪へたるものは かくの如きぞ」与謝野 寛の句。
 
「左 魔王尊影向大杉 道」「右 奥之院 〇〇〇義経公兵法場 僧正谷不動堂道」と記された石標柱。

杉林の片隅にひっそりと置かれた「奉納 一字一石大乗妙典一部」の石柱と納経塔。


魔王尊影向大杉林の木の根に脚をとられながら100mも進むと見えてきたのが“大杉権現社”のお堂。
この辺りに魔王尊が焔の君たちを従えて金星から650万年前に降臨したと云われ、鞍馬山信仰の原点地とされます。
 
冬場には訪れる人も少なく、静かな佇まいを見せる“大杉権現社”。 鞍馬山の山林樹木の精霊も祀る御社。

大杉権現社裏の神域には樹齢千年超の御神木がありましたが、昭和25年の台風で幹が折れ、根元の約12mほどが残っているだけの寂しい姿・・・。(拝借画像)
 

次回は義経公背比石から下って、僧正ヶ谷不動堂・義経堂と奥の院魔王堂。


2014 03 25(火)記。     前橋市    桜開花宣言(東京)。   最高気温 23.7℃    最低気温 6.9℃


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