たかお治久の活動報告

高砂市議会議員/たかお治久の活動報告

靖国神社と映画「永遠のゼロ」に思う

2014-02-10 05:26:58 | 日記

概要:靖国神社参拝。綺麗ごとは書けない。生きたかったどれ程の方々が日本の将来の為に命を捧げられたかと思うと、自分たちも「今の為、自分の為だけ」を考えて生きることは出来ない。映画『永遠のゼロ』を観て感じたことも付します。

2月8日(土)に、どうしても聞きたい講演会を見つけ東京へ。またゆっくりと靖国神社、遊就館を見たかったこともあり、前日の金曜日より上京致しました。(靖国神社横、遊就館の見た後に撮った写真↓)

[ご存じの方も多いと思いますが、ラダ・ビノート・パール博士前での写真です]

どうしても聞きたかった講演会、テーマは「社会構造が変化し、国家財政がひっ迫する中、持続可能な地方自治をどう行っていくべきか」でした。これについての感想や得たこともご報告をしないといけないのですが、それよりも今回はその前日に訪れた靖国神社のこと、年始に見た映画「永遠のゼロ」のことを書かせて頂きます。

私は今49歳、妻と子供2人で暮らし、何の不自由もない、本当に平和な世の中に生きています。ところが約70年前、数世代前には、全く違う時代がありました。

戦地に赴き、国家、家族の為に命を捧げた方々のお気持ちをこの場に書くこともはばかられますが、敢えて書きたいと思います。

全ての方が「生きたい。生きるんだ。」との思いを持っておられたのだと思います。しかしそれでも国家、家族の為にその命をかけて戦地に行き、命をおとされました。

「永遠のゼロ」での宮部久蔵氏は「その生きて還るんだ」と、日本の武士道精神をもった若者が仲間、部下が死んでいく中で自分だけが生き残っていいのか、との葛藤の中で、最後の最後に自らの意思で、命を捧げて突撃をしました。

靖国には膨大な数の英霊がねむっておられます。全ての方々が、想像もつかない、想像を絶する思いを抱きながら人生を終えられたことを思うと、今の平和を享受するだけでは許されない様に思います。

宮部久蔵氏の葛藤と行動は私達に、時代が求めたこと、また時代が何を求めようと自分の意思を貫く勇気、の大切さを語っていると共に、現代社会の中であなたはどう生きるかを問うている様にも思います。

綺麗事はかけません。ただただ手を合わせ、深く頭を下げると共に、自らを省みないといけません。

 

 

 

 


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