昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(10)監督(1)

2008-10-12 06:48:56 | エッセイ
 原巨人が長嶋巨人の<メークドラマ>を超える13差をひっくり返してセリーグ優勝を果たした。
「天にも昇る気持ち」と言った原監督の気持ちが痛いほど分かる。

 阪神に13差付けられた時は、原監督の明日はないと思っていた。
 去年のクライマックスシリーズで巨人は中日に敗れた。
 その時巨人のオーナーである渡辺恒雄会長は言った。
「落合の方が頭がいいんじゃないか」

 朝日新聞の西村欣也氏によると、映画監督の市川昆さんから言われたそうだ。
「映画監督と野球の監督は似ているんだよ」
「現場で人を束ねて動かす仕事だろ。作品がこければ、一人で責任を負わなきゃいけない」
「人間の感情には喜怒哀楽がある。これを使って監督は人を動かす。だけど<哀>だけは必要ない」
「<哀>では人は動かないんだよ」

 多くの監督はピンチで投手を換える際、マウンドに行かない。
 投手コーチをマウンドに行かせ、審判に新たな投手の名を告げる。
 その表情に<哀>が浮かんでいるケースが見られる。
 落合監督の平然とした表情に、選手がどれだけ救われているだろうか。
 落胆の姿勢を見せないことが<監督>としての資質のひとつではないか。

 ぼくはプレイヤーとしての長嶋茂雄の大ファンである。
 その派手なプレイは観る者を惹きつけてやまない。
 金田正一投手から豪快に4三振をくらったデビューのとき、すでにその予兆を感じてドキドキしたものだ。
 
 しかし、監督長嶋茂雄は評価できなかった。
 監督としての采配は迷いがあったようでイキがよくなかった。
 <メークドラマ>という言葉で選手たちを鼓舞し、1996年優勝を果たしたが、日本シリーズでは仰木オリックスに1対4で完敗する。
 この年、<メークドラマ>は流行語大賞にも選ばれたが、この言葉は実は前年低迷する巨人ナインの奮起を促すため、長嶋監督によって使われはじめたものだ。

 しかしこの年、野村ヤクルトが下馬評をツバメ返しして優勝した。
 大本命巨人の長嶋監督の言葉を探したが、どの新聞にも載ってなかった。
 ただ、日本経済新聞に「ライバル野村監督の胴上げシーンを避けるようにグラウンドから立ち去った。(胴上げを)見てもしょうがないとつい悔しさが出てしまう。結局ライバルに対する祝福の言葉は聞かれなかった」とあった。

 喜怒哀楽を表に出すことで魅力的だった長嶋茂雄氏だったが、監督としての<哀>が出たシーンだった。
 この時以来ぼくは長嶋監督ファンをやめ、<アンチ巨人>のひねくれ者になった。