昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(32)S君からの暑中見舞い

2010-07-10 04:49:10 | エッセイ
 S君から暑中見舞いが届いた。ぼくが退社してから12年経つが、彼は毎年年賀状と暑中見舞いのハガキを欠かさずくれる。とても律儀な男だ。

 内容は時候の挨拶と「これまで勤めてこれたのは部長にお世話になったおかげです」という決まり文句だ。それでも受け取るたびに気恥ずかしく、しかしうれしかった。

 彼が求職してきたのは40歳のときだった。それまで老舗の扇子屋で、職人の親方の下、身の回りのことや扇子の販売、絵師との交渉というような仕事をやっていたが、親方が老齢になったので、わが社の求職に応募してきたのだ。
 歳は喰っているし、全然畑違いの仕事をしていた人が我々の、工作機械関連の機器、工具専門商社の仕事が勤まるだろうか、正直採用に二の足を踏んだ。
 しかし、当時は人手不足で我々のような小企業は贅沢を言ってられなかった。彼の真面目そうな性格を評価して採用した。
 電話や、店頭で応対したりする仕事だったので、入社したての頃は何千とある商品を覚えるだけでもたいへんだった。しかも若い人間が多かったので、社内の人間関係にも苦労したと思う。今までの親方だけが相手の家内仕事とはまるで勝手が違ったろうから。

「おい、Sちゃん、大丈夫かい? ノイローゼになっちゃうんじゃないの?」
 真面目なだけに落ち込みやすく、どう対応すればいいのか、どう育てるべきか社長と話し合ったことを覚えている。
 そんな彼も商品を覚え、その真面目に働く姿勢をお客から評価されるようになってがらっと変わった。朝早くから夜遅くまでグチもこぼさず人一倍働いて業務課長になった。

 ある日の夕方、彼の娘さん(まだ中学生あるいは高校生だったろうか)が何かの用事で近くに来たので、と会社を訪れたことがある。
 ぼくが対応して「お父さんの会社があまりに人使いが荒いんで様子を見にきたんでしょう?」と聞いたら、「そうです」と言って笑った。
 とても素直で好感のもてるお嬢さんだったことを記憶している。

 ぼくが自分の都合で早めに退社して、その4年後、ぼくの率いていた部署は業界では大手の商社に、人間、在庫商品丸ごと売却された。彼もその新しい会社で8年働いた。

 その間、頚椎の障害を引き起こし歩くのが不自由になったり、脳梗塞を二度も引き起こしたという。今年で彼は72歳になった。今の不景気な時代にこの歳まで働くことができたのは、彼の不断の努力により、会社になくてはならない人材であったからに他ならない。

 今年の暑中見舞いには、いよいよ退職することになりましたと書いてある。本当にご苦労様でした。ぼくより10年も長く勤めたんだ。心から敬意を表します。
 そしてあの娘さんのことが付け加えられていた。
「今、娘が吉祥寺の高級食材店で働いていてそこへ菅さん(直人さん?伸子さん?)が見えて、お肉をお買いになり、笑顔でありがとうと言っていただきました。部長の奥様もさぞお喜びでしょう」と。

   

 当時ぼくは菅直人さんと同じマンションに住んでいて、家内が菅さんと一緒にマンションの役員をしていたことを覚えていたのだろう。その菅さんが総理大臣になったことを言っているのかもしれない。・・・それ以上の関係はないんですが・・・。

 いずれにしても、いつまでも懐かしく思い出していただきありがとう。
 これからは、自分の好きなことを(囲碁はまだやってますか?)やってのんびりと健康にお過ごしください。また、お会いできることを楽しみにしています。