昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

なるほど!と思う日々(264)過疎の島こそ21世紀のフロンティア

2014-03-18 05:53:57 | なるほどと思う日々
 今や大企業を見限って過疎の地域へ飛び込む若者が増えている。
 そんな町の1つが、瀬戸内海に浮かぶ周防大島だ。
 

 大半を山地が占めているが、温暖な気候に恵まれ柑橘類の栽培が盛んだった。
 しかし、高度経済成長期、日本はこうした島々の活かし方を間違え、大量生産・大量消費のシステムに組み込もうとしてきた。
 国は1961年、農業生産の増大・合理化を目指して<農業基本法>を策定。
 みかんをお金になる作物として大規模化を推奨した。
 この島で長く続いていた少量多種品種による自給自足的な農業から、誰もがみかんを栽培するようになった。

 しかし、みかんの需要は国が期待したほど伸びず、オレンジやグレープフルーツの輸入自由化もあって、生産過剰となりジュースや缶詰などの加工用に振り向けざるをえなくなった。しかし加工用のみかんは生食用の10分の1以下に買いたたかれ、みかん農家の多くの経営が成り立たず、若者たちは次々と島を後にし、段々畑は荒地へと変わっていった。

 しかし、今、瀬戸内の島が若者たちにとってフロンティアとして生まれ変わろうとしている。
 松嶋匡史さんが周防大島で挑戦している、カフェを併設したジャム屋さん、<瀬戸内ジャムズガーデン>は先進的な成功事例だ。
 
 そこに座れば大きな窓から瀬戸内海に浮かぶ島々を楽しむことができる。
 しかも多数訪れる観光客のお目当ては四季折々の手作りジャム。
 春はいちごにサクランボ。夏はブルーベリー。秋はいちじく。そして冬はみかんやりんご。
 風味付けもバニラ、シナモン、ラム、紅茶、チョコレートなどなど、100種類以上。

 もともと京都出身の松嶋さん。2006年、勤めていた電力会社を辞めてIターン、東京から周防大島にやってきて店を開いた。
 きっかけは2001年、新婚旅行で訪れたパリのジャム屋さんだった。
 色とりどりの瓶入りジャムが並んでいた。
 奥さんがお土産用に買った30個ほどのジャムを帰国後、ほとんど開封し自分で食べ比べしてしまった。
 それで完全に火が付いて「ジャム屋」をやりたいとなったのだ。
 奥さんは夫の妄想に過ぎないと夫の説得を3か月スルーしていたのだが。

「まさしく妄想ですね。でもそういうところから革命は起こるんです」と夫。
 ジャムの作り方を1から独学する傍ら、当初はおしゃれな店を京都にと考えていた。
 ところが、話を聞きつけた奥さんの父親で周防大島で寺の住職をしている白鳥文明さんから周防大島で店を開いてもらえないかと言われたのだ。
 
 地元の柑橘農家から新しいジャムのアイデアをもらい、東和金時というサツマイモをジャムにし、<焼きジャム>という新たなジャンルを開発したりした。
 そして、なんと「原料を高く買う」「人出をかける」という発想で成功したのだ。
 その辺の詳細は「課題先進国を救うモデル、その最先端は”里山”にあった!!」と謳う、藻谷浩介・NHK広島取材班<里山資本主義>をご覧ください。