2011 05 04(水・みどりの日)
前回掲載した最初の画像の左手に立つ鳥居を通ると脇に大きな石碑が建っていました。
この石碑は「元寇の戦」で博多湾に多くの土塁を築き、戦功の誉れ高い宇都宮家八代・貞綱公の顕彰碑。(一枚岩の立派な石碑)
しばらく生い茂る林の中を歩むと第二鳥居の金属製の鳥居が現れます。(違和感があり、木製にして~。)
その直ぐ上の広い境内正面に鎮座していたのが国指定重要文化財の“綱神社”。( 旧国宝 益子町上大羽2350)
森閑とした木々に溶け込み素朴な佇まいを雰囲気を見せる綱神社本殿。
拝殿は見当たりませんから本殿のみの神社なのでしょう。
この地を治めていた宇都宮朝綱(ともつな)は藤原行房の訴え(公有田の私領地化問題)により土佐の国に流されました。
朝綱は土佐の賀茂神社に赦免を祈願しそれが叶い流罪を許された後、家督を孫・五代頼綱に譲りこの地に隠居し、土佐の賀茂神社を勧進して綱明神を祭ったそうです。( 旧名・綱明神 )
趣きある優美な茅葺き屋根が特徴の室町時代の神社で、建久5年(1194年)宇都宮朝綱によって建立された三間社流様式神社。(応永6年1399年再建)
祭神は大国主命(別名 阿遅鋤高彦根命あじすきたかひこねのみこと)で農耕の神。
綱神社に向かって左手奥に鎮座しているのが“大倉神社本殿”。( 旧国宝 現在は国指定重要文化財 )
大倉神社も綱神社同様に素朴で優美な造形美を見せる茅葺き屋根が特徴の室町様式の神社。
大倉神社の歴史は古く、大同2年(807年)の創建。初めは近くの愛宕山に鎮座して愛宕神社とか大倉権現と呼ばれ、この地の豪族たちの守護神だったそうです。(大栄7年1527年再建)
大倉神社の祭神も大国主命(別名 大己貴命おおなむちのみこと)。医薬・農耕の神 大国主命には沢山の別名有り)。
大倉神社は昭和25年に綱神社の摂社として同じ境内に移設、同年に重要文化財指定。
綱・大倉両神社参拝の後、神社参道横にある鶴亀池(隠居した朝綱の庭園跡。)を見物しましたが、架かっていた木橋は東日本大震災で崩れて通行止め!
鶴亀池の直ぐ近くにある宇都宮家墓所(益子町上大羽941)を拝見です。
この地方を領有していた名族・宇都宮家歴代の墓が見られます。
贅沢を戒めた宇都宮氏の墓は全て小振りな墓石でした。 中央奥の一番小さな墓石が初代・兼綱公(宗円)の墓石、最後の当主・33代政綱公までの墓石が整然と並べられていました。
下画像は、左から初代宇都宮兼綱 二代宗綱 中興の祖・三代朝綱(地震で頂石が崩落) 一番右は最後の三十三台政綱公の墓石。
名家を誇った宇都宮家も22代国綱の時(慶長2年(1597年)に所領偽証の疑惑で改易され水戸徳川家預かりとなり没落しますが、家臣たちが墓所を長く守って今日に至っています・・・。(三代朝綱の土佐流罪といい、領地争いが多かった家柄。)
いろいろと勉強になる場所が多い益子町でした。読者の皆様も益子町を訪ねては如何でしょうか・・・。
2011 05 20(金) 前橋市 最高気温29.9℃
おまけコーナー。
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