昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

なるほど!と思う日々(285)日本人とは(5)

2014-07-29 03:53:40 | なるほどと思う日々
 昨日、皇太子ご一家が伊勢神宮を訪れた。
 
 愛子さまとご一緒の雅子さまはとてもお幸せそうに見える。
 
 日本国憲法第一条には、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」とある。
 
 美智子さまに続いて、平民から皇族に嫁がれた雅子さまは、そのお立場に苦難の日々を送っていられることが推察される。ご苦労さまと申し上げたい。

 戦後、この象徴天皇を戴いた日本国は、不安と激動の世界情勢下、少なくともひとり安全で平和な時期を謳歌してきたと言える。
 田原総一郎のような見方もあるが・・・。
 
 
 日の丸と、君が代が「国旗、国歌であるような、ないようないい加減さ」に触れて、これは<戦略的ないい加減さ>なのだと喝破する。「こうしたいい加減さこそが、実は戦後半世紀を生きるなかで、われらが身につけた、日本丸を安全に運航するための知恵なのである」

 
 ところがこのところ、安倍首相の靖国参拝以来、またぞろ中国や韓国からその歴史認識を問われ、日本丸は揺さぶりをかけられている。
 つまり、一時西欧列強の真似をして引き起した帝国主義的太平洋戦争の戦犯を祀っている神社をお参りするのはその時代に戻ろうとしている魂胆があるのではと疑念をかけられているのだ。
 日本では、西郷隆盛のように時の政権に反抗したものも、また石川五右衛門のような大泥棒でも、つまりどんなに悪いことをした人間も、死んだら仏さんになる。
 しかし、そんな戦犯が含まれていても斟酌しないで戦没者を慰霊するという考え方が彼らからすれば理解できない。

 武村健一が<日本の常識、非常識>の中で書いている。
 

 私は、ロシアから分かれた直後のバルト三国を訪ねたことがある。
 ある教会に入ろうとしたら、ガイドが教会前の石畳をさかんに踏んでいる。
 何をしているのか、靴の泥でも落としているのかと思ったら、そうではなかった。
「この下には、わが民族を苦しめたにっくきソ連の男が埋葬されています。だから私たちは協会に入る前には、必ず何度も踏みつけるのです」
 この話を知り合いの中国専門家にしたら、こんなことを教えてくれた。
 中国に泰檜という大悪人がいた。
 その墓に行くと、中国人はみな墓に唾を吐きかけるのだという。
 バルト三国でも中国でも、生きている時に悪人とされた人間は、死んでからもずっと悪人なのだ。・・・
 日本のような宗教観をもっているのは世界広しといえども、日本と、残り少なくなった未開の地だけだろうと、豪州のグレゴリー・クラーク氏が私に語ったことがある。

 
 日本の平和憲法は冒頭に述べたように象徴天皇を国民の統合として戴いている。
 ここで思い起こすのは、聖徳太子の17条憲法である。
 
 
 その第一条には「和を以って貴しとなし、忤うこと無きを宗とせよ」とある。 
 この争いの絶えない世界にあって、聖徳太子が日本人の原理と見抜いたこの一条こそ、日本人のアイデンティティとし、世界に広めるべきだと思うが、如何。
 

 


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