昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(11)監督(2)

2008-10-13 08:13:49 | エッセイ
 よく長嶋監督との引き合いに野村監督が挙げられる。

 野村自身も長嶋を意識した発言をよくしている。
「王や長嶋がヒマワリなら、オレは日本海に咲く月見草」というのは有名だ。
「長嶋さんがメークドラマと言っているが、オレにはああいう発言は効かない。負け(MAKE)ドラマになる」
 
 野村が捕手として現役のころ、相手チームの打者の集中力を奪う<ささやき戦術>を使ったことはよく知られている。
 夜の繁華街の高級クラブに頻繁に出向き、ライバル選手の私生活に関する情報を集め、相手の集中力を乱すやり方だ。
 ところが、長嶋には効かなかったと言う。
 逆に違う話を持ちかけられたり、ささやきを<指導>と勘違いされてホームランを打たれたこともあるという。
 野村と長嶋の性格を現すエピソードだ。

 野村監督について、傾聴すべきご意見を二つばかり。

 *野村さんの生き方は、ビートたけしに似ている。
 体制を批判することで新しい価値観を作る。
 一からカルチャーを作らない。
 あるカルチャーに対してそれを壊していくという文化。
 これが今、実は世の中の主流になっている。
 長嶋さんという<王道>をけなすことで存在価値を世に知らしめる技を野村さんは覚えましたよね。
 僕はそれが嫌いなんです。
 僕はクリエーターだから、一から作ってみろと思う。
 日本の文化全部が今、二番手文化なんです。
 オリジナリティの大切さを忘れて、二番手の方が格好いいという。・・・
 長嶋さんも第一次政権とはさい配が違うし、もっとイキのいいさい配をすればいいのに、と思うこともあります。
 でも、それは長嶋さんが六十を過ぎた男の生き様を見せているんだと思う。*
 (テリー伊藤) 

 *私は<編集>という観点でものごとを見つめています。
  編集とは出会ったものや、もともとそこにある事態に潜んでいる関係性を組み直していくことなのですが、野村さんはこの関係性を発見する能力が格段に高く、これが選手を動かしている。
 <コミュニケーションベースボール>です。
 今、スポーツはどんどん新しい<合理>を追求して、勝負の分岐点を奥深くしている時代です。
 野村さんはその分岐点を説明できるまれな人。
 野村野球には<野球をつんまらなくしている>という批判もあるようですが、私はそうは思わない。
 むしろもっとち密になって、配球や作戦を推理し、共有しあうスリルに富んだ野球を提供してほしい。
 野村野球の背景には日本的な文化を感じる。
 <弱者からの構想>とかね。
 世界を意識したときにそれがどう変化するか、プロも参加する五輪チームの監督をぜひやってほしいのですが。*
 (松岡正剛・編集工学研究所所長)