おてんとうさんのつぶやき & 月の光の思案 + 入道雲の笑み

マンション管理士/〔特定〕行政書士/知的財産管理技能士/国家試験塾講師が生業の巷の一介の素浪人の日常

スゴイ!!スゴーイ!!!

2022-11-24 | ■ サマザマな おはなし

 

一発目 それこそ パラパラ動画の特別優秀作品みたいな 夢 のような連係での

ゴール 
  


二発目は 絶妙トラップから この選択しかないだろう というコースと角度での 信じら

れないようなゴール

例えてみると・・・・ 

4畳半ほどの部屋の中で 防御能力鋭い頑丈な選手 プラス 世界有数の鉄壁ゴールキーパー

の二人を一人で相手にしなくてはならない情況で ボールよりもほんの少しだけ直系のある天井

のアナをすり抜けるようなコースを瞬時に探りつつの 許され得る持ち時間わずか数秒 でも 

ボールを部屋空間から脱出させた 

・・・ような

・・・・

そんなふうに思えてしまった

 

それぞれのゴールに 涙が出てしまった

 

素人もいいところなのに

オクサンを相手に 試合前に アーダコーダ・期待できそうもない などと 浅野選手のことを

言ってしまったこと 今朝までに 15回ほど心の中で謝罪した 〔 ・・・ゴメンナサイ・・・ 〕

 

コスタリカ に スペインは7発も ということなのだが・・・

コスタリカの防御に ??

素人の言 どうぞ お赦しを なのですが

ボールを持った相手には 0.3秒後でないと近づくプレーのスタートをしてはいけない

ボールを持った相手には キッチリ1m以上の距離を保っての防御 でなくてはいけない

というような呪文をかけられているような ・・・そんなふうに見えてしまって

防御のための近寄りが 遅い そのうえ 甘すぎ

この点差になるのは なるべくしてなった というような・・・

ドイツ と 日本の試合とは スピード感も格闘感の質もソモソモ違うように思えてしま

った〔素人のタワゴトですので ドウゾ お赦しください〕

しかし ナニガアルカワカラナイ のが 競技 なのだ

今回は今回

次の試合はどのチームにしたって ドウナルカ ・・・

 



さて お仕事 スタート

 

                                   はたけやま・とくお  事務所   

 

                  

 

 


判定というものの非情さ とは?

2021-10-06 | ■ サマザマな おはなし

 

雑談 というようなもの です
ということですので スケジュールが控えている方などは
スルーなさったほうが好いのでは と思います 

〔掲載しておいて 勝手ですが〕

 

 

連続しての調査業務などあったので サスガニ 少し休息をと

いうことで 好きな単気筒バイクの記事などを眺めていたら

元スマップの森選手(オートレース選手)のことがニュースに

なっていたりしたので そういえば大怪我で休場しているのだな

と思い そのレースで 事故はどのような展開で起きてしまったのだろ

う ? と

気になって インターネットで拝見させてもらった

なぜ観てみようとしたかというと 落車の原因となって反則を

とられた選手が 誹謗中傷を受けたりし そうしたこともあって 

その選手にとっての不幸でもあり その後 レースが思うようにいか

ないでいる というような記事も眼にしたので・・・

 

事故レースについて 自身の観た限りの感想を率直に言うと

あの走行が落車の原因で反則としてとられ 森選手にに済まないこと

をしてしまった と自身を責め続けているのは 可愛そうに思えた

どうみても 展開上 避け得ない 仕方のないこと と 見えるのだ

少なくとも 森選手の車と衝突したその選手ひとりが起こした妨害

とは捉えきれない と思えるのだ

一周500メーターの楕円形のコースを 各選手自ら整備した8車が

ノーブレーキ(エンジンブレーキはあるが)でゴール目指して技を競う

のだ

 

併走していた他の車が 外側から タイミング悪く しかも やや強引

ともみえるコースどりをして 急にヤヤ内側に いかにも窮屈にコース

を寄せてきたように見え 反則と判断された選手の運転に非難を浴びせる

根拠は無いのでは というか あったとしても コーナーのたちあがりか

らホボ直線コースに位置をとろうと狭い幅に集まる折に外から寄りすぎる

ようなハンドル捌きをした者との比較考量では 批判すべき質と量において

差がないのでは とも思えてしかたがなかった

(パソコン上で 閲覧ができますので 興味があり チャンスがある方は 

 どうぞ)

 

しかし その者にすれば 自車の後方にいて接触した森選手への謝罪を

しなければ済まない立場になってしまった ということなのだろう と 思

えた

まったくのところ 森選手においては 自身のコースを突然他車が遮り

避け得ない落車 

進路をふさがれるような同様のことが 森選手への反則をとられ誹謗中

傷された選手にも起こった ように 自身には理解される

 

 

審判員の判断は ゼッタイ

どの分野においても マズ そうなのだ ということなのだろうが

本人の申告 など受け付ける暇などない情況で結果をだす仕組みなの

だろうし・・・

 

マスコミにおいては 一方的に 犯人扱いされているような ? ファンからは

ひどいことを言われ続け 自分自身を責め なんともヤリキレナイ思いを

させられた(させられている)某選手 自身には 気の毒に思えてしかたない

 

もっとも その競技独自の判断基準があるのだろうが 観る限りにおいては

反則をとられたその選手に 少なくとも 一方的に非があるようには 思え

ないのだ

事が事だけに 反論や主張がしにくいことだろうし・・・ 

なので『自分のせいで森さんに怪我をさせてしまいました』と 多くを言わず

に謝罪し続けるのだろう か ?

競争実施法人等には 聴聞とか弁明の機会など ないのだろうか ?

 

 

 

森選手 と それと ブツカッテシマッテ反則者とされた方に これからの本来

の活躍
の場が一日も早く来ることを祈っています

 

 

〔 自身の思いを 独断偏見で 感想を述べさせていただいたことです 他意は

 ございません どの世界も プロはタイヘンだな

 もっとも どの世界で生きようとも 生きながらえる以上 各人は なんらか

 の意味で プロ とも言える

 でしょうか ?〕

                    


完璧定型マニュアルのこと 触れたくない言葉のこと 

2021-09-19 | ■ サマザマな おはなし

 

 

《久しぶりに 呟き を 載せさせていただきたく思いました》
特に 受験生の方には どうでもよいことですので スルーなさってくださいね

 

 

『そういう場合は こういうメソッドにより このようなハウツウものを読み込んで

 何ページにある印象の好いはずのコーデネートでまとめて 挨拶は例の手順で 手

 の位置と指の形に気をつけながらコーヒーカップを持って 笑顔は Bタイプ式が

 よいかな ? 

 それとも 勝負のDタイプで化粧して まばたきは多少少なめにして・・・

 そう それでいきましょう・・・でも ・・・話題はどのコースでいこうかな

 ナカナカ 決められないな 

 どうしようかな・・・ 』

 

というような思案 

ものごとすべて アーダコーダ と シキタリみたいなものがないと 動きづらいと

いうこともあるのかもしれません

いわゆる あまりにフリーすぎると 不安になる

定型があってこその 安心感 みたいな

 

でも 幼い子が 不安げに 親の出す アーダコーダ式の指令を 

聞き漏らすまいと 顔を不動の15分 みたいな情況にぶつかる

と とても 悲しくなってしまいます

《 幼子にしたって 自ら 心を 形作りながら 自身の辿る途は自身でアクセクしながら

  も なんとか見つけだしていく 》

   というのが人としては ふさわしいのではないのかな と 

思えてしまうのです

モチロン 親としての責任の範囲のことを諭すレベルのことには アーダコーダの余計な

詮索など持つべきでないことは そのとおりだと思われますが・・・

 

というようなことで

余計なお世話の アレコレを つぶやき として 述べています(どうか ご容赦をください)

 

 

それなりの年齢になっても マナーのレベルを超えての イロイロを諭すような方もお

られ 実務上の応対も それはイカンヨ 式のアドバイス?やらを繰り返すのをみると

ナンダカナー と思ってしまいます

どんなに飾ってみても 自身は自身

どうせ バレ ますでしょう  不自然さがモロニ現われてしまうことでしょう

自身の場合は 難敵にも 当たって砕けろ式 です
何時だって

 

こうすればこうだ 式の 対応など ソモソモ 自身にはムリだし そうした類の所作に

価値を見出すことはできそうもない人間です

ビジネスの上でも いつだって 自身そのもの 失礼なことをしてしまっているかもしれま

せんが ケッシテ 計算づくでの言動をしていることはないつもりです

 

 

“ あざといくらいでなければ 生きてなどいけないのよ ”

「 あざとい って どういうこと ? 」

“ ずうずうしく抜け目がない とか やり方があくどい とか そういうことヨ ”

「 抜け目がない って あくどい って どういうこと ? 」

“ めんどうくさいわね 自分で調べてみなさいよ 国語辞典で ”

 

 

“ あざといくらいでなければ 生きてなどいけない ”

こんなたぐいの言葉 せめて 小学校卒業までは 聞かせたくないなー

自身などは 親から アーしなさい コーしなさい と言われた記憶が無い ようなことで・・・
幼い頃は 特に そういえば その後も 一切ないようなものだったな

 

 

なんとなくだけれど もしかして流行り文句 ?? みたいな アザトイ という言葉が耳目

に触れるたび さびしくなってしまう

小中生の会話  幼げの残る子と親との会話で その言葉が登場したりすると すごく

さびしくなってしまう

『 ・・・どんな場面で どんな情況で あざとい などという言葉が登場してしまって
 いるんだろうか ? 』

 

 

家の中でさえ 温かい会話などなく 外では競い合いだけみたいな日常

だとしたら・・・マダマダ幼いのに・・・

その子の未来は どのようなものになるのかな・・・ などと 

想像したくもない

そんな幼少期 ゼッタイに 手入れしなければならないのでは と思ってしまう

手入れしてやれるのは やはり 親 そう 親だけなのかもしれない

とにもかくにも 一日に 一度でも 親の笑顔に会えることができるのならば・・・・

 

ありきたりの感慨かもしれないけれど

なぜか 記してみたいなと思っていたので 日曜日の今朝 記してしまった

あざとい という言葉 あまり 広がって欲しくないなー
と 呟き ながら・・・

 

 

(あまりにも楽しくなどない話題で ゴメンナサイ)

 

さて

久しぶり 朝からの青空   

読みたかった文庫を手に取れるよう

調べものを済ませてしまおう

                          


盆に また 思う こと

2020-08-15 | ■ サマザマな おはなし

 

 

巷が このような折ではあるが 盆 ということで 極く わずかな 来客予定がある

せめて こういう折くらいは 少しばかりは 奥さんのお手伝いを とも 思ったが 

ジットシテイルほうが

よほど 彼女にとっては 手伝いになるらしい

ので 事務所に戻って このブログを記し始める

 

 

8月15日 

思うのは 毎年のように まず 終戦記念日のこと

あの終戦玉音のときから 2年半後に この世に出させていただいた身であるので

盆の日々あたりには まず そのあたりのことを 思うのだ

 

そうして いまだに あいも変わらず 国のプライド だとか 民族 だとか 領土主張だとか 

人種 だとか 覇権 だとか・・・イデオロギー だとか 宗教の質をめぐる ? の争い だとか

そういったものに 振り回されている この世 というものを思い いつものように寂しくなる

何千年の歴史 だかどうだか知らないが どこに 何時に 人間の進歩というものが見えるのやら・・・

 

もっとも 自身にしたところで ほんの僅かの進歩といえるようなものがあると言えるのか・・・

 

 

 

そうしたことなどとともに 毎年 この頃に なぜか 毎度思うのは

故郷の 夏の 空色

故郷 とも呼べる 北海道の 同じく夏の空色のこと

故郷の湯の岳の麓 緑のなかで過ごした幼い時間に包まれた夏休みのこと

田舎の堤にさした手作りの釣り竿と チョコンと その先っぽにのっかるトンボのこと 

夏の空気を一日中震わせ続けるいろいろなセミの声のこと

北海道での夏にも 幾度も 一人で登った山道のこと  妻とも家族とも目指した室蘭岳のこと

小学校と中学校時代の 通学路の景色

裸電球の下 皆で囲むちゃぶ台のうえの 橙色の光でカバーされたヒンヤリ豆腐の白さ

それと 

17歳頃から通い続けた 「夏の日の恋」を聴きながらのアイスコーヒーのおいしい喫茶店

などなど これらの連想ゲームにストップがかかりそうもない が・・・

 

 

すこしばかり 調べものをしながら 事務室で過ごす 2020年8月15日の午前 です

 

                    

                               http://toku4812.server-shared.com/

 

 


修学旅行

2020-08-09 | ■ サマザマな おはなし

 

 

修学旅行は中止 というような記事を見るたびに 自身は淋しくなる
〔もっとも 通常で無い時期であるから ということではなく ソモソモ
廃止すべき制度であるのだ という意見さえあることも 事実でしょうが・・・ 〕

自身の中学時代のそれは どのようなものだったのか と フト 卒業アルバムを

久しぶりに眺めてみました

 

団塊の世代 の一人として その頃のエネルギーある行動ともみえる記録に 今さら

ながら ビックリもしたりしました

北海道の道南にある登別市(入学当時は幌別町)の中学校だったのですが 

国鉄(JR)幌別駅⇒日光東照宮⇒東京都内(夜間の自由行動なども含み 東京タワー・

上野動物園・浅草・松坂屋での買い物・羽田空港・皇居等々)⇒江ノ島・鎌倉
(大仏・鶴ヶ岡八幡宮)

等々のコースを 列車・バス・青函連絡船を使っての 車中泊もある 5泊6日 の旅でした

5月16日が出発日でした

昭和37年のこと でした

 

当時 一クラス45人平均として 三年生9クラス 我がクラスは 47人 

どのような行軍 ?であったのか  それこそ 疲れなどナンノソノ という雰囲気

だったのでしょう か・・・

迷った者もあった という記録も見えますが 華やかでもない町で暮す中学生が 

初めての大都会にて 夜間の自由行動さえ許されていたようなことに その当時の

学校教育の懐の深さのようなものを感じてしまったのですが・・・真相はわかりません・・・が

 

列車内で ゴチャゴチャと 男子も女子も おかまいなく ? どんなふうに寝どころ

を工夫したりしたのか そんなふうなことを思うだけで 少しばかり 涙を覚えたりしてしまいました 

〔現情況下での “三密” などという言葉などに ナントモ 世の習い という意味での 複雑な思いを 

あらためて 強く覚えさせられました 〕

 

 

65歳の折 担任の先生(自身は3年間同じ方でした)を交えたクラス会を 登別温泉でしました

楽しかったなー   

皆 どうしているやら・・・

地元で暮らし続けている方も 10人ほど?おられます 

行ってみたいなー

 

それにしても 卒業旅行・修学旅行も叶わぬ生徒たち

おおよその子は 残念無念の心でいることでしょうね・・・

 

 

マスマス 予断を許さない情況

自身にできること 

まず 接触を 避けるよう 最善を尽くす

それに限る と ツクヅク 思います

                


疾風 と 勁草

2020-06-21 | ■ サマザマな おはなし

 

 

[ 勁 草 ] 風雪に耐える強い草のことで 思想・節操の堅固なたとえ

 

《 疾 風 に 勁 草 を 知 る 》
激しい風が吹いてはじめて丈夫な草が見分けられる
苦難にあってはじめて その人の節操の堅さや意志の強さがわかるということ

 

 

勁草 という言葉を 会社名として用いる 歴史ある著名な発行所があり
なんとなく 書棚から それらの本を手にするとき 折りに触れ 
《疾風に勁草を知る》 を思ってみたりするのです

 

巷は どこもかしこも疾風にさらされているようなことで
節操の堅さや意志の強さがわかるということで自分を試す などとの気持ちまでをも
つい 知らず知らず 持ってしまう ということ・・・

理解できない と いうわけではありません

が・・・ 

苦難にも耐え得る限度

というものがあると思います

けっして 吹きさらしに耐え得なければならないのだ などと気負いすぎることの無きよう

こもり続けるようなことの無きよう あらためて意識して 注意しなければと思われます

まずは 要援助のサインを どこかにでも 発信することが 大事なこと

サンザン言い尽くされたスローガンでしょうが
 

特に これまでもサンザン 辛苦を味わい続けてきているのでは という人たち
辿る道は これまでもこれからもここにしかない などと思い詰めるようなことのないよう

心から 祈っています

 

 

どうにもならないなどと 決めつけないで

どうしていいかわからない心の少しなりとも シッカリと 発信して  何処かに 誰かに 

届けて

ださいね

 

 

今朝 事務所で 実務の調べものをしていて 本棚に 「勁草」 という文字を

背表紙に見つけ いろいろ思ってしまい このような記事になりました

   

 

 

 

                       

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日 記 も の

2020-06-17 | ■ サマザマな おはなし

 

 

調べものに チョット 疲れたので 今日は 事務の合間に 少し 私設の時間休 ? を

つかわせていただこうと 文庫本をめくりだしました

 

日記もの〔日記そのもの・日記に関するもの〕もダイスキで 文庫本でも何冊かもっていて 

時折り 眺めさせてもらいます

 

私的な思いそのものも たたきこむように著している場面もある ということで 

『本人は 自身がこの世にいなくなってからの出版などを 了解していたのだろうか ?』 

などと 余計なこと?を思ってしまうことがありますが

作家さんなどには 死後 公然と世に出るであろうことまで覚悟していたのだろうな 

と うかがえそうな方もおられるような・・・

そうした 一種の覚悟の作為を覚えることもあろうか  というところですが それにもかかわらず

自身は そうしたことも含めても 日記に興味が強いです

ノンフィクション系統である という 力 による のかな ?

 

とにもかくにも 心そのものの色とにおいを表わすような意味合いの 日記というもの 

純私的な感情むき出し というものさえ登場しますが それとともに その当時の

浮世 というか 巷の雰囲気も ナントナクデモ 浮かび上がっているようで

そこらあたりのことに とても 惹きつけられます

 

ということですが 未だ手に入れてないものもあり いずれ 是非読んでみたい

というものが タクサン あります

 

 

お仕事は あと1時間後に 再開 の 予定 ? にはなっています

が・・・久しぶりに 富士日記 を読みたくなってしまって・・・

 

今年の梅雨を こうした巷情況のなかで過ごすことになろうとは・・・ 

 

 

 

   

 

 

 

    


これからの人生

2020-05-23 | ■ サマザマな おはなし

 

〔過ごした北国の中学校の運動場を撮ったもの  
 写真中間部あたりに住んでいた・・その住宅はもう無い 
 彼方には 海原  通学は楽だった〕

 

 

『 生涯現役 が 目標です 』

とは言っても モチロン その現役のレベル限度の判定が 重要問題なのだ ということについては 

強く意識して 充分認識し 注意しなければ と 思っています

肉体的・思考力面でのイエローカードを 自身の心に掲げるタイミングに より以上 拘らなければ

と 事務所内で ジックリと 思いました

プロとしてのエネルギー というものが 業務継続には 必須 だと考えていますので
〔当然 ともいうことですが〕

 

以前にも 記しましたが 自分のことは わかっているようで 実は トッテモ勘違いしているか

あるいは 実態以上に 甘い評価で 過ごしてしまっている事多し とも 感じられるので・・・

 

極く身近な 観察者さんには 時折り イエローカードを出されることもあるので 

『そうかなー 自身 そこまで 非効率な流れとは 思っていなかったけれど・・・』 などと トッテモ ガックリする

ことも あったりした〔業務の時間配分 訪問先順路設定に於ける能率化のこと などの決断などで〕

そうこうしているうちに いかに 実務力の総合点でも不足ともいえそうな人間であることよ と 思い知らされる

ことも あったり・・・

 

そうした折に 『 そこまで減点をしなくても イイインジャナイカナ』 と 判定者さんに

反発気味のことがあったりしたが この年齢になると 確かに 指摘のとおり と 肯くほかないことも アリ

アドバイスを タイセツに 行動し ナルホド と 納得したり

 

まったくのところ 自身のことは 本人が一番知っているようで ケッコウ レッドカードレベルの見当違いの

評定をしていることさえあるのだ

ということを 思い知ることが 特に この 5年間ほど 増えてきた

ということだが

マスマス 自己評定を厳密にし クライアントさんに ご迷惑をかけるような兆しを 自身 シッカリと捕捉し

キリッ と し難くなったなら 潔く スパッと プロとしての 区切りを と 思っている

当然といえば 当然の 受任者として履行すべき 義務でしょうけれど

 

と 言いながら 組織の構成員としては特に 可能な範囲で行動力の維持に努めていきたいものだ

と 思っています 〔自分を育んでくれているという集い でもあります ので〕

 

ということで 今のところは  心は 《 当分 マダマダ の 生涯現役 》 です

それにしても 人生100年 ということ ですので ナントマァ ずいぶんと ごそごそ蠢いていなければならない

ロングタイム が 私にしたって 待ち構えてはいる情況 ではあるのです ネ

 

 

これからの人生 というものが  それぞれの 一人 一人の方たちに

 

いろいろな捉え方のある曲だと思われるのですが

「 What Are You Doing The Rest Of Your Life? 」
『 これからの人生 』

ビル・エヴァンス の のものが 特に好きです

チャンスがあったのなら どうぞ 聴いてみてくださいネ

JAZZ です

バーブラ・ストライサンド( この表記名が多いようですので )
ジュリー・アンドリュース の 歌ものも 好きですが

 

 

ということで 私的な ある意味 タワイモナイ記事で ゴメンナサイ

 

 

これからの人生

タイヘンナ 一日 一日

でも   

どうぞ どうか お元気で

 

                                       

 

             

       

                             

 


生きていく熱情

2020-04-21 | ■ サマザマな おはなし

 

 

 

歴史の過去には 人類の危機 などという重すぎる言葉を 実感させる現実も

幾度かあり それを 体験せざるを得なかった人々も 多くおられたことでしょう が・・・

 

戦争・大災害の連続・経済のあり方をはじめ未曾有の社会仕組みの大混乱 などなど

 

今 生きながらえておられる方のなかにも そのような経験をお持ちの方も多いことで

しょうが・・・

 

自身については 生きながらえている間には それほどまでのことを経験することは

ないだろうな などと 思っていました が 

全世界規模の今の事態には さすがに  「生きていく熱情」というものをも 自身

意識して必要としているのかな と 感じているときがあったりします

 

生きるために必要かもしれない熱情を 意識して感じるように 心を配る ということ・・

そんなことまでをも考えてしまうほど トテツモナイ現実 の 今 のような気がします

 

 

今日も なんとも 思いが 蠢いて すこしでも心を整理するエネルギーが欲しいように

なり 音楽とか 自身の趣味の中から映画を選択し 5個のスクリーンから 

『サウンド・オブ・ミュージック』を鑑賞させてもらうことにしました 

 

眼を休ませていなければならない情況なのに なぜか どうしてもそのような時間が

欲しくなって・・・

「七人の侍」「ゴッドファーザー Ⅰ・Ⅱ」「汚れなき悪戯」 とともに 私の 5大映画です

 

どれも 脚本・キャスティング・音楽など すべてスゴイナーと思ってしまう作品

ですが その時どきの心が欲するスクリーンは微妙にチガッテ 今日は 『サウンド・オブ・ミュージック』

 

 

この映画の強みは ミュージカル といえども 登場の音楽すべて 私にとっては名曲と思えること

コルトレーンなども そのなかの 〔私のお気に入り〕を 特に愛しているのでは ? と思えたり・・

なので

この映画に触れると なぜか 気持ちが 登場の ストーリー ・ ひとつひとつの場面 ・ 時代背景などの

雰囲気 ・ ピッタリのキャスティング ・ なんといっても どれもがすばらしいミュージック 

などによって 

すこしでも晴れるような・・・観る度にそんな気がして

 

登場の全ての曲が それぞれのシーンにピッタリと思え ダイ好きですが

特に 「Climb Every Mountain (すべての山に登れ)」 が ダイダイ好き です

 

 

ということで 自由と信念をも求めての山脈越えのシーンなどを思い 自身もがんばらなくては と 

思うのです

この映画から 人生というものあたりを観照後は また お仕事に熱情を と 思っています

 

 

皆さま いろいろと お気をつけて

 

 

              
         (ブログに何度か登場している 私の故郷の ひとつのシーン です)

 

 

 

                                

                    

 

   

           

 

    

 

                   

               

       

          

        

 

                         

       

          

    

            

 


年月

2020-03-11 | ■ サマザマな おはなし

 

 

 

2011年3月11日

忘れられない 出来事が起きた日

10年一昔 などといわれるが あれから 9年も経ていたのだ

 

 

ラジオドラマを聴かせてもらうことも 趣味の一つで

北の国で暮らしていた頃は特に 雪が舞う夜の ラジオからの

寝物語(艶っぽい意味で使われることもあるが)を聴かせてもら

えること おおきな楽しみだった 

日曜日の夜のラジオ番組帯が格別の楽しみで 今思っても 

翌日からのビッシリスケジュールの暮らしの区切りにも エネルギーみたい
なようなものになっていた
ように思える



ドラマというものが好きで その理由にもなったのか と 思い出される

ことがあった

 

故郷から北の地に移る前のこと

小学校低学年だった頃のこと

山の麓の村に 大きなお宅があって 幻燈をみせてくれたことがあった

そのお宅の周りのコンモリとした木々の群れ 集いの部屋の雰囲気
なんとも懐かしく ボンヤリ 思い出される

今でも覚えているのは 芥川龍之介さんの ≪杜子春≫
とても 印象深い おはなし だった
噺を聴く ということが トッテモ 楽しかった

 

あのときから 10年という月日を 6回ほど過ごした過ごしたのだ

ということに その集いからの時間を思うとき タッタ それほどの月日しか

経ていないのか・・・・モット モット 幻を覚えるほどに 遠い 遠い 昔のような

 

ということで 10年に近い歳月というものの 時間の感じ方 といういうものあたり

について なんともいえぬ白日の下の幻というような尺度にとりつかれるような思い

を感じたりしたので 

久しぶりの
晴れた朝の事務所で このブログを書いた

 

 

長いこと 事務上の機器の手配などでお世話になった方が 現役を終えることに

なったと挨拶にみえたりし とてもとても引退時の方にはみえず 人生100年

などと考えると まだ 40年も残っているのだろうな などと みょうなことを思っていたり

そのような

歳月 ということを いろいろ思ってしまうことが 続いていて 感慨深い

 

遠くで暮す友たち 
どんな時間経過感覚で過ごしているのやら・・・