ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第376回 新潟県南魚沼市 越後の名刹・関興寺。 「関興寺の味噌なめたか」

2008-11-28 12:27:27 | 旅行

2008 11 01(土)

日本三大峡谷の一つ、“清津峡”を見物してからの帰路、国道353号から国道17号線に出会う直前に「越後の名刹・関興寺と云う標識が見えました。

帰宅までは時間も充分にあったので、ちょっと寄り道して関興寺の見学に・・・。

木立に囲まれた場所に目指す関興寺の参道と可愛い山門がありました。
 
関興寺の山門には「味噌なめたか」と書かれた大看板が掛っていました。
味噌なめたか」っていったい何のことでしょうか?

山門から本堂に到る参道には清水が湧き出し、周辺が青い苔で覆われて山寺の古刹の雰囲気が漂っていました。
   

高く組まれた石垣は中世の山城のように見えます。

石段を上った正面が関興寺の本堂

関興寺本堂の周囲にも幾つもの仏堂があり、越後の山中としては立派な寺です。
 
経堂の中にあった金箔漆塗りの見事な六角厨子は見応えがあります。人が近付くと照明が自動点灯するのには驚きました。

雪国仕様の堅牢な造りの本堂の前に豪快な岩をあしらった枯山水の石庭

平地にある寺院よりも傾斜が急傾斜の屋根がこの地の雪深さを物語っています。

この関興寺の宗派は禅宗の臨済宗円覚寺派で山号は最上山
約600年程前の応永17年に上杉憲顕の子であった覚翁祖伝和尚によって開かれた寺とか。
その後、長尾氏・足利氏に保護されて隆盛を極め、越後・北陸地方に300余の末寺を有して寺格十万石の格式を与えられた名刹でしたが、再三の戦火で諸堂が焼失し、江戸期に上杉景勝が米沢に移封されるに従ってこの地の関興寺は衰微しました。(替わりに米沢に関興庵が建てられる。)

天正6年(1578年)の上杉謙信病没の後、上杉景勝・景虎の家督争いの戦闘に関興寺が巻き込まれ、堂宇が焼失する最中に時の住持であった雨天是鑑和尚が上杉氏から寄進された大般若経600巻味噌桶の中に隠して兵火の難から護る事ができました。

このことから大般若経を戦火から護った関興寺の味噌を頂くことは大般若経の御利益に授かり、福徳を得ることが出来ると古来云われています。

関興寺に参詣し味噌を頂くことを、いつしか関興寺の味噌なめたかと言いはやされようになりました。

「たれも皆 関興寺味噌 いただきて 身に幸いを 得るぞうれしき」

また、”関興寺味噌なめ”て同じ南魚沼市内に建つ曹洞宗の古刹・雲洞庵の“雲洞庵の土を踏む”と来世には必ずや幸福になれると云われています。

関興寺の味噌なめたか」には尊い由来があったのですね。

本堂内で販売されていた「関興寺みそ」と試食用味噌。 プラスティック壺入り200gは500円。
  
赤味噌を更に熟成させた黒赤色の古味噌。 他では味わえない独特の風味が楽しめます。

関興寺本堂に上がって内部を拝見しました。
欄間には沢山の透かし彫り彫刻。龍や獅子などの伝説動物と草花です。
 
龍の周囲を取り巻く流麗な波彫刻は房総の名匠“波の伊八”を彷彿とさせる出来栄えでした。

関興寺本堂に安置されている諸仏を拝見します。
 
中央には本尊様の釈迦如来像。総金箔造りの有難い御像でした。

本堂の廊下天井に漆塗りの綺麗な駕籠が・・・。
関興寺の住持がこの駕籠に乗っていたそうですから寺の格式が偲ばれます。。
 
本堂入口のガラス戸に来年から始まる大河ドラマ天地人のポスター。
「天地人」は上杉謙信亡き後、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康と渡り合って上杉藩を守った才覚溢れる武将・直江兼続の物語。

直江兼続の甲冑は大きなの文字を前立てにした兜が特徴です。
この“”はLOVEの愛より壮大な仁愛(民を慈しむ)をテーゼとしています。
関興寺のある越後魚沼地方が「天地人」の主役直江兼続の出身地ですから・・・。

清津峡の帰り道に立ち寄った古刹・関興寺で昔の上杉氏に因む言い伝えを見聞できた有意義な日となりました。

2008 11 28(金)  前橋市  最高気温14℃


エイベックスから人見知り、引きこもり用DVD「ミテルだけ」新発売。


インタラクティブDVD サンプルあります。JUST LOOKING! http://avex.jp/miterudake/miterudake.html

ホラー関節人形の「ミテルだけ