2010 06 25(金)
浅草観音で有名な金龍山浅草寺の本堂をお参りした後、境内に点在する御堂などを散歩を兼ねて見学。
先ずは、仁王門の金蔵門横にある浅草不動尊に参詣。
不動尊の尊像は拝見出来ず、入口横に鎮座する「なでぼとけ」を撫で回して読者様の健康を祈念しました。
次は、近くの「大行院」に立ち寄りましたが、堂内は見れずに手前に座している青銅製の地蔵菩薩に手を合わせます。
本堂への参道を挟んで向かい側に建つ「久米平内堂」にも参詣です。
武術に秀でた久米平内は沢山の人を殺め、後年その供養のため出家し、自らの姿を石に刻ませ仁王門近くに埋め、人々の足で踏んでもらうことで犯した罪を償をうとしました。
後年、その久米平内石像はお堂に安置され、「踏みつけ」が「文つけ」に転じて願文を納めると願いが叶うとされ、江戸時代中期からは「縁結びの神様」として信仰をあつめたそうです。
大営繕中の浅草寺本堂の左手方面を散策。
石積みの五重塔を模した時計台は「平和の時計」、第二次世界大戦の犠牲者供養のため建てられました。
古びた縦長の石塔は安政7年(1860年)に建てられた「迷子しるべ石」。
尋ね人を記した紙をこの石塔に貼り付け、消息や安否の情報を交換したそうで、江戸時代の繁華な地にはこの様な石塔が建てられていました。
すぐ傍には「鳩ポッポの歌碑」もあります。
童謡唱歌で愛唱された「鳩ポッポ」の記念碑です。作詞は東 くめ 作曲は滝廉太郎。
浅草寺境内で遊ぶ子供たちや鳩などを見て「鳩ポッポ」を作詞したそうです。
東 くめ女史(本名 由比くめ)は他にも「お正月」「雪こんこ」「鯉のぼり」など多数あり、日本の代表的童謡作詞家です。
更に浅草寺境内の左奥に進みました。
幾つものお堂や尊像が立並んでいました。
正面の奥には影向堂(ようごうどう)、右手前に見えるのは「恵日須・大黒天」、赤い堂屋は「銭塚弁財天」の御堂。
「恵日須・大黒天」の脇に微笑ましく立っているのは「めぐみ地蔵尊」。
朱塗りの御堂は「銭塚弁財天」。
福徳財運の神様として篤く信仰されています。
境内では様々な尊像に出会えます、左から「子育て地蔵尊」「商徳地蔵尊」そして「出世地蔵尊」。
大きな銅像は慈悲深い「聖観世音菩薩」。
享保5年(1720年)に尾張国の孝山義道の発願で建立された由、当時から浅草寺は全国的に有名だった事が判ります。
小さな御堂は「金龍権現」と「九頭龍権現」。
「金龍権現」は浅草寺御本尊の守護神、ここから浅草寺の山号が「金龍山」と名付けられました。
「九頭龍権現」は雨を司り、五穀豊穣の神。仏法を守り浅草寺の堂塔伽藍の守護神とか。
赤朱塗りは「橋本薬師堂」。
浅草寺の北堀の橋たもとに建てられ北薬師堂(1649年築)、徳川家光が「橋本薬師堂」と命名しました。
古色な御堂は「一言不動尊」。一つだけに限定して願うと必ずや叶うとされている有り難い不動明王様です。
影向堂の前に建つ六角形のお堂は「六地蔵石幢」。
石幢(せきどう)は石塔の一つの形式で内部の石塔に六面の地蔵が刻まれています。
石塔は鎌倉時代、源義朝が参詣の折、鎌田正清が建立したとか・・・。
六角堂の建物は東京大空襲での消失を免れた浅草寺堂宇の中でも古く、西暦1618年(元和4年)の建立と文化10年編纂の「浅草寺誌」に記されています。
世界の平和を六地蔵様に祈念致しました。
次回は浅草寺境内の諸堂の続きと浅草六区。
2010 07 16(金) 前橋市 薄 最高気温31.9℃
おまけコーナー。
青森県南津軽郡田舎館村“田んぼアート2010 (2010年6月)
田舎館村“田んぼアート2009
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