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竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
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遣新羅使歌を鑑賞する 戀の歌三首

2010年01月28日 | 万葉集 雑記
戀の歌三首
 可能性として天平八年二月 大使は従五位下阿倍朝臣継麻呂

 集歌3603の歌の「青楊の枝伐り下ろし斎種蒔き」の詞は、確実に季節を表しています。伊勢皇大神宮での斎種蒔きに相当する祭礼は神田下種祭(しんでんげしゅさい)でしょうか。現在、神田下種祭は新暦四月二日頃に行われていますから、旧暦では二月下旬から三月上旬に相当するでしょうか。ちなみに、天平八年二月二十八日に阿倍朝臣継麻呂に遣新羅大使の任命がありましたが、この日は新暦で四月一日に当たります。この年の豊作を祈願する巫女の姿に、遣新羅大使の職務を無事に果たすことを阿倍継麻呂は祈ったのでしょうか。
 出発前の準備期間での奈良の京の人との相聞でしょうから、京の人も知る登場する地名は姫路の有名な飾磨川のみです。

集歌3603 安乎揚疑能 延太伎里於呂之 湯種蒔 忌忌伎美尓 故非和多流香母

訓読 青楊の枝伐(き)り下ろし斎種(ゆたね)蒔(ま)きゆゆしき君に恋ひわたるかも

私訳 青楊の枝を伐り下ろし木鍬を作り斎種を播く神田下種祭の神事を行う神に仕える貴女に心が引かれます。


集歌3604 妹我素弖 和可礼弖比左尓 奈里奴礼杼 比登比母伊毛乎 和須礼弖於毛倍也

訓読 妹が袖別れて久になりぬれど一日(ひとひ)も妹を忘れて思へや

私訳 貴女との袖を交えることようなことから別れて久しくなりますが、一日も貴女を私が忘れたと思いますか。


集歌3605 和多都美乃 宇美尓伊弖多流 思可麻河伯 多延無日尓許曽 安我故非夜麻米

訓読 わたつみの海に出でたる飾磨(しかま)川(かわ)絶えむ日にこそ吾(あ)が恋やまめ

私訳 渡す海の海神の海に流れ出る飾磨川の水が絶える日が、私が貴女との恋をやめるときです。

右三首、戀歌
左注 右の三首は、戀歌



柿本朝臣人麿の歌六首

 外航航路や難波御津と博多那津とを結ぶ大船は、明石で潮待ちをしても寄港はしなかったようです。ただ沖合を過ぎるのですが、ここでは、石見の海で帰京の途中の海難事故で亡くなられた柿本人麻呂が残した航海に因む歌を思い出して、その霊を慰め、これから航海をする人々の無事を祈ったようです。

集歌3606 多麻藻可流 乎等女乎須疑弖 奈都久佐能 野嶋我左吉尓 伊保里須和礼波

訓読 玉藻刈る乎等女(をとめ)を過ぎて夏草の野島が崎に廬りす吾(わ)れは

私訳 美しい藻を刈る乙女を行き過ぎて夏草の茂る野島の崎に船宿りする我々は。

柿本朝臣人麿歌曰、敏馬乎須疑弖
左注 柿本朝臣人麿の歌に曰はく、敏馬を過ぎて
又曰、布祢知可豆伎奴
左注 また曰はく、舟近づきぬ


集歌3607 之路多倍能 藤江能宇良尓 伊時里須流 安麻等也見良武 多妣由久和礼乎

訓読 白栲の藤江の浦に漁りする海人(あま)とや見らむ旅行く吾(あ)れを

私訳 白栲を造る葛(ふぢ)のその藤江の浦で漁をする海人だろうかと思うだろう。旅を行く私を。

柿本朝臣人麿歌曰、安良多倍乃
左注 柿本朝臣人麿の歌に曰はく、荒栲の
又曰、須受吉都流 安麻登香見良武
左注 また曰はく、鱸釣る海人とか見らむ


集歌3608 安麻射可流 比奈乃奈我道乎 孤悲久礼婆 安可思能門欲里 伊敝乃安多里見由

訓読 天離る鄙の長道を恋ひ来れば明石の門(と)より家のあたり見ゆ

私訳 大和の空から離れた田舎からの長い道を大和の国を恋しく思って帰って来ると明石の海峡から大和の家方向が見えました。

柿本朝臣人麿歌曰、夜麻等思麻見由
左注 柿本朝臣人麿の歌に曰はく、大和島見ゆ


集歌3609 武庫能宇美能 尓波余久安良之 伊射里須流 安麻能都里船 奈美能宇倍由見由

訓読 武庫の海の庭よくあらし漁(いざり)する海人(あま)の釣舟波の上ゆ見ゆ

私訳 武庫の海の海上は穏やからしい。出漁している海人の釣船が波の上を見え隠れして行くのが見える。

柿本朝臣人麿歌曰、氣比乃宇美能
左注 柿本朝臣人麿の歌に曰はく、飼飯の海の
又曰 可里許毛能 美多礼弖出見由 安麻能都里船
左注 また曰はく、刈薦の乱れて出づ見ゆ海人の釣船


集歌3610 安胡乃宇良尓 布奈能里須良牟 乎等女良我 安可毛能須素尓 之保美都良武賀

訓読 安胡の浦に舟乗りすらむ娘子(をとめ)らが赤裳の裾に潮満つらむか

私訳 安胡の浦で遊覧の船乗りをしているだろう官女の人たちの赤い裳の裾に潮の飛沫がかかってすっかり濡れているでしょうか。

柿本朝臣人麿歌曰、安美能宇良
左注 柿本朝臣人麿の歌に曰はく、安美の浦
又曰 多麻母能須蘇尓
左注 また曰はく 珠裳の裾に


七夕歌一首
標訓 七夕の歌一首

集歌3611 於保夫祢尓 麻可治之自奴伎 宇奈波良乎 許藝弖天和多流 月人乎登古

訓読 大船に真舵(まかじき)繁貫(しじぬ)き海原(うなはら)を漕ぎ出て渡る月人(つきひと)壮士(をとこ)

私訳 大船の艫に立派な舵を刺し貫いて海原を漕ぎ出して、天の河を渡る月の船に乗る勇者よ。

右、柿本朝臣人麿歌
左注 右は、柿本朝臣人麿の歌



備後國の水調郡の長井の浦に舶泊し夜に作れる歌三首
 該当不明

 この三首は遣新羅使達の歌かは、疑問があります。集歌3612の歌には大伴旅人の望郷の歌ゆかりの匂いがありますし、集歌3613と集歌3614との歌には柿本人麻呂の羇旅の歌ゆかりの匂いがあります。私は、万葉集の編者である丹比国人のいたずらではないかと疑っています。
 波の荒い外航航路をこれから往く人々に、海の底に潜る意味合いの「沖つ白玉拾ひて行かな」と詠う気持ちがあったでしょうか。あって、地上に足を付けている浜辺の貝ではないでしょうか。

備後國水調郡長井浦舶泊之夜作歌三首

標訓 備後國の水調郡(みつきのこほり)の長井(ながゐ)の浦に舶(ふな)泊(はて)し夜に作れる歌三首

集歌3612 安乎尓与之 奈良能美也故尓 由久比等毛我母 久左麻久良 多妣由久布祢能 登麻利都牙武仁

訓読 あをによし奈良の京に行く人もがも草枕旅行く船の泊(とま)り告げむに

私訳 青丹が宜しい奈良の京に行く人がいてほしい。草を枕にするような旅を行く船の次に泊まる場所を告げるために。

右一首、大判官
左注 右の一首は、大判官


集歌3613 海原乎 夜蘇之麻我久里 伎奴礼杼母 奈良能美也故波 和須礼可祢都母

訓読 海原(うなはら)を八十島(やそしま)隠(かく)り来ぬれども奈良の京は忘れかねつも

私訳 海原を幾つもの島々を過ぎ去った島で重ね隠すようにやって来たが、奈良の京は忘れられないものです。


集歌3614 可敝流散尓 伊母尓見勢武尓 和多都美乃 於伎都白玉 比利比弖由賀奈

訓読 帰るさに妹に見せむにわたつみの沖つ白玉拾ひて行かな

私訳 帰る時には貴女に見せたいと、海神の治める沖にある白玉を海に潜り拾って行こう。

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