キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

映画「ひまわり」50周年HDレストア版

2022年07月25日 | ☆エンタメ-映画

ロシアのウクライナ侵攻以来、ウクライナのひまわり畑をテレビなどでよく見るようになりました。ひまわり油の産地なんでしょう。(ひまわりはウクライナの国花だそうです)

そして、1970年の映画「ひまわり」です。
見たことはありませんでしたが、超有名な映画ですよね。
ウクライナの戦争が始まって以来、各地で上映会をやってる話も聞いていて、近くでやってたら見てもいいかな?なんて思っていました。

そんなとき、熊本の父から連絡が来ました。ひまわりのリバイバル上映を見て、とても良かったという話です。
へー。
父の年代だと初公開時にも見てるのかもしれないですね。


先月帰省したときも、この映画の話を熱く語ってくれました。
父は昔から話が上手くて、あらすじはもちろん、見どころのシーンなどを画面が目に浮かぶように話してくれます。
これはもう自分で見に行かなくてもいいかなと思うほど(笑)

「一度見た方がいいよ」という話なので、アマゾンビデオとかでレンタルしてみたらいいかな?と思ってましたが、そのままになっていました。
そうしたら、土曜日にでかけたみなとみらいでポスターを見かけました。TSUTAYAの二階の小さな映画館で昨日から始まったようです。

午前中に一回だけの上映なので、翌日曜日に出直してきました。
2020年に50周年を記念してHDレストア版というのがリリースされたのだそうですが、今年のウクライナ侵攻をうけて、各地で上映会が行われることになったようです。


100席くらいの映画館(スクリーンは3つ)で、でもひまわりの回を見てる人は5人でした。コロナ感染の不安もなくていいけど。

映画は…たしかに父がオススメしてくれるのも納得。
セリフがあまり多くなく、説明も少ないので公開から50年後に見るのには少し解説がほしい感じはしました。
説明過多なものに慣れすぎてるかも。


・ナポリ娘のジョヴァンナと北の生まれのアントニオが出会ったきっかけは描かれません。アントニオは何しにナポリまで来てたのだろう?

・雪の中瀕死のアントニオをなぜロシア娘は助けたのか?
雪原には大勢のイタリア兵が倒れていたし、そもそも敵なのに?
彼女も家族を亡くして独りぼっちだったのかな?

・村の小さな家から,高層のアパートに引っ越し。かなりの出世に思えたけど、どういう意味があるのかなぁ?


父が見どころのひとつにあげていたのが「毛皮」。
ロシアに出征だからか「毛皮をお土産にすぐ帰るよ」といったアントニオが、ソ連のデパートのようなところでイタリアへの土産に毛皮を買う。高い毛皮と安い毛皮、どっちを買ったかは描かれず、最後にジョヴァンナに手渡すところでやっと判明するのだけど、「さてどっちだったでしょう?」




後で調べて分かったけど、
東西冷戦時に初めて西側の映画のロケがロシアで行われたものだそうで、ロシアのシーンがきれい。建物は荘厳だし、人々の身なりはきれいで、駅にはたくさんのエスカレーター(父はこの映画のエスカレーターに驚いたらしい)

そしてロシアの人々はとても親切。

親切なのはきっとそうなんだろうと思うけど、一般のイタリア人のために、外務省の人が密着ガイドしてくれるものなのかしら?

ソ連時代のロシアの対外イメージのために「盛られた」ところはありそうだなと思いました。できるだけ「発展している」面を映してほしいと。


そんな中で見つけた記事。
NHKのものです。
「ひまわり」のロケ地がどこなのか、について、ソ連側の公式発表が長年嘘だったという話。遺骨返還を求められても困るとか。
捕虜を大勢死なせたことがわかるのが困るとか。

いろいろ考えさせられる、「ひまわり」です。
名作映画「ひまわり」に隠された”国家のうそ” | NHK

名作映画「ひまわり」に隠された”国家のうそ” | NHK

【NHK】ウクライナ侵攻で注目され、いま全国各地で再上映されている映画「ひまわり」。そのロケ地を取材すると、いまのロシアにつながる国家の“うそ”が見えてきました。

NHK鹿児島放送局



公式サイト(上映情報もあります)


4 コメント

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高層アパート (礁)
2022-07-25 21:30:13
高層アパートをわざわざ持ち出したのには訳があります。
それはフルシチョフが打ち出した住宅政策で、ソ連の社会主義がスターリンの時代と違って、新しい発展をとげていると世界に宣伝したかったのです。
我が国の公団住宅はその数年後からできはじめます。
西側のカメラが初めて共産圏に入ったわけで、監督がうんざりするほどやかましい注文があったと思います。それにも拘わらず感動的な映画に仕上げたのは偏に監督の力量です。
礁さん (YOKO)
2022-07-27 15:02:38
コメントありがとうございます。
納得です。
やはりあの高層アパートのシーンはとってつけたような感じですよね~。
「スターリンも死んだし」といセリフがジョヴァンナによって語られますけど、時代も映しているんですね。ソ連が(西側)世界に見せたかった事物がたくさん盛り込まれてるんでしょうね。
ひまわり (FUSA)
2022-07-27 15:14:22
1970年の公開と同時に見に行きました。当時横浜で新人研修中だったのですが、日比谷まで見に行きました。同期の3人を、私が「絶対面白いから」と言って連れて行きました。映画が終わったら私を含め4人ともボロ泣きでお互いにきまり悪かった思い出があります。ところが、公開直後、映画評論家たちの評価はあまりよくなかったことを憶えています。デシーカの過去作品に比べ、ちょっとメロドラマ過ぎるというような理由だったかと思います。しかし、それが大衆に受け入れられてヒットし、50年経った今では文句をつける人は誰もいませんね(笑)
FUSAさん (YOKO)
2022-07-28 16:53:44
コメントありがとうございます。
やはり公開時にご覧になっていたのですね。
どこでご覧になったかも覚えていらっしゃるとは!(横浜にいらしたこともあるのですね~)

評論家にはいまひとつ評価が良くなかったというのは面白いですね。メロドラマと言えば確かにそうですけど。日本でとても人気が高かった映画だそうですね。
50年たって、こんな風にリバイバルされるとは。ですね。

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