ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第330回 長野県佐久市 龍岡 新海三社神社と上宮寺。

2008-06-26 20:20:20 | 旅行

2008 05 18(日)

日本に二ヶ所しかない龍岡城五稜郭を見学して幕末の動乱期の築城に想いを馳せた後、更に1Kmほど奥にある古社・新海三社神社へ・・・。

狭い市道に突如として巨大な鳥居が出現!!
木造両部形式の頑丈な造りの鳥居。
何故か朱塗りは施されていません。 鳥居からは中央に太いしめ縄が垂れ下がっていました。
 
大鳥居を過ぎて坂の車道を上ると、目的の新海三社神社が荒船山系に連なる丘陵の鬱蒼とした木立の中に見えてきました。

社務所脇に無料大P場があります。 「松平石見守乗利 天保6年8月再建」と彫られた大きな手水鉢で清め、石段を登ると正面に何も塗られていない拝殿があります。 拝殿に掲げられた扁額には「新海三社神社」。
 
拝殿の右隣には拝殿よりも大きな舞殿(神楽殿)が控えていました。

拝殿の裏側の一段高い処に新海三社陣神社の御神体を祀る二つの本殿が・・・。
本殿はキレイな朱漆が施されていました。

左奥が恵比寿様を祭る西本社、手前が健御名方命(たけみなかたのみこと・諏訪の祭神で佐久の祭神の父神様)を祭る中本社。
両本社併せて五穀豊穣・家内安全・商売繁盛・子孫繁栄・大願成就・交通安全・・・何にでも効く神様です。

西・中本社の真ん中に、灯篭のようながあります。
名前は御魂代石(みたましろいし)と言うそうです。高さ150cmほどで、胴に龍刻があります。1358年(延文3年)と刻まれていた。 祭神が降臨する石との事です。
 
白木の質素な東本社の裏側に素晴しい三重塔がそびえていました。

新海三社神社の一番の名物・新海神社三重塔(国指定・重要文化財)です。
キハダ葺きの優美なソリを見せる屋根が昔の栄華を語っているようです。
 
新海神社三重塔を構成する木組みは無骨ながら堅牢な安定感を見る人に伝えます。
この三重塔は神宮寺の塔として1515年(永正12年)に建立。神宮寺は明治期の廃仏毀釈令で破壊されましたが、三重塔だけが新海三社神社の宝物庫として免れたそうです。(破壊されなければ七堂伽藍を備えた名刹だったでしょう。)

本来は神宮寺の中に新海三社神社が間借りしていたようです。
「軒先を貸して母屋を盗られる」ってこの事ですかね・・・。

三重塔から東本社に下ってP場への帰路には野仏の列がニコヤカに佇んでいました。

この新海三社神社の辺りが佐久地方では最初に開墾されたと云われています。
新田を開く⇒新開⇒しんかい⇒新海だそうです。
また、開はサクともいわれ佐久の語源とも・・・。

新海三社神社から大鳥居に戻って200mの近い場所に上宮寺がありました。
参道入口に十九夜塔?と彫られた大きな石碑。(十九夜燈でしょうか?)
 
無住寺でしょうか? トタン屋根の本堂にも誰もいません。

この上宮寺こそ新海三社神社に乗っ取られた神宮寺なのです。
現在の正式名は真言宗智山派・新海山上宮寺。(旧寺名は新海山上宮本願院神宮密寺 西暦600年頃の開山。本尊は阿弥陀如来。)
本来の場所から移動させられ、規模の小さなお寺になりました。

この上宮寺の見所は鐘楼に吊られた梵鐘です。
可哀相な鐘楼に吊られた小ぶりな梵鐘は南北朝初期(暦応元年(1238年)の作。
 
戦前は国指定の重要美術品だったとか・・・。現在は長野県宝です。

鐘楼の横に建つ小屋の中には金剛力士像(仁王像)が二体。
筋肉隆々の素晴しい肉体美の金剛力士像。オンボロ小屋には似つかわしくない迫力の像です。
 
風雨に晒されて全身に塗られた漆も剥げて痛ましいお姿です。
仁王像の高さは約260cm。 室町後期(西暦1500年頃)の京都慶派の流れを汲む仏師の作と思われます。 保存を切に願いたいものです。

夕刻まで臼田町周辺を探索してから佐久中込駅前の「鯉料理・三河屋」で夕食。

信州佐久に来たならヤッパ鯉料理ですね!

佐久の鯉料理は2006 10 24佐久市コスモス街道篇で一度紹介したので、今回は簡単な鯉夕食です。
川魚を好まない妻が注文したのは「鯉うま煮御膳」。
 
筆者も食したのは「鯉こく御膳」でした。平皿の小さな焼き魚は珍しい(ハヤ)です。

やっぱり鯉は佐久に限りますね。 清流・千曲川で泳がせての鯉は泥臭さも無くて美味です。 第一に元気モリモリで体に精がつきますね。 昔は妊婦や出産後の栄養として鯉は重宝したものです。最近は店頭で見かけなくなったですね。

五月晴れの一日を充分に遊んでから胃袋に収まった佐久の鯉をお土産に帰路へ着きました。

2008 06 26(木)記。    前橋市  最高気温18℃

梅雨の季節は泥んこ車アート。