昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(212)朝日新聞に見る集団的自衛権(2)

2014-07-04 05:40:42 | エッセイ
 昨日の朝日新聞のトップ記事。
 
 「組織としての殺人を容認するものだ!」
 「すべての戦争は自衛のため!」
 「普通に戦争できる国にすることに反対!」
  という思いを朝日は強く代弁している。

 一方、同盟国のアメリカに引きずられることを懸念している。
 「いざという場合ノー!と言えるか」と。
  恐らく、今回の集団自衛権に関しては、アメリカからの強い要請もあったのだと思う。
  アメリカの庇護の下、のうのうと命の危険から免れている日本の姿勢が問われている。
  少なくとも日本を守ろうとする米軍が危険にさらされている時ぐらいは助けろよ!と。

 <天声人語>に日本は「言霊の幸う国」だとし、言葉に宿る力によって栄える国だと述べている。
 つまり、「9条は武力放棄をうたい、長い平和を築いた。その言葉を大切にしなくては!」というわけだ。

 1000年前の<古今和歌集>の世界において、政治とは、歌を詠むこと。
 
 やまとうたは人の心の種として、萬の言の葉とぞなりにける。力も入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれとおもわせ、男女の仲をも柔らげ猛き武人の心を慰めるは歌なり。(古今和歌集序文)
 
 地震など、天変地異、いわゆる超自然的な存在は鬼神の仕業。
 だから彼らにとって鬼神をなだめることが、つまり歌を詠むことが唯一の対策になる。
 一種の呪術者(シャーマン)政治・・・平安コトダマイズム。
 日本史は平安コトダマイズムと鎌倉リアリズム、この二大原理の対立。

 平安貴族は現実に対応する<政治>というのは苦手。
 これに対し、鎌倉武士はそもそも現実に対応するために生きてきた。
 社会の矛盾を呪術的な方法ではなく、実際の制度の改革や法の整備などで切り抜けていく。
 敵が攻めてきたら、武器をとって戦わなければならない。
 祈っていてもしょうがないという立場だ。

 昔の律令にあたる憲法では、日本に軍隊はないことになっている。
 コトダマの世界では戦争よ無くなれ平和よ来いと言えば本当に平和が來ることになる。
 (井沢元彦<言霊将軍実朝>より)

 
 日本をめぐる周辺国の状況は流動的だ。
 少なくとも<政治>はコトダマイズムではなくて、リアリリズムで対応せざるを得ないだろう。

 中国の習近平主席は北朝鮮を差し置いて韓国を訪問。
 
 日本は拉致問題解決のため近づいて来た北朝鮮に対し制裁処置を一部解除。
 

 当日の朝日新聞の広告欄には「米国慰安婦、韓国政府を集団提訴!」
 「告げ口外交で墓穴!」などの言葉が踊っている。