おてんとうさんのつぶやき & 月の光の思案 + 入道雲の笑み

〔特定〕行政書士/知的財産管理技能士/国家試験塾講師等が生業の巷の一介の素浪人の日常

経済

2008-10-06 | ■ サマザマな おはなし

自分の弱点はたくさんありますが
その一つに たぶん? 経済理論をつきつめて
理解しようとする姿勢が乏しいという点があげられます

その 理由は自分では判っているいるつもりです

結論から言うと 経済学こそ
その根本のところは 操作学であるのでは という観念を
拭いきれないからです

理論追究 というより 操作追究?
という観念から逃れられないのです
(何を言おうとしているのかな このへんな人は と
お思いでしょうね)


経済原論をマスターしようと
経済各論?をマスターしようと
本来あるべき 正当な経済学によって立つべき処置も
現実の混乱の前には とても勝てない
(もっとも こういう現象は経済の世界だけとは
限りませんが)


以前一例として述べたことですが
1000日の企業努力も なんらその企業とは因果関係が
無いと思われる分野の因で
アッサリと ゼロ効果
それどころか それまでの努力がむしろマイナス要因に
なってしまっていたようなことすら・・・・
(一例として 原因不明の為替レートの急騰・急落で
輸出産業界なんぞは ワンパンチでテンカウントダウン)

まったくのところ ギャンブル感覚の世界(表現が極端すぎる
かも知れませんが 私にはそう思えるケースが多い)


サブプライム問題が発端(別な見方では 最大の要因)と
するアメリカでの大手証券会社などへの救援策
まずは 不良債権の買取
そして いずれは 公的資金(つまり血税)の注入

お定まりの
どこかの国も通った道

一部の有権者が反対する気持ち
おおいにわかる気がします
証券・保険・銀行 などなどの経営中枢のエリート
彼ら(とくに経営の最高位の幹部連中  しこたま私財を
造らせてもらった者たち)はどのような責任をとるのでしょう
正確に表現するなら どのような損をすることに
なるのでしょう

私の理論では 経営が拙かったから責任をとるのではなく
ギャンブルに失敗したから損をすべきなのです
経済とはそういう分野なんだと理解しないと
どうにも 説明ができないような気がするのです

逆な言い方をすると
経営がまずくなかったなら 責任をとることは無用
という理論で済む世界ではないと思うのです
またくのところ 結果責任がすべてのような  そのような
世界

そうでないと タイミングだけ?の具合で救済策にのることが
できたり

訳のわからない為政者のパフォーマンスで結果
救われることになったり

一部の金満家連中の株取引の損失を抑えるためかと
疑いたくなるような施策であったり

Aは救済されたがBはなんだか判らない理由で
アッサリ倒産ということになったり
(AとBとにほとんど差異がない状況だったのにかかわらず)

こういうことの説明が どうにもできないような



まったく 操作学そのものか それに近いのが
経済学なのか?


というわけで なぜか幼少のころから?
駆け落ちして 心中なんてことで絶つのは まだグーだけど
お金の仕組みのことに関わることが原因で命を絶つような
そのことだけは 絶対すまいと思い続けて
きました

なぜかって いかにも バカらしいから(表現が不適切で
ゴメンナサイ わかっていながら記しています)

操作の加減で命を奪われたり 奪うような原因を身に
まとうのは 真っ平ごめんというわけです



こんな自分ですが
さすがに仕事のためには経済学も 簿記も 会計学も
必要

というわけで 経済学部出身の方なんかには
つい
『経済学とは つきつめるとなんなんでしょう』
なんぞと 訳のわからない質問をぶつけてしまうので
へんな顔をされてしまうことの多い自分

困ったチャンです ほんとに

でも
法学って 一言で言うとなんなんですか
と訊かれると

なにが公正なのか 
を探る学問かな

なんて これまた勝手に答えてしまって
『でも ゼロ点の答えでもないだろう』
なんて ひらきなおりますが

それにしても

経済学 って 一言で言うとなんなのかなー

経済 あるは済学 あるいは経済施策
どれも私には 超不思議の世界

これからも 懲りずに勉強だけはしていくつもりですが・・・

経済

匙加減ひとつで方向がまったく逆にできるような
とても不可解 そして 不気味な世界