ステージおきたま

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歴史を切り取る妙技!こまつ座『志ん生と円生』

2017-10-16 08:02:46 | 劇評

 井上さんて、どうしてこうも見事に歴史を切り取れるんだろう?戦争末期、満州に渡った落語家古今亭志ん生と三遊亭円生を追うなんて!この春先に見た『わたしは誰でしょう』もそうだった。終戦直後のラジオ放送「尋ね人の時間」を見事に拾い出していた。

 そりゃ決まってるだろ、猛烈な勉強家だからさ。うん、それがベースにあるのは間違いない。でも、玉石混交ごまんとある歴史の一コマから、時代を鋭く切り裂き、なおかつ笑いと感動を引き起こすエピソードを引っ張り出してくるのは容易なこっちゃないぞ。ここはやはり、井上ひさしという劇作家の尋常ならざる嗅覚なんだと思う。

 ぶっちゃけ、途中ついうかうかと居眠り漕いでしまった。稲の架け替え終えて昼飯かっ食らって慌てて駆けつけた昼公演。年取ると堪え性なくなってなぁ、定時にゃ昼寝が欠かせんのよ。この劇2度目ってこともあったかな。あっ、でも、そいつぁほんの一時!だと思うんだけど・・・

 ハッと目覚めたのは、満州で生き倒れた母親たちの亡霊が現れるシーン。中国人に託した我が子への思い断ち切りがたく、志ん生と円生に形見の品々を手渡すことを頼むところだった。こういう怨念の凝縮されたようなシーン、井上さん、歌まで入れて軽やかに?描くんだよなぁ。押しつけがましくなく、湿っぽくもならず、底に笑いを忍ばせつつ作るんだ。ずっしり重く、これでもかって涙の押し売り、感動のこれ見よがしを避けて。この手法、なんなんだろう?喜劇作家としての矜持なんだろうか?戯作者の照れなんだろうか?計算し尽くした技なんだろうか?正直なところ、僕にはやっぱりもったいない気がしてならないんだ。せっかくの母親の執念が軽く流れてしまう気がして。

 休憩が明けてからのシーンは、ググッと引き付けられたなぁ。不用品の交換喫茶店、あっ、今ならメリカルね、多分こんなの実際に戦後の満州にあったんだろうな。そこでスポットを当てられるのは、夏目漱石全集と三代目柳亭小さん全集、これを対比させつつ、小説によって書き言葉を完成させた漱石と落語を通して話し言葉を生み出した小さんを引き出して見せてくれた。お見事!

 さらに、圧巻は、次の修道院の屋上物干し場のシーン。行き倒れ寸前、炊き出しをしていた修道院に救われて、屋上の小屋でシーツをまとい暮らすようになった志ん生を芸の世界で成功し羽振りよく立ち回っている円生が訪ねてくる。二人の言葉のやり取りはなぜかイエスキリストの復活を暗示させるものばかり。それを盗み聞きした修道尼たちが、本物の救い主と勘違いして志ん生を崇める。ちょっと引いて考えりゃ、こんな無茶な設定はない。でも、それを聖書の言葉を小話と巧みに絡ませつつ爆笑シーンとして成り立たせてしまう作者、井上ひさし、演出・鵜山仁の凄腕。大いに笑った。で、この思い違い、どう落とし前つけるのか?って興味津々で見ていたら、なんと、人生における笑いの意義を堅物の修道院長に納得させることでけりをつけていた。

 そうなんだ、こういうシーンこそ、井上ひさしの真骨頂なんだ。凄いなぁ!見事だなぁ!ひたすら感心。井上さんの笑いについての考え方、それに掛けてきた深い思いが、ずしりと伝わってきた。

 辛く苦しい人生を少しでも楽しく愉快に過ごさせるもの、それが笑い。そうか、だから、母親たちの亡霊もどこか明るく笑いを秘めて、我が子への思いを語っていたってことなんだ。井上さんのはるか後方から、仰ぎ見つつたどたどしく歩んでいる菜の花座の芝居、この信念で自信を持って進んでいきゃあいいんだ。

 それにしても、観客少なすぎだぜぇ!菜の花座より少ない。演劇に足を運ぶって習慣が薄れてきちまってんのか?料金が高くて敷居が高いのか?残念で不安じゃあるんだが、その分、菜の花座みたいな地元劇団の果たす役割は大きいって言えるのかもな、って、それ、うぬぼれ過ぎだって!

 

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