万葉雑記 色眼鏡 七八 再び、「所」は「そ」と訓む
今回もまた、個人の趣味の世界、それも恣意的な解釈の世界での話ですし、蒸し返しです。それを最初にお詫びいたします。申し訳ありません。
さて、その蒸し返しの話ですが、大和言葉を表現する万葉仮名での「所」の文字は『万葉集』、『日本書紀歌謡』、『秋萩帖』などに使われており、万葉仮名一覧では「所」の文字は「そ・乙類」に分類される音字です。インターネットで調べますと、HP「試作 万葉仮名一覧」で万葉仮名一覧の情報を得ることが出来ます。
また、弊ブログ記事「万葉集 真仮名と古今和歌集」で、次のような話を過去にしています。それで蒸し返しなのです。
補足参考として、『秋萩帖』は第一紙と第二紙の全体で都合四八首の短歌が載せられています。ここで「之」の字は五四回ほど登場しますが、その読みはすべて「し」です。同じように「所」の字は二三回ほど登場し、その読みは「そ」です。こうした時、なぜ、現代の『万葉集』で使われる真仮名を、厳密に「之」を「し」、「所」を「そ」と読まないのかは不明です。
「所」の文字は万葉仮名として「そ・乙類」として訓むと研究されているのですから、弊ブログの記事での報告内容は、至極当然であり、『秋萩帖』でも認められるように「そ・乙類」として訓むことが平安時代初期まで継続していたことを単に再確認したに過ぎないことになります。
つまり、平安時代初期までですと、万葉仮名の「所」は「そ」と訓まないといけないことになります。一方、「所」の文字は場所や位置を示す名詞でもありますから、その場合は外来語として「ところ」や「しょ」等の訓みを持つことになります。
さて、前置きはここまでにして、『万葉集』に載る短歌で万葉仮名「所」の文字を持つものを鑑賞して行きたいと思います。紹介は巻三までに載る短歌とし、最初に原文、次に有名な『万葉集全訳注原文付(中西進 講談社文庫)』(パクリです)の訓読みと意訳、続けて筆者の私訓と私訳を組にするものとします。なお、「所」の文字が場所を意味すると判断される場合は、鑑賞目的が違うとして、紹介なしに割愛致します。つまり、ここでの古語の「そ」は代名詞として使われる言葉を対象にしています。
集歌7 金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百磯所念
訓読 秋の野のみ草(くさ)刈り葺(ふ)き宿(やど)れりし宇治の京(みやこ)の仮(かり)廬(ほ)し思(おも)ほゆ
意訳 秋の野のすすきを刈りとって来て屋根に葺いて泊まった、あの宇治の都での仮のやどりが思われることよ。
私訓 秋し野の御草(みくさ)刈り葺(ふ)き宿(やど)れりし宇治の京(みやこ)の仮(かり)廬(ほ)しそ念(も)ゆ
私訳 (皇位を譲って隠棲した古人大兄皇子は吉野で)秋の野の草を刈り屋根を葺いて住まわれているようです。(古人大兄皇子と同様に皇位を譲って隠棲した菟道稚郎子の伝えられる)石垣を積んで作られた、その宇治の宮の故事が偲ばれます。
集歌10 君之齒母 吾代毛所知哉 磐代乃 岡之草根乎 去来結手名
訓読 君が代もわが代も知るや磐代(いはしろ)の岡の草根(くさね)をいざ結びてな
意訳 あなたの命も私の命も支配していることよ。この磐代の岡の草を、さあ結びましょう。
私訓 君し代も吾が代もそ知るや磐代(いはしろ)の岡し草根(くさね)をいざ結びてな
私訳 貴方の寿命も私の寿命をも、それを司るという磐代の丘の言い伝えにしたがって、この丘の木の若枝を、さあ結びましょう。
集歌24 空蝉之 命乎惜美 浪尓所濕 伊良虞能嶋之 玉藻苅食
訓読 うつせみの命を惜しみ浪にぬれ伊良虞(いらご)の島の玉藻刈りをす
意訳 現実に生きているこの命をいとおしんで、浪に濡れては伊良虞の島の玉藻を刈っては食べられておられるのだろう。
私訓 現世(うつせみ)し命を惜しみ浪にそ濡れ伊良虞(いらご)の島し玉藻刈り食(は)む
私訳 この世の自分の命を惜しんで、浪、それに濡れて、伊良湖の島の玉藻を刈り取って食べるのだ。
集歌44 吾妹子乎 去来見乃山乎 高三香裳 日本能不所見 國遠見可聞
訓読 吾妹子(わぎもこ)をいざ見の山を高みかも大和の見えぬ国遠みかも
意訳 わが妻をさあ見ようという「いざ見み」の山は名ばかりで、高々と聳えているからか大和は見えないことよ。いやこれも国遠く旅して来たからか。
私訓 吾妹子(わぎもこ)をいざ見の山を高みかも大和の見ずそ国遠みかも
私訳 私の恋人をさあ(いざ)見ようとするが、いざ見の山は高くて大和の国はまったく見ることが出来ない。国から遥か遠く来たからか。
集歌48 東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡
訓読 東(ひむがし)の野(の)に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
意訳 東方の野の果てに曙光がさしそめる。ふりかえると西の空に低く下弦の月が見える。
私訓 東(ひむがし)し野(の)し炎(かぎろひ)し立つそ見にかへり見すれば月西渡る
私訳 夜通し昔の出来事を思い出していて、ふと、東の野に朝焼けの光が雲間から立つ、その朝日を見て振り返って見ると昨夜を一夜中に照らした月が西に渡って沈み逝く。
集歌64 葦邊行 鴨之羽我比尓 霜零而 寒暮夕 和之所念
訓読 葦辺(あしへ)行く鴨の羽(は)がひに霜降りて寒き夕へは大和し思ほゆ
意訳 葦べを泳ぐ鴨の背に霜が降り、寒さが身にしみる夕べは、大和が思われてならない。
私訓 葦辺(あしへ)行く鴨し羽交(はが)ひに霜降りて寒き夕へは大和し念(おも)ほゆ
私訳 葦の茂る岸辺を泳ぐ鴨の羽を畳んだ背に霜が降りるような寒い夕べは、大和(の貴女)が思い出される。
集歌66 大伴乃 高師能濱乃 松之根乎 枕宿杼 家之所偲由
訓読 大伴の高師(たかし)の浜の松が根を枕(まくら)き寝(ぬ)れど家(いへ)し偲(しの)はゆ
意訳 大伴の高師の浜の松を枕にして寝てはいても、後にして来た家が思われる。
私訓 大伴の高師(たかし)の浜の松し根を枕(まくら)き寝(ぬ)れど家(へ)しそ偲(しの)はゆ
私訳 大伴の高師の浜にある松の根を枕として浜辺を眺めながら野宿をしていても、大和の家、その家に住む家族のことが偲ばれます。
集歌67 旅尓之而 物戀尓 鳴毛 不所聞有世者 孤悲而死萬思
訓読 旅にしにもの恋しき「 」音(ね)も聞けずありせば恋ひて死なまし
意訳 旅にある身が何かと恋しいものを、「 」鳴き声もなかったとしたら、家郷恋しさのあまり命絶えてしまうだろうものを
私訓 旅にしにもの恋しきに鳴(さえづる)も聞けずそありせば恋ひに死なまし
私訳 旅路にあって貴女への想いが募り、そのために、このように啼きさえずる鳥の声も耳に入らないようでは、きっと、私は貴女への想いで死んでしまうでしょう。
注意 原文の「物戀尓 鳴毛」は、一般に歌意を想定し「物戀之伎尓 鶴之鳴毛」と創作改変し「物恋しきに鶴(たづ)が鳴(ね)も」と訓みます。ただ、中西進氏は「 」として、「鶴之」との推定を保留しています。
集歌71 倭戀 寐之不所宿尓 情無 此渚崎尓 多津鳴倍思哉
訓読 大和恋ひ眠(ゐ)の寝(ぬ)らえぬに情(こころ)なくこの渚崎廻(すさきみ)に鶴(たづ)鳴くべしや
意訳 大和を恋しくまんじりともし難い夜半、渚崎のまぐりをいたずらに鶴が騒ぐ。そんなに鳴いてよいのだろうか。
私訓 大和恋ひ眠(ゐ)ねし寝(ぬ)ずそに情(こころ)なくこの渚崎廻(すさきみ)に鶴(たづ)鳴くべしや
私訳 大和を恋い慕い寝るに寝られないのに、思いやりもなく、この渚崎のあたりで夜に鶴が妻を呼び立てて鳴くべきでしょうか。
集歌78 飛鳥 明日香能里乎 置而伊奈婆 君之當者 不所見香聞安良武
訓読 飛鳥の明日香の里を置きて去(い)なば君があたりは見えずかもあらむ
意訳 飛ぶ鳥の明日香の里を後にしていったなら、あなたのいるあたりは目にすることができなくなってしまうだろうか。
私訓 飛ぶ鳥し明日香の里を置きて去(い)なば君しあたりは見ずそかもあらむ
私訳 飛ぶ鳥の明日香の里を後にして去って行ったなら、あなたの明日香藤井原の藤原京の辺りはもう見えなくなるのでしょうか
集歌105 吾勢枯乎 倭邊遺登 佐夜深而 鷄鳴露尓 吾立所之沽 (沽は雨+沽の当て字)
訓読 わが背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁(あかとき)露(つゆ)に吾(われ)立ち濡れし
意訳 わが背子を大和に送るとて、夜もふけ、やがて明方の露に濡れるまで、私は立ちつづけたことであった。
私訓 吾が背子を大和へ遣るとさ夜更けに暁(あかとき)露(つゆ)に吾(われ)立ちそし沽(か)れ
私訳 私の愛しい貴方を大和に送ろうと思うと、二人の夜はいつしか深けていき、その早朝に去って往く貴方を見送る私は夜露の山裾でたちなずんでいた。
集歌107 足日木乃 山之四付二 妹待跡 吾立所沽 山之四附二
訓読 あしひきの山のしづくに妹待つとわが立ち濡れし山のしづくに
意訳 あしひきの山の雫に、妹を待つとて私は立ちつづけて濡れたことだ。山の雫に。
私訓 あしひきの山し雌伏に妹待つと吾立ちそ沽(か)れ山し雌伏に
私訳 「葦や檜の茂る山の裾野で愛しい貴女を待っている」と伝えたので、私は辛抱してじっと立って待っている。山の裾野で。
注意 原文の「吾立所沽」の「沽」は、一般に「沾」の誤記として「吾立ち沾(ぬ)れぬ」と訓みます。これに呼応して「山之四附二」は「山の雫に」と訓むようになり、歌意が全く変わります。
集歌144 磐代之 野中尓立有 結松 情毛不解 古所念
訓読 磐代(いはしろ)の野中に立てる結び松情(こころ)も解(と)けず古(いにしへ)思(も)ほゆ
意訳 磐代の野の中に立つ結びの松よ、いつまでも枝を解けず、昔の事が思われてならぬ。
私訓 磐代(いはしろ)し野中に立てる結び松情(こころ)も解(と)けず古(いにしへ)そ念(も)ゆ
私訳 磐代の野の中に立っている枝を結んだ松。結んだ枝が解けないように私の心も寛げず、昔の出来事が思い出されます。
集歌149 人者縦 念息登母 玉蘰 影尓所見乍 不所忘鴨
訓読 人はよし思ひ止(や)むとも玉鬘(たまかづら)影に見えつつ忘らえぬかも
意訳 故人をしのぶことも、人はやがてなくなるかもしれぬ。たとえそうであっても、私には鬘のように面影に見えつづけて、忘れられないことだ。
私訓 人はよし念(おも)ひ息(や)むとも玉蘰(たまかづら)影に見えつつ忘れずそかも
私訳 他の人がそうであって貴方をお慕いすることを止めたとしても、目に入る美しい蘰が貴方の面影のように常に思えていて、きっと忘れられないでしょう。
集歌171 高光 我日皇子乃 萬代尓 國所知麻之 嶋宮婆母
訓読 高光るわが日の皇子の万代(よろづよ)に国知らさまし島の宮はも
意訳 高く輝く、わが日の御子が永遠に国土をお治めになってほしかった島の宮よ。
私訓 高光る我が日し皇子の万代(よろづよ)に国そ知らさまし嶋し宮はも
私訳 天まで高く御身が光る我が日の皇子が、万代までにこの国、それを統治されるはずであったのに。あぁ、嶋の宮よ。
集歌191 毛許呂裳遠 春冬片設而 幸之 宇陀乃大野者 所念武鴨
訓読 褻(け)ころもを春冬(とき)片(かた)設(ま)けに幸(い)でましし宇陀の大野は思ほえむかも
意訳 いつもの衣を解き、時を待ちうけてお出ましになった宇陀の大野は、いつまでも思い出されるだろうなあ。
私訓 褻(け)ころもを春冬(とき)片(かた)設(ま)けに幸(い)でましし宇陀の大野はそ念(おも)ほむかも
私訳 普段着の紐を解き(令服に身を包み)、時を定めて御出座しになった宇陀の大野は、いつまでも、それを思い出されるでしょう。
集歌200 久堅之 天所知流 君故尓 日月毛不知 戀渡鴨
訓読 ひさかたの天知らしぬる君ゆゑに日月も知らに恋ひ渡るかも
意訳 遥か彼方の天をお治めになってしまった君なので、いつの日果てるとも知らずに恋いつづけることだ。
私訓 ひさかたし天そ知らしぬ君ゆゑに日月も知らに恋ひ渡るかも
私訳 遥か彼方の天上の、その世界を統治なされる貴方のために、日月の時の経つのも思わずに貴方をお慕いいたします。
集歌202 澤之 神社尓三輪須恵 雖禱祈 我王者 高日所知奴
訓読 哭沢(なきさは)の神社(もり)に神酒(みわ)据ゑ祷祈(いの)れどもわご大君は高日知らしぬ
意訳 泣沢の女神に命のよみがえりを願って、神酒を捧げて祈るのだが、わが大君は、高く日の神として天をお治めになってしまった。
私訓 哭沢(なきさは)し神社(もり)に神酒(みわ)据ゑ祷祈(いの)れども我が王(おほきみ)は高日そ知らしぬ
私訳 哭沢の神の社に御神酒を据えて神に祈るのですが、我が王は天上の世界、それをお治めになった。
集歌206 神樂波之 志賀左射礼浪 敷布尓 常丹跡君之 所念有計類
訓読 ささなみの志賀さされ波しくしくに常にと君が思(おも)ほせりける
意訳 ささなみの志賀の岸によせる小波(ささなみ)のように、しきりに、変りなくありたいとあなたは思っていらしたことだったなあ。
私訓 楽浪(さざなみ)し志賀さざれ波しくしくに常にと君しそ念(おも)ほせける
私訳 楽浪の志賀のさざれ波が、しきりに立って絶え間が無いように、絶えることなく常のことと貴方はそれを思われたことです。
集歌209 黄葉之 落去奈倍尓 玉梓之 使乎見者 相日所念
訓読 黄葉(もみちは)の散(ち)りゆくなへに玉梓の使(つかひ)を見れば逢ひし日(にち)思(おも)ほゆ
意訳 黄葉の散りゆく景色につれて死を告げる使者の訪れをうけると、妻と逢った日が思われてならない。
私訓 黄葉(もみちは)し落(ち)り去(ゆ)くなへに玉梓し使(つかひ)を見れば逢ひし日そ念(おも)ほゆ
私訳 黄葉の落ち葉の散っていくのつれて貴女が去っていったと告げに来た玉梓の使いを見ると、昔、最初に貴女に会ったとき手紙の遣り取りを使いに託した日々、その日々を思い出します。
集歌238 大宮之 内二手所聞 網引為跡 網子調流 海人之呼聲
訓読 大宮の内まで聞こゆ網引(あびき)すと網子(あご)調(ととの)ふる海人(あま)の呼び声
意訳 行宮(かりみや)の中まで聞こえて来ます。網引きをするというので、網子を整えている海人の呼び声が。
私訓 大宮し内にてそ聞こゆ網引(あびき)すと網子(あご)調(ととの)ふる海人(あま)し呼び声
私訳 伊勢の阿胡(あご)の行宮(かりみや)の御殿にいて、その掛け声が聞こえます。網を引こうと阿胡の浦の網子(あこ)達がかけ声を整えている海人(あま)の呼び声よ。
注意 原文の「内二手所聞」の「二手」は、一般に「両手」の意味をとり「真手」のこととします。ここから「まて」の訓みを採る戯訓としています。
集歌253 稲日野毛 去過勝尓 思有者 心戀敷 可古能嶋所見
訓読 稲日野も行き過ぎかてに思へれば心恋しき可古の島見ゆ
意訳 古い伝承にも語られる稲日野も行き過ぎがたく思っていると、心に恋しく思っていた可古の島が見えて来る。
私訓 稲日野も行き過ぎかてに思へれば心恋しき可古の島そ見ゆ
私訳 稲美野も行き過ぎてしまって、ふと思うと目的としていた加古の島、その島影が見える。
集歌255 天離 夷之長道従 戀来者 自明門 倭嶋所見
訓読 天(あま)離(さ)る夷(ひな)の長道(ながぢ)ゆ恋ひ来れば明石の門(と)より大和島見ゆ
意訳 天路遠い夷の長い道のりをずっと恋いつづけて来ると、今や明石海峡から大和の陸地が見える。
私訓 天(あま)離(さ)る夷し長道ゆ恋ひ来れば明石し門(と)より大和島そ見ゆ
私訳 大和の空から離れた田舎からの長い道を大和の国を恋しく思って帰って来ると明石の海峡から大和の山並み、その山並みが見えた。
集歌256 飼飯海乃 庭好有之 苅薦乃 乱出所見 海人釣船
訓読 飼飯(けひ)の海(うみ)の庭好くあらし刈薦(かりこも)の乱れ出(い)づ見ゆ海人の釣船
意訳 飼飯の海の海上は穏やからしい。刈りとった薦のようにあちこちから漕ぎ出して来るのが見える、漁師の釣船よ。
私訓 飼飯海(けひうみ)の庭好くあらし刈薦の乱(あら)れ出づそ見ゆ海人の釣船
私訳 飼飯の海の海上は穏やからしい。刈る薦の茎のように乱れあちらこちらに散っているのを見た。その海人の釣船よ。
集歌266 淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思奴尓 古所念
訓読 淡海(あふみ)の海(み)夕浪(ゆふなみ)千鳥(ちどり)汝(な)が鳴けば情(こころ)もしのに古(いにしへ)思ほゆ
意訳 淡海の海の夕波を飛ぶ千鳥よ、お前が鳴くと心もしなえるように昔のことが思われる。
私訓 淡海(あふみ)の海(み)夕浪(ゆふなみ)千鳥(ちどり)汝(な)が鳴けば情(こころ)もしのに古(いにしへ)そ念(も)ふ
私訳 淡海の海の夕波に翔ける千鳥よ。お前が鳴くと気持ちは深く、この地で亡くなられた天智天皇がお治めになった昔の日々を思い出す。
集歌269 人不見者 我袖用手 将隠乎 所焼乍可将有 不服而来来
訓読 人見ずはわが袖もちて隠(かく)さむを焼けつつかあらむ着(き)せずて来にけり
意訳 袖をかけてあなたを隠せばよかったものを、人目をはばかってそのまま来たので、今もあなたの心は燃えつづけているだろうか。袖をかへずに来たことだなあ。
私訓 人見ずは我が袖もちて隠(かく)さむをそ焼けつつかあらむ着(き)せずて来にけり
私訳 人が見ていなければ私の衣の袖で貴方の体を覆うのですが、きっと、貴方は恋焦がれているでしょう。共寝の衣を貴方に着せずに帰って来たので。
注意 この歌の「所焼乍可将有」の対象をどのように取るかで、歌意は変わります。男が恋心を燃やすのか、屋部坂が禿山になって燃えたような地肌を見せているのか、の差があります。ここでは男の恋心の方を採用しています。
集歌270 客為而 物戀敷尓 山下 赤乃曽呆舡 奥榜所見 (呆はネ+呆の当字)
訓読 旅にして物恋しきに山下(やました)の赤(あけ)のそほ船沖へ漕ぐ見ゆ
意訳 わが身は旅にあって、何となく物恋しいのに、山下の黄葉色の赤丹(あかに)を塗った舟が沖へ漕ぐのが見えることだ。
私訓 旅にしに物恋しきに山下(やました)し赤(あけ)のそほ船沖榜ぐそ見ゆ
私訳 旅路にあって物恋しいときに、山の裾野で、赤丹に塗った官の船が沖合で帆走していく、その船影を見た。
注意 原文の「赤乃曽呆舡」は、一般には「赤乃曽保船」と表記します。
集歌304 大王之 遠乃朝庭跡 蟻通 嶋門乎見者 神代之所念
訓読 大君の遠(とほ)の朝廷(みかど)とあり通ふ島門(しまと)を見れば神代(かみよ)し思ほゆ
意訳 大君の遠い朝廷として官人たちが通いつづける海路の、島山の間を見ると神代の昔が思われる。
私訓 大王(おほきみ)し遠の朝廷とあり通ふ島門を見れば神代しそ念(も)ゆ
私訳 大王が遥か昔に置かれた都の跡に、大和からはるばるやってきて、その海峡を見ると神の時代、その遥か昔が偲ばれます。
集歌312 昔者社 難波居中跡 所言奚米 今者京引 都備仁鷄里
訓読 昔こそ難波(なには)田舎(ゐなか)と言はれけめ今は京引(みやひ)き都(みやこ)びにけり
意訳 昔こそ「難波田舎」と言われたであろうが、今こそは都のあれこれを引いて来て、いかにも都らしくなったなあ。
私訓 昔こそ難波(なには)田舎(ゐなか)とそ言はれけめ今は京引(みやひ)き都(みやこ)びにけり
私訳 昔でこそ森だらけの難波は奈良と大宰府の間の田舎だと、そのように言われていたが、今は雅の帝都となりざわめき活気ある都らしくなったことよ。
集歌313 見吉野之 瀧乃白浪 雖不知 語之告者 古所念
訓読 み吉野し瀧(たき)の白波知らねども語りし継げば古(いにしへ)思ほゆ
意訳 み吉野の滝にわく白波よ。白波のことばとおりに知らないけれども、人人が語りつぐので、吉野の昔が思われることよ。
私訓 み吉野し瀧(たき)の白波知らねども語りし継げば古(いにしへ)そ念(も)ゆ
私訳 眺めが美しい吉野の激流の白波(しらなみ)、その言葉のひびきではないが、その出来事は良くは知(しら)ないが、人々が語り継ぐと、その昔の出来事が偲ばれます。
集歌329 安見知之 吾王乃 敷座在 國中者 京師所念
訓読 やすみししわご大君の敷きませる国の中(うち)には京師(みやこ)し思(おも)ほゆ
意訳 あまねく統治なさるわが大君の支配される国の中にあっては、やはり都のことが恋しく思われる。
私訓 やすみしし吾(あ)が王(おほきみ)の敷きませる国し中(うち)には京師(みやこ)そ念(おも)ほゆ
私訳 すべからく承知される我々の王が統治される国の中心にある都、その都が偲ばれます。
集歌333 淺茅原 曲曲二 物念者 故郷之 所念可聞
訓読 浅茅(あさぢ)原(はら)つばらつばらにもの思(も)へば故(ふ)りにし郷し思ほゆるかも
意訳 浅い茅がやの原、つくづくと物思いにふけると、あの明日香の故郷がなつかしいことよ。
私訓 浅茅(あさぢ)原(はら)つばらつばらにもの思(も)へば古(ふ)りにし里しそ念(おも)ほゆるかも
私訳 浅茅の原をつくづく見て物思いをすると、時代を経た、その故郷の明日香の里を想い出すだろう。
集歌336 白縫 筑紫乃綿者 身箸而 未者妓袮杼 暖所見
訓読 しらぬひ筑紫の綿(わた)は身につけていまだは著(き)ねど暖(あたた)かに見ゆ
意訳 しらぬひの筑紫の綿は身につけてまだ着たことはないが、暖かそうに見える。
私訓 しらぬひし筑紫の綿(わた)は身に付けていまだは着ねど暖(あたた)かにそ見ゆ
私訳 不知火の地名を持つ筑紫の名産の白く縫った「夢のわた」のような言葉の筑紫の綿(わた)の衣は、僧侶になったばかりで仏法の修行の段階は端の、箸のように痩せた私は未だに身に着けていませんが、きっと女性の体のように暖かいことでしょう。
注意 歌は集歌335の歌を受けてのものです。原文の「未者妓袮杼」の「妓」は、一般に「伎」の誤字とします。ここでは歌意から原文のままとしています。この「妓」の用字は集歌337の歌に影響を与えています。
集歌353 見吉野之 高城乃山尓 白雲者 行憚而 棚引所見
訓読 み吉野の高城(たかき)の山に白雲は行きはばかりてたなびけり見ゆ
意訳 み吉野の高城の山には、白雲が流れなずんで、たなびいているのが見えるよ。
私訓 み吉野し高城(たかき)の山に白雲は行きはばかりにたなびくそ見ゆ
私訳 見渡たし美しい吉野の高城の山に白雲は過ぎ行くことが出来なくて、棚引いている、その白雲を見た。
集歌357 縄浦従 背向尓所見 奥嶋 榜廻舟者 釣為良下
訓読 縄(なは)の浦ゆ背向(そがひ)に見ゆる沖つ島漕ぎ廻(み)る舟は釣りしすらしも
意訳 縄の浦ごしに、浦のうしろに見える沖の島を、今舟が漕ぎ廻っていく。あの舟は釣をしているらしいな。
私訓 縄浦(なはうら)ゆ背向(そがひ)にそ見ゆ沖つ島漕ぎ廻(み)る舟は釣りしすらしも
私訳 縄浦からその反対方向にそれを見た。沖の島の周りを漕ぎ廻るその舟は釣りをしているようだ。
注意 縄浦は、兵庫県相生市那波町の海岸一帯と思われる
集歌359 阿倍乃嶋 宇乃住石尓 依浪 間無比来 日本師所念
訓読 阿倍(あべ)の島鵜の住む磯に寄する波間(ま)なくこのころ大和(やまと)し思ほゆ
意訳 阿部の島の鵜の住みつく岩石の浜、そこに絶えまなくあがる波のように、このごろはたえず大和が思われる。
私訓 阿倍(あべ)の島鵜の住む磯に寄する浪間(ま)無くこのころ日本(やまと)しそ念(も)ゆ
私訳 阿倍の嶋の鵜の住む磯に寄せ来る浪に絶え間が無いように、このころ絶え間なく、その大和の都を恋しく思います。
注意 阿倍の嶋は、兵庫県加古川市阿閉津の海岸一帯と思われる
集歌371 飫海乃 河原之乳鳥 汝鳴者 吾佐保河乃 所念國
訓読 飫宇(おう)し海(うみ)の河原(かはら)の千鳥汝(な)が鳴けばわが佐保(さほ)河(かは)の思(おも)ほゆらくに
意訳 飫海の海の河原の千鳥よ、お前が鳴くと、我が家郷の佐保川が思われてならぬものを。
私訓 飫宇(おう)し海(み)の河原(かはら)し千鳥汝(な)が鳴けば吾(あ)が佐保(さほ)川(かは)のそ念(も)ほゆらくに
私訳 飫海にある河原に居る千鳥よ。お前が啼けば私の故郷の佐保川、その川の風情が思い出される。
集歌396 陸奥之 真野乃草原 雖遠 面影為而 所見云物乎
訓読 陸奥(みちのく)の真野(まの)の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にして見ゆといふものを
意訳 陸奥の真野の草原は、遠くはあっても面影の中に見えるといいますものを。
私訓 陸奥(みちのく)し真野の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にせにそ見ゆといふものを
私訳 陸奥にある真野の草原は遠いのですが、それを想像することは、きっと出来ると云いますからね。
集歌433 勝壮鹿乃 真々乃入江尓 打靡 玉藻苅兼 手兒名志所念
訓読 葛飾の真間の入江にうちなびく玉藻刈りけむ手児名し思ほゆ
意訳 葛飾の真間の入江になびいている美しい藻を刈ったろう手児名のことが思われる。
私訓 勝雄鹿(かつしか)の真間(まま)の入江にうち靡く玉藻刈りけむ手児名(てこな)しそ念(おも)ゆ
私訳 勝鹿の真間の入り江で波になびいている美しい藻を刈っただろう手兒名、その娘女のことが偲ばれます。
集歌447 鞆浦之 礒之室木 将見毎 相見之妹者 将所忘八方
訓読 鞆の浦の礒のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも
意訳 これからも、鞆の浦の磯に生えたむろの木を見るたびに、共に見た妻を忘れることはないだろう。
私訓 鞆浦(ともうら)し礒し室木(むろのき)見むごとに相見し妹は忘られそやも
私訳 鞆の浦の磯にある室木を眺めるたびに、二人して眺めたその妻を忘れてしまう、そのようなことがあるでしょうか。
集歌456 君尓戀 痛毛為便奈美 蘆鶴之 哭耳所泣 朝夕四天
訓読 君に恋ひいたもすべ無み蘆(あし)鶴(たづ)の哭(ね)のみし泣(な)かゆ朝夕(あさよひ)にして
意訳 あなたが恋しくせん術もないので、ただ蘆べの鶴のように打ちしおれて泣くばかりだ。朝となく夜となく。
私訓 君に恋ふいたもすべ無み蘆(あし)鶴(たづ)し哭(ね)のみそ泣(な)かゆ朝夕(あさよひ)にして
私訳 貴方を慕う。ただどうしようもない。葦べの鶴のように血の声を絞ってただ泣くばかり、朝となく夕べとなく。
集歌463 長夜乎 獨哉将宿跡 君之云者 過去人之 所念久尓
訓読 長き夜を独りや寝(ね)むと君が言へば過ぎにし人の思ほゆらくに
意訳 長い夜を一人で寝るのかとあなたがいうと、また、あのなくなった人が思われてなりません。
私訓 長き夜をひとりや寝(ね)むと君し云(へ)ば過ぎにし人しそ念(おも)ほゆらくに
私訳 長い夜を独りで寝るのかと貴方が尋ねると、死して過ぎ去ていったあの人との事、それを思い出されます。
以上、恣意的に「所(そ)」の言葉を強調して私訳してみました。手前味噌ではありますが、なぜ、万葉人は作歌するとき、文字の制約の中で特段に「所」と云う文字を使ったのかが判ると思います。万葉仮名「そ 乙類」の音字では「曾」と云う文字を使うことも考えられますが、ここで紹介したものは代名詞としての「そ」の用法がもっぱらです。そのため、空間や場所を意味する「所」の文字の方が合うと認識していたのではないでしょうか。それにより、歌の解釈がより緊張あるものになると考えます。
なお、現在の『万葉集』の訓読みの流れでは『新撰万葉集』や平安時代以降の漢文訓読の影響が大きいのかもしれません。文字の研究では「所」と云う文字は万葉仮名では「そ 乙類」と訓むこととなっていますが、漢文訓読法では時に無声音扱いすることがあります。その慣習から、近代の研究においても『万葉集』の歌を鑑賞するとき、無意識のうちに無声音とする「新しい慣習」を創作したのでしょう。当然、「古典文学体系本」や「古典文学全集本」などをテキストに採用するような専門研究者では気が付かない世界です。あくまで、それは『万葉集』の原文訓読みからの世界です。つまり、素人の遊びの世界です。学問ではありません。
今回もまた、個人の趣味の世界、それも恣意的な解釈の世界での話ですし、蒸し返しです。それを最初にお詫びいたします。申し訳ありません。
さて、その蒸し返しの話ですが、大和言葉を表現する万葉仮名での「所」の文字は『万葉集』、『日本書紀歌謡』、『秋萩帖』などに使われており、万葉仮名一覧では「所」の文字は「そ・乙類」に分類される音字です。インターネットで調べますと、HP「試作 万葉仮名一覧」で万葉仮名一覧の情報を得ることが出来ます。
また、弊ブログ記事「万葉集 真仮名と古今和歌集」で、次のような話を過去にしています。それで蒸し返しなのです。
補足参考として、『秋萩帖』は第一紙と第二紙の全体で都合四八首の短歌が載せられています。ここで「之」の字は五四回ほど登場しますが、その読みはすべて「し」です。同じように「所」の字は二三回ほど登場し、その読みは「そ」です。こうした時、なぜ、現代の『万葉集』で使われる真仮名を、厳密に「之」を「し」、「所」を「そ」と読まないのかは不明です。
「所」の文字は万葉仮名として「そ・乙類」として訓むと研究されているのですから、弊ブログの記事での報告内容は、至極当然であり、『秋萩帖』でも認められるように「そ・乙類」として訓むことが平安時代初期まで継続していたことを単に再確認したに過ぎないことになります。
つまり、平安時代初期までですと、万葉仮名の「所」は「そ」と訓まないといけないことになります。一方、「所」の文字は場所や位置を示す名詞でもありますから、その場合は外来語として「ところ」や「しょ」等の訓みを持つことになります。
さて、前置きはここまでにして、『万葉集』に載る短歌で万葉仮名「所」の文字を持つものを鑑賞して行きたいと思います。紹介は巻三までに載る短歌とし、最初に原文、次に有名な『万葉集全訳注原文付(中西進 講談社文庫)』(パクリです)の訓読みと意訳、続けて筆者の私訓と私訳を組にするものとします。なお、「所」の文字が場所を意味すると判断される場合は、鑑賞目的が違うとして、紹介なしに割愛致します。つまり、ここでの古語の「そ」は代名詞として使われる言葉を対象にしています。
集歌7 金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百磯所念
訓読 秋の野のみ草(くさ)刈り葺(ふ)き宿(やど)れりし宇治の京(みやこ)の仮(かり)廬(ほ)し思(おも)ほゆ
意訳 秋の野のすすきを刈りとって来て屋根に葺いて泊まった、あの宇治の都での仮のやどりが思われることよ。
私訓 秋し野の御草(みくさ)刈り葺(ふ)き宿(やど)れりし宇治の京(みやこ)の仮(かり)廬(ほ)しそ念(も)ゆ
私訳 (皇位を譲って隠棲した古人大兄皇子は吉野で)秋の野の草を刈り屋根を葺いて住まわれているようです。(古人大兄皇子と同様に皇位を譲って隠棲した菟道稚郎子の伝えられる)石垣を積んで作られた、その宇治の宮の故事が偲ばれます。
集歌10 君之齒母 吾代毛所知哉 磐代乃 岡之草根乎 去来結手名
訓読 君が代もわが代も知るや磐代(いはしろ)の岡の草根(くさね)をいざ結びてな
意訳 あなたの命も私の命も支配していることよ。この磐代の岡の草を、さあ結びましょう。
私訓 君し代も吾が代もそ知るや磐代(いはしろ)の岡し草根(くさね)をいざ結びてな
私訳 貴方の寿命も私の寿命をも、それを司るという磐代の丘の言い伝えにしたがって、この丘の木の若枝を、さあ結びましょう。
集歌24 空蝉之 命乎惜美 浪尓所濕 伊良虞能嶋之 玉藻苅食
訓読 うつせみの命を惜しみ浪にぬれ伊良虞(いらご)の島の玉藻刈りをす
意訳 現実に生きているこの命をいとおしんで、浪に濡れては伊良虞の島の玉藻を刈っては食べられておられるのだろう。
私訓 現世(うつせみ)し命を惜しみ浪にそ濡れ伊良虞(いらご)の島し玉藻刈り食(は)む
私訳 この世の自分の命を惜しんで、浪、それに濡れて、伊良湖の島の玉藻を刈り取って食べるのだ。
集歌44 吾妹子乎 去来見乃山乎 高三香裳 日本能不所見 國遠見可聞
訓読 吾妹子(わぎもこ)をいざ見の山を高みかも大和の見えぬ国遠みかも
意訳 わが妻をさあ見ようという「いざ見み」の山は名ばかりで、高々と聳えているからか大和は見えないことよ。いやこれも国遠く旅して来たからか。
私訓 吾妹子(わぎもこ)をいざ見の山を高みかも大和の見ずそ国遠みかも
私訳 私の恋人をさあ(いざ)見ようとするが、いざ見の山は高くて大和の国はまったく見ることが出来ない。国から遥か遠く来たからか。
集歌48 東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡
訓読 東(ひむがし)の野(の)に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
意訳 東方の野の果てに曙光がさしそめる。ふりかえると西の空に低く下弦の月が見える。
私訓 東(ひむがし)し野(の)し炎(かぎろひ)し立つそ見にかへり見すれば月西渡る
私訳 夜通し昔の出来事を思い出していて、ふと、東の野に朝焼けの光が雲間から立つ、その朝日を見て振り返って見ると昨夜を一夜中に照らした月が西に渡って沈み逝く。
集歌64 葦邊行 鴨之羽我比尓 霜零而 寒暮夕 和之所念
訓読 葦辺(あしへ)行く鴨の羽(は)がひに霜降りて寒き夕へは大和し思ほゆ
意訳 葦べを泳ぐ鴨の背に霜が降り、寒さが身にしみる夕べは、大和が思われてならない。
私訓 葦辺(あしへ)行く鴨し羽交(はが)ひに霜降りて寒き夕へは大和し念(おも)ほゆ
私訳 葦の茂る岸辺を泳ぐ鴨の羽を畳んだ背に霜が降りるような寒い夕べは、大和(の貴女)が思い出される。
集歌66 大伴乃 高師能濱乃 松之根乎 枕宿杼 家之所偲由
訓読 大伴の高師(たかし)の浜の松が根を枕(まくら)き寝(ぬ)れど家(いへ)し偲(しの)はゆ
意訳 大伴の高師の浜の松を枕にして寝てはいても、後にして来た家が思われる。
私訓 大伴の高師(たかし)の浜の松し根を枕(まくら)き寝(ぬ)れど家(へ)しそ偲(しの)はゆ
私訳 大伴の高師の浜にある松の根を枕として浜辺を眺めながら野宿をしていても、大和の家、その家に住む家族のことが偲ばれます。
集歌67 旅尓之而 物戀尓 鳴毛 不所聞有世者 孤悲而死萬思
訓読 旅にしにもの恋しき「 」音(ね)も聞けずありせば恋ひて死なまし
意訳 旅にある身が何かと恋しいものを、「 」鳴き声もなかったとしたら、家郷恋しさのあまり命絶えてしまうだろうものを
私訓 旅にしにもの恋しきに鳴(さえづる)も聞けずそありせば恋ひに死なまし
私訳 旅路にあって貴女への想いが募り、そのために、このように啼きさえずる鳥の声も耳に入らないようでは、きっと、私は貴女への想いで死んでしまうでしょう。
注意 原文の「物戀尓 鳴毛」は、一般に歌意を想定し「物戀之伎尓 鶴之鳴毛」と創作改変し「物恋しきに鶴(たづ)が鳴(ね)も」と訓みます。ただ、中西進氏は「 」として、「鶴之」との推定を保留しています。
集歌71 倭戀 寐之不所宿尓 情無 此渚崎尓 多津鳴倍思哉
訓読 大和恋ひ眠(ゐ)の寝(ぬ)らえぬに情(こころ)なくこの渚崎廻(すさきみ)に鶴(たづ)鳴くべしや
意訳 大和を恋しくまんじりともし難い夜半、渚崎のまぐりをいたずらに鶴が騒ぐ。そんなに鳴いてよいのだろうか。
私訓 大和恋ひ眠(ゐ)ねし寝(ぬ)ずそに情(こころ)なくこの渚崎廻(すさきみ)に鶴(たづ)鳴くべしや
私訳 大和を恋い慕い寝るに寝られないのに、思いやりもなく、この渚崎のあたりで夜に鶴が妻を呼び立てて鳴くべきでしょうか。
集歌78 飛鳥 明日香能里乎 置而伊奈婆 君之當者 不所見香聞安良武
訓読 飛鳥の明日香の里を置きて去(い)なば君があたりは見えずかもあらむ
意訳 飛ぶ鳥の明日香の里を後にしていったなら、あなたのいるあたりは目にすることができなくなってしまうだろうか。
私訓 飛ぶ鳥し明日香の里を置きて去(い)なば君しあたりは見ずそかもあらむ
私訳 飛ぶ鳥の明日香の里を後にして去って行ったなら、あなたの明日香藤井原の藤原京の辺りはもう見えなくなるのでしょうか
集歌105 吾勢枯乎 倭邊遺登 佐夜深而 鷄鳴露尓 吾立所之沽 (沽は雨+沽の当て字)
訓読 わが背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁(あかとき)露(つゆ)に吾(われ)立ち濡れし
意訳 わが背子を大和に送るとて、夜もふけ、やがて明方の露に濡れるまで、私は立ちつづけたことであった。
私訓 吾が背子を大和へ遣るとさ夜更けに暁(あかとき)露(つゆ)に吾(われ)立ちそし沽(か)れ
私訳 私の愛しい貴方を大和に送ろうと思うと、二人の夜はいつしか深けていき、その早朝に去って往く貴方を見送る私は夜露の山裾でたちなずんでいた。
集歌107 足日木乃 山之四付二 妹待跡 吾立所沽 山之四附二
訓読 あしひきの山のしづくに妹待つとわが立ち濡れし山のしづくに
意訳 あしひきの山の雫に、妹を待つとて私は立ちつづけて濡れたことだ。山の雫に。
私訓 あしひきの山し雌伏に妹待つと吾立ちそ沽(か)れ山し雌伏に
私訳 「葦や檜の茂る山の裾野で愛しい貴女を待っている」と伝えたので、私は辛抱してじっと立って待っている。山の裾野で。
注意 原文の「吾立所沽」の「沽」は、一般に「沾」の誤記として「吾立ち沾(ぬ)れぬ」と訓みます。これに呼応して「山之四附二」は「山の雫に」と訓むようになり、歌意が全く変わります。
集歌144 磐代之 野中尓立有 結松 情毛不解 古所念
訓読 磐代(いはしろ)の野中に立てる結び松情(こころ)も解(と)けず古(いにしへ)思(も)ほゆ
意訳 磐代の野の中に立つ結びの松よ、いつまでも枝を解けず、昔の事が思われてならぬ。
私訓 磐代(いはしろ)し野中に立てる結び松情(こころ)も解(と)けず古(いにしへ)そ念(も)ゆ
私訳 磐代の野の中に立っている枝を結んだ松。結んだ枝が解けないように私の心も寛げず、昔の出来事が思い出されます。
集歌149 人者縦 念息登母 玉蘰 影尓所見乍 不所忘鴨
訓読 人はよし思ひ止(や)むとも玉鬘(たまかづら)影に見えつつ忘らえぬかも
意訳 故人をしのぶことも、人はやがてなくなるかもしれぬ。たとえそうであっても、私には鬘のように面影に見えつづけて、忘れられないことだ。
私訓 人はよし念(おも)ひ息(や)むとも玉蘰(たまかづら)影に見えつつ忘れずそかも
私訳 他の人がそうであって貴方をお慕いすることを止めたとしても、目に入る美しい蘰が貴方の面影のように常に思えていて、きっと忘れられないでしょう。
集歌171 高光 我日皇子乃 萬代尓 國所知麻之 嶋宮婆母
訓読 高光るわが日の皇子の万代(よろづよ)に国知らさまし島の宮はも
意訳 高く輝く、わが日の御子が永遠に国土をお治めになってほしかった島の宮よ。
私訓 高光る我が日し皇子の万代(よろづよ)に国そ知らさまし嶋し宮はも
私訳 天まで高く御身が光る我が日の皇子が、万代までにこの国、それを統治されるはずであったのに。あぁ、嶋の宮よ。
集歌191 毛許呂裳遠 春冬片設而 幸之 宇陀乃大野者 所念武鴨
訓読 褻(け)ころもを春冬(とき)片(かた)設(ま)けに幸(い)でましし宇陀の大野は思ほえむかも
意訳 いつもの衣を解き、時を待ちうけてお出ましになった宇陀の大野は、いつまでも思い出されるだろうなあ。
私訓 褻(け)ころもを春冬(とき)片(かた)設(ま)けに幸(い)でましし宇陀の大野はそ念(おも)ほむかも
私訳 普段着の紐を解き(令服に身を包み)、時を定めて御出座しになった宇陀の大野は、いつまでも、それを思い出されるでしょう。
集歌200 久堅之 天所知流 君故尓 日月毛不知 戀渡鴨
訓読 ひさかたの天知らしぬる君ゆゑに日月も知らに恋ひ渡るかも
意訳 遥か彼方の天をお治めになってしまった君なので、いつの日果てるとも知らずに恋いつづけることだ。
私訓 ひさかたし天そ知らしぬ君ゆゑに日月も知らに恋ひ渡るかも
私訳 遥か彼方の天上の、その世界を統治なされる貴方のために、日月の時の経つのも思わずに貴方をお慕いいたします。
集歌202 澤之 神社尓三輪須恵 雖禱祈 我王者 高日所知奴
訓読 哭沢(なきさは)の神社(もり)に神酒(みわ)据ゑ祷祈(いの)れどもわご大君は高日知らしぬ
意訳 泣沢の女神に命のよみがえりを願って、神酒を捧げて祈るのだが、わが大君は、高く日の神として天をお治めになってしまった。
私訓 哭沢(なきさは)し神社(もり)に神酒(みわ)据ゑ祷祈(いの)れども我が王(おほきみ)は高日そ知らしぬ
私訳 哭沢の神の社に御神酒を据えて神に祈るのですが、我が王は天上の世界、それをお治めになった。
集歌206 神樂波之 志賀左射礼浪 敷布尓 常丹跡君之 所念有計類
訓読 ささなみの志賀さされ波しくしくに常にと君が思(おも)ほせりける
意訳 ささなみの志賀の岸によせる小波(ささなみ)のように、しきりに、変りなくありたいとあなたは思っていらしたことだったなあ。
私訓 楽浪(さざなみ)し志賀さざれ波しくしくに常にと君しそ念(おも)ほせける
私訳 楽浪の志賀のさざれ波が、しきりに立って絶え間が無いように、絶えることなく常のことと貴方はそれを思われたことです。
集歌209 黄葉之 落去奈倍尓 玉梓之 使乎見者 相日所念
訓読 黄葉(もみちは)の散(ち)りゆくなへに玉梓の使(つかひ)を見れば逢ひし日(にち)思(おも)ほゆ
意訳 黄葉の散りゆく景色につれて死を告げる使者の訪れをうけると、妻と逢った日が思われてならない。
私訓 黄葉(もみちは)し落(ち)り去(ゆ)くなへに玉梓し使(つかひ)を見れば逢ひし日そ念(おも)ほゆ
私訳 黄葉の落ち葉の散っていくのつれて貴女が去っていったと告げに来た玉梓の使いを見ると、昔、最初に貴女に会ったとき手紙の遣り取りを使いに託した日々、その日々を思い出します。
集歌238 大宮之 内二手所聞 網引為跡 網子調流 海人之呼聲
訓読 大宮の内まで聞こゆ網引(あびき)すと網子(あご)調(ととの)ふる海人(あま)の呼び声
意訳 行宮(かりみや)の中まで聞こえて来ます。網引きをするというので、網子を整えている海人の呼び声が。
私訓 大宮し内にてそ聞こゆ網引(あびき)すと網子(あご)調(ととの)ふる海人(あま)し呼び声
私訳 伊勢の阿胡(あご)の行宮(かりみや)の御殿にいて、その掛け声が聞こえます。網を引こうと阿胡の浦の網子(あこ)達がかけ声を整えている海人(あま)の呼び声よ。
注意 原文の「内二手所聞」の「二手」は、一般に「両手」の意味をとり「真手」のこととします。ここから「まて」の訓みを採る戯訓としています。
集歌253 稲日野毛 去過勝尓 思有者 心戀敷 可古能嶋所見
訓読 稲日野も行き過ぎかてに思へれば心恋しき可古の島見ゆ
意訳 古い伝承にも語られる稲日野も行き過ぎがたく思っていると、心に恋しく思っていた可古の島が見えて来る。
私訓 稲日野も行き過ぎかてに思へれば心恋しき可古の島そ見ゆ
私訳 稲美野も行き過ぎてしまって、ふと思うと目的としていた加古の島、その島影が見える。
集歌255 天離 夷之長道従 戀来者 自明門 倭嶋所見
訓読 天(あま)離(さ)る夷(ひな)の長道(ながぢ)ゆ恋ひ来れば明石の門(と)より大和島見ゆ
意訳 天路遠い夷の長い道のりをずっと恋いつづけて来ると、今や明石海峡から大和の陸地が見える。
私訓 天(あま)離(さ)る夷し長道ゆ恋ひ来れば明石し門(と)より大和島そ見ゆ
私訳 大和の空から離れた田舎からの長い道を大和の国を恋しく思って帰って来ると明石の海峡から大和の山並み、その山並みが見えた。
集歌256 飼飯海乃 庭好有之 苅薦乃 乱出所見 海人釣船
訓読 飼飯(けひ)の海(うみ)の庭好くあらし刈薦(かりこも)の乱れ出(い)づ見ゆ海人の釣船
意訳 飼飯の海の海上は穏やからしい。刈りとった薦のようにあちこちから漕ぎ出して来るのが見える、漁師の釣船よ。
私訓 飼飯海(けひうみ)の庭好くあらし刈薦の乱(あら)れ出づそ見ゆ海人の釣船
私訳 飼飯の海の海上は穏やからしい。刈る薦の茎のように乱れあちらこちらに散っているのを見た。その海人の釣船よ。
集歌266 淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思奴尓 古所念
訓読 淡海(あふみ)の海(み)夕浪(ゆふなみ)千鳥(ちどり)汝(な)が鳴けば情(こころ)もしのに古(いにしへ)思ほゆ
意訳 淡海の海の夕波を飛ぶ千鳥よ、お前が鳴くと心もしなえるように昔のことが思われる。
私訓 淡海(あふみ)の海(み)夕浪(ゆふなみ)千鳥(ちどり)汝(な)が鳴けば情(こころ)もしのに古(いにしへ)そ念(も)ふ
私訳 淡海の海の夕波に翔ける千鳥よ。お前が鳴くと気持ちは深く、この地で亡くなられた天智天皇がお治めになった昔の日々を思い出す。
集歌269 人不見者 我袖用手 将隠乎 所焼乍可将有 不服而来来
訓読 人見ずはわが袖もちて隠(かく)さむを焼けつつかあらむ着(き)せずて来にけり
意訳 袖をかけてあなたを隠せばよかったものを、人目をはばかってそのまま来たので、今もあなたの心は燃えつづけているだろうか。袖をかへずに来たことだなあ。
私訓 人見ずは我が袖もちて隠(かく)さむをそ焼けつつかあらむ着(き)せずて来にけり
私訳 人が見ていなければ私の衣の袖で貴方の体を覆うのですが、きっと、貴方は恋焦がれているでしょう。共寝の衣を貴方に着せずに帰って来たので。
注意 この歌の「所焼乍可将有」の対象をどのように取るかで、歌意は変わります。男が恋心を燃やすのか、屋部坂が禿山になって燃えたような地肌を見せているのか、の差があります。ここでは男の恋心の方を採用しています。
集歌270 客為而 物戀敷尓 山下 赤乃曽呆舡 奥榜所見 (呆はネ+呆の当字)
訓読 旅にして物恋しきに山下(やました)の赤(あけ)のそほ船沖へ漕ぐ見ゆ
意訳 わが身は旅にあって、何となく物恋しいのに、山下の黄葉色の赤丹(あかに)を塗った舟が沖へ漕ぐのが見えることだ。
私訓 旅にしに物恋しきに山下(やました)し赤(あけ)のそほ船沖榜ぐそ見ゆ
私訳 旅路にあって物恋しいときに、山の裾野で、赤丹に塗った官の船が沖合で帆走していく、その船影を見た。
注意 原文の「赤乃曽呆舡」は、一般には「赤乃曽保船」と表記します。
集歌304 大王之 遠乃朝庭跡 蟻通 嶋門乎見者 神代之所念
訓読 大君の遠(とほ)の朝廷(みかど)とあり通ふ島門(しまと)を見れば神代(かみよ)し思ほゆ
意訳 大君の遠い朝廷として官人たちが通いつづける海路の、島山の間を見ると神代の昔が思われる。
私訓 大王(おほきみ)し遠の朝廷とあり通ふ島門を見れば神代しそ念(も)ゆ
私訳 大王が遥か昔に置かれた都の跡に、大和からはるばるやってきて、その海峡を見ると神の時代、その遥か昔が偲ばれます。
集歌312 昔者社 難波居中跡 所言奚米 今者京引 都備仁鷄里
訓読 昔こそ難波(なには)田舎(ゐなか)と言はれけめ今は京引(みやひ)き都(みやこ)びにけり
意訳 昔こそ「難波田舎」と言われたであろうが、今こそは都のあれこれを引いて来て、いかにも都らしくなったなあ。
私訓 昔こそ難波(なには)田舎(ゐなか)とそ言はれけめ今は京引(みやひ)き都(みやこ)びにけり
私訳 昔でこそ森だらけの難波は奈良と大宰府の間の田舎だと、そのように言われていたが、今は雅の帝都となりざわめき活気ある都らしくなったことよ。
集歌313 見吉野之 瀧乃白浪 雖不知 語之告者 古所念
訓読 み吉野し瀧(たき)の白波知らねども語りし継げば古(いにしへ)思ほゆ
意訳 み吉野の滝にわく白波よ。白波のことばとおりに知らないけれども、人人が語りつぐので、吉野の昔が思われることよ。
私訓 み吉野し瀧(たき)の白波知らねども語りし継げば古(いにしへ)そ念(も)ゆ
私訳 眺めが美しい吉野の激流の白波(しらなみ)、その言葉のひびきではないが、その出来事は良くは知(しら)ないが、人々が語り継ぐと、その昔の出来事が偲ばれます。
集歌329 安見知之 吾王乃 敷座在 國中者 京師所念
訓読 やすみししわご大君の敷きませる国の中(うち)には京師(みやこ)し思(おも)ほゆ
意訳 あまねく統治なさるわが大君の支配される国の中にあっては、やはり都のことが恋しく思われる。
私訓 やすみしし吾(あ)が王(おほきみ)の敷きませる国し中(うち)には京師(みやこ)そ念(おも)ほゆ
私訳 すべからく承知される我々の王が統治される国の中心にある都、その都が偲ばれます。
集歌333 淺茅原 曲曲二 物念者 故郷之 所念可聞
訓読 浅茅(あさぢ)原(はら)つばらつばらにもの思(も)へば故(ふ)りにし郷し思ほゆるかも
意訳 浅い茅がやの原、つくづくと物思いにふけると、あの明日香の故郷がなつかしいことよ。
私訓 浅茅(あさぢ)原(はら)つばらつばらにもの思(も)へば古(ふ)りにし里しそ念(おも)ほゆるかも
私訳 浅茅の原をつくづく見て物思いをすると、時代を経た、その故郷の明日香の里を想い出すだろう。
集歌336 白縫 筑紫乃綿者 身箸而 未者妓袮杼 暖所見
訓読 しらぬひ筑紫の綿(わた)は身につけていまだは著(き)ねど暖(あたた)かに見ゆ
意訳 しらぬひの筑紫の綿は身につけてまだ着たことはないが、暖かそうに見える。
私訓 しらぬひし筑紫の綿(わた)は身に付けていまだは着ねど暖(あたた)かにそ見ゆ
私訳 不知火の地名を持つ筑紫の名産の白く縫った「夢のわた」のような言葉の筑紫の綿(わた)の衣は、僧侶になったばかりで仏法の修行の段階は端の、箸のように痩せた私は未だに身に着けていませんが、きっと女性の体のように暖かいことでしょう。
注意 歌は集歌335の歌を受けてのものです。原文の「未者妓袮杼」の「妓」は、一般に「伎」の誤字とします。ここでは歌意から原文のままとしています。この「妓」の用字は集歌337の歌に影響を与えています。
集歌353 見吉野之 高城乃山尓 白雲者 行憚而 棚引所見
訓読 み吉野の高城(たかき)の山に白雲は行きはばかりてたなびけり見ゆ
意訳 み吉野の高城の山には、白雲が流れなずんで、たなびいているのが見えるよ。
私訓 み吉野し高城(たかき)の山に白雲は行きはばかりにたなびくそ見ゆ
私訳 見渡たし美しい吉野の高城の山に白雲は過ぎ行くことが出来なくて、棚引いている、その白雲を見た。
集歌357 縄浦従 背向尓所見 奥嶋 榜廻舟者 釣為良下
訓読 縄(なは)の浦ゆ背向(そがひ)に見ゆる沖つ島漕ぎ廻(み)る舟は釣りしすらしも
意訳 縄の浦ごしに、浦のうしろに見える沖の島を、今舟が漕ぎ廻っていく。あの舟は釣をしているらしいな。
私訓 縄浦(なはうら)ゆ背向(そがひ)にそ見ゆ沖つ島漕ぎ廻(み)る舟は釣りしすらしも
私訳 縄浦からその反対方向にそれを見た。沖の島の周りを漕ぎ廻るその舟は釣りをしているようだ。
注意 縄浦は、兵庫県相生市那波町の海岸一帯と思われる
集歌359 阿倍乃嶋 宇乃住石尓 依浪 間無比来 日本師所念
訓読 阿倍(あべ)の島鵜の住む磯に寄する波間(ま)なくこのころ大和(やまと)し思ほゆ
意訳 阿部の島の鵜の住みつく岩石の浜、そこに絶えまなくあがる波のように、このごろはたえず大和が思われる。
私訓 阿倍(あべ)の島鵜の住む磯に寄する浪間(ま)無くこのころ日本(やまと)しそ念(も)ゆ
私訳 阿倍の嶋の鵜の住む磯に寄せ来る浪に絶え間が無いように、このころ絶え間なく、その大和の都を恋しく思います。
注意 阿倍の嶋は、兵庫県加古川市阿閉津の海岸一帯と思われる
集歌371 飫海乃 河原之乳鳥 汝鳴者 吾佐保河乃 所念國
訓読 飫宇(おう)し海(うみ)の河原(かはら)の千鳥汝(な)が鳴けばわが佐保(さほ)河(かは)の思(おも)ほゆらくに
意訳 飫海の海の河原の千鳥よ、お前が鳴くと、我が家郷の佐保川が思われてならぬものを。
私訓 飫宇(おう)し海(み)の河原(かはら)し千鳥汝(な)が鳴けば吾(あ)が佐保(さほ)川(かは)のそ念(も)ほゆらくに
私訳 飫海にある河原に居る千鳥よ。お前が啼けば私の故郷の佐保川、その川の風情が思い出される。
集歌396 陸奥之 真野乃草原 雖遠 面影為而 所見云物乎
訓読 陸奥(みちのく)の真野(まの)の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にして見ゆといふものを
意訳 陸奥の真野の草原は、遠くはあっても面影の中に見えるといいますものを。
私訓 陸奥(みちのく)し真野の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にせにそ見ゆといふものを
私訳 陸奥にある真野の草原は遠いのですが、それを想像することは、きっと出来ると云いますからね。
集歌433 勝壮鹿乃 真々乃入江尓 打靡 玉藻苅兼 手兒名志所念
訓読 葛飾の真間の入江にうちなびく玉藻刈りけむ手児名し思ほゆ
意訳 葛飾の真間の入江になびいている美しい藻を刈ったろう手児名のことが思われる。
私訓 勝雄鹿(かつしか)の真間(まま)の入江にうち靡く玉藻刈りけむ手児名(てこな)しそ念(おも)ゆ
私訳 勝鹿の真間の入り江で波になびいている美しい藻を刈っただろう手兒名、その娘女のことが偲ばれます。
集歌447 鞆浦之 礒之室木 将見毎 相見之妹者 将所忘八方
訓読 鞆の浦の礒のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも
意訳 これからも、鞆の浦の磯に生えたむろの木を見るたびに、共に見た妻を忘れることはないだろう。
私訓 鞆浦(ともうら)し礒し室木(むろのき)見むごとに相見し妹は忘られそやも
私訳 鞆の浦の磯にある室木を眺めるたびに、二人して眺めたその妻を忘れてしまう、そのようなことがあるでしょうか。
集歌456 君尓戀 痛毛為便奈美 蘆鶴之 哭耳所泣 朝夕四天
訓読 君に恋ひいたもすべ無み蘆(あし)鶴(たづ)の哭(ね)のみし泣(な)かゆ朝夕(あさよひ)にして
意訳 あなたが恋しくせん術もないので、ただ蘆べの鶴のように打ちしおれて泣くばかりだ。朝となく夜となく。
私訓 君に恋ふいたもすべ無み蘆(あし)鶴(たづ)し哭(ね)のみそ泣(な)かゆ朝夕(あさよひ)にして
私訳 貴方を慕う。ただどうしようもない。葦べの鶴のように血の声を絞ってただ泣くばかり、朝となく夕べとなく。
集歌463 長夜乎 獨哉将宿跡 君之云者 過去人之 所念久尓
訓読 長き夜を独りや寝(ね)むと君が言へば過ぎにし人の思ほゆらくに
意訳 長い夜を一人で寝るのかとあなたがいうと、また、あのなくなった人が思われてなりません。
私訓 長き夜をひとりや寝(ね)むと君し云(へ)ば過ぎにし人しそ念(おも)ほゆらくに
私訳 長い夜を独りで寝るのかと貴方が尋ねると、死して過ぎ去ていったあの人との事、それを思い出されます。
以上、恣意的に「所(そ)」の言葉を強調して私訳してみました。手前味噌ではありますが、なぜ、万葉人は作歌するとき、文字の制約の中で特段に「所」と云う文字を使ったのかが判ると思います。万葉仮名「そ 乙類」の音字では「曾」と云う文字を使うことも考えられますが、ここで紹介したものは代名詞としての「そ」の用法がもっぱらです。そのため、空間や場所を意味する「所」の文字の方が合うと認識していたのではないでしょうか。それにより、歌の解釈がより緊張あるものになると考えます。
なお、現在の『万葉集』の訓読みの流れでは『新撰万葉集』や平安時代以降の漢文訓読の影響が大きいのかもしれません。文字の研究では「所」と云う文字は万葉仮名では「そ 乙類」と訓むこととなっていますが、漢文訓読法では時に無声音扱いすることがあります。その慣習から、近代の研究においても『万葉集』の歌を鑑賞するとき、無意識のうちに無声音とする「新しい慣習」を創作したのでしょう。当然、「古典文学体系本」や「古典文学全集本」などをテキストに採用するような専門研究者では気が付かない世界です。あくまで、それは『万葉集』の原文訓読みからの世界です。つまり、素人の遊びの世界です。学問ではありません。
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