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竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 百八一 今週のみそひと歌を振り返る その一

2016年09月10日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 百八一 今週のみそひと歌を振り返る その一

 今週、紹介した集歌10から12までの組歌三首には標題と左注が付けられています。歌の鑑賞では万葉集編集者が付けた標題を無視することも出来ませんし、山上憶良が編んだ類聚歌林が伝存していたと思われる平安時代初期までに付けられた左注もまた併せて鑑賞する必要があります。当然、標題は編集者のもので、左注は校註者のものですから、優先順序は標題にあります。
 一般にこの歌三首は斉明天皇四年(658)十月から斉明天皇五年正月まで滞在した紀温湯への御幸で詠われたものと推定します。そうした時、標題の「中皇命」とは誰かと云う問題があり、A案では斉明天皇、B案では孝徳天皇の皇后間人皇女です。
 ここで、重要な補足情報として、斉明天皇は即位前において宝皇女と呼ばれ舒明天皇の皇后で、舒明天皇の崩御の後天皇位を継いでいますから、建前では未亡人です。また、間人皇女は宝皇女の御子で孝徳天皇の皇后でしたが、その孝徳天皇は白雉五年(654)に崩御されています。つまり、斉明天皇四年時点では、前皇后間人皇女もまた未亡人なのです。
 おさらいのため、集歌10から12までの歌を紹介します。

中皇命、徃于紀温泉之時御謌
標訓 中(なかつ)皇命(すめらみこと)の、紀温泉(きのゆ)より徃へりましし時の御(かた)りし歌
集歌10 君之齒母 吾代毛所知哉 磐代乃 岡之草根乎 去来結手名
訓読 君し代も吾が代もそ知るや磐代(いはしろ)の岡し草根(くさね)をいざ結びてな
私訳 貴方の生きた時代も、私が生きる時代をも、きっと、全てを知っているのか、その神が宿る磐代よ。その磐代の岡に生える草を、さあ、旅の無事を祈って結びましょう。
裏訳 貴方の口は私の和毛の生えるところを知っていますか。さあ、岩代の岡で、和毛の生えるところを重ね合わせ、抱きあいましょう。

集歌11 吾勢子波 借廬作良須 草無者 小松下乃 草乎苅核
訓読 吾が背子は仮廬(かりほ)作らす草(くさ)無くは小松が下の草を刈らさね
私訳 私の愛しい貴方が仮の宿をお作りになる。もし、その庵の床に敷く草が無いならば、小松の下の草をお刈りなさい。
裏訳 私の愛しい貴方が仮の宿寝をなさるらしい。もし、その仮の宿の床で抱く女性が無いならば、小松の若芽のような年若い女性、この私を抱きなさい。

集歌12 吾欲之 野嶋波見世追 底深伎 阿胡根能浦乃 珠曽不拾
訓読 吾(あ)が欲(ほ)りし野島は見せつ底(そこ)深き阿胡根(あこね)の浦の珠ぞ拾(ひり)はぬ
私訳 私が見たいと思っていた野島を見せてくれました。でも、貴方は海の底の深い阿胡根の浦にある美しい真珠を採ってはいません。
裏訳 私が見たいと思っていた貴方の野島(同音で蛇島=男根)を見せてくれました。でもまだ、貴方は海の底の深い阿胡根の浦にある美しい真珠(=女性陰核)を愛でてくれません。
注意 隋唐時代の発音を示す宋本廣韻によると中国中古音では「野(jĭa/ ʑi̯wo)」と「蛇(jǐe/ dʑʰi̯a)」とは近似の音韻で、「野島」を「ノシマ」とする近代発音とは遠い関係があります。他方、三輪山神話に示すように古代、蛇は男性のシンボルです。

右、檢山上憶良大夫類聚歌林曰、天皇御製謌云々。
注訓 右は、山上憶良大夫の類聚歌林を檢(かむが)がふるに曰はく「天皇(すめらみこと)の御(かた)りて製(つく)らしし謌、云々」といへり。

 さて、紀温湯の御幸の時、皇位継承に関わる重大事件がありました。それが有馬皇子の反逆の疑惑事件です。歴史では蘇我赤兄の屋敷で斉明天皇の統治を痛烈に非難し、それが謀反とされ、斉明天皇四年十一月十一日に紀伊の藤白坂で絞殺されています。斉明天皇は女帝でしたので、男帝の皇位継承は重要な政治項目であり、この時点の有力候補としては葛城皇子(俗称、中大兄、即位して天智天皇)とこの殺された有馬皇子でした。およそ、紹介した組歌三首が詠われた、直前、そのような重大な政変が発生していたのです。
 標題と時系列からしますと、そのような重大な政変が起きた直後、紀温湯から飛鳥への帰還の道中での歌です。歌に詠われる野島は現在の和歌山県御坊市名田町野島と推定され、阿胡根の浦は可能性として御坊市の日高川河口付近と思われます。一方、有馬皇子が殺された藤白坂は現在の海南市藤白と比定され、飛鳥への帰京では御坊市名田町野島からすると翌日通過するような場所となります。歌は、そのような日程での夜の宴会歌なのです。

 歌で使われる漢字は、「小松下乃 草乎苅核」の表記が示すように夜の宴会歌に相応しく男女の夜の営みを暗示させます。すると、多くの不思議を感じませんか。その不思議の一つ目として、標題に「中皇命、徃于紀温泉之時御謌」とありますから、歌の内容からして未亡人である天皇または前皇后が、意向を告げて歌を詠わせるようなものでしょうか。立場からしますと、女帝自ら臣下を楽しませるために私を抱きなさいと云うような卑猥な歌を詠うでしょうか。二つ目として、これらの歌が詠われたのが斉明天皇四年暮です。そのような時代に、これほどに短歌形式の整った歌が詠われたのでしょうか。歌の表記形式は常体歌に分類され、およそ、晩期藤原京から前期平城京時代以降に主流となるような表記形式を持っています。時代と歌形式の整合が取れるでしょうか。三つ目には、この三首組歌は物語性を持っており、集歌10の歌では旅行く貴人に里の女が夜の誘いを掛け、次に集歌11の歌ではこの私を抱きなさいとけしかけ、最後、三首目では夜床での愛撫の様子を比喩します。確かにバレ歌ですが、そこには高度な物語性が窺えます。このような物語性を持つ歌が孝徳天皇から斉明天皇の時代に存在したのでしょう。少なくとも天武天皇の時代、柿本人麻呂時代まで待つ必要があるのではないでしょうか。
 このようにこの組歌三首を鑑賞しますと、不思議、不思議が次々と湧いて来るのです。

 弊ブログではこの組歌三首は、孝徳天皇の皇后間人皇女に因む歌、つまり、中皇命とは前皇后間人皇女を示すと解釈しています。一般に、万葉集中に直接、間人皇女に関係するとする歌はありません。しかしながら、皇位継承の建前からすると斉明天皇と天智天皇とを繋ぐ立場にあり、そこから中皇命との敬称が与えられたと考えます。また、祭事の天皇と政事の大王との並立を想定しますと、斉明天皇と天智天皇皇后倭姫とを繋ぐ立場でもあります。そのような重要人物に歌が無いことから、間人皇女を尊んで紀伊地方の民謡を採取し、形式を整えて和歌としたと推定しています。
 そうした時、日本書紀に載る次の記事と歌謡から、時に斉明天皇を生母とする葛城皇子(天智天皇)と間人皇女との禁断の肉体交渉を伴う兄妹恋愛があったのではないかと推定する人もいます。なお、紹介する歌謡での「こま=駒」は間人皇女を、「ひと=人」は葛城皇子を比喩すると推定し、古語で「男が女を見る」とは「素肌を含めた女の全てを知る=抱く」と云う意味合いに取ります。

由是天皇恨欲捨於国位。令造宮於山碕。乃送歌於間人皇后曰。
原歌 舸娜紀都該 阿我柯賦古麻播 比枳涅世儒 阿我柯賦古麻乎 比騰瀰都羅武箇
読下 かなきつけ あがかふこまは ひきでせず あがかふこまを ひとみつらむか
訳注 金木付け  吾が飼う駒は  引きでせず 吾が飼う駒を  人見るらむか

 もし、万葉集に秘められた暗号があるとしますと、場合によって、この歌群は葛城皇子と間人皇女との禁断の兄妹恋愛を示しているのかもしれません。その想像では、歌が詠われた時、皇位継承の唯一のライバルであった有馬皇子が排除され、倭豪族の大半は葛城皇子の下となりました。ここに孝徳天皇以来、揉めて来た皇位継承の体制は決まりました。また、それに付随して葛城皇子と間人皇女との兄妹恋愛は公式でなければ批難する対立勢力はいません。そのような政変下での歌と云うことになります。有馬皇子殺害を血なまぐさいと取るか、はたまた害悪退治の勝利と取るかは立場になります。葛城皇子や間人皇女から見ればそれは祝うべき政変であったのではないでしょうか。
 この推定からしますと、禁断の恋の恋愛譚を暗示する艶歌、歌の形式が示唆する後年の民謡採歌からの和歌、さらに歌物語形式を持つ、これらの不思議を説明するのかもしれません。つまり、歌群は後年の読者に向けての暗号なのかもしれません。大和の国は同母兄妹の性的恋愛は忌諱されるべき行為と称しますが、それでも記紀に木梨軽皇子と軽大娘皇女との同母兄妹の性的恋愛譚などを見ることが出来ますから、実社会では相当数の例はあったと思われます。参考として天津罪・国津罪の規定では同母兄妹の性的恋愛は忌諱の規定にはありませんから、大きな忌諱的行為かと云うとそうではなかったようです。性的忌諱としては妻の連れ娘子や妻の母親との恋愛の方が取り上げられ、これらは国津罪として重罪と規定されています。

 解説は載せていませんが、みそひと歌の訓じにはこのような酔論を展開しています。また、集歌9のいわゆる「莫囂圓隣歌」もまた、難訓歌の酔論を経て訓じを載せています。

集歌9 莫囂圓隣之 大相七兄爪謁氣 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本
訓読 染(そ)まりなし御備(おそな)え副(そ)えき吾(あ)が背子し致(いた)ちししけむ厳橿(いつかし)が本(もと)
私訳 一点の穢れなき白栲の布を奉幣に副えました。吾らがお慕いする君が、梓弓が立てる音の中、その奉幣をいたしました。大和の橿原宮の元宮であります、この熊野速玉大社を建てられた大王(=神武天皇)よ。

 日給月給の日銭を稼ぎ、生きていく年寄りには、万葉集の歌の訓じとその鑑賞は非常なる面白みがあります。独特な鑑賞ではアホの様な酔論を背景としていますが、そこをご了解ください。

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