おてんとうさんのつぶやき & 月の光の思案 + 入道雲の笑み

〔特定〕行政書士/知的財産管理技能士/国家試験塾講師等が生業の巷の一介の素浪人の日常

同じこと?

2008-10-02 | ■ サマザマな おはなし

只今の事務所の気温 20度
湿度 67パーセント
どの窓からも 青空いっぱい

気持ちのいい陽気です


ある記事を目にし
複雑な気分に なってしまいました


小学校 中学校時代
ときには生徒同士の喧嘩の場で
あるいは 先生からの罰を受けたとき

ゴツンとゲンコで という場面もたしかにありました

逆に 先生にぼんず頭をナデナデされたりも

主役は 手 もしくは 手のひら でした

最近というか この15年?くらい前からか
“蹴り” とか “蹴りをいれる”とかの表現が生まれていて
(以前から 普通に使われていた言葉なのでしょうか?)
頻繁に目に耳に触れるようになったような・・・・

先生が生徒に 蹴りをいれた
生徒同士が  蹴り合った(殴りあったではなく) とか

どうにも 違和感を覚えてしまうのです
(けっして 蹴りより 殴りのほうが良いといっているの
ではありませんが)


教育のため やむを得ず 思わずゴツンとくらわしてしまった
というのは 場合によっては理解できないわけではない
気がするのですが
蹴り という動作は 思い余って つい 手が出てしまった
という感覚とは どうにも相容れないというか
昭和時代育ちの私なんぞは 思うのですが

蹴るという動作には どのような状況を設定しても
愛情の変形の可能性のある行動 と捉えられそうな余地を
少しも見出せないのです

中学時代 宿題を忘れて? 先生に ゴツンを
されたときがあったような記憶が

でも なんだか それが妙にいまでも温かく
懐かしいのです

げん骨で ゴツンも
蹴りも 
同じこと
でしょうか?

私には 根本的に違う 何かがハッキリとあるような気が
どうしてもするのですが・・・・

人の

人の


結局は打撃の強度の問題で
方法論としては同じ という方もいますが
仮にそうだとしても

やはり 語感も印象も受け取り方が かなり違うのでは・・・
その強度を受ける側の心・感情の問題も重大
手と足という
体の部位の問題ということだけなのか・・・・



それにしても

“蹴りをいれる”

とても いやな 
スサマジイ言葉

手のひらを じっと 見つめてみました