おわりに
私は、朱鳥元年以降に大和王国は大王制から天皇制に移行したのではないかと考えています。ここでの天皇制とは政教分離の政治体制です。私が理解する旧来の大王は統治の一環として祭祈を行いますが、私が思う天皇制では、天皇が人民の幸福と繁栄を願って祭祈を行い正しい方向を示す役割を果たし、為政者である大王は天皇から示されたその正しい方向に向かって統治を行います。天皇は祭祈し正しい方向を示すだけですので、天変地異や疫病・飢饉などの災害や不幸の結果に対しては責任がありません。それは、為政者である大王の責任になります。
ただし、大王は現御神である天皇の指し示す方針に従って統治を行いますから、建前として、天意・神意を実行する権威を授けられて、統治を行う権限と根拠とします。その大王の名称が律令体制の整備から太政大臣へと呼称を変えたものが、大宝律令以降の日本の政治体制ではないでしょうか。つまり、日本の政治体制の根幹は、天皇の「大御心を体現する」その代理行為が権威と統治の根拠と為していると思っています。
しかしながら、普段の私たちは諸外国の皇帝や大王と大和の天皇制との違いをはっきりとは認識していなくて、古来から飛鳥・奈良・平安時代の天皇(大王)は絶対的権限を有しているように理解しています。そのため、持統天皇は天皇の称号を有することから絶対的に大和国を支配したように解釈されています。もしここで、政教分離の天皇制が古来から存在したと仮定しますと、当然、持統天皇と太政大臣高市皇子との関係や理解が変わってきます。私はこの政教分離の天皇制の存在の仮定を立てて、万葉集での称号や史書を丹念に調べてみることによって、ここで示した結論に達したのです。ただ、これ以上深入りしますとおっちゃんの仮定や推理は国家像や天皇制の本質論に変質しますし、普通選挙下での文化人の役割と罪にまで波及します。それは、スコップとツルハシを持つことを生業にするおっちゃんには歯が立たない領域です。そこで、これで退却をしたいと思います。
さて、ここで示した壬申の乱や高市皇子の姿は、相当、特異なものになりましたが、万葉集好きのおっちゃんの酔論として、お楽しみいただけたら幸いです。
私は、朱鳥元年以降に大和王国は大王制から天皇制に移行したのではないかと考えています。ここでの天皇制とは政教分離の政治体制です。私が理解する旧来の大王は統治の一環として祭祈を行いますが、私が思う天皇制では、天皇が人民の幸福と繁栄を願って祭祈を行い正しい方向を示す役割を果たし、為政者である大王は天皇から示されたその正しい方向に向かって統治を行います。天皇は祭祈し正しい方向を示すだけですので、天変地異や疫病・飢饉などの災害や不幸の結果に対しては責任がありません。それは、為政者である大王の責任になります。
ただし、大王は現御神である天皇の指し示す方針に従って統治を行いますから、建前として、天意・神意を実行する権威を授けられて、統治を行う権限と根拠とします。その大王の名称が律令体制の整備から太政大臣へと呼称を変えたものが、大宝律令以降の日本の政治体制ではないでしょうか。つまり、日本の政治体制の根幹は、天皇の「大御心を体現する」その代理行為が権威と統治の根拠と為していると思っています。
しかしながら、普段の私たちは諸外国の皇帝や大王と大和の天皇制との違いをはっきりとは認識していなくて、古来から飛鳥・奈良・平安時代の天皇(大王)は絶対的権限を有しているように理解しています。そのため、持統天皇は天皇の称号を有することから絶対的に大和国を支配したように解釈されています。もしここで、政教分離の天皇制が古来から存在したと仮定しますと、当然、持統天皇と太政大臣高市皇子との関係や理解が変わってきます。私はこの政教分離の天皇制の存在の仮定を立てて、万葉集での称号や史書を丹念に調べてみることによって、ここで示した結論に達したのです。ただ、これ以上深入りしますとおっちゃんの仮定や推理は国家像や天皇制の本質論に変質しますし、普通選挙下での文化人の役割と罪にまで波及します。それは、スコップとツルハシを持つことを生業にするおっちゃんには歯が立たない領域です。そこで、これで退却をしたいと思います。
さて、ここで示した壬申の乱や高市皇子の姿は、相当、特異なものになりましたが、万葉集好きのおっちゃんの酔論として、お楽しみいただけたら幸いです。
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