2010 06 25(金)
東京スカイツリーを見物した後、折角だからと久し振りに浅草の浅草寺を参拝。
浅草寺雷門周辺は観光客で大混雑です。
雷門の前の雷門通りからも東京スカイツリーが良く見えました。
実に大きいですね、重量700kgの浅草雷門名物の大提灯。
寄贈者名には昔懐かしい「松下電器産業株式会社 松下幸之助」と記されていました。
松下幸之助翁が今の日本経済を診たらさぞ嘆くことでしょうね・・・。
雷門の名前の通り雷神と風神が門番をして睨みを利かせています。
雷門から浅草寺本堂に続く参道はお土産店が軒を連ねる仲見世商店街。
平日と言うのに人の波が途切れません。
30%ほどが外国人で、その殆どが中国人(台湾人を含む)の観光客で、「銀聨カード」片手に盛んに土産品を物色していました。
浅草名物と云えば“雷おこし”と“人形焼”、仲見世商店街でも何店もの人形焼店が出店し賑わっていました。
参道に浅草の観音様の由来絵図が掲示されていました。
本尊の観音像は浅草沖の海で漁師の網に掛かったそうです。(628年)
浅草寺本堂の少し手前に大きな仁王門があります。
正式には宝蔵門と云い、浅草寺の山門なのです。
宝蔵門の前で可愛いモデルさんの写真撮影に出会いました。
たぶん、浴衣のパンフレット用かと思います。
撮影モデルの直ぐ横に「戦災者供養 平和地蔵尊」。
第二次世界大戦の東京大空襲での死亡者を供養する地蔵尊像です。
平和地蔵像の後ろにある“二尊仏”前でも中国系のモデル撮影中、ミニスカートがよく似合います。
宝蔵門(仁王門)にも大きな提灯! 400kgの重さがあり、日本橋小舟町奉賛会の寄贈です。
大提灯の左右には魚河岸講からの寄贈の吊灯篭。
もちろん、その左右には仁王像です。
宝蔵門の裏側には巨大は草鞋(ワラジ)が架かっています。
長さ4.5m幅1.5m重量500kgの大草鞋は山形県村上市有志の寄贈。
国宝の五重塔は戦災で惜しくも消失し、今見る塔は1973年に鉄筋コンクリで建てられた五重塔です。
浅草寺本堂は巨大な覆い(素屋根)が掛けられ、本堂自体を見ることは出来ません。
本堂屋根瓦の葺き替え中、地震対策として屋根の重量が五分の一になるチタン製の瓦で葺き替えていました。(平成 本堂大営繕)
巨大な仮設覆いの描かれているのは川端龍子画伯の「龍之図」の拡大模写。
工事請負は清水建設、清水建設の創業者・清水喜助は江戸の町方棟梁として名を馳せ、上野寛永寺と浅草浅草寺など名だたる寺社の御用達大工を勤めたそうです。
本堂参詣前に御水舎で身を清めます。
水盤の中央に立つ青銅製の像は仏法を守護する八大竜王の一人の沙竭羅竜王像(さからりゅうおう 明治36年高村光雲の作)。
迫力満点の尊像の上にも龍を描いた真迫の天井画(「墨絵の龍」東 韻光画伯)が見られます。
賑やかな浅草寺本堂内。
本堂で飛び交う言葉は世界各国語、その中でも目立つのはやはり中国語でした。
海から拾い上げられた本尊の「聖観世音菩薩」と慈覚大師の作になる「前立本尊」が安置された大きく立派な厨子。
御開帳日ではありませんから閉じられていました。
観音様を本尊としているので宗旨は聖観音宗(総本山)です。
本堂天井画では中央に川端龍子画伯作の「龍之図」。
屋根瓦葺き替え素屋根壁面の龍画はこの「龍之図」の模写です。
「龍之図」の左右に堂本印象画伯の描いた「天人の図」。
華麗で平和そのものを表した見応えのある天井画です。
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次回は浅草寺境内の諸堂諸仏と浅草六区の散策。
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2010 07 13(火)記。 前橋市 最高気温24.4℃
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