ツトムさん家の写真日記。

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第464回 長野県 穂高神社「御船祭り」 上。 穂高神社散策。

2009-10-25 23:54:46 | 旅行

2009 09 27(日)

海なし県の長野県安曇野市穂高町で海の船に関係したお祭りが行われると聞き、前橋市から上信道と長野自動車道を突っ走って信州穂高町へ・・・。

穂高神社大鳥居に続く大門通りにある巨木「大門の欅」が繁る穂高町役場のP場に車を止め、快晴の参道を歩いて穂高神社(旧国幣小社)へ。

木造の二の鳥居周囲には露店も軒を並べて参詣客や地元の子供たちで大賑わいです。
 
鳥居手前には大迫力の狛犬!!

二の鳥居の左に石造りの立派な手水舎
享保十四年(1729年)の銘文が刻まれた水盤と蛇口の青銅製の龍は素晴しい逸品です。(共に安曇野市の重要文化財)

 
相向かいには御神馬舎が建ち、中には神馬の美しい白馬像があります。
この白馬の煌びやかな鞍や馬具は唐鞍(カラクラ 奈良時代の馬飾り)といわれる貴重な物で、神馬は純粋な木曽駒がモデル。


鳥居をくぐって中に進むと、広い境内の中央には神楽殿(舞殿)との巨木、その後方に清々しく輝く穂高神社本宮拝殿が厳かに鎮座・・・。
信州穂高神社は古代の北九州から移住した安曇族の祖神「海神」を祭神として祭り、高山が連なる日本アルプスの総鎮守として有名です。(祖神=おやがみ。海神=かいじん)
穂高町の穂高神社を本宮として上高地の明神池に奥宮、奥穂高岳山頂には嶺宮が祭られています。


造り立ての社殿は長野県川上村産の良質な米栂(こめつが)の無垢材を使用し今年の5月に建て替えられた、木の香も新しい穂高神社拝殿です。

穂高神社では20年に一度、本殿と拝殿(平入拝殿形式)を建て替える大遷宮が今年行われたそうで、拝殿は外観も内部もピカピカの白木で造られています。
 
(穂高神社HP画像借用)
拝殿の奥には穂高神社御神木をはさんで本殿が三殿鎮座。
大遷宮とは三っの本殿の一殿を新しく造り替え、その鎮座する場所を取り替える祭事とか・・・。


新しく造り替えられた中殿は「穂高見命」(ほたかみのみこと)、左殿は「綿津見命」(わたつみのみこと)、右殿は「瓊瓊杵命」(ににぎのみこと)が祭られています。
中殿のみが屋根の両端に千木(ちぎ)と中央に一本の弓状に据えられた勝男木(かつおぎ)がこの神社だけの形式の社殿で穂高造りと呼ばれています。(一般の神社は勝男木が数本並んだ神明造り,右画像の下部


境内の右側の木蔭に並んで鎮座するのは「若宮社」を中心に「四神社」「保食社」「子安社」・・などの沢山の末社。

若宮社には祭神に「安曇比羅夫命」、相殿神に御伽草子の「ものぐさ太郎」で知られる「信濃中将」を祭っています。
 
若宮社の裏に立つ巨樹は天然記念物「若宮西の欅」。
井上靖著の小説「欅の木」のモデルになった樹で、樹齢500年以上とか。


末社の一っの子安社」はお産の神様。祭神は出産を司る神「木花開耶比売命」(このはなさくやひめのみこと)

安産祈願に可愛らしい子犬絵馬が沢山奉納されていました。

建て替えられた真新しい穂高神社拝殿内部。 

祭壇の奥に大遷宮された新しい中殿と古びた右殿、その真ん中に穂高神社の御神木を見ることができます。

本宮拝殿前の境内に巨立する木は孝養杉。(樹齢500年超・高さ約20m超)
大正時代に近郷の高齢の女性が老いた母親の病気治癒のため、夜中の丑三つ時に白装束でこの杉にお参りしたので孝養杉と呼ばれるようになったそうです。

 
社殿片隅に陳列されていた酒樽は安曇野地区醸造の日本酒の樽。
呑んだことのある酒の名もありました。


穂高神社の裏手を通っている道路は昔の「千国街道」(ちくに街道 別名・糸魚川街道。松本城下から越後糸魚川までの約130km)。
別名「塩の道」とも言い、上杉謙信武田信玄に塩を送ったことで有名な塩街道ですが、綺麗に拡幅舗装され、ここではその面影は見られません。

 
千国街道のそばに沢山の道祖神が並んでいます。名付けて「塩の道道祖神」。

道祖神の多くが仲睦まじい夫婦像です。 なかには良縁に巡り会うという縁結び道祖神もあります。
 
で餅を搗いている「餅搗き道祖神」。杵は男根、臼は女陰を表し、夫婦和合(SEX)の道祖神。(安中市秋間二軒茶屋の道祖神)

大鳥居の横には犀龍(さいりゅう)に跨る泉小太郎の銅像。(犀龍は泉小太郎の母。)
泉小太郎(正式名 日光泉小太郎、穂高見命の化身といわれる。)は犀龍と共に岩を砕き山を削り川を通して、松本盆地一帯を覆っていた湖水を日本海に流し安曇野を造って人々が豊に住めるようにしたという民話で、その時に出来た川が梓川を上流にもつ犀川(さいがわ)と呼ばれるようになりました。
 
「塩の道道祖神群」の近くにあるBOOK型レリーフは御伽草子でお馴染みの「ものぐさ太郎」が何もせずに終日寝そべっていた場所に建てられました。

ものぐさ太郎物語はそのものぐさぶりに辟易した郷民が太郎を使役のために都に追いやり、その後都で才覚をあらわした太郎がやがて信濃・甲斐の国司として信濃中将に任ぜられるというお話です。 
因みに今ある穂高神社はこの信濃中将により造営されたそうです。



境内には穂高神社若宮の祭神として祭られている海族・安曇比羅夫(あずみのひらふ)の像も建てられています。

安曇比羅夫は662年天智天皇の命で170隻の船団を引きいて、百済王子を朝鮮に送り百済国を助けますが、翌年に新羅・唐の連合軍に白村江の海戦で破れ戦死してしまいます。

安曇比羅夫は英智の神として尊崇され、9月27日に行われる穂高神社御船祭り起源(安曇比羅夫の命日)でもあります。
 
古代船に乗って百済国を援けに行く安曇比羅夫像には古代の武人の胆力と英智の面影が垣間見られます。

二の鳥居の近くに屋根覆いで囲われた中に一隻の木造船が置かれていました。
昭和57年の遷宮記念で奉納された神船です。
 
平安時代様式の木造屋形船で、舳先にはユニークな龍神が置かれています。
こんな船で当時の貴族は女官を従えて舟遊びしたのでしょうか?

社務所と参集殿の間の中庭に直立した一本の松の木が生えていました。
この松の枝を下敷きにして山葵(わさび)を献上した際、昭和天皇から「白松」ではないかと言われた由縁の松。


北京の紫禁城に保存されていた種子を昭和15年にこの地に植え、生育させた白松。
中国では厳寒時に幹が白くなるそうで、白松の別名は「虎皮松」。
 
境内の隅に二つの大きな岩を注連縄で結わえた訳ありの仁王石など見所いっぱいの穂高神社でした。

信州安曇野市穂高町の穂高神社はたいへん立派な神社で一見の価値以上のものがあり、是非訪ねたい古社と思います。

近くにある大王わさび農場などもご覧ください。⇒ ここクリック。

次回は穂高神社例大祭“御船祭り”本番です。

2009 10 25(日)  前橋市  最高気温14℃


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